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その2 カノジョのおとしもの

 月の光。

 星の光。

 あなたのヒカリ。

 いつも見ていた。

 大切な気持ち。

 遠く、遠く。

 高く、高く。

 遠くの空の、向こう側。

 星になった誰かのお話。




 連日の熱帯夜だった。

「……あぢぃ」

 ベッドの上で大の字に寝転がったまま、アサトは呪いの言葉のようにうめいた。

 人がせっかくやる気を出して勉学に励んでいるというのに、どうやらこの熱帯夜は何が何でも邪魔をしないと気がすまないやつらしい。

 一応エアコンもつけていたのだが、どういうわけかこの肝心なときにかぎって動作不良。

 リモコンのスイッチを秒間十六連打するくらいの勢いで押しまくってみても、うんともすんともいいません。

 やむをえず押入れの奥深くに眠らせていた時代遅れの扇風機を回しているわけだが、吹き付ける風は生ぬるいし、長いこと使っていなかったこともあってどことなく埃臭い。

 とてもじゃないがモチベーションを維持し続けることはできず、アサトはたまらずベッドの上に避難したというわけだ。

 とりあえず明日の朝一番で大家さんにエアコンの調子が悪いことは報告するとして、目下の悩みはこのうだるような蒸し暑さである。

 何だかもう勉強とかどうでもよくなってきたし、ちょっと早いけどいっそこのまま眠ってしまおうかとも思ったのだが、こう暑くてはそれさえもかなわない。

 どうしたもんかと困り果てていると、開けっ放しの窓の外から何やら聞き覚えのある音が聞こえてきた。

 上半身だけを起こして外の様子を見てみると、そこには花火をしている親子連れの姿があった。

 季節は夏とはいえ、まだ夏祭りや花火大会の時期には早い気がする。

 が、その光景はどことなく懐かしいものだった。

 そういえば昔は、夏になればああやって近所の公園とかで花火をしていたような気がする。

「……花火、か。そういえば、ここ数年は花火どころか夏祭りにも行ってなかったっけな」

 アサトはぼんやりと思い出す。

 昔はあんなに祭りが好きだったのに、どうして行かなくなってしまったんだろう。

 と、思い出しかけてそれ以上考えるのをやめた。

 それはお世辞にもいい思い出とは言えない記憶だったからだ。

 だから、多分その頃からだろう。

 あんなに好きだった祭りや縁日に、足を向けなくなったのは。

「……はぁ」

 自分でも分からないが、どうしてか溜め息が出た。

 それは昔の自分に呆れているのか。

 それとも、くだらないことを思い出したことに対するちょっとした自己嫌悪なのか。

 どちらでもいいかと、アサトは思う。

 昔のことだ。

 一晩寝れば、どうせ忘れてしまうのだから。

 が、今はとりあえず……。

「このクソ暑さを、どうにかしないとな……」


 考えた末の打開策がコンビニへの突撃だった。

 単純にのどが渇いたから飲み物を買いにきたとも言う。

 せっかくなので適当に漫画雑誌なども立ち読みし、しばらく時間を潰しながら冷房の効いた店内を満喫する。

 時々レジの方角から出て行けオーラを感じるが、そんなものは完全にスルーである。

 そんなこんなで十分ほど雑誌を読みふけったところで、お得サイズの二リットルペットボトルのお茶を買って店を出る。

 途端に全身に襲い掛かる生ぬるい空気。

 そのまま百八十度ターンして店の中に戻りたくなるが、店の店長と思わしき中年オジサンの視線がとっとと帰れと物語る。

 仕方がないのでアサトは戻ることにする。

 まだ夜も遅くない時間帯なのだが、路上ですれ違う人はまばらだった。

 まぁ、さすがにこの蒸し暑い中わざわざ外に出てくる人もいないとは思う。

 片手にコンビニの袋をぶら下げて、アサトはのんびりと歩く。

 と、ふいに視界の中にそれは入ってきた。

 一本の電柱だった。

 正確に言えば、その胴体に巻きつくように張り付けられている、やけにカラフルなチラシである。

 近寄って見てみると、それは近所の公園で行われる夏祭りの宣伝用のチラシだった。

 自治会や子供会が主催なのだろうか、やけに子供向けのイラストの中に日程などが書き込まれている。

 日時は七月の三十一日……ちょうど七月最後の日だ。

 何となくこういう夏祭りは夏休みが終わる頃にやるものだというイメージがあったのだが、どちらにせよ夏休みの間であることに変わりはない。

 一通りチラシを見終えて、アサトは再び歩き出した。

 そこで、気が付く。

「……何、熱心に読んでたんだよ。どうせ、行くつもりもないくせに」

 まるで自分じゃない他の誰かに言い聞かせるような言い方だった。

 自分にしか聞こえない声で言ったくせに。

「何だかなぁ」

 全くもってその通りである。

 下を向いて歩いていると、余計なことばかり考えてしまうんだ。

 だから、上を向いた。

 今日は出ていた。

 月も星も、実に中途半端に輝いていた。

 照らしたいものが分からないような、そんなあやふやな光。

 それでも、ふと、思う。

 あいつは……。

「……天宮のやつ、今日もあそこにいるのかな」

 都会の空は余計なものが多すぎると聞いたことがある。

 本当の星空を見たいのなら、それこそ高い山にでも登らないと見られないのだと。

 けど、この近辺にそんな場所はない。

 ……だから、なのだろうか。

 あいつが、あの場所にいるのは……。

「……何が、見えるんだろうな」

 夜空を見上げ、アサトは呟く。

 この同じ空の下で、あいつは何を見ているんだろう。

 答える代わりに、小さな星が一つ、小さく瞬いた。

 ……気がした。




 探しているものがあるんだ。

 昔なくしてしまった、大切なもの。

 それは、いつなくしてしまったの?

 分からない。

 それは、どこでなくしてしまったの?

 分からない。

 それでも見つけなくちゃならないんだ。

 よかったら、手伝おうか?

 ありがとう。

 でも、やっぱりやめておくよ。

 これは、手伝ってもらって見つかるようなものじゃないから。

 それは、手伝ってもらって見つけるようなものじゃないから。

 ちゃんと、自分で探すよ。

 大切なものと、その答えを。




 タツキは天体望遠鏡を組み立てる。

 時刻はもうすぐ夜の十時。

 場所は昨日と同じ、東校舎の屋上だ。

 放課後、一度家に帰ってから制服のまま学校に戻って忍び込んだのだ。

 とはいっても、昨日の今日に始まったことではない。

 もうかれこれ二週間近く前になるだろうか。

 結構な重さのある天体望遠鏡をいくつかのパーツに分解し、鞄の中に詰め込んで持ち込み、休み時間などを利用してそれを屋上の目立たないところに隠しておいた。

 あとはパーツを全部運び終えたらその場で組み上げればいい。

 そうやってここのところ、毎日のように空を眺めている。

 都会の空は明るすぎて、この時期になってもまともに星は見えなかった。

 おまけに近隣の高層マンションはその大半がオートロックシステムで、無関係な人間は中に入れないようになっていた。

 となると、手近で忍び込める地表から最も高い場所は、自分の通う高校の屋上しかなかった。

 だが、それでも高さとしてはまだまだ足りない。

 およそビルの五階部分に相当する高さは、落下すれば間違いなく大怪我か、打ち所が悪ければそれだけで即死してしまう高さではある。

 だがそれも、地表と空の間にある距離からすれば何もないようなものだ。

「…………」

 タツキは無言のまま空を見上げ、そこに手を伸ばす。

 空は遠く、どこまでも高い。

 こうして手を伸ばしている瞬間だけは、もうあと少しであの小さな星の一つくらいなら掴めるんじゃないかという錯覚を覚えてしまう。

 もちろん、そんなことは実際には絶対に不可能だ。

 今じゃ科学がどんどん発展して、人類が宇宙に降り立つことだってそう難しいことではなくなってきている。

 そういった意味では、絶対に不可能なことではないのかもしれない。

 でも、違う。

「そんなんじゃ、何の意味もないよ」

 誰に言うわけでもなく、タツキは空を見上げたまま呟く。

 違うのだ。

 どれだけ宇宙に近づいたって、それだけじゃ絶対に届かない。

 たとえばこの先、何百年という月日が流れて、もっともっと科学が発達して、宇宙旅行さえも手軽にできるようなそんな時代がやってきたとしても。

 それでも、その手はきっと届かない。

 ずっと探しているものを、掴めない。

 それは、遠くて近い日の忘れ物だ。

 十年以上も昔のことにも思えるし、まるで昨日のことのようにも思える。

 大切な記憶。

 いつだって、あの人はすぐそこにいた。

 今だって、あの人は隣にいるように思えてしまう。

 でも、現実は違う。

 あの人はもう、ここにはいない。

 あの人はもう、どこにもいない。

 声はもう、聞こえない。

 顔はもう、微笑まない。

 それでも……。

「……見つけるんだ。それで、絶対に……」

 祈るように、誓うように、タツキは届かない星を手のひらに握る。

 遠くて高い夏の空。

 さそり座の赤い星が光っていた。


 タツキには歳の離れた姉がいた。

 つまり、今はいない。

 タツキの姉……セナは、一年ほど前にこの世を去った。

 原因は事故だった。

 一年前の夏、夏休みを利用して地元から離れた山へ天体観測に出かけ、そこで起こった土砂崩れに巻き込まれ還らぬ人となった。

 本当なら、その小旅行にタツキも一緒に行くはずだった。

 だが、出発予定の二日前から夏風邪をこじらせてしまい、仕方なく諦めることになったのだ。

 皮肉にも、結果的にそのおかげでタツキは事故に遭わずにすんだ。

 けど、タツキはそれをよかったなどとは思えなかった。

 最愛の姉を失い、そんなことなど思っていられるはずがなかった。

 だって、そうだろう。

 もしもあのとき、タツキがわがままを承知で自分の風邪が治ってから一緒に行こうと駄々の一つでもこねていれば、あんな結果にはならなかったかもしれないのだ。

 でも、タツキは言ってしまった。

「私は大人しく留守番してるからさ。その代わり、たくさん写真撮ってお土産にしてよね」

 もともと風邪を引いてしまった原因もタツキ自身にあったのだ。

 それなのに、自分勝手なわがままで姉を困らせるわけにはいかないと思った。

 もう子供じゃない。

 そんなわがままは卒業だ。

 そう、思っていた。

「任せなさいって。とびっきりすごいのを撮ってきてみせるわ。楽しみにしてなさい。だから、あんたもさっさと風邪治すのよ」

 そう言って、セナは出かけた。

 一泊二日の小旅行だった。

 タツキの風邪は、次の日にはすっかりよくなっていた。

 朝一番でニュースを見て、セナの出かけた地域の天気を確認した。

 一日を通して快晴とのことだった。

 きっといい写真が撮れると、そう思っていた。

 けど、実際はそうじゃなかった。

 現地は夕方から突然の土砂降り。

 地域によっては川の増水や、民家の床下浸水まで確認できるくらいに強い豪雨だったらしい。

 雨は夜になっても勢いを衰えず、そして事件は起きた。

 タツキがその事件を知ったのは、セナが帰ってくる予定の日の朝のニュースだった。

 ヘリコプターでの上空からの景色。

 アナウンサーの緊迫した声。

 そのどれもがまともに頭に入ってこなかった。

 ただ、自分の姉の名前が死亡者として画面のテロップに映っていることが信じられなかった。

 信じたくなかった。

 同姓同名の他人の空似に決まっている。

 同じ名前の人間なんて、意外とたくさんいるものだ。

 そう……願った。

 ……でも。

 現実はあまりに残酷で。

 雨よりも冷たい真実を、音も立てずに運んでくる。

 天宮セナは、死んだ。

 その事実は、もう覆ることはないのだと。

 思い知らされた。

 思い知らされて、しまった……。




 ずっと、探してた。

 ずっと、迷ってた。

 それでもまだ、見つからない。

 どれだけ空を見上げても。

 どれだけ星を数えても。

 あの日のあなたは、もういない。

 だから今も探してる。

 だから今も迷ってる。

 あの日なくした落し物。

 今もまだ、見つからないまま。



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