第三十七話 青くて丸くて目が大きいことくらいしか
ぺたん、ぺたんとなにかが私たちに近づいてくる。濡れた雑巾を床に叩きつけたときのような音だ。
ヒロトは珀刻を敵の方に向けて数歩移動させる。私とリョウの背後が少し暗くなる。珀刻の光が床を照らす。床がじわりと盛り上がっていくように見える。
「うわっ!」
「パパ!?」
天井から落ちてきたなにかが、ケンイチの背中を覆う。ヒロトと珀刻は振り返り、ケンイチに向けて剣を振るう。空中に『3』と数字が表示されすぐに消える。
「ケンイチ、大丈夫?」
「べとべとする」
「スライムだ!」
いつのまにか、周囲はゲル状のいきものに囲まれていた。藻に覆われた水槽の水みたいな色だ。ゴルフボール程度の大きさから、自転車くらいの大きさのものまで無数にいる。
「ボク、スライムやっつける!」
リョウが私の腕の中からするりと抜け出して、青いコントローラーを操作する。こちらに向かってくるスライムに光線銃を撃ち、どんどん前に行ってしまう。
「バカリョウ! 蒼翔 は銃なんだからもうちょい後ろにいろ。俺が前だって!」
ヒロトはコントローラーを操作して珀刻を走らせる。
「ヒロト、俺のコントローラーも出せ!」
「えー、パパさっきはいらないっていったやん!」
「状況が変わっただろ!」
「えっと、パパの使ってたキャラは……、はい、紫影 !」
ヒロトがケンイチに向かって紫色のコントロラーを投げつける。ケンイチは一旦取り落しそうになるがなんとかキャッチし、紫影を呼び出す。
「ママは後ろに下がってて!」
とはいわれても、珀刻の双剣や蒼翔の光線銃から逃れてきた小さなスライムが、床を張ってこちらに迫ってくる。かたつむりくらいの大きさの濃い緑色の物体が、私の靴を登ってこようとする。じゅっと音がなり、スニーカーの靴紐が劣化する。
「スライムって、ものを溶かしたりするの!?」
「常識だよ、ママ!」
「スライムって、青くて丸くて目が大きいことくらいしか知らない」
「それはドラクエのスライム!」
私は慌ててエコバッグからアルミの三〇センチ定規を取り出し、自分のスニーカーを叩く。スライムが小さな粒になって弾け、消滅する。目の前に『1』という数字が現れてすぐに消える。
「ヒロト、前衛に出るならちょっとはよけろ!」
「しょうがないやん。この通路狭いんだよ!」
「わーん、ヒロトのせいで前が見えないよー!}
顔を上げると、三人がもみ合うようにしてコントローラーを操作していた。その前方では、遊戯創生で出現させたキャラクターが三人、戦っているのだろう。よく見えないけれど。
「ケンイチ! 小さいスライムがどんどんこっちに来てる!」
「自分でなんとかできるか!?」
「うーん、たぶん?」
アルミ定規の角を使い、小さいスライムを叩いていく。叩いても叩いても、床や壁を使ってスライムがやってくる。まるでもぐら叩きだ。
ヒロトはゲームに出てくるような異世界に憧れているようだが、まさかこんなところに来てまでもぐら叩きゲームをするとは思わなかった。
「ヒロト、リョウの後ろに回れ!」
「俺、前衛なのに?」
「バカ、前衛なのは珀刻だ。お前は操作するだけなんだから、別に前に行かなくてもいいだろう」
「あ、そっかそっか」
ヒロトがリョウの後ろに下がったので、私の立つ位置からはますますリョウの姿が見えなくなってしまった。不安ではあるが、ケンイチもそばにいるし大丈夫だろうと自分にいいかかせる。それよりも今は、攻撃から漏れた小さいスライムを片付けなければ。強くはないものの、数が多すぎる。
エコバッグの中に道具屋で買った包丁が入っていることを思い出すが、取り出して、革のカバーを外している暇はなさそうだ。
「ヨシエ、そっちは大丈夫か!」
「私は大丈夫だけど……」
そういえば、どうして小さいスライムは、ケンイチたちの足のあいだをすり抜けて私に向かってくるのだろう。なにかしらの有機物を目指して進んでくるのならば、私でなくてもいいはずなのだ。
どこから飛んできたのか、ゴルフボールくらいの大きさのスライムがエコバッグに入り込もうとしている。慌ててスライムを叩き、エコバッグの中を覗くと、いつのまにか小さいスライムが入り込んでいた。バッグの中に入ったままだった、食べかけのパンに張り付いている。
「うわーん、ボクの靴がー!」
「リョウ、やっぱ後ろ下がっとけって!」
リョウたちを見ると、大きなスライムがどんどん迫って来ているようだった。
「リョウ、ヒロト!」
とっさに、エコバッグの中のパンを手に掴み、廊下の奥へ向かって放り投げる。小さなスライムがついたままのパンは、ケンイチたちの頭上を通過し、廊下に落ちる。巨大なスライムが一斉に集まる。
「いまだ! リョウ、ブースト銃を撃て!」
「うん!」
一箇所に密集したスライムを、三人が攻撃する。光線銃の光と、矢と、双剣が濃い緑の塊を一斉に叩く。