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その4 あしたのありか

 なくしたものは、何?

 一緒にいた時間?

 一緒にいた記憶?

 それとも、一緒にいた思い出?

 確かにそれも大事だけれど。

 それよりも大切なものは、何だった?




 暑い日が続いている。

 通りに面した場所にある小奇麗な喫茶店。

 ここがアサトのバイトをしている店だ。

 午後になり、昼食後のティータイムを楽しむ人や外の暑さから逃れるためにやってきた人などで店内は人だらけだった。

「アイスコーヒー二つのお客様、お待たせしました」

 店の制服をまとい、レジと流し台の間をアサトは往復する。

 こう次から次にひっきりなしに客がやってくるようでは、体は常に動きっぱなしの状態だ。

 休む暇もないというのは、まさに今のような状態のことを言うのだろう。

 もっとも、店からすれば商売繁盛で結構なことなのだろうが。

「中原、そこ洗い終わったら休憩入っていいぞ。休憩室の冷蔵庫にコーヒーゼリー入ってるから、よかったら食ってくれ」

「あ、はい。ありがとうございます」

 店のオーナー、つまりは店長である中年男性の言葉を受け、アサトは一度休憩室へと引っ込む。

「ふぅ。さすがに夏場は人が多いな……」

 休憩室の椅子に腰掛け、タオルで額の汗を拭う。

 今日は朝からぶっ通しで動いていたので、ふくらはぎの辺りが早くもぱんぱんになりつつある。

 シフトでは今日のバイトは三時で上がりなので、休憩を終えてもうあと一息といったところか。

「んじゃま、店長のお言葉に甘えていただきますか」

 冷蔵庫の扉を開け、その中に冷やしてあったコーヒーゼリーを取り出す。

 この店の自慢でもあるコーヒーゼリーは、全部店長の手作りだ。

 これがどうやら幅広い年代層に受けがいいらしく、これ目当てで来店する常連客も少なくないらしい。

 一口含むと、ほどよい苦味とさっぱりした風味がいい感じに広がった。

 ゆっくりと味わいながら、アサトは火照った体を冷ましていく。

 ふと、壁にぶら下がっているカレンダーに目が向いた。

 七月二十七日。

 今日の日付だ。

「……夏休みになって、なんだかんだでもう一週間か」

 ぼんやりとアサトは思い出す。

 頭に浮かんでくるのは、どうしてかあいつのことばかりだった。

「天宮のやつ、何してんだろ……」

 さかのぼるのはあの日。

 タツキの口から、姉の話を聞かされた夜。

 結局、あの日からタツキは夜の学校にやってこなくなった。

 もちろん、夏休みが始まる前までは毎日ちゃんと学校に通ってきていた。

 同じクラスだし、顔も合わせるし言葉も交わした。

「しばらく、夜は来ないようにするよ。ほら、夏休み前に見つかって処分とかになったら、色々と面倒じゃん?」

 タツキはそう言って小さく笑った。

 そしてその言葉の通り、あの夜以来タツキは夜の学校にやってくることはなかった。

 そうして迎えた、夏休み前の最後の登校日。

「ごめんね、中原」

「え?」

 タツキは突然にそう切り出した。

「この前、変な話しちゃってさ。あと、何か毎晩無理につき合わせるみたいになってたし」

「……そんなの、気にすんなよ。それに、別に俺は……」

 無理につき合わされてるだなんてこれっぽっちも思っていない。

 そう言い切ることができればよかったのに、うまく言葉にならなかった。

「……とにかく、気にすんなって」

「……うん、ありがと」

 それが夏休み前に交わした最後の言葉だった。

 あれから……といってもまだほんの一週間だが、アサトはタツキと会っていない。

 そこまで考えて、またバカなことを考えているなとアサトは思う。

 別に付き合っているわけでもないし、お互いの住んでいる家も連絡先さえも教え合っていないのだ。

 なのにどうしてこんな余計なことばかりを考えてしまうのか。

「……ったく、マジかよ」

 嘘だと思いたい。

 が、どうやらまんざら間違いでもない自分が確かにそこにいた。

 単純に好きか嫌いかとか、そういうのとは少し話の軸は違う。

 けど、どうしようもなく気になっている……引き付けられているようなこの感覚だけは本物のようだ。

 頭が知恵熱を出したように熱くなる。

 それを夏の暑さのせいにしてしまえたらどれだけ楽だろう。

 だがそれも、冷房の効いている屋内では何の言い訳にもならない。

 つまりはまぁ、そういうことだ。

「はぁ……」

 アサトは深く溜め息を吐いて、残りのコーヒーゼリーを胃の中に流し込んだ。


 客足は全く途絶えない。

 午後になって日差しがまた強くなってきたのが原因なのだろう。

 店を出る客と新しくやってくる客とが入れ替わりになっている。

「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」

 レジに立ち、アサトは忙しそうに働く。

 注文を受け、それを別のスタッフに伝えて会計をする。

 この一連の作業を繰り返すだけで、時間だけがどんどんと過ぎていく。

 しばらくしてようやく客の足が落ち着き、ある程度店の中にも空席が見受けられるようになる。

 その頃になって時計を確認すると、時刻は二時半を少し回ったところだった。

 バイト終了までもう少しである。

 レジ横に溜まっていた不要レシートの山を回収し、ゴミ箱へと捨てる。

 客足も収まったので食器やグラスを洗うのを手伝おうと思ったが、そのときちょうど店のドアがベルを鳴らした。

「っと。いらっしゃいませ」

 アサトは急いでレジに戻る。

「ご注文はお決まりですか?」

 と、アサトは客の顔を見ないで聞いていた。

「……中原?」

 だから、自分の名前を呼ばれたときに少なからず驚いた。

「はい?」

 反射的に返事をして正面を見る。

 瞬間、心臓が止まるかと思った。

 目の前にいたのは

「……天宮?」

 一週間ぶりに再会したタツキは、アサトと同じくらい驚いている様子だった。

 そして、またあの言葉を繰り返す。


 「「――何してんの?」」


 最初の夜と、同じ言葉を。




 そうしてまた、巡り会う。

 ぐるぐる回って、また巡る。

 世界は今日も、巡ってる。

 出会いと別れを繰り返す。

 悲しいことも、嬉しいことも、全部。

 全部一つに、繋がってる。

 きっとどこかで、繋がってる。




「まさか、こんなとこで中原に会うなんて」

「いやいや。そりゃ、こっちのセリフだから」

 アサトとタツキは、アサトのバイト先の喫茶店の奥の席で向かい合って座っている。

 あれから少しして、アサトのバイトが終わったからだ。

「バイト始めて結構長いの?」

「んー、もうすぐ一年かな。去年の夏休みの途中からだから」

「ふーん。何かほしいものでもあるの?」

「ほしいもの?」

「あれ? だって、バイトするってことはお金目当てでしょ? 何かほしいものがあって、それでお金ためてるとかじゃないの?」

「あー、そういうのとは違うんだわ。金目当てであることはそうだけど、俺の場合は生活費とかもあるからさ」

「生活費って……」

「あー……」

 言いかけて、アサトはわずかに言葉を探す。

 しかしまぁ、別に言ったところでどうということでもないので構わずに続けることにする。

「俺さ、一人暮らしなんだ」

「そうなの!?」

「うん。高校入ってからだけどな」

「…………」

 タツキは何も言わなかった。

 けど、その目が『どうして?』と物語っていることは明らかだった。

「……ウチさ、昔ちょっと家族で大喧嘩したことがあってさ」

 グラスの中の苦い液体を一口含み、アサトは続ける。

「離婚じゃないんだけど、完全に別居状態っていうのかな。まぁ、とにかくそんな状態でさ。本当ならどっちかの親と一緒にいるべきなんだろうけど、それも嫌でさ。親が別居したとき、俺も一緒に一人暮らし始めたんだ。それが大体、高校入学が決まった頃だったかな」

「……そう、なんだ」

 タツキの声のトーンが下がる。

 まぁ無理もないかとアサトは思う。

 別に血生臭い過去を背負って生きてるわけじゃないけど、こういう話をすれば大抵のやつらは引く。

 大変だなとか苦労してるなとか、同情の言葉をかけてくれるやつもいるけど、別にアサトはそんな言葉なんて望んでいない。

 本当にほしかったものは、もう手の届かないところに行ってしまった。

 アサトはそれを知っている。

 だから、過去にあまり興味がない。

 ときには振り返ることも必要だとは思うけど、それよりも前を向いて歩いた方が気が楽だからだ。

 けど、話してしまってから少しだけ後悔した。

 理由は分からない。

 ただ、何となくタツキにはそういう反応をしてほしくないと、そう思っている自分がいた。

 実に都合のいいわがままだ。

 そう思えるのは、やはり自分の中にあるタツキに対する感情がまやかしのものではないという裏づけに他ならないからなのだろう。

 どちらにしても、あまり軽々しく口にすべきことではなかったかもしれない。

 どういう反応をされるにしろ、一方的に言葉をぶつけられた方はいい気分のはずがないのだから。

 しかし、それでも。

「……そっか。ちょっと、安心した」

「……え?」

 タツキは真っ直ぐにアサトの目を見て言う。

「なんか、私だけじゃないって思ったら……中原も、似たような気持ちを持ってるんだなって分かったら、ホッとした。はは、何かおかしな話だけどさ」

「…………」

 そう言って、タツキは笑った。

 そうすることで、理解してくれていた。

 他人とは共有できるはずのない過去を、しかしタツキは正面から受け止めてくれた。

 それは不思議な感覚だった。

 同情とも哀れみとも違う。

 上からの目線でも下からの目線でもない。

 あくまで対等。

 同じ地面の上、同じ視線の高さ、同じ体温の中。

 それは……それはどういうわけか、ひどく心地よい感覚に思えた。

 マイナスの気持ちが全部取り払われていくような、そんな……。

「……天宮」

 ふと、その名前を呼んだ。

「ん?」

「お前って…………変なやつだな」

 少しだけ呆れたような笑顔で、アサトは正面から言ってやった。

 するとタツキは嫌な顔一つせずに、小さく笑って言い返す。

「そんなの、お互い様じゃん。似たもの同士なんだよ、私達」

 嫌味のない笑顔で、真っ直ぐにそう言った。

 あとはもう、お互いに笑い合うだけだった。


 その後、どういう話の流れでこうなったのかはよく覚えていない。

「ほら、しっかり漕ぐ!」

「分かったから。少し大人しくしてろっての!」

 アサトは自転車を漕ぎ、その後ろにはタツキが座っていた。

 あれから喫茶店を出て、街中をあちこちこうして走り回っている。

 もっとも、自転車を漕ぐのはアサトの役目で、タツキは後ろに座って次はこっち次はそこと指示をするだけなのだが。

 夏休みの影響もあり、街中は学生達の姿も多く見受けられる。

 混雑した雑踏の中を二人乗りで抜けるのはなかなかにしんどいのだが、アサトは嫌な気分ではなかった。

 相変わらず日差しが暑くてすぐに汗が滲んでくるが、妙にさわやかな気分さえ感じた。

 きっと、運動部の連中が練習する理由も同じようなものに違いないと勝手に決め付けた。

 本屋、雑貨屋、ゲーセンなど、学生の行きそうなところを次々に回っていく。

 途中で女の子向けの服を取り扱う店にも立ち寄ったのだが、ここでアサトは一時間ほど放置されることになる。

 毎度毎度思うのだが、どうして女というのは電話と買い物が殺人的に長くなるのだろうか。

 ようやくタツキが店から出てきた頃には、遠くの空がうっすらと夕焼け色に染まり始めていた。

 そんなわけで、二人は今自転車に乗って再び移動している最中である。

「いやー、楽しかったー」

「一時間も悩んだ割には手ぶらかよ。買わないのに何であんなに時間食うんだ……」

「あれもこれもと片っ端から買いあさってたら、お金がいくらあっても足りないじゃない。だからああいう楽しみ方も必要なの」

「待たされてるこっちは暇で暇で仕方ないんだけどな」

「まぁまぁ、そう言わずに。あとで飲み物の一つでもおごるからさ」

「へいへい。んで、次はどこ行く?」

 背中越しにアサトは声をかける。

「んー、そうだなー…………あ」

「ん?」

 タツキの何か見つけたような声に反応し、アサトは静かに自転車を停止させる。

 現在地は街の中心部から少し離れた場所にある大きな交差点だ。

 目の前の信号の向こうにある建物を見たまま、タツキは口を閉ざしていた。

 視線を追い、アサトも同じ方向を見る。

 そこには

「……行くか?」

「え? あ、でも……」

 タツキは遠慮がちに目を伏せてしまう。

 だが、アサトは構わずに続ける。

「いいから、行こうぜ。しっかりつかまってろよ」

「わ、ちょっと……中原!?」

 信号が青に変わる。

 二人の先にあるのは……プラネタリウム。




 あの日探してた、大切なもの。

 今もまだ、探していますか?

 本当に、そうなんですか?

 本当は、もう見つけてしまっていたんじゃないですか?

 ただ、見てないフリをしているだけで。

 ちゃんと、答えは見つけていたんじゃないですか?

 その手は。

 探していた大切なものを、掴んでいたんじゃないですか?

 でも、怖くて。

 認めてしまうのが、ただ、怖くて。

 悲しくて、辛くて、痛くて。

 だから。

 手を離してしまったんじゃないですか?



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