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その3 ほしのなきごえ

 ぐるぐると。

 季節はまた、一巡り。

 何も分からないまま。

 何も変わらないまま。

 そして、また。

 夏が、来る。




 これ絶対に地球そのものがおかしくなってるだろ?

 思わずそう叫びたくなるような灼熱の日々。

 せっかく頭の中に詰め込んだ知識も、暑さのせいできっと七割くらい蒸発してしまったに違いない。

 チャイムが鳴り響く。

「はい、そこまで」

 教師のその声と同時に、机の上にペンが転がる音がそこらじゅうで連続した。

「終わったー……」

 期末試験最終日、長かった試練はようやくエンディングを迎える。

 もっとも、結果がハッピーエンドかバッドエンドかはまだ分からないままだが。

 とはいえ、とりあえずこれで一つの区切りである。

 あとは残りの日々を適当に消化すれば、いよいよ待ちに待った夏休みへの突入だ。

「……つっても、特に予定もないんですけどね」

「そうなの?」

 独り言で呟いたはずの言葉に、しかし思わぬ返事がやってきた。

 声のした方向を向いてみると、そこにタツキが立っていた。

「……聞こえた?」

「バッチリ」

 親指を立ててどこか誇らしげに答えるタツキ。

 溜め息をついて、アサトは机の上に突っ伏した。

「もう、どうにでもなれだー……」

「やる気のカケラもないわね。まぁ、こんな暑さの中じゃだらけるのも無理はないけどさ」

 言いながらタツキは窓の外を眺める。

 ギラギラの太陽はまるで砂浜の真上に浮かんでいるようで、雲ひとつない青一色の空の真ん中で堂々と居座っている。

 さぞかし気分がいいこととは思うが、紫外線とかガンマ線とかその他色々のわけわからないビーム攻撃を全身で浴びるこちらの身にもなってほしいものだとアサトは思う。

 夏は暑いからあまり好きじゃない。

 けれど、やっぱり夏は暑いから夏なわけで。

「……地球温暖化、反対」

「何いきなりエコトークしてるのよ……」

 いやいや、さすがにこの灼熱地獄じゃしたくもなるというものだ。

 などと思っていると、ふいにあくびが出た。

 昼寝するにも命がけの天気だというのに、体は正直だ。

「寝不足?」

「ん? ああ、ちょっとな。試験終わって、気が抜けたのかもしれない」

「夜遅くまで遊び歩いてるからでしょ」

「……お前が言うか、お前が」

「事実じゃない。ホント、中原って物好きなやつだよね。わざわざ私に付き合う必要なんてないのにさ」

「……いや、別にそういうわけじゃないけどさ……」

 実は、そういうわけでもある。


 この数日の間、アサトは毎晩夜の学校に忍び込んでいた。

 行き着く先は一つ。

 あの夜、タツキと顔を合わせた東校舎の屋上だ。

 今にして思えば、我ながら謎の行動だと思う。

 確証があったわけでもない。

 それでも、何となくそんな気はしていた。

 そこに行けばあいつが……タツキがいるんじゃないかと、勝手にそう思っていた。

 そして実際に、タツキは毎晩かかさず同じ場所にいた。

「中原、何してんの?」

 当然、タツキはそう聞いた。

 アサトは思わず言葉に詰まる。

 だって、理由なんてないのだから。

 それでも適当に、それっぽい理由を後からくっつけた。

「……実は俺も、天体観測が趣味だ」

 バリバリの嘘だった。

 星の名前なんて数えるほどしか知らないし、正座の名前だって占いでよく見る十二種類くらいしか分からない。

 けど、何か理由が欲しかった。

 理由も根拠もなくその場所にやってきたことに対する、自分を言い聞かせる理由が。

「ふーん……ちょっと意外かも」

 けど、タツキはその言葉に関しては深く追求してこなかった。

「見る?」

 それどころか、やけに丁寧に天体望遠鏡の使い方などを教えてくれた。

 実物の天体望遠鏡なんて生まれて初めて触るわけで、壊すのがおっかなくて骨董品でも扱うかのような素振りだった。

 タツキに言われたとおりにレンズの中を覗き込んでみると、目の前に夜空が広がっていた。

 肉眼で真上を見ただけでは見えなかったいくつもの星が光っていた。

 本当に、そのまま手を伸ばせば届いてしまいそうな錯覚を覚える。

 素直に感動した。

 宇宙の神秘とかそんな大げさな言葉じゃないけど、今まで見えてなかったものが急に見えてきたような気がして、わずかばかりに高揚感さえ覚えていた。

「すげぇ……」

 それが素直な感想だった。

「でしょ?」

 その言葉が嬉しかったのか、タツキはやけに機嫌よさそうに笑っていた。

 それは、食堂で見たあの笑顔と同じものだった。

 どういうわけか、ひどく安心感を覚えた。

 理由は分からない。

 心当たりは……ない、わけじゃない。

 けど、それを認めてしまうのはなんとなく悔しいと思う自分がそこにいた。

 わずかに頬が熱いのは、この熱帯夜のせいなのか。

 それとも……。

「どうしたの?」

「あ、いや……何でもない」

 ごまかして、もう一度レンズの向こうを覗いた。

 赤い星が一つ、光っていた。




 いつか、あの人が言っていた。

 流れ星は、星の流した涙なんだよ。

 だけど、星は泣かない。

 だから、流れ星は誰かの代わりに流れた涙。

 強がりで、意地っ張りで、一人きりでも泣けない誰かのために、代わりに泣いてあげてるんだ。

 だから。

 流れ星を見たら、願ってあげて。

 流れ星を見たら、祈ってあげて。

 もう、泣かなくてもいいんだよと。

 そっとその子を、支えてあげて。

 泣き虫なくせに強がりで、寂しがりやなその子のことを。




 その夜。

「あ、きたきた」

「よ」

 すっかりおなじみになってしまった東校舎の屋上。

 今日もそこにはタツキの姿があった。

 踊り場の真ん中には天体望遠鏡。

 あとはコンクリートの地面と金網のフェンスだけ。

「今日はちょっと早くない?」

「そうか?」

 言われて携帯の時刻を見ると、確かに少し早いかもしれない。

 別に待ち合わせをしているというわけではないけど、アサトがこの場所にやってくるのはいつも夜の九時頃だ。

 が、今日はそれより少し早くやってきていたらしい。

「なんだなんだ。もしかして、私に少しでも早く会いたかったからとか?」

「…………!?」

 息を呑む音がやたらリアルに聞こえた気がした。

 何て事を突然言い出すんだこいつは。

 ……って、何でそれに対して動揺してんだ俺!?

 やばい、沈黙はいかんぞ。

 早く何か言え俺。

「は……」

「は?」

「は……は……………………はぁ……」

「長っ!? 溜め息一つが長っ!」

 結局まともな言葉は出てこなかったが、とりあえずこの場の空気を流すことは成功したようだ。

 しかし、一文字言葉を間違っていれば『はい』になっていたわけで、そうなった後のことを考えると色々と大変だ。

 もちろんそう答えたアサトも大変だが、答えられたタツキも結構大変じゃないだろうか。

 ……いや、それはないか。

 むしろ、真顔でそんな言葉を返した方がかえって大笑いされそうな気がする。

 まぁ、何はともあれその話題はここで終了だ。

 これ以上余計なことを考えるとこっちの頭がおかしくなってしまう。

「今日はどんな感じだ?」

 話題を切り替えるためにアサトは声をかける。

「んー。昨日までに比べれば多少はマシだけど。それでも大差はないかな」

 レンズの角度を調整しながらタツキは言う。

「そうなのか。昨日とかに比べたら雲もないし、大分晴れてるように見えるけど」

 アサトは空を見上げて言う。

 分厚い雲は遠くに流れ去り、頭上は紺色一色の澄み渡った色に包まれている。

 いつもよりたくさんの星が顔を覗かせているし、月の輪郭もくっきりと浮かび上がっていた。

「そうなんだけどね。でも、やっぱり誤差かな。ちゃんとした星空を見たいなら、こんな都会の真ん中じゃ無理なのよ。人工的な光が多すぎて、月や星の本来の光を殺しちゃってるの。地表から高い山奥にでも行けば、もっとすごいのが見られるけどね」

 レンズを覗き込みながらタツキは言う。

 その言葉に、アサトはやはり疑問を覚えてしまう。

 けれど、それを素直に言葉にしてしまっていいのか分からない。

 言ってしまえば簡単なのに。


 ――じゃあ、お前は何を探してるんだよ?


 言葉にしてしまえば、たったそれだけ。

 星なんてまともに見えない都会の真ん中で。

 毎晩のようにこの場所で空を見上げている理由は、何なのか。

 たったそれだけの言葉が、出てこない。

 聞けない。

 聞くのが、怖い。

 案外、聞いてしまえばタツキはあっさりと答えてくれるかもしれない。

 けど、それでも。

「…………」

 アサトの口から、その言葉は出ない。

 そして、改めて知った。

 タツキの背中が、あまりにも小さかったこと。

 本当に、軽く指先で触れてしまえば今にも壊れそうなほどに儚く見えた。

 目の前にいるのに。

 こんなに近くにいるのに。

 きっと、伸ばしたこの手は絶対に届かない。

 そう、思ってしまった。

 それは、多分。

 タツキもまた、手を伸ばし続けているからじゃないからだろうかと思った。

 もう絶対に届かない場所に向けて、それでも必死に手を伸ばしているんじゃないか。

 走っても走っても追いつけない場所。

 今はもう戻れない日。

 そんなものを、それでも捨てきれずに追いかけているんじゃないだろうか。

 そんな、気がした。

「……中原、どうかした?」

「……え?」

 気が付くと目の前にタツキの姿があった。

「さっきから突っ立ったままだし。具合でも悪いの?」

「……いや。悪い、何でもない。ちょっとボーっとしてた」

「暑さでのぼせた……ってわけじゃないよね。今夜は結構涼しいし」

「何でもねーよ。ちょっと考え事だよ、考え事」

 もちろん、その考え事の中心にタツキがいることなんて、死んでも口にはできないわけだが。


「私さ、お姉ちゃんがいたんだ」

 ふいにタツキがそんなことを言い出した。

 壁に寄りかかって缶コーヒーを飲んでいるときだった。

「私とは五つも歳が離れてるんだけどさ。実を言うと、私が天体観測に興味持ったのって、お姉ちゃんの影響なんだ」

 タツキはほろ苦い液体を一口含み、それから何かを思い出すようにゆっくりと続ける。

「中学生のとき、家族でキャンプに行ったの。そのとき、お姉ちゃんが天体望遠鏡を持ってきて、夜になったらキャンプ場の川原で皆で星を見たんだ。何ていうか、漠然としすぎてあれなんだけど……うん、すごかったよ」

 その表情に笑みが浮かぶ。

「私達の頭の上には、こんなにたくさんの星が浮かんでて、目には見えないくらい遠い宇宙のどこかで光ってるだなーって。なんか、たったそれだけのことで感動しちゃってさ」

 コトンと音が鳴る。

 飲みかけの缶をコンクリートの地面に置いた音だ。

「それからかな。お姉ちゃんにくっついて色んな場所で一緒に星を見るようになったの。あの天体望遠鏡も、もともとはお姉ちゃんの使ってたやつなんだ」

「そっか……」

 アサトはそれしか言葉にできなかった。

 だって、気づいてしまったから。

 今の会話の中だけで、知ってしまったから。

 その、タツキの姉は……今は、もう……。

「……ごめん。変な話しちゃったよね」

 タツキもそれに気づいたのか、急に態度がしおらしくなる。

「いいよ。気にすんなって」

「……うん」

「……一つ、聞いていいか?」

「何?」

「……何で、そんな大事なこと……」

「……何で、かな。分かんない。試験が終わって、気が抜けてたから……ってわけじゃ、ないと思うけど……」

「……そっか」

「うん……」

 そして、わずかな沈黙。

「……お姉ちゃんが死んじゃったのは、今からちょうど一年前の今頃。休みを利用して、観測に出かけたときだった」

「…………」

「……事故だった。大雨で土砂崩れが起きて、それに……巻き込まれて……」

「……そっか」

「うん……」

 繰り返す言葉。

 アサトは他にかけるべき言葉を持っていなかった。

 ただ、独り言のようなタツキの言葉に相槌を打つだけ。

 けれど、不思議とこの時間を苦しいとは感じなかった。

 タツキも途切れ途切れに、自分の記憶の中を掘り起こすようにして姉のこと、そして当時の自分のことを話してくれた。

 どれだけの時間そうしていたのだろう。

 一通りの話を聞き終えたとき、あれだけ輝いていた星はすっかりその姿を隠してしまっていた。

「……そろそろ、帰ろう。今日は、冷えるよ」

「……そうだな」

 この日はそれでお開きになった。

 途中の道で二人は分かれる。

 タツキは、一度も振り返ることはなかった。




 星が泣いてた。

 誰かの代わりに。

 星は待ってた。

 誰かが泣き止むのを。

 ただ、ずっと。

 遠くて高い、夏の空の上で、待ってた。



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