第十四話 そりゃ、ハンバーグくらいあるさ
この世界の文明は、私たちの住む世界とは少ししくみが異なるようだった。
宿屋の風呂には木で造られた小さめの浴槽があり、シャワーなどはない。水は鉄製のポンプから出てくる。子供の頃に祖母の家で見た、井戸の手押しポンプに似ているが、一度ハンドルを倒せば水が出続けるので、人力で汲み上げているわけでもなさそうだ。
客室にトイレはなく、通路に共同トイレの個室がいくつかあった。
木造の清潔な洋式トイレなのだが、水洗ではない。山小屋のコンポストトイレのように土で満たされていて、用を足してボタンを押すと、新しい土がどこからか自動で出てくる。このまま堆肥化されるのだろうか。
「いまいち、動力がわからないのよね」
私が部屋に戻ってくると、風呂上がりで体操服に着替えたヒロトが部屋に来ていた。
「なにが?」
「トイレとか、お風呂の水がお湯になるしくみとか、部屋の照明とか。コンセントもなさそうだし」
「ああそれね。俺、風呂の使い方がわかんなかったから、下にいたおばちゃんに聞きに行ってきた。エネジェムを補充して使うんだって」
「えね……?」
ヒロトが私たちの部屋の浴室カーテンを開ける。水道ポンプの下側の、釜のような小さな金属の蓋を開けると、中に石がいくつも入っていた。
「これがエネジェム。ママの部屋のやつはちゃんとエネが入ってるみたい。俺の部屋のやつはさあ、エネが全部からっぽだったから全然お湯が出なくて」
ヒロトがエネジェムをいくつか掴み取る。手のひらに載せられた六個の小さな石は、濃い赤のものと、透明感のある薄い赤のものがある。
「これが完全に透明になると、エネがからっぽなんだって。だから新しいエネジェムに交換してもらった」
「へえ、乾電池みたいなものか」
ケンイチが風呂釜を覗き込む。
「乾電池というよりは石炭? でも石そのものは熱くはならないのね。不思議」
「俺が思うに、魔法の力なんじゃねーの。これ」
「なるほど。普通に考えて魔力だろうな」
「えっ、えっ、魔法って普通なの? そういうものなの?」
「からっぽになったジェムは、おばちゃんが大切そうに回収してたから、きっとまた魔法を充電? 的なことをして使うんだ。ぜったいそう!」
ケンイチもヒロトも、ライフラインの動力が魔法だということに、すんなりと納得していた。異世界にはそういった共通認識があるのだろうか。あいかわらず私にはわからないことばかりだ。
昼時になると、一階の酒場からいい香りがしてきた。
リョウを連れて酒場に行くと、店内では数組の客が食事をとっていた。行商人のような荷物を持った人や、武器を所持した人もいる。皆、中世ヨーロッパ風の服装をしているが、時代考証や布地の質感がばらばらなコスプレのようにも思える。
「昼飯かい?」
宿屋の婦人が声をかけてくれる。猫のような形の耳がぴょこぴょこと忙しそうに動いている。
「ボク、ハンバーグ食べたい」
「ハンバーグね、あいよ」
「えっ、ハンバーグなんてあるんですか」
「そりゃ、ハンバーグくらいあるさ。うちは町で一番の宿屋だよ」
「わーい! やったー」
ハンバーグの起源は十八世紀から二十世紀頃だと、雑学の本で読んだことがあるけれど、中世風のこの酒場にはハンバーグがあるらしい。
上下水道も完備されているし、魔法まで存在しているようだし、見た目の印象に反して、ずいぶんと近代的に思える。
「日光江戸村みたいなものなのかな」
「なんだいそりゃ」
さすがに日光江戸村は知らないらしい。それはそうだろう思う。
注文した料理を待っていると、ケンイチとユウカとヒロトも部屋から降りてきた。五人には少し狭い円卓を囲む。
ユウカはイヤホンをつけて、スマートフォンの画面を叩いている。
「あーゲームしたい。まじでゲームしたい。ユウカまた音ゲーやってんの?」
「ううん、作曲してる」
「ユウカ、ゲームやらせてよー。音ゲーじゃないやつ」
ヒロトが木の椅子をがたがたさせて駄々をこねる。
「なんで自分のスマホを使わないの」
「バッテリーもうほとんどないし、そもそも俺のスマホは通信が必要なゲームしか入ってない。ああー、ゲームしたい。俺、ゲームやんないと干からびて消滅する体質なんだよ」
「消滅すればいい」
ケンイチが運ばれてきたパンを取り分けながら、ヒロトに言い放つ。
「みんな俺に対する扱いがひどい!」
「あっ、ヒロトばか、やめてよ」
じたばたするヒロトの手に、ユウカのイヤホンのコードがひっかかり外れる。店内にDTMのポップな電子音が流れる。異世界には似つかわしくない音楽だ。
「絡まった絡まった。うへーい」
「もうー、サイアク」
イヤホンを取り返そうとしていたユウカは、ヒロトに絡まる赤いコードを眺めて諦めたように、スマートフォンのボリュームを下げる。ハンバーグを食べていたリョウがヒロトに駆け寄りイヤホンコードを引っ張る。
「不思議な音楽だね」
店内で食事をしていた若い男性二人組が、ユウカに声をかけてくる。
「あっ、すみません。うるさくて」
「いいんだよ。よかったらもう一度その音を聴かせてくれないかな」
「美しい音が大好きなんだ」
その男性二人は、外見がそっくりだった。おそらく双子なのだろうと私は思う。ユウカよりいくつか年上だろうか。豪奢な刺繍の入った短いマントを身につけている。
「えっと、座りますか?」
「ここのテーブルは少し狭いから、君が僕らの席においでよ」
「パパ、行ってきてもいい?」
「ああ、ご迷惑をおかけしないようにな」
「はーい」
ユウカは自分の分のパンと鶏肉のソテーを皿に盛って、彼らの席に移動した。




