第五十二話 そのときじゃないよ
空中に浮かぶ教会は、まるで空飛ぶ要塞だった。
ばらばらになったパイプオルガンに囲まれた祭壇は、要塞の核であり、操縦席のようにも見える。その中心にユウカは取り込まれ、エネルギーを供出させられている。
ユウカを護るように両脇に控えた、リードとトーンは、私たちのことを忌々しげに見ている。
その要塞は、いまや不要となった殻を脱ぎ捨てるように、教会の部分をぼろぼろと地上に落としていく。
魔法の力が働いているのか、一部の床や壁は衛星のように聖堂を取り囲み、浮遊したままだ。
私はその衛星のひとつから、祭壇に飛び移ろうとしていた。
目測を誤ったと思う。自分のジャンプ力を高く見積もり過ぎていたのだ。
祭壇のそばまで届くはずだった右足は虚しく空を踏み、私の体は傾く。世界がゆっくりと動いて見える。
「ヨシエ!」
ケンイチの声が聞こえる。
バシン、と音が鳴り、後ろから瓦礫が飛んでくる。
瓦礫は私の右足を支え、私はそれを踏み締めてできるだけ高くジャンプする。バシン、再び音が聞こえる。今度は祭壇に続くタイルが大きく砕け降ってくる。右手を伸ばしてそれを掴み、左手で祭壇の床に手をかける。
右手で掴んだ瓦礫には、輝く矢が刺さっていた。紫影 の弓が放った矢だ。
「ケンイチ、ありがとう!」
「いいから行け!」
ケンイチが紫影を操作して矢を放ち、足場を作ってくれたのだ。
器用なことをするものだと感心する。日常的にゲームをする人はこのようなことが普通にできるものなのだろうか。
「ユウカ、一緒に帰ろう」
「無駄ですよ」
私はリードの言葉を無視して、ユウカに語りかける。
「ユウカはいつか私たち家族から離れて、自立して生きていく日が来るんだと思う。私は少し寂しいけれど、自分の足で立つユウカを応援したい。だけど、今はどう見てもそのときじゃないよ。ユウカは間違ってる」
ユウカは祭壇の中心に座り、浮遊する鍵盤に囲まれていた。頬には五線譜のような模様が現れ、その模様は発光している。
こういうとき、言葉はなんて無力なのだろうと思う。子供が生まれてから、思うようにいかないことが多くなった。いくら言葉を尽くしても伝わっていないのだなと思う。
だからといって、伝えないわけにはいかない。
「ママ、崩れるよ!」
足元がどんどん狭まっている。
私は祭壇に近づく。手を伸ばせば触れ合えるくらい眼の前にユウカがいる。だけれど、私たちの間には見えない壁のようなものがあり、これ以上前に進むことができない。
「生き字引」
苦し紛れにスキルを発動する。私の眼の前に、見えない壁の情報が表示される。
「この壁を作っているのは……」
私は開いたページの全てを瞬時に読み取る。
「なんか書いてあった?」
後方からヒロトが私に呼びかける。
「壁を作り出しているのは、私たち!」
「えっ」
私は生き字引を閉じる。
「見えないバリアなんか最初からなかった。これは私たちが生み出した幻覚が実体化したもの。ここに壁は存在しない!」
私は強くそう思い込む。
一瞬、ユウカと目が合った気がした。強風に立ち向かうように、体を前に倒し壁を突き抜ける。
「やったー! ママすごい!」
「馬鹿な……」
私が見えない壁を抜けると同時に、紫影の弓がリードを、蒼翔 の光線銃がトーンを攻撃する。
私の行く手を阻もうとしていた二人は、ケンイチとリョウの攻撃をかわすために体勢を崩される。私は慎重に瓦礫を踏み、祭壇に近づく。
「迎えに来たよ、ユウカ」
ユウカが小さく「ママ」といった気がした。
「いやだ、ユウカは返さない!」
リードの声かと思ったけれど、それはトーンのいる方角から聞こえた。
トーンがこれほど大きな声を出すのを初めて聞いた気がする。木琴を叩いたような和音が鳴り、私の足元が崩れる。
祭壇によじ登ろうとしたけれど、間に合わなかった。
ユウカが我に返ったように、私に手を伸ばす。オルガン椅子から立ち上がり、中腰になったユウカは、とても脆く儚い存在に見えた。
ユウカの手を掴んではいけない。彼女に私の体重を支えるだけの力はない。これはアニメではないのだ。ユウカの手を掴んでも、私たちはもろとも落ちるだけだ。
「ケンイチ! あとはお願い!」
差し伸べられた手を眺めながら私は落ちていく。
「凝望壁!」
祭壇にいたユウカが壁になり、私とともに落ちてくる。
「ユウカ!?」
違う、ユウカは落ちていない。
板状になったユウカは祭壇から滑り台のように斜めに伸び、私の下に潜り込んで落ちていく私を支える。端は祭壇にひっかかっているようだがよく見えない。
飛行機の緊急脱出スロープのように、私は凝望壁の上を滑り降りる。
「ユウカ、でかした!」
上空からヒロトの声が聞こえる。
地上に近づくにつれて、凝望壁はどんどん細くなっていく。
町の人々が私たちのことを見上げている。宿屋の婦人や、ギルドにいた男性、道具屋の主人もいる。
凝望壁はとうとう角柱ほどの細さになり、私は体を支えていることができずに町に落下する。




