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春夜、雨を喜ぶ

作者: Ruth

あれは雨が降った春の夜、

私は桜の木の下である一つの人形に一目惚れをした。

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(主人公は男性です)

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「今日は夕方から大雨となるでしょう。傘を忘れずにお出掛けください。」

私は今日もいつも通りの1日を過ごす。起きてコーヒーを飲み、会社に行き、定時に帰宅し、次の朝を迎える。

この生活を不自由なく過ごすことが出来ていることに私は幸せを感じていた。

傘を持って、家を出た。

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今日は夕方から降る大雨の予報から、早上がりになった。嬉しいはずなのに、何故だか今日は憂鬱な気分だ。

私は家とは反対の方向にある居酒屋でビールを一杯のんで、店を出た。せっかくだし、桜通りを通って家に帰ることにしよう。

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なんて綺麗なんだろう。幼いころに、家族としたお花見を思い出し、懐かしく、幸せな気分に浸っている。いつもなら賑わっているはずのこの通りも今日は人通りがない。この贅沢な景色を独り占めできているようで、気分が良い。


そろそろ帰ろうかと視線を下にうつすと、そこには美しい人形が捨てられていた。

私の目にその人形が映った瞬間、今まで感じたことのなかった感情が私を襲った。この子に“命を与えたい”という衝動にかられた。そのとき、小学生の頃、何かの本で見た呪文を思い出し、咄嗟に呪文を唱え私は神に「どうか彼女に私の命の半分をお与えください」と強く願った。

すると、人形はまるで人間のように起き上がり、私の目の前で周りを見渡している。まさか、、幼いころに1度本で見ただけだったこの方法が成功してしまった。

その衝撃から、胸に一瞬だけ感じた強い痛みはすぐに消えた。

そして思わず向かいにあった看板に身を隠した。人形の様子をぼーっと見ながら、驚きと共に今までにない幸福感を感じていた。彼女は桜の何倍にも輝いて見えた。

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後ろから子供たちの声がし、ハッと我に帰る。そのとき、一瞬で酔いが冷めたように、大変なことをしてしまったかもしれないという現実と恐怖が同時に押し寄せてきた。なんてことをしてしまったんだろう。でも、私だって本当に人形に命を与えることができるなんて、思ってもみなかったんだ。そんな言葉が頭の中で交差するが、どんなに思い返しても、それは紛れもない事実だった。そうだ、今ならまだ取り戻せるかもしれない。そう思ってさっき人形が捨ててあった辺りを見渡すが、そこにもう人形の姿はなかった。

あの後、予報通り急に雨が降ってきたから雨宿りをして、小降りになったところで家に帰った。


何が何でも探し出さなければ。本来ならそう思うのが普通だったのかもしれない。ただその時私の奥底にそんな考えはなくて、そんな“あたりまえ”な考えなんて全くなくて、ただただ、彼女が無事かを心配していた。

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次の朝。胸の痛みとともに目覚める。その痛みが昨日の出来事を思い出させる。あのとき、衝撃のあまり傘をどこかに落としてきてしまったのは今までにない失態だ。彼女はどこに行ったのだろう、いま何をしているのだろう。そんなことを考えながら、コーヒーを煎る。家を出なくてはならない時間を迎えたけれど、私は急ぐこともなく、ベットに戻った。私には仕事に行く余裕なんてなくて、ただ彼女にいち早く会って無事か確かめたかった。私はその後、当たり前のように嘘の欠勤連絡を済ませた。それは私にとって生まれて初めてであり最後の経験だった。

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あの日からちょうど1年が経った。


毎朝起きるたびに胸痛みが増していき、最近は痛み止めも効かなくなってきて歩いてるだけで息切れしてくる。

もはや彼女を見つけることは不可能だろう。だって、彼女を探しに桜通りに行くことは既に私の日課になっているんだから。

どうしたものかと悩みながら、週末で賑わう商店街を歩く。商店街をぬけ、右に出たところにある私のお気に入りの公園に向かった。

もうそろそろ着くというときに、公園の中に人影を見つけた。

今日はついてない。

遊具が撤去されてから最近は子どもも見る影を無くしたこの古い公園であれば優雅に一人で桜を堪能できると思ったのに。そう思い、道を引き返そうとしたとき、その人影に見覚えがあることに気がついた。

そう、それは彼女、あの人形だった。私の命の半分をもったあの。気がついた時には、足は公園に向かって走り出していた。私が木の影に隠れながら目にしたのは、美しく舞う彼女だった。まるで、素朴な公園が、一つのきらきら輝くステージであるかのように見えた。私はそれを見て、ふと昔の自分を思い出した。



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「ねえ、僕もあのお姉ちゃんみたいに可愛いお洋服とお靴はいて踊りたいーー」

「あれを着れるのは女の子だけよ。あなたは男の子なんだから」

幼いながらに母に何度も何度もバレエを習わせてくれと頼んだのを覚えている。

その度に「踊りたいんだったら、今度隣のお兄ちゃんが通ってるダンスクラブに連れてってあげよっか?」なんて言われて習わせてもらうことはなかったけど。

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彼女の踊りを見ていたら、なぜか幼かった自分が、長い時間を越えて一瞬で報われた気がして。もはや自分に残ってる半分の命でさえも与えてしまいたい気持ちにもなった。

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だが彼がそう思ったと同時に



彼に残っていた半分が終わりを迎えた。






あの夜がもし桜の咲く季節ではなかったら、雨が降らなければ、この奇跡は起こらなかっただろう。


春夜、雨を喜ぶ。

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