第二十八話 私はそのとき顔を上げなかった
ヒロトがようやく使えるようになったスキル遊戯創生を練習したいというので、昼食をとったあと、ケンイチとヒロトとリョウの三人で町のはずれまでいくことになった。
「ママは行かないの?」
「ユウカが心配だから、ママは宿で待っているね」
「王はどうします?」
「仕方ない、山田ヒロトの訓練を見守ろうかの」
「あー、あざっすあざっす」
ケンイチの肩に座るタイテに、ヒロトが適当な返事をする。
ユウカがまだ部屋で眠っていることを確認してから、私は自分の部屋に戻りベッドに寝転がる。
「しまった。私もなにか本を買ってくればよかったな」
スマートフォンの充電はほぼ尽きていて、電子書籍を読むこともできない。
今から町に本を買いにいくことも考えたけれど、財布の中には日本円とクレジットカードしか入っていない。
ケンイチに、この世界の通貨をいくらか貰っておくべきだった。
本が読めない、と思うと無性に読みたくなってくる。
そういえば、この世界に来てから全く本を読んでいない。色々なことが起こりすぎて忘れていたけれど、私は活字中毒だった。文字を眺めていないことには落ち着かないのだ。
ベッドに仰向けに寝転がったまま、生き字引を開く。「天井」と日本語で表示され「キイの木材」で作られている、と書かれている。キイとはなんだろう、と思いその文字をタップすると、キイという樹木についての説明を読むことができる。
「このスキルにしてよかった。読むもの、いくらでもあるじゃない」
私はベッドの上をごろごろと転がりながら、枕や布団、ランタン、植木鉢などの情報を次々と読んでいく。
部屋の中のものを一通り読んでから、窓際に立て掛けかけられた魔導書に手を伸ばす。
なんでもいいから読み進めたい気分だった。この状況に慣れて少し余裕が出てきたのかも知れない。
「ママ」
魔導書を読んでいると、ユウカの声が聞こえた。
「あ、ユウカ起きたの。ベッドの横にパンを置いておいたけど、食べた?」
「まだ食べてない。あのね、ママ……」
ユウカは部屋に入ってこず、ドアの前に立ったままだ。
「じゃあ食べなさい。ママは今、本を読んでるからあとでね」
「……うん」
ユウカが立ち去る足音が聞こえる。私は飢えを満たすように魔導書を読み続ける。
読み進めてみれば、魔導書も興味深い読み物だった。
この世界のエネルギーは精霊と呼ばれるらしく、それらは大気に満ちている。魔力を用いて精霊を集め魔法を発動させる。そのためには呪文の詠唱が必要だ。
魔法の呪文にも複数の流派があるらしく、それぞれに文法や使う単語が違う。ケンイチの言葉を借りるならば、複数のプログラミング言語があるということなのだろう。
「この町に書店はあるのかな。もっとたくさん、この世界の知識を得たいな」
私は本を閉じ、出窓の端に元通り立てかけておく。
ふと思い立って「天地万物その明窓の光を与え給え」と小さくつぶやいてみるが、なにも起こらなかった。
ケンイチが詠唱をしたときには、指先が仄かに光ったはずだ。私の体には変化がない。なにかを間違えているのか、私には魔力が全くないのか、ケンイチの才能が特殊なのか、そのどれかなのだろう。
「ママ、ただいまー!」
「おかえりリョウ。もう帰ってきたの?」
「もう夕方だよ」
「えっ、ほんとに?」
窓の外を見ると、空は黄色く染まり始めていた。本を読んでいるうちに、いつのまにか時間が経ってしまっていたらしい。
「スキルの練習はできた?」
「うん、ボクヒロトからコントローラを借りて、特訓したよ」
「ヒロトのスキルで出現させたコントローラーとキャラクターは、ヒロトから離れると消えてしまうらしい。おおむね二十メートル程度だな」
ケンイチは荷物を床に下ろして、窓際の椅子に座る。
「思ったより近くでしか使えないのね」
「俺やリョウが協力するには、ヒロトのそばにいなければならないし、ヒロトも遠方の敵と接近戦をすることはできない。完璧ではないな」
「そっか、けっこう強いスキルだと思ったんだけどね」
スキルの話をしていると、ヒロトが私たちの部屋に入ってくる。
「ママ、ユウカは?」
「部屋にいない?」
「いないよ。ユウカの部屋のドアも開きっぱなし」
「えっ」
私は慌てて立ち上がり、ユウカの部屋を見に行く。
ヒロトのいうとおりドアは開いたままで、部屋の中にはだれもいなかった。
風呂に入ったばかりなのか、浴槽はまだあたたかく湿っている。私が朝ベッドサイドの棚に置いたパンはそのままだ。
もう夕方なのに、朝からなにも食べていないのだろうか。
「ユウカは起きてきていたのか」
「うん、起きて私に声をかけてはきたんだけど……」
「ママー、ユウカのリュックないよ。どっか出かけたんじゃないの?」
「ママに黙って?」
「なにかいっていなかったのか」
「そういえば、なにかをいいかけていたかも」
先程部屋に来たとき、ユウカはどんな表情をしていただろう。思い出せない。
私はそのとき顔を上げなかった。久しぶりに読む本に夢中になっていたのだ。




