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金髪の男の子


「ここにはね、入っちゃいけないんだよ」

幽霊はそう言った。私はじっと彼を見る。

「もしかして、ここは離宮なの」

「そうさ。ダレンの支配する世界だ」

「ダレンって?」

「王様の弟だよ」


どうやら叔父が離宮に入ってはいけないと言ったのは、それなりに理由があったらしい。

「私、帰るわ。叔父上に迷惑をかけてしまう」

「もう少しここにいなよ」

幽霊の髪からぽたりと水滴が落ちる。彼の唇は血のように赤かった。

「僕は誰にも告げ口しないよ。なんせ幽霊だからね。――ここに来るのは召使いだけ。皆ダレンを怖がってるし、僕と口も利いてくれない。君は暇つぶしにちょうどいい」

「暇つぶしなんて、失礼ね」

「君はからかいがいがありそうだからね」

くふふ、と少年は笑う。


それから私達はお喋りを続けた。私は回廊に、彼は庭にいて、そこには何か隔たりがあるように思われたけれど、そんなの気にならなかった。

話し込んでいるうちに、やがて日が大きく傾き、空が夕焼けに染まった。私が帰ろうとすると、幽霊は言った。

「また来なよ」

「そうしたいところだけど、できないわ。もしダレン様に見つかったら、叔父上を困らせてしまう」

「もし見つかったら、僕が口添えしてあげる」

私は少し心配になって、瞳を瞬かせる。少年は微笑んだ。

「大丈夫、君が心配することはなにもない。――だから、またここへ来て」

分かった、と私は頷く。踵を返し、扉を開けようとすると、その背中に幽霊の視線が突き刺さった。

振り返ったが、彼はそれ以上何も言わない。私は静かにその場を去った。



それから叔父が城へ来るたび、私は同行するようになり、こっそり離宮へ遊びに行くようになった。

それはほとんど毎日で、私は叔父への隠し事に小さな罪悪感を抱きながらも、離宮へ通うことがやめられなかった。


私が離宮へ行くと、必ずと言っていいほど、庭に幽霊が立っていた。寝転んでいる時もあった。

「幽霊」

声を掛ければ、彼はいたずらが成功したかのように笑う。

「来たね、ローズベリィ」

彼はよく本を持って来た。そして私に音読させるのだ。彼は文字が読めないのだという。だから表紙で選んでいるらしい。

「幽霊って、透き通るものだと思ってたわ」

「幽霊にも色々あるのさ」

「みんなもあなたが見えるの?」

「もちろん。でも誰も彼も礼儀知らずだ。礼儀を知ってるのは君だけだよ」

彼は言いながら、中庭に寝転ぶのだ。私はその隣に腰かけ、本を朗読するのが日課だった。

「君の声は薔薇の花びらみたいだ」

「それってどういう意味」

「そのままの意味さ」

彼の持ってくる本は多くが冒険譚だった。喧嘩した次の日は恐ろしい表紙の小説を読まされた。その本の表紙では、館の後ろに雷が走り、半分透明な人間が立っていた。だが私は幽霊といるのだ。ホラー小説なんて怖くない。それに気がついた幽霊は、今度は別の小説を渡してきた。表紙は戦いで殺し合う男たちが書かれている。騎士の戦いの物語だったが、どうにも血なまぐさいものだ。黙読はまだしも、そうした描写を声に出すのは、少し抵抗がある。私が読むのに困っていると、彼はくすりと笑って言うのだ。

「どうしたのローズベリィ、続きを読んでよ」

「……『そうして、彼の腕からは骨が……む、むきだしになり、腹から鮮血が流れ、』――どうしてこんなもの読ませるの!」

「君が三日も待たせるからさ」

「何度も言ってるでしょ。叔父上が仕事に来る間しか、私はここに来られないの」

「でも僕はその間、ずっと君を待っているしかないんだよ」

ずいと、彼はこちらを覗き込む。その二つの瞳が、私を射抜いた。

「僕がどれだけ君を待ってると思う?」

「……分からないわ」

ふふ、と彼は笑う。ふふ、ふふふ、あははははは。

彼はこうして、時折笑い出すことがあった。なんだか話を逸らされたように感じ、私はぱたんと本を閉じる。

「別の本を持って来てちょうだい。読むにしても、あなたの悪趣味にはつきあってられないわ」

「まさか僕がこんなものを好んでいると思うの? こんな内容に興味はないんだ。重要なのは誰が読むかってことさ」

「心配しなくてもいつでも読んであげるわ」

私が少し怒って言うと、彼はじっとこちらを見つめた。

「ほんとに? 約束だよ」

「そういうなら、約束」

「破ったらただじゃおかないよ」

はっとして顔を上げれば、彼は無邪気な笑い声をあげながら、どこかへ走っていくところだった。遠くで小鳥が鳴いている。ひどくおかしな昼下がりだった。


雨の日も、嵐の日も、幽霊はそこにいた。

どんなに寒い日も、雨に打たれながら中庭で待っているのだった。

そういう時決まって、彼は何かを思い出したような、酷く傷ついた顔をしている。唇が青い彼が、本当に幽霊なのか分からなくなる。そんな光景を見るたび、私は無理やり彼を回廊に引っ張ってやるのだった。

「僕は幽霊なんだ。雨風に当たっても関係ないよ」

「私が気分が悪くなるの。次からは回廊の下で待っていて」

「そんなことに、なんの意味があるの」

「あなたが心配なの!」

怒って言うと、彼は悲しげに笑った。それからしばらくすると、彼は回廊の下で待っていてくれるようになった。


幽霊はどこかおかしかった。機嫌の良い日もあれば、傷だらけで倒れている時もあった。

「どうしたの!」

私が駆け寄ると、幽霊は薄く微笑むのだ。

「幽霊にも色々あるのさ。――なんていうのかな、僕は悪い生き物だから、成敗されてしまったんだ」

「分かるように説明して!」

「君には理解できないことさ」

「できるよう努めるわ」

「馬鹿だね、ローズベリィ」

彼はけらけらと笑う。傷ついている彼を前に、私は泣きたいのを我慢する。一番つらいのは私ではなく彼だ。懸命に理由を知ろうとしても、彼は一切口を割らない。そうなってしまえば、もう聞くことも憚られた。

彼の身体のところどころからは血が流れている。私はドレスの裾をびりびりと破った。驚く幽霊を嗜め、布を包帯にして彼の傷口に巻いてあげた。

「ねえローズベリィ」

「なに」

「僕に触ると、呪われるよ」

私はそっと、彼の目にかかった前髪をどけてあげた。

「どうしてそんなことを思うの?」

「…………」

「呪われるなんて嘘。私、あなたと一緒にいるけど、何も変わらないわ。そうでしょ?」

「……うん、そうだね」

彼はじっとこちらを見た。

「そうだね、ローズベリィ」

その空みたいな青い瞳から、雨粒みたいな涙が一つ、ぽとりと頬を伝って落ちた。


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