第十六話 なにが存在してなにが存在していなくても
二つの太陽が傾き、夕暮れが近づこうとしていた。森に帰るミカラスを見送ってから、私たちは冒険者ギルドに向かった。
「そもそもギルドってなに?」
「えっ、ママギルド知らないの? なんで?」
「なんで……? 今までの人生でギルドとやらに縁がなかったから」
「どう生きてきたら、ギルドに縁のない人生を送れるんだよー」
逆にどうしたら、ギルドに縁がある人生になるのだろうか。
「まあ、ざっくりいえば職業別の組合みたいなものだ。情報を交換したり、仕事を紹介してくれたりする」
「組合。私たちが行って大丈夫なものなの?」
「ママ、だって俺たちは冒険者なんだよ?」
「なるほど……?」
冒険者、という言葉の響きに少しわくわくする。
ミカラスに教えてもらった冒険者ギルドは、町の入口付近まで戻ったところにあった。
両開きのドアはオープンになっていて、自由に出入りできるようだった。酒場と似たような木の内装で、テーブルと椅子がいくつか置いてある。飲食物は提供されていないようだが、壁際に水を汲めるポンプがあり、冒険者と思わしき人物が、皮の水筒に水を入れていた。
テーマパークの無料休憩所のような雰囲気だ。
「入んないの、パパ」
さっきまで先頭を歩いていたヒロトが、急にケンイチの背中に回る。
「ああ、そうだな……」
「こんにちはー!」
入り口で躊躇していたケンイチとヒロトのあいだをするりと通り抜けて、リョウがすばしっこく室内に入っていく。
「やあ、この町は初めてかい?」
テーブル席に荷物を広げていた男性が、苦笑しながらリョウに声をかけてくれる。
「うん、ボク山田リョウくん! ボクとパパとママとユウカとヒロトで来たよ。ヒロトはサンドワームに飲み込まれた」
「そうか、それは気の毒に」
「人を亡き者みたいにいうな。俺、まだ生きてるから!」
「へえ、サンドワームに飲み込まれて生還したのか。そりゃすごい」
「ユウカがぎゅーっとしたら、サンドワームはヒロトをぺっして逃げちゃった。あと、ヒロトはプロテクトクラブにも襲われたけど、それはボクが閉じ込めた!」
「俺ばっか襲われてるみたいじゃねーか」
「実際、ヒロトばっか襲われてるやん。無計画に行動するからよ」
「いや、申し訳ない。君たちを侮っていたようだ。なかなか強いパーティーなんだな」
「えへへ」
男性は立ち上がり、壁の方に歩いていく。入って左側の壁面にはコルクのような木のボードがあり、そこに何枚かの紙が貼られている。
「ここには、冒険者への仕事依頼がいくつかある。旅のついでに仕事をこなしていくといいよ」
「わあ、全然読めねえ」
ボードに貼られた紙には、見たことのない文字で文章が書かれていた。アルファベットにも似ていない、象形文字のような横書きのテキストだ。
「何語? ママ読める?」
「うーん」
ボードの中心に貼られたA4程度のサイズの紙を、横になぞってみる。紙の上に半透明の画面が現れて、日本語訳が表示される。
「ママすごい!」
「ママのスキルの生き字引って翻訳もできるんだ」
「ドラゴン討伐だって! パパ、この仕事請けよう!」
「たいして戦った経験もないのに無茶をいうな。もっと小さい仕事からやっていくものだろう。レベル1でいきなりボス戦に行くやつがあるか」
「そっかー」
「ボクもドラゴンと戦いたかったな」
ヒロトとリョウは、しょんぼりと肩を落とす。
他の紙をなぞってみると、いくつかの仕事が表示された。
「あ、草原で薬草を摘んでくる仕事があるよ。これなんか楽しそうじゃない?」
「えー、そんな簡単なやつ」
「簡単かどうかはやってみないとわからないじゃない。アタシはそれでいいよ」
「決まったのかい? じゃあその紙は剥がして持っておいたほうがいい。他の冒険者が先に終えてしまうかも知れないから」
「ありがとうございます。あの、この地域の地図ってどこかで手に入りますか?」
「ああ……、ギルドマスターなら持っていると思うけど。今、彼はいないようだな」
男が周囲を見渡す。何人かの冒険者がそれぞれ休憩したり談笑したりしている。
「おじさんがギルマスじゃないんだ」
「残念ながら違う。よかったら俺の地図を見るかい? あげることはできないけど、見せてあげることならできる」
「助かります」
彼は丸テーブルに広げていた荷物を避けて、机上に地図を広げる。鈍い発色のカラー地図だが、よく見ると色の版がほんのわずかにズレている。印刷物のようだ。
この世界には既に印刷技術があるのだろう。グーテンベルクが活版印刷を発明したのは確か十五世紀頃だったはずだけれど。
「ここがエルフの森かな。こっち側が湿原でこっちが砂漠、たぶんこれがこの町」
「ねえおじさん、この地図写真に撮ってもいい?」
「ああ、いいけど」
ヒロトがポケットからスマートフォンを取り出し地図の写真を撮る。
「ヒロト、アタシにもあとで送って」
「ネットつながんないんじゃないの」
「あ、そうか。エアドロップならいけるかな」
「へえ、それで写真が撮れるのか。小さくて軽そうでいいな」
「え、この世界には写真もあるんですか」
「そりゃ、写真くらいあるだろ」
写真機の発明は確か十九世紀……、そう思いながらも私は、いちいち時代を考証することをやめた。
物書きの性なのかつい考察してしまっていたけれど、魔法があってドラゴンがいるくらいなのだ。なにが存在してなにが存在していなくても、おかしなことはない。