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幽霊と馬車

ダレンはいつも、離宮の美しい部屋の中に住んでいた。夜になると、僕は決まって彼に呼び出されるのだった。

「アンジェリク、お前、昼間に令嬢と会っているようだな」

「誰かがまたおかしな噂を流したんだね」

「しらばっくれても無駄だ。公爵家の娘だろう」

僕は刃をつきつけられたような気分になって、しかし懸命に立っていた。ダレンが彼女に何か酷いことをするのではないかと恐ろしかったが、彼のやり方はもっと姑息だった。


「お前は本を読んでもらっているようだな。――お前と彼女のために、丁度いい本を用意した。次はこれを持っていけ」

彼が目線で示した先、机の上に一冊の本が乗っている。表紙には情熱的に絡み合う男と女が描かれている。

「お前はあの娘が気に入っているのだろう? どうだ、ぴったりじゃないか」

「ふざけるな!」

僕は本を地面に叩きつけた。僕はとっくに穢れていた。けれどもあの子に抱いている想いは、そんなものじゃなかった。あの子は神聖な人だった。そうでなくてはならなかった。


「私がせっかく用意した本を叩きつけるとは、なんと行儀の悪い子だ」

ダレンは僕の服の襟をつかんで持ち上げる。

彼は最初(ハナ)から、僕がその本を気に入るなんて思っちゃいない。ただそれは、体罰を与えるための体のいい文句でしかないのだ。

「アンジェリク、誰のお陰でお前は生きていると思っている」

「おかあさまが僕を産んだからだ」

「違う。私のお陰だ。――私が兄に進言しなければ、今頃城から追い出され、路頭に迷っていたことだろう」

じっと、ダレンは僕を見る。

「お前は呪われた子だ。娼婦マグノリアの息子。さらには生まれて来たことで、母親を殺した。その存在が罪なのだ」

彼の言葉は、いつも毒のように僕の中に染みこんでいた。けれどこの時は違った。

ローズベリィは言ったはずだ。呪われているなんて嘘だ、と。彼女の瞳は澄み渡っていた。あれだけ僕と一緒にいても、確かに彼女は何も変わらなかった。それが何よりの証拠だ。

「僕をねじ伏せようとするな」

久方ぶりに、僕は彼に反抗した。

「お前の言葉は嘘ばかり――言いなりになんかなるものか!」

ぎっと、ダレンの瞳が僕を睨みつける。父と同じ緑の瞳。ああ、僕はその色が欲しかった。けれども構わない。僕の青の瞳は、かあさまがくれた色だから。


だん! と激しく戸口に叩きつけられる。

「出て行け! この恩知らずめ!」

僕はばんと扉を開き、あっという間に駆けていく。

ダレンの命令で、誰も僕を追うことはなかった。


その日は雨が降っていた。まるでローズベリィと、初めて会った時のよう。僕は離宮を飛び出し、城を出た。追われることさえなければ、あの籠のような世界から出ることは拍子抜けするほど簡単だった。


行く宛はなかった。父は僕を嫌っている。兄に至っては出会ったこともない。いつもならここでダレンの顔が思い浮かんだはずだ。

けれどもそこで浮かんだのは、美しい少女、ローズベリィだった。僕は彼女の迷惑になりたくなかった。彼女の前では、ただの幽霊でいられれば良かった。肩書きなんてものは双方の立場を危うくするだけだ。

結局僕は、どこに行くこともできず、ふらふらと歩き続けた。雨は容赦なく降り続け、僕の体力を奪っていく。

やがて森の近くに差し掛かったところで、ダレンに受けた傷と、空腹で動けなくなってしまった。倒れたこんだ僕は、地面に頬をつけたまま、ぼうっと目の前の光景を見た。小さな花が雨に打たれている。

雨音に混じって、ガタゴトと馬車の音がした。


「おい! 大丈夫か!」

そんな声が聞こえて、外套をまとった一人の男が降りて来る。

ローズベリィみたいな、緑の瞳がちらりと見えた。ダレンと違うのは、その色がどこかやさしく、哀愁を漂わせていることだった。

「ーー君、名前は?」

「名前なんてないよ。幽霊だもの」

「幽霊? 馬鹿を言うんじゃないよ」

言いながら、男は着ていた外套を外し、僕に被せると、そのまま僕を抱き上げ、馬車の中に乗せてくれた。

「どこへ連れていく気?」

「私の家だ」

「あなたもそれ(・・)が望みなの?」

「……? いいから少し休みなさい。まったく、なぜこんなところに……」

かくして馬車は走り出した。僕はどこか温かい外套の中で、ぼうっと揺られていた。


ついた屋敷は、それなりに大きな場所だった。まあ僕の住んでいた離宮ほどではないけれど、それにしても立派だ。あそこは神殿のようだったけれど、ここはいかにも貴族の住まう家といった風体だ。

男が中へ案内してくれる。

「さあ、ゆっくりしなさい。ここが私の家だよ」

上品な家具が並べられた室内は、どこか温かみがある。

その時、奥から一人の女の子が走ってきた。

「叔父上! お帰りなさい!」

僕はハッとする。紅色の髪をなびかせたその子は、他でもない彼女(・・)だった。

「ローズベリィ、」

「幽霊……?」

男が困ったように彼女を見た。

「ローズベリィ、お前までおかしなことを。いいかい、幽霊なら雨の中で倒れたりしないだろう。ーー君もだ。ここにいるのは構わないが、名前ぐらい教えてくれ」

彼の言うことは一理ある。この家に入ったからには礼儀を払うべきだ。もう隠しているわけにもいかなかった。他ならぬ少女の前で、僕はとうとう、穢れたその名を口にした。

「僕の名は、アンジェリク」

少女の瞳が、かすかに縮まるのが見える。ああ、これだから嫌だったんだ。

男が絶句する。

「まさか、第二王子……?」

彼はみずぼらしい僕を見て、つぶやいた。

「ーーなんてことだ」



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