第四十二話 俺はいつもおいてきぼりだ
私たちはひとつ下の階層から階段を登ってきたはずなのに、この部屋はさっきまで私とトーンがいた部屋と、全く同じだった。
ただ、リョウが持っていったはずの燭台と同じものが机の上に置かれたままだ。とても良く似ているだけで、違う部屋なのかも知れない。
そして、さっきまでトーンが座っていた壁際の机に、ケンイチが座っている。机に突っ伏して眠っているようだった。
顔は見えないけれど、この世界でスラックスとビジネスシャツを着ているのは、おそらくケンイチくらいだ。
「パパー、おきてー!」
リョウが燭台を机に置き、ケンイチを揺さぶる。
「ケンイチは寝起きがいいほうなのに」
「ママもさっき、こんな感じだったよ。なんど起こしてもなかなか起きなかった。パパー!」
「う……」
リョウがケンイチの背中をなんども叩くと、ケンイチはうめき声を上げて目を覚ます。
「あ、パパ起きた」
「う、うわああっ!」
「ケンイチ?」
ケンイチは椅子から慌てて立ち上がり、壁を背にして私たちに向き直る。
スラックスの後ろポケットに挿してあったアルミの三十センチ定規を、剣のように構える。
「パパ、ボクだよリョウだよ」
「お、おまえたちは俺のことなんかどうでもいいんだろう!」
「どうしたの急に」
「ずっとそうだった! 俺なんか別にいなくてもいいんだ!」
定規を構えるケンイチの肩が震えている。
「パパはいたほうがいいよう」
「ユウカもヒロトもリョウも、パパよりママのほうが好きなんだろう」
「うん。ママのほうがちょっと好き」
「リョウ、こういうときはせめて同じくらい好きっていわないと」
「くそっ、どうせ俺なんて!」
「あっ」
ケンイチは、定規を握ったまま走り出し部屋の外に逃げてしまう。
「パパ、まっくらなのに走って逃げちゃった」
「ママもさっき、家族のことを忘れそうになってたの。きっと、なんらかの精神攻撃をされておかしくなっちゃってるんだと思う」
「ヒロトは大丈夫かなあ」
「パパとヒロトを探しに行こう」
部屋を出て廊下を歩く。
ケンイチの姿は見えなくなってしまった。暗闇の廊下を走っていってしまったのだろうか。歩いていくと上り階段があった。
「ここから上に上がれそう?」
リョウが燭台で上を照らす。
石造りの階段を登ると、また似たような暗い廊下に出てきた。
「おかしいな。最初に私が一階層下に落ちて、階段を登ってケンイチのいた部屋があって」
「おかしい?」
「ここはもう地上のはずじゃない?」
「ダンジョンだからしょうがないよ。ママ」
「ダンジョンってそういうものなの?」
「ダンジョンは動いたり増えたりするんだよ。ママはなんにも知らないねえ」
こんなことになるのなら、もっとライトノベルを読んだり、ゲームをしておくべきだった。
小学生のリョウでさえ知っている常識を、どうやら私は知らないらしい。
仕方がないので、リョウと一緒にそのダンジョンとやらを歩いていく。
「リョウのランドセルもどこにもないね」
「あっ、また曲がり角だ」
下の階層と同じ形の曲が角を左に曲がると、やはりまた、同じように木造りのドアがあった。
同じところをぐるぐると回っているような気分だ。
「だれかいますか」
ノックをするが返事がない。
「こんにちはー!」
といいながら、リョウがまた勝手にドアを開ける。
「ヒロト!」
さっきケンイチがいたのと全く同じ造りの部屋に、今度はヒロトがいた。
壁際の椅子は倒れていて、床に転がったヒロトは、その椅子の上に足を乗せて眠っている。
「ヒロト、寝相悪いねえ」
「ヒロト、大丈夫なの、ヒロト!」
駆け寄ってヒロトの頬を軽く叩く。
なにか寝言のようなことをいっているが起きない。転がって幼虫のように丸くなってしまう。いつも朝起こすときと同じ仕草だ。
「ヒロトー、起きろー!」
リョウがヒロトのおでこをなんども叩く。
「うわああああっ!」
「あ、起きた」
「ヒロト、大丈夫?」
「だいじょうぶじゃない! だいじょうぶじゃないって!」
ヒロトが涙目になっている。かなり錯乱しているようだった。
「ヒロト、おでこが赤くなってる」
「リョウが叩いたからやん! リョウはいつもそうだ。俺のことを格下だと思ってるだろ。俺が仕返しできないと思って!」
「カクシタってなに?」
「ヒロト、落ち着いて」
床に転がっていたヒロトは呼吸を荒くしながら、ゆっくりと立ち上がる。
「ママは、俺のことうざいって思ってる! ママだけじゃない。家族みんなそうだ。俺のことうるさいって思ってるんだ!」
「うん。今はけっこううるさいよ」
「わ、私はそんなこと思ってないよ」
「だって、しょうがないじゃないか。ユウカは最初の子だからパパにもママにもかわいがられるし、リョウはまだ小さいから大切にされるし、真ん中の俺はいつもおいてきぼりだ!」
「そんなことない。三人とも同じくらい、大切な子供だよ」
「嘘だーっ!」
ヒロトが私に向かって拳を振り上げる。