第四十五話 ママが三倍になったの?
私はこの世界の理を知らない。
魔法があってモンスターがいる世界なのだ。私が今まで住んでいた世界とは、全く違うものなのだろう。この世界はこの世界のルールに従って動いている。
それならば、私もそのように振る舞えばいい。
――私は飛び降りても痛くない。
声には出さずに、自分にそう言い聞かせる。
包丁をエコバッグにしまい、私は床に手を入れて大きく切り開く。
唐突に上を見上げると、空中の裂け目から私を覗き込んでいた私が、慌てて上を見上げ私の真似をする。予想通り、フェイントに弱い。
「あーあ、もう無理そうだし。諦めちゃおっかな」
わざとらしく言葉に出し、それを言い終えないうちに、私は裂け目から飛び降りる。
「えっ、わあっ!」
裂け目の下にいた私は、驚いて私のことを見上げる。
まさかこの高さを飛び降りてくるとは思わなかったのだろう。私も、自分にそんなことができるとは、夢にも思っていなかった。人間、いざとなると思わぬ行動に出るものだと他人事のように考える。
落下した私の肉体は、うつ伏せになった私に馬乗りになる。
「私と私の家族をここから開放して!」
「自分で自分を脅すなんて、やってることがめちゃくちゃじゃないか」
「そうか。脅す、脅すのね。ちゃんと脅さないと」
自分の背中にまたがったまま、私はエコバッグから包丁を取り出す。
慌てたので手が滑って、うつ伏せになっている私の顔の前に落ち、床に突き刺さる。
「うわっ、危ない! 危ないってそれ」
「あっあっ、ごめんね。えーっと、私たちをここから出しなさい!」
上の裂け目から、もう一人の私がシャツワンピースをひるがえして降ってくる。さっきの私よりもずいぶんと、かっこいい着地の仕方だ。
私は包丁を手に取り、降ってきたほうの私に向ける。
「そろそろ外側も危ない」
「そうかあ。思ったより早かったな」
私の下にいる私と、上から降ってきた私が話している。声は私の声だけれど、口調が違う。
「あなたたち、リードとトーンね」
「ぴんぽーん。正解です。あなたたち家族は思ったよりもやりますね」
こっちの世界でも、正解のときにはピンポンというのだな、とついどうでもいいことを考えてしまう。が、今はそんなことを尋ねている場合ではない。
「えーっと、たぶんあなたがリード。トーン! リードを助けたかったら、私たち家族全員を……」
私の下にいるリードを包丁で脅そうとした瞬間、私たちのいる空間がぐらりと揺れる。
天井に、暗い色のひびが入る。うつぶせになっているリードを刺してしまいそうになり、慌てて身をひねる。
「あいかわらず甘いですね。敵前だというのに」
私の姿をしたリードに包丁を奪われる。
「リード、遊んでる場合じゃない」
「遊んでるわけじゃなかったんだけどなあ。僕、刺されそうだったの見てた?」
「どうせ、その人は刺さない」
図星だった。
確かに彼らは敵なのかも知れないが、包丁で刺していいわけがない。ユウカといくつも変わらない、まだ子供なのだ。
パステルカラーの天井が、みるみるうちにひび割れていく。
「ママー!」
「リョウ!」
上のほうからリョウの声が聞こえる。空間が地震のように大きく揺れ、私たちは宝箱からはじき出される。
「ヨシエ!」
私はダンジョンの石造りの廊下にしゃがみこんでいた。
私の姿をしたリードとトーンも一緒だ。
「わあ、ママがいっぱいいる」
「なんで!?」
「ケンイチ、術が解けたのね」
リードと思われる私が立ち上がり、私に先んじてケンイチに話しかけてしまう。
「あ、ああ……」
珀刻と蒼翔 と紫影 が、一歩後ろに下がる。
おそらく三人で攻撃して、宝箱を破壊してくれたのだろう。
「パパは、ボクたちがここまで連れてきたよ」
「パパ、『リョウが大人になって家を出たら、ヨシエにも熟年離婚されて俺はひとりぼっちになるんだ』とか錯乱してて、大変だった」
「いうな」
「ママがミミックに食べられたっていったら、急に正気に戻った」
「ありがとう、みんな」
こんどはトーンに先にいわれてしまう。
「これ、ミミックを倒した報酬に、ママが三倍になったの?」
「そんなことある?」
「この二人は偽物よ。リードとトーンが私に化けてるの!」
「違う、私が本物よ!」
「私以外はみんな偽物」
リードとトーンはいけしゃあしゃあと、私のふりをする。
「パパ、どれが本物だと思う?」
「全く分からない」
「私が本物でしょ。だってほら、包丁を持っているじゃない」
「私、これ持ってる」
「あっ、私のエコバッグ。いつの間に!」
さっきはじき出されたときに、トーンにエコバッグを奪われたらしい。
「どうしよう」
「もう、みんなママってことでいいんじゃない」
「だめだろう」
ケンイチとヒロトはコントローラを構えたままだ。一応、警戒しているのだろう。
「えっとねえ、じゃあクイズ。ママの推しはだれでしょう!」
「えっ」
唐突に、リョウがクイズを始める。
推しの話などほとんどしたことがないのに、一体なにを持って正解とするのだろうか。




