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少年アンジェリク


アンジェリク・エーデルシュタイン。それが僕の名前。

はじまりの記憶は、遠くやさしい子守唄。それはただの夢だったのかもしれない。けれども確かに、聴いた気がしたのだ。


目が覚めれば、いつも広く冷たい部屋の中にいた。子守唄の主はいない。僕の周りにはどこかよそよそしい召使い達が数人いて、いつもひそひそと何かささやきあっているのだった。

彼らは僕の世話をしてくれたけれど、つかず離れずの距離を保っていた。幼い僕は彼らに話しかける。

「ねえ、この絵本に出てくる、おかあさまが僕にもいるんでしょ? どこに行けば会えるの?」

「……お会いすることはできませんよ。お亡くなりになったのです」

「どうして?」

「…………」

そこへ、背後から声がかかった。

「アンジェリク、マグノリアはお前が殺したのだ」

はじめてみる大きな男が、口髭を湛えて立っていた。召使いが一斉に頭を下げる。「誰?」と召使いに尋ねれば、「お父上である国王様ですよ」と小声で返ってくる。

「おとうさま……?」

僕が歩みを進めようとした途端、「来るな!」と怒声が浴びせられる。僕はびくりと肩を揺らした。

「お前を産んだ後、マグノリアは出血死した。お前が生まれなければ、あの女は死ななかった。――お前のせいで、マグノリアは死んだのだ」

言われた意味ははっきりとは理解できなかった。ただその言葉の一つ一つに、剣で心臓を切りつけられたような気がして、返事をすることもできなかった。

「僕のせいで、おかあさまはいなくなったの?」

「そうだ」

「そんなはずない……!!」

あのやさしい子守唄が、僕のせいで朽ち果ててしまったなんて、そんなはずはなかった。だって僕は、あの唄を愛していたから。

「おとうさま、ていせいしてください。僕はおかあさまを、きずつけたりしない……!」

訴えるように駆けよれば、思い切りはたかれた。床に倒れ込んだ僕に、罵声が浴びせられる。

「近寄るな! この死に損ないめ! お前はあの時死ねば良かったのだ!!」

召使いはただ、頭を下げているだけだ。僕を助ける者は誰もいない。

やがて父はマントを翻し、その場を去って行った。閉じられた扉が、やけに絶望的な音を立てて響いた。


数日後、僕の元にダレンという男が現れた。彼は叔父だと名乗った。よく分からずにいれば、父の弟だと説明された。

僕は離宮へ引き取られることになった。本当は兄がいるのだと言うが、母親は別の人で、僕が会うことはないそうだ。

離宮は絵本に出てくる神殿みたいだった。僕はそこで叔父に育てられた。周りを行き交うのは、同じ言葉しか発しない召使いだけ。僕が関わろうとすると、彼らはそっと距離を置く。なぜかと言えば、僕に必要以上に近づけば、ダレンが黙っていないからだった。

ダレンは僕に教育という名の体罰を与えた。彼を責めるものはいない。だって僕は、父に拒絶されたのだから。

僕の価値はどこにもない。あるとすれば、ダレンに気に入ってもらうことだけだった。僕は最初、一生懸命彼と仲良くなろうとした。けれど友達になることはできなかった。代わりにダレンは僕を所有物のように扱った。それはどこか、僕の年齢に不相応な戯れだった。乱暴を与え、それでいて愛した。

何度か逃げ出しては連れ戻された。そのうち逃げることも諦めた。行く先なんてどこにもなかったし、逃げた先で思いつくのはダレンの顔だった。僕の小さな世界は、虚無な均衡と、短絡的な温もりのどちらかしか存在しなかった。

いつしかなぜ生きているのかも分からなくなり、ただ美しい神殿の中で、変わりのない日々を過ごしていた。


ローズベリィがやって来たのは、そんなある日のことだった。

白と黒しかなかった僕の世界に、鮮烈な赤が差した。彼女の薔薇のような髪は風になびき、美しい深緑の瞳は、生き生きと僕を映した。

彼女は僕を幽霊だと勘違いした。本殿の召使いが、そう噂していたことに起因するらしい。僕はそれに合わせることにした。なぜって、僕がアンジェリクだと知ったら、彼女も逃げていくだろうから。第二王子は城で厄介者扱いされている。娼婦の血を引く、呪われた子どもだとも噂されていた。どうでも良かった。

新しい友達が傍にいてくれれば、噂など気にならなかった。


本当はローズベリィとずっと一緒にいたかった。けれどそれは叶わなかった。彼女は日が落ちる頃には帰らねばならなかったし、僕もそれを望んだから。

「帰る時間だよ、ローズベリィ」

僕はささやく。

「さあお帰り。夜は呪われた時間だから」

そう告げれば、彼女はどこか心配そうな瞳で僕を見つめ、「また来るわ」と口にするのだ。

ああ、その言葉に、僕はどれだけ救われたことか。


彼女がダレンにさえ見つからねば良かった。ばれたら口添えする、なんていうのは体のいい文句で、本当は誰にも知られぬよう恐れていた。ダレンはきっと、彼女の存在を良く思わない。ここには僕と彼しかいないのだから。

ローズベリィと過ごすうち、僕は自分の住む世界がおかしいことに気がついた。飴と鞭を使いこなすダレンが、おかしな存在であるのだと。


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