第三十一話 役に立たないアルミの三十センチ定規も
さすがに眠ることができなかった。
夜も更けてきて、なんどもベッドから抜け出しては、ユウカの部屋や一階の酒場を確認しにいく。
夜の酒場は夕食どきと違い、酒に酔った男たちが豪快に笑い合ったり喧嘩をしたりしていて、ユウカがここを通るのが心配になる。
部屋に戻るとケンイチはいびきをかいて眠っていた。
この状況でよく眠れるものだとは思うが、このメンタルの強さに助けられているところもあるのだ。
本を読んだり無理やり眠ろうとしたりしていると、とうとう空が白んでくる。夜明け前の光が窓辺を照らすと、タイテが目を覚まして背伸びをする。
「起きておったのか、山田ヨシエ」
「眠れなくて。タイテは早起きね」
「人間が目覚めるのが遅すぎるのだ。夜明けとともに起き、日没と共に眠るのが生けるもの本来であろう」
「それはそうかも」
ユウカの部屋を確認し、階段を降りて人のいなくなった酒場を抜けて外に出る。
タイテもなぜかついてくる。外の空気は冷たかった。いてもたってもいられなくなり、教会の方向に歩き出す。
「一人で出かけていいのか、山田ヨシエ」
「みんなが起きてくるまで、ちょっと周囲を見てくるだけ」
「人間の親は過保護だな。我は生まれてすぐに一人で草原にいたぞ」
「そうなの? さみしくなかった?」
「王たるもの、孤独など感じている暇はないのだ」
そのわりには、なぜだか私たち家族とずっと行動をともにしているし、今は私の頭の上に乗っている。
「私もね、自分が子供だったころは自分が一人で生きているような気がしていたけど」
「そうではなかったのか?」
「人間の子供はとても弱くて、一人では大きくなれないもの」
「不便だのう」
「親だけじゃなくて、社会とか、いろんなものに守られて生かされているのよね。でも、親になるまではそんなこと考えたこともなかったよ」
タイテと話をしながら歩いていると、通りの突き当りに教会が見えてきた。
この町のメインストリートは、ちょうど神社の参道のように教会に向かってまっすぐに伸びている。近づいてみると、教会は思ったよりも大きかった。結婚式場などで見るチャペルよりも数倍は大きい。まだ夜が明けたばかりのせいか、人の気配はなく門は閉じられている。
「ここになにをしにきたのだ?」
「以前、酒場で双子の男の子たちにあったでしょう。あの子たちは教会に宿泊しているってユウカがいってたの。誘われたから、遊びにいってもいいかって。そのときはケンイチがだめっていったんだけど」
「双子は知らんが、山田ユウカがこの教会で遊んでいるということか?」
そういえば、あのときはまだタイテに会う前だったかも知れない。
「わからないけど、ユウカはこの町での知り合いなんて、彼らしかいないはずだから」
教会と呼ぶには不穏な雰囲気の漂う建物だった。
私は霊感があるほうではないが、例えば神社仏閣などには独特の凛とした空気感があるように感じている。だけれどここは、神を祀っている建物のようには思えない。私の知る世界では、教会とは多くの人に開かれた場所だ。しかしこの教会の重い鉄門は、人々を拒んでいるように思える。
「我が中を見てきてやってもいいぞ」
「ほんとに? ……ううん、やっぱり危ないかも知れないからやめておこう。裏に回ってみようかな」
私はタイテと一緒に石造りの塀に沿って歩く。
塀は二メートル以上の高さがあり、よほど背の高い人でも庭を覗くことはできない。教会の裏側には通用門があった。正面の門とは違い木で作られていて、ここからなら忍び込むことも可能そうだ。
「鍵がかかっておるのではないか」
「そうみたいね。かんぬきみたいなのが内側からかかってるかも」
タイテは私の頭の上からふわりと飛び上がり、塀を乗り越え教会の敷地に入る。木の通用門からごとごとと音がし、しばらくしてタイテが戻ってくる。
「開いたぞ」
「えっ、勝手に鍵を開けちゃったの? 大丈夫かな」
タイテに促されて通用門を押すと、それは簡単に開いた。
「開けられて困るなら、もっと厳重な鍵にするだろう」
「そういうものかな。……おじゃましまーす」
まだ夜が明けたばかりだからか、教会の裏庭は日陰になっていて薄暗かった。
暗い時間帯の教会や神社仏閣は、どうしてこんなに不穏なのだろう。まるでホラー映画の舞台みたいだし、これがホラー映画ならば、私とタイテは真っ先にゾンビに殺される側の人間だ。
私はエコバッグを持ってこなかったことを後悔する。スマートフォンも、たいして役に立たないアルミの三十センチ定規も、あの中に入っているのだ。
「ここからは入り込めそうもないな」
タイテが裏庭のドアを眺める。
私も軽く押してみるが、鍵がかかっているようで開かない。タイテが入り込めそうな隙間もない。
壁伝いに歩いていると、正面の礼拝堂入口まできてしまった。
「あっ、ここは鍵がかかってない」
礼拝堂の扉を押すと、思ったよりも大きな音が出てしまったので慌てて扉を掴む。
覗き込むと中は真っ暗だった。扉の隙間から差し込む朝日が、祭壇へとつづく通路に光の帯を落とす。祭壇の向こうになにものかがいるような気がする。
「おはようございます」
「ひゃあっ!」
突然、背中から声をかけられて変な声が出てしまう。振り返ると、私の背後に立っていたのは襟の立ったマントを着た、双子の若い男たちだった。




