第十八話 米はだいじだよ、米は
ヒロトのスマートフォンはもうバッテリーがあまりなかったので、私のスマートフォンに地図の画像を送ってもらい、それを見ながら目的地を探す。
「ママ、歩きスマホだめだよ」
さっきヒロトにいったばかりの言葉で、リョウが私に釘をさす。
「そうだね、危ないもんね」
私は苦笑しながら立ち止まる。
そもそも馬車すら見かけないのだ。歩きスマホも危なくはない気はしていたのだが、周囲に注意をしていなければ、もっと危険な目に合う可能性もあるのだと思い直す。
「この地図はそれほど広い範囲じゃないのね。あの町を中心に、周辺だけが記されてる」
「もっと広域の地図が欲しいな。今後のことも考えて」
「今後」
私のスマートフォンを覗き込むケンイチを、私は見上げる。
「もっと大きい都市もあるだろうし、魔法が発達している場所もあるんだろう。元の世界に帰る方法も見つかるかも知れない」
「帰る!? パパ元の世界に帰るの?」
ヒロトが驚いて大きな声を出す。
「パパ元の世界に帰るの? じゃない。みんなで元の世界に帰るんだ。なんだ、ヒロトは帰りたくないのか」
「いや、そうか。帰るのかあ。帰るなんて考えてなかったなあ。もう一生ここで暮らしていくのかと」
「ヒロトはここでいいの? 動画もゲームもないのに?」
「だって、ここがそのままゲームの世界みたいなものやん」
「ボクもここで暮らしてもいいよ。小学校でできたお友達と会えなくなるのはちょっと寂しいけど、ユウカもヒロトもいるし」
ケンイチが元の世界に帰る方法を探していることは当然としても、子供たちがこの世界で生きていくつもりだったことに、少し驚く。
「ママはうちに帰りたい?」
「えっ」
私はうちに帰りたいのだろうか。スマートフォンの電源を切って、少し考えてみる。
私たちを乗せた車が海に水没し、ウンリイネと名乗る女神に異世界転移させられてから、まだたった三回目の朝を迎えただけなのだ。急過ぎて頭の整理がつかない。現状をやり過ごすのに精一杯なのだ。
「ママはボクたちといっしょならどこでも楽しいよね?」
リョウが自信に満ちた目で私のことを見上げてくる。
「うん、そうかもね。だけど冷蔵庫の中にひき肉を入れっぱなしだったし……、あっ! そういえば、夜七時にお米が炊けるように炊飯器のタイマーをセットしておいたんだった。大変!」
「もうかっぴかぴになってそう」
「お米、もったいないねえ」
「些末な問題過ぎる。もっと考えなければいけないことがたくさんあるんじゃないのか」
「いやパパ。米はだいじだよ、米は」
「とりあえず今は、ここで生きていくすべを身に着けないとね」
ユウカはどうなのだろう。もしかしてユウカもここで生きていくつもりなのだろうか。
そんなことを考えつつも、私は自分の感情を頭のすみに追いやる。
しばらく歩くと地図に記されていた草原が広がっていた。
見た感じとても広く見えるのだけれど、地図上では町の半分程度のサイズで書き記されている。この世界の地図がどのくらい正確なのかは分からないけれど。
「よーし、手分けして薬草を探そう!」
「だめだ。全員一緒に行動する」
「えー、効率悪くない?」
「なんどいったら分かるんだ。急になにものかに襲われたらどうする。助けに行くにも間に合わないぞ」
「いざとなったら、リョウの時間操作があるやん」
「ボク、あれ怖いからあんまり使いたくない……」
「いいのよ、使わなくても。じゃあリョウはママと一緒に、ヒロトはパパと一緒に探そうか。それで、お互いのチームが見える場所からは離れないこと。それでいい?」
「いいでーす」
ギルドのボードに依頼が貼られていたのは「カナン」という名前の薬草の収集だった。花は淡い緑色で、尖った四枚の花びらを持つと書かれている。
私たちは二手に分かれて、まだ見たこともない花を探す。
「ママ、これかな」
「これは、花びらじゃなくて葉っぱかな。うーん、緑の花なんて見つけにくいね。草と同じ色だもんね」
草原には一面の緑が広がっている。朝の陽光はまだ草花を乾かしきっていなくて、夜露に濡れた植物が輝いて見える。
「じゃあこれは?」
「これも違うと思うけど、一応生き字引で調べてみようか」
リョウが指し示したカタバミに似た草は、違う種類の薬草のようだった。
遠目に見ると私たちの住む世界の自然環境と同じように見えるが、足元のどの野草も日本では見たことがない種類の草花だ。
「違うのかあ」
「簡単だと思ってたけど、これはけっこう大変なお仕事を請けちゃったかもね」
生き字引があるとはいえ、無数にある草花をひとつひとつ見ていくわけにもいかない。
私は草原を見渡し途方にくれた。