第二十五話 優しさと深い愛情だよ
ヒロトがコントローラーをポケットにしまうと、珀刻の姿は空中にかき消えた。同時に、ケンイチとリョウが操作していたコントローラーとキャラクターも、目の前から消える。
「背中のここにさ、なんか埋まってるんだよ」
「ほう」
タイテが私の頭の上から飛び立ち、樹冠龍ボタニクの背の上でふわふわと舞う。
「たぶん心臓の近く。これ、取っても大丈夫かな」
「やってみればいい」
私の立っている場所からは見えないが、ヒロトはボタニクの背中に埋まったなにかを取り出そうとしているようだった。ユウカは凝望壁のまま、背中を覗き込むように少し傾く。
ぎゅおおお、とボタニクが呻き声を上げ、背中を揺らす。
「うわっ、ちょっと待て、これ取ってやるからじっとしてろって!」
リョウがすばしっこくボタニクの羽を駆け上がり、ヒロトの隣に立つ。
「わあ、なんか長いのが埋まってる。痛そう」
「ばか、リョウ。ママのそばにいとけって」
「ボクも手伝う!」
「いいけど、ボタニクが飛び立ちそうになったらすぐに飛び降りろよ」
ヒロトとリョウがボタニクの背中からなにかを引きずり出す。私は役にも立たないアルミ定規を構えたまま、ボタニクの背を見上げる。
「取れたー!」
ヒロトとリョウが細長い石を掲げる。ポーン、とピアノの和音のような音色がどこからともなく聞こえる。
「ふむう。これは魔鉱石だな」
「まこうせき?」
「これが刺さっていたから、ボタニクも荒れておったのだろう」
「血がいっぱい出てるね、かわいそう」
「山田ヨシエ、薬草カナンがあっただろう。あれを使うといい」
私は肩に下げてあった布のエコバッグを見る。さっき皆で集めた薬草は、多少こぼれてしまったものの、まだバッグの八分目くらいまで入っている。
「これ、傷にも効くんですか」
「効果はそれほど強くはないが、樹冠龍なら野草との相性もよかろう」
私はリョウと同じように、ボタニクの羽をよじ登ろうとしたけれどなかなか難しい。ヒロトたちを見守っていた凝望壁が、幅の広い階段状になってくれたので、そこを登る。
「ほんとだ。ひどく深い傷」
私はエコバッグから薬草をひとつかみ取り出す。
「傷口に詰めてやるといい」
「このままで? 揉んだりとかしなくていいんですか」
「まあ大丈夫だろう。たぶん」
タイテの適当なものいいに首を捻りながらも、私はエコバッグの中に入った薬草をボタニクの背中の傷に詰める。ボタニクは一瞬体を震わせたものの、大人しくしていた。
「ボクも手伝う!」
リョウもしゃがみこんで、私のエコバッグから薬草をつかみ取る。
ヒロトはリコーダーくらいの大きさの細長い石をしげしげと眺めていたけれど、持っておくのがめんどうになったのか、リョウが背負ったままのランドセルに入れる。
輝く石の先端がランドセルから少しはみ出す。
「せっかくみんなで集めた薬草、ほとんどなくなっちゃったやん」
「また集めればいいよ」
「え、また? もう飽きたよ」
ボタニクの背の上に立つと、草原の景色がよく見えた。
二つの太陽が傾きかけた西側の空から、心地良い風が吹いてくる。草原の端には大きな木が数本生えている。逆光でよく見えないが、木の根元からなにものかがこちらを見ている気がした。草原の動物だろうか。
私たちが階段を降りると、凝望壁はユウカの姿に戻った。
「もうー、みんな容赦なくアタシを踏みつけていく」
「ユウカの上、歩きやすかった!」
「いやいやユウカ、まじぐっじょぶ」
「えらかったね、ユウカ。ありがとう」
「みんな無事でよかった」
ユウカは服についた土を払いながら、頬を膨らませている。
「王、ボタニクはこのままほっといていいんすか?」
樹冠龍ボタニクは、草原に伏したまま私たちのことを見ていた。
もう敵対する意思はなさそうに見えた。生き字引に大人しいドラゴンだと書かれていたが、確かにそのとおりなのだろうなと私は思う。
タイテはボタニクとしばらく見つめ合ったあと、
「ま、大丈夫であろう。しばらくは大人しくしているといい」
と、小さな手でボタニクの鼻先を撫でた。
ボタニクが負傷した肉体を引きずり、再び鍾乳洞に潜っていくのを見守ってから、私たちは宿に向かう。
「ドラゴン退治できなかったね。残念だったねヒロト」
「ママ、知らないの? こういうときにはドラゴンにとどめを刺さないのが王道のパターンなんだよ」
「えっ、そういうものなの?」
私は隣を歩くケンイチの顔を見上げる。
「まあ、定石だろうな」
「ええー、じゃあボタニクを倒さなかったのは、ヒロトの優しさじゃなくて」
「計画どおりってことでしょ」
ユウカはヒロトを小突いてから、外していたイヤホンをつけなおす。
「ばっか、優しさだよ優しさ。優しさと深い愛情だよ」
「ボタニク、恩返しに来てくれるかなあ」
「そういうのもあるんだ……」
「ママは小説家なのになんにも知らないんだねえ」
夕焼けに照らされ歩く四人の姿をしみじみと眺めて、私は深くため息をついた。




