第四十三話 一こわこわで三分
男の子の親になった以上、いつかは家庭内暴力などが起こる可能性もあるのだろうか。
そんなことを不安に思っていたけれど、実際はそんなこともなく、ヒロトもリョウも、基本的にはいい子だった。
もちろん、いうことを聞かなかったり、散らかしっぱなしだったりなどの、一般的な困りごとはあるけれど、家族に手を上げるようなことは一度もなかった。
一瞬のうちにそんなことを考えながら、今、目の前に振り上げられたヒロトの拳をぼんやりと眺める。
時間の流れがゆっくりと感じられる。いざというとき、人は全く動けなくなるものなのだなと思う。
「うわあっ!」
唐突にヒロトの姿が目の前から消え、私の背後から声が聞こえる。
「えっ」
振り返ると、ヒロトは床に仰向け転がり、天井に向かって拳を突き上げていた。
「なにこれ。なんなんだよ」
「ボクがやったよ」
リョウが誇らしげに胸を張る。時間操作を使って、ヒロトの体を移動してくれたのだろう。
「ありがとう、リョウ」
「頭いてえーっ」
「ヒロトを転がすとき、ちょっとごちんってなっちゃった」
「ちょっとじゃないだろこれ!」
ヒロトがむくりと起き上がり、リョウをにらみつける。
「ヒロト大丈夫? あ、こぶになりかけてるね」
「みんな、俺に対する扱いがひどい!」
「そんなことないよ。家族みんな、ヒロトのことを大切に思っているよ」
ヒロトは私の顔を見ずに、気まずそうにため息をつく。
頭を打った衝撃のせいか、さっきまでの錯乱状態ではなかった。おそらく、トーンにかけられたなにかしらの術が解けたのだろうと思う。
「リョウ、時間操作を使いこなせるようになったんだ」
ヒロトは床に足を伸ばして座ったまま、リョウの方を向く。リョウも私のそばにしゃがんで座る。
「ボク、ちょっと分かってきた。怖いときに時間を止めると、長い時間止まってるみたい。ヒロトはカニさんより怖くなかったから、ちょっとしか止まらなかった」
「まじか。俺、カニ以下なん?」
「だから、すごく怖いときには、あんまり時間を止めたくない。いつもとに戻るかわからないから。丸い石に追いかけられて時間を止めたときも、ボク、朝の会から給食くらいのあいだ、ひとりぼっちだったよ」
「そんなに長い時間」
私はリョウの頭を撫でる。
「さっきの、俺んときは?」
「丸い石が百こわこわだとしたら、ヒロトは一こわこわくらい」
「俺のこわこわ、すっくな。朝の会から給食って五時間くらいかな。百こわこわで五時間ってことはえーっと、一こわこわで三分?」
「そのくらい。カップラーメンができるくらいだった」
「まじかあ。でも三分間あれば、まあまあ戦えるなあ」
「さっきパパがおかしくなっちゃったときは、すごく怖かったから時間を止められなかった」
「ということは、リョウは恐怖の克服が課題になるな。強そうな敵ほど時間操作を使えないなら、意味ないもんな」
ヒロトは床に座り込んだまま、顎に手を当てて考え込んでいる。
すっかり、いつもの調子が戻ったように見えた。
「パパとユウカを探しに行かないと」
「パパいなくなったん?」
「パパもおかしくなって、どっか行っちゃった」
「まじか。なんか俺、頭の中ぐちゃぐちゃになってた。家族と一緒にいないほうがいいみたいな気分に……」
私もそうだったといおうとして、思いとどまる。
子供たちに余計な不安を与えないほうがいい。
「ユウカも頭の中ぐちゃくちゃなのかな」
「きっとそうね。ユウカはリードとトーンに出会ったときから、よく話したりしていたから、真っ先に魔法をかけられちゃったのかも知れないね」
「ユウカ、だいじょうぶかなあ」
「きっと大丈夫。助けに行こうね」
「リードとトーンなあ。あいつら最初から怪しいと思ってんだ」
「ヒロト、そんなこといってなかったよ」
「とりあえず、パパを探しに行こう。どうせそのへんで迷子になってるよ」
ヒロトは遊戯創生を使い、珀刻を呼び出す。珀刻の青白い光が、燭台の暖色系の明かりに混ざる。
リョウが先頭をきって木のドアを開けると、廊下の形が変わっていた。
さっきまでは、部屋の左右に道が続いていたはずなのに、今はドアからまっすぐに一本道が続いている。
選びようもなく、前に進むしかない。
「ヒロト、ダンジョンの攻略方法とか知らないの?」
「ここってガチでダンジョンなの?」
「そうだよ。絶対そうだよ」
「もしここがダンジョンなら、もっと敵とか宝箱とかさあ……」
先頭を歩いていたヒロトの動きが止まる。リョウがすばしっこい動きでヒロトの前に出る。
「あっ、宝箱だ!」
まっすぐな道の真ん中に、いかにも宝箱といった形状の箱が置かれていた。




