第十二話 壁になりたい
砂から生えてきたかのようなサンドワームの肉体が、内側から少し押し広げられているのがわかる。ヒロトが丸呑みされているのだ。口から喉に、それから胃袋のほうに、ヒロトがゆっくりと押しやられていく。サンドワームに胃があればの話だけれど。
「くっ……」
ミカラスがサンドワームに向けて、何本も矢を射る。それは不気味な土色の皮膚に突き刺さるのだが、たいして痛みを感じていないようで、矢の刺さったまま、ヒロトを飲み込むために体を動かしている。
「凝望壁!」
ユウカの声に振り返ると、ユウカはいなかった。ただ、さっきまでなかった大きな一枚の板が、そこに立っていた。
「ユウカ……、なの?」
ふすま一枚分ほどの半透明の緑色の板だった。照準のような図形が板に表示されて、私とケンイチ、ケンイチに抱かれるリョウ、それからミカラスを補足する。私たちを表していると思われる円形の図形から、細い線の矢印が伸びて一箇所を指し示す。
「……壁の裏側に回れといっているのか?」
「ミカラスちゃん、こっち!」
「でも、こいつヒロトを飲み下したら砂にもぐるぞ! そうなったらもう……」
サンドワームが肉体をうねらせて、ミカラスに向き直る。ミカラスは弓をひいたまま、後ろ歩きに私たちのそばまでやってくる。
緑色の板に示された矢印の場所に三人が集まると、板が両脇に一枚ずつ増えた。そのまま両端から二枚、四枚と、板が次々に増えて多角形を作り、サンドワームを螺旋状に取り囲む。
広がった複数の板はサンドワームの周囲で数と幅を減らし、だんだんサンドワームに近づいていく。とうとう、サンドワームをコルセットのように包み込む、多角形の柱状になる。
「ねえパパ、ユウカはどこにいったの?」
「ユウカは……、あれがユウカなのかな」
「あのみどりいろのやつが? ユウカが変身したの?」
ギュウイイと低い唸り声を上げて、サンドワームが身をよじる。締め付ける多角柱から逃げ出そうと、サンドワームの体は上に上にと伸びていく。それを取り逃がさぬよう、緑の板はますます細くなっていく。
グエッと嫌な音がして、サンドワームがヒロトを吐き出す。どろどろに吐瀉物にまみれたヒロトが、砂の上を転がりうつ伏せになる。
「ヒロト!」
私は吐き出されたヒロトに駆け寄る。背中をさすると、ごぼっとゲル状の液体を吐き出して、ヒロトは大きく呼吸をする。
「死んだかと思った」
「よかった……」
さらさらした砂をヒロトの体にかけて、砂で吐瀉物をぬぐう。
サンドワームはまだ、板に締め付けられていた。ミカラスがサンドワームの頭部に矢を射る。ヒロトを吐き出したせいで板が少し緩んだのか、サンドワームは下半身から砂に潜って逃げてしまった。
緑色の板が消失し、その場所にユウカが現れる。
「うわー、びっくりしたー。まじ、どうなっちゃったかと思った」
ユウカがふくらはぎについた砂を払う。
「君は、不思議な力を使うんだな」
「アタシも初めて使ったよ。まじフシギ」
体を起こすヒロトに、リョウが駆け寄っていく。
「ヒロト、だいじょぶ?」
「だいじょぶなわけあるかー! なんなんだ、なんで俺のスキルは出ないんだ」
「アタシが助けてあげたんだから、感謝してよね。なんか、すごかったわ凝望壁。なんかこう、いろんなものがめっちゃ良く見えた。前も後ろも上も、全部同時に見えてる感じ」
「くそっ、いいなー」
「ユウカ、よく『壁になりたい』っていってたもんね。よかったねえユウカ」
「あっ、そういやいってたわ。推しカプを見守る壁になりたいって」
話しかけてくるリョウを見下ろして、ユウカは他人事のようにうなずく。
「ヒロト、それなにを持ってるの?」
「なにって……、なにこれ」
ヒロトの右手には、黒い球体が握られていた。ゴルフボールくらいの大きさの、艶やかな丸い石のようなものだ。
「ヒロト、さっきからそれずっと握ってたよ」
「えー、いつから持ってたんだろ。もしかしてサンドワームの中から」
ヒロトが嫌な顔をして、球体を砂に落とす。
「ヒロトいらないなら、ボクにちょうだい! ミカちゃんこれなんだと思う?」
「さあ、なんだろう。石かな」
「宝石かも知れないね!」
リョウはランドセルを砂の上に下ろしてから、その黒い物体を大切そうにしまった。
「日が高くなってきた。早く町に着かないと、日中の砂漠は体力を消耗するぞ」
「もう充分消耗したっつーの」
ヒロトは砂をはたいて立ち上がる。制服も靴も髪も、全体的になんとなく茶色く薄汚れてしまった。さながら冒険者の風格だと私は思う。
「もう少し歩けば町が見える。急ごう」
「宿屋ってさー、風呂とかある?」
「あるぞ風呂」
「あー、もうまじ風呂入りたい。洗濯もしたい」
頭の砂を払いながら、ヒロトがぼやく。
砂漠の日差しは容赦なく私たちに照りつける。まるで真夏の砂浜だ。
ケンイチも子供たちも黙々と歩みを進めているが、私はヒロトが無事だった安堵感のせいか、疲れが増していて最後尾をゆっくり歩いてなんとか彼らについていく。




