第二十七話 全く強くはないけどたいしたもの
ケンイチはベッドに座り、道具屋で買ってきた魔導書を開く。英和辞典ほどのサイズのその本は、臙脂色の布張りのカバーで金彩が施されている。
「パパ、読めるの?」
リョウがケンイチの隣に座る。
「全く読めん」
「そりゃそうだ」
ヒロトが呆れた顔をして立ち上がる。
「ヒロト、自分の部屋に戻るならついでにユウカを起こしておいて」
「えー、ユウカ寝起き悪いんだよ」
ヒロトはぶつぶつ文句をいいながら、私たちの部屋を出ていく。
「山田ケンイチは字も読めんのか」
タイテはケンイチの肩に乗って、魔導書を覗き込んでいる。
「タイテは読めるのか」
「読めるぞ。ま……、の、……は、……にて……」
「ちょっとだけ読めてるね」
「ヨシエ、これを生き字引で翻訳できるか?」
「そっか。なるほどちょっと待ってね」
私はケンイチの横に座り、魔導書の上に生き字引を開く。
「読める! ボクにも読めるよ」
「なるほど……」
その魔導書はごく初歩的なところから始められているようだった。
ケンイチがページをめくると、生き字引も表示が変わる。一章をぱらぱらとめくったところで、ケンイチは本を閉じる。
「もういいの?」
「基本的な仕組みは理解した。続きは夜に読もう」
「パパ、もう魔法使えるようになった?」
「いや、呪文を覚えたところで魔法が使えるわけではないらしい。だが、ちょっと試してみようか」
ケンイチは魔導書を出窓の端に立て掛け、さっき買ってきたエネジェムを袋から取り出す。
「魔力がないと、魔法は使えんからのう」
「そうなんだ。魔力はどうやったら手に入るの?」
「魔力はだれでも持っておる。だが、その強さには生まれつき違いがある。多少ならば訓練で強くもなるが、基本的には生来のものだな」
「へえ。じゃあ生まれつき魔力が強い人が、魔法使いになるんですか」
「遺伝もあるしの。魔道士の家系はだいたい魔力が強い。例外もあるが」
「タイテは魔法が使えるの?」
「我は妖精の王だから、魔法など使えなくともよいのだ」
「そっか。使えないんだね」
タイテの話に一区切りがついてから、ケンイチは空のエネジェムを左手に持ち、右手をかざす。
「天地万物その明窓の光を与え給え」
ケンイチの指先に一瞬小さな光が灯る。それはすぐに消えてしまう。
「今、なにか起こった?」
「詠唱だ。まだなにも起こってない」
「ちょっと光ったよ」
「火の精霊の名において我が石に力を蓄えよ」
ケンイチの呪文で、空だったエネジェムがごく淡い赤色に染まる。
「すごい、ケンイチ魔法が使えてる」
「エネルギーはほとんど溜まっていないようだが、何度か呪文を繰り返せばいけそうだな」
「すごーい! ねえねえタイテ、パパすごい?」
「一回の呪文でエネジェムを満タンにできないようでは、魔力は全く強くはないの。ただ、詠唱をすぐに覚えたのはたいしたものだ」
「全く強くはないけどたいしたもの!」
「この世界の魔法はどうやらプログラミング言語のようなものらしい。呪文さえ適切に唱えれば、魔力の強弱はあれど間違いなく発動する。自然言語が使える分、C言語より簡単なくらいだ」
「なるほどねえ……」
家で仕事の話をすることがほとんどないので忘れがちだが、ケンイチはシステムエンジニアなのだ。情報処理の国家資格も持っているらしい。まさかこんなところで役に立つとは本人も予想外だっただろうけれど。
「ママー、ユウカ全然起きないよー。あれ、なにやってんのみんな」
ヒロトが私たちの部屋に戻ってくる。そういえば、ユウカを起こして昼食を取りに行くところだったのだ。
私はベッドから立ち上がり、ユウカの部屋に向かう。背後から「パパ魔法使いになったよ!」とリョウがヒロトに説明する声が聞こえる。
「ユウカ、入るよ」
部屋のドアをノックして、ユウカの部屋に入る。
ユウカは布団に包まって眠っている。朝にベッドサイドに置いたパンはそのままで食べた形跡はなかった。
「うーん」
「ユウカ、起きなさい。もうお昼ごはんの時間も過ぎてるよ」
掛け布団をめくると、ユウカはイヤホンで音楽を聞きながら眠っていた。手にはスマートフォンを握りしめている。液晶はついたままだ。
バッテリーの無駄遣いだろうと思い、画面表示をオフにするために電源ボタンに手をかける。画面の右上に、バッテリー残量が92%と表示されている。
そんなはずがない、と自分の目を疑う。
私たちがこの世界に来て数日が経っているのだ。車での移動中に少し充電できたとはいえ、ヒロトのスマートフォンはもう充電が尽きてしまった。私のスマートフォンも、必要のないときは電源を切りつつ、かなり節約して使っているのに残量10%を下回っている。
画面をつけっぱなしで、音楽も聞きっぱなしで、これほど充電が持つはずがない。もしかしてユウカは、どこかで充電をしているのだろうか。
でもこの世界の一体どこで充電ができるというのだろう。