第四十四話 エクスカリバーが入ってるかも
リョウが持っていた燭台は置いてきてしまったので、石造りの廊下は、ヒロトが遊戯創生のスキルを使って呼び出した、珀刻から発される、青白い光で仄かに照らされていた。
それとは別に、目の前に置かれている宝箱も、それそのものが暖色系に発光しているように見えた。
いかにも開けてくださいといった雰囲気だ。
「ママ、宝箱を開けちゃだめだよ」
「だめなの? 確かにあからさま過ぎて怪しいけど」
「高い確率でミミックだよ。こういうのは」
「ミミック」
「宝箱のふりをしたモンスター」
「そういうのもあるのねえ」
とはいえ、目の前の道はリョウのランドセルよりも一回り大きい宝箱に塞がれているし、後ろはさっき出てきた部屋だ。
宝箱を跨いででも、前に進むしか道はない。
「二人とも下がってて」
ヒロトは自分も一歩下がりながら、珀刻を操作する。
珀刻は両手に持った二本の剣のうちの一つで、そっと宝箱をつつく。
「なにも起こらないねえ」
「状況的に宝物が入っている確率は低いから、置いていこう」
「ボク、開けてみたかったなあ。エクスカリバーが入ってるかも」
ヒロトが宝箱をひょいっと跨いで先に進む。
リョウもすばしっこい動作で宝箱と壁の隙間をすり抜けてから、名残惜しそうに振り返る。
二人が先に行ってしまったので、私もヒロトと同じように宝箱を跨ぐ。木で造られた宝箱には塗装がしてあり、真鍮で装飾が施されている。
「あっ」
しっかり足を上げたはずなのに、シャツワンピースの裾を宝箱にひっかけてしまったかと思い振り返る。
違う。ひっかけたんじゃない。私のシャツワンピースの裾は宝箱の蓋に挟まっている。
「ママ!?」
「ヒロト! リョウ!」
どうしていつもこうなのだろう。私はまた失敗してしまった。
宝箱に体を引っ張られながら、私は深い穴に落ちていく。
宝箱の中はなぜだか明るかった。
そもそも本当にここは宝箱の中なのだろうか。上を見上げると、宝箱の蓋が閉じるのが見える。暗いダンジョンが皆既月食のように閉じていく。
とうとう、どこが宝箱の蓋なのかもわからなくなる。
何色かの水彩絵の具をにじませたような、淡い色をした空間だった。
私が小さくなったのか、あるいは宝箱の内側がとても大きかったのかは分からないが、ともかくとても広い空間だ。
ヒロトは心配しているだろうか。リョウは泣いていないだろうか。せめて、二人が一緒で良かったと思う。
「どうやってここから出よう」
私は途方に暮れる。とりあえず、足元には床があるようだ。
天井の色も床の色も、もしあるのだとしたら壁の色も、全てはあいまいなパステルカラーで、つなぎ目がなかった。どこが空間の終点なのか、あるいは地平線があるのかも分からない。
こういうとき、案じてしまうのは自分の身よりも、子供たちの安否だ。「親がいなくなった」という不安を与えてしまったことを、申し訳なく思う。早く脱出しなければならない。
私はジャンプをして手を伸ばしてみるが、なににも手は届かない。前に向かって歩いてみる。どこにも突き当たらない。あまりにもどこにもつかないので走ってみる。すぐに息が切れてしまい、私はその場に座り込む。
「ミミックっていっていたっけ。この空間もモンスターの内側なのかな」
エコバッグから包丁を取り出す。
躊躇していても仕方がない。このままここにいると私だけではなく、子供たちに危険が及ぶかもしれない。
皮のカバーを外し、しゃがみこんで床に軽く刃先を立ててみる。ぶるる、と一瞬地面が揺れた気がした。
私は包丁を大きく振り上げて、床に突き刺す。
床は一瞬、硬直するような動きを見せ、すぐにまた動かなくなる。
まっすぐに床に突き立てた包丁を、手前にむかってゆっくりとひく。それほど抵抗はなかった。刺し身のサクを切る程度の硬さだ。
ぱっくりと割れた床の下にはなにもない。
私は両手を入れて、床を広げてみる。布団くらいの厚みのある床を裂くと、真下にもう一つ空間が見える。だれかがしゃがみこんでいる。あのシャツワンピースは、私のものと同じだ。
私は慌てて上を向く。パステルカラーの空間に裂け目が開いて、包丁を持った私が私のことを覗き込んでいる。
上の切れ目にいる私は、私のことを見てなにかに気づいたように上を見上げる。
「これは……」
一連の出来事で私は確信する。
これは現実ではない。リードかトーンが作った精神世界なのだ。
つまり私は、あるいは私たちは、敵の作った世界に閉じ込められている。おそらく、ダンジョンそのものも本当の世界ではないのだろうと思う。私たち家族は同時に夢を見ているようなものなのだ。
与えられるのが肉体的なダメージではなく精神的なダメージなのなら、精神力で回避することも可能なはずだ。
私は大きく深呼吸をする。




