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その1 カレのわすれもの

 いつか、空に星が光っていた。

 ぽつり、一人ぼっち。

 夏の空に、光っていた。

 寂しがりやな一番星。

 泣き声一つ、落っこちた。





「……やべ。レポートの紙、学校に忘れてきた……」

 バイトを終えて帰宅して、鞄の中を覗き込むなり中原アサトは面倒くさそうに呟いた。

 提出期限がちょうど明日までのレポートは、実をいうとまだ完全には終わっていない。

 予定としては今日の夜、まさにこれから最後のラストスパートで書き上げる予定だったのだが……。

「うげぇ。もう十時回ってんじゃん……」

 携帯電話のデジタル時計の表示に目を落としてみると、現在の時刻は十時十一分。

 真夜中というにはまだまだ早い時間ではあるが、それでも辺りはすっかり暗くなってしまっている。

 おまけにこの時間では、いつも通学に利用しているバスも最終時間を過ぎてしまっていた。

 となると、自転車で片道三十分近くの時間をかけて大学まで向かわなくてはならない。

 幸い学校までの道は一本道だし、国道沿いのおかげで今の時間でも明かりの心配はいらない。

 とはいえ、

「……めんどくせぇ。けど、期末試験の範囲のやつだしなぁ……でも、めんどくせぇ……」

 たった今バイトを終えたばかりの疲れ切った体にムチ打って自転車を漕ぐというのは、想像しただけでふくらはぎや腰の辺りが筋肉痛になってしまいそうだ。

 片道三十分、往復でおよそ一時間だ。

 どんなに急いだとしても、再び帰宅するのは十一時過ぎ。

 その後にレポートを書き終えるだけの体力が残っているかどうかは激しく疑問だ。

「つっても、放置するわけにはいかねーか……」

 思いっきり溜め息をついてアサトは立ち上がる。

 できることならその辺でタクシーでも捕まえてさっさと往復してしまいたいものだが、高校生の一人暮らしにそこまでブルジョワな行動をするだけの余裕などない。

 さらにこの時間ではタクシーもバリバリの深夜料金。

 往復の運賃だけで三日分の食費が飛んでしまうと思うと、考えただけで卒倒しそうになる。

「……しゃーない。もうひと踏ん張りしましょうかね」

 携帯電話と家の鍵、そして自転車の鍵だけを持ってアサトはアパートを出る。

 七月の頭ということもあってか、この時間でも気温の冷え込みはたいしたことはない。

 むしろ風がないせいで蒸し暑さを覚えそうになるくらいだ。

 部屋の鍵を閉め、足音を立てないように階段を下りる。

 最近ではあまり使わなくなってしまった自転車にまたがり、一気に夜道を漕ぎ出した。


 こりゃどう考えても今夜は確実に熱帯夜だよねと言わんばかりに、学校に到着したアサトは全身汗だくだった。

 もっとも、そのおかげで片道三十分の距離を二十分で走破できたのだから喜ぶべきことなのかもしれないが、何かこう釈然としない。

 ともあれ、目的のレポートは無事に回収できたのでまずはよしとしておこう。

 こんな遅くの時間まで残ってくれていた先生には改めて感謝である。

 さて、目的のものも回収できたし、あとはさっさと戻ってこのレポートを仕上げてしまおうと、階段を下っているそのときだった。

「ん?」

 ちょうど階段の踊り場にある窓ガラスの向こうに、何かこうきらりと光るものが見えたような気がした。

 最初は周囲のマンションやビルの明かりかとも思ったが、そうではないようだ。

 そういう明かりという具合の光ではなく、あれはもっと別のものだった。

 例えるなら、ガラスとかに別の光がぶつかって反射したときのような。

「あそこって……東校舎の屋上?」

 その何だかよく分からない光は、どうやら学校の屋上から発せられているようだった。

 アサトがこうやってぼんやりと眺めている間にも、チカチカとした反射光が何度も瞬いている。

 夜の暗さもあってその光の正体はつかめないが、何にしても変な話だった。

 こんな夜遅くに、学校の屋上でチカチカと光る謎の光。

 あるいはどこぞのオカルト人間が忍び込み、宇宙相手に謎のコンタクトを取っているとでも言うのだろうか。

 それはそれで事件になりそうでどことなくおっかないのだが、それとは別にアサトはその光景が気になった。

 こんな時間にあんな場所で、どんなやつが何をしているのか。

 その全てが単純に興味を引いたからだ。

 本当ならそんなことはどうでもいいことのはずだ。

 そんなことよりもさっさとアパートに戻り、残りのレポートを書き終えてぐっすり眠ってしまえばいいのだ。

 だけど、そんな正論とは裏腹にアサトの足は今下ってきた階段を再び上り始めていた。

 四階に着き、廊下を進む。

 突き当たりにある階段をさらに上へ行くと、そこに屋上に通じる扉がある。

 基本的に立ち入り禁止というわけではないが、普段から生徒も先生もあまり訪れることのない場所だ。

 しんと静まり返った空気の中、鉄の扉だけが目の前に立っている。

 アサトはドアノブを静かに握る。

 一瞬の緊張。

 そしてそのまま、静かに扉を押し開ける。

 ギィとかすかな音を立て、視界が夜空の色に染まっていく。

 高さにしてみれば、ビルの五階部分に相当する高さ。

 それでも、この辺りでは空に一番近い場所。

 その屋上の踊り場に、彼女はいた。

 彼女は手元にある天体望遠鏡には目もくれず、ふいに開いた扉を……つまりはその扉を押し開けてやってきたアサトの姿も含めて視界に捉え、わずかに驚いていた。

 しかし、それは扉を押し開けたアサトも同じだった。

 間の前にいる彼女は、よく知っている顔だったからだ。

 二人は少しの間互いの顔と名前を照らし合わせるように見合い、そして言った。

「……川原?」

「……天宮?」

 そう。

 二人は簡単に言ってしまえば、同じ学校のクラスメートだった。


 「「――何してんの?」」


 聞きたいのはこっちの方だと、互いが口には出さずに思ったのは言うまでもない。




 そこには、何もない。

 けれどそこには、確かにあった。

 今はもう、届かないのだとしても。

 願って、手を伸ばした。

 そうやって、巡り会う。

 ぐるぐると巡って、二人は出会う。

 たとえそれが、互いに望んだものではなかったとしても。

 きっとどこかで、信じていた。




 翌日の昼休みのことだ。

「ちょっといい?」

 彼女は……天宮タツキはそう言うと、アサトの返答を待たずに襟首を掴んで半ば強引にずるずると引っ張っていった。

 冗談抜きで身の危険を感じ始めたアサトだったが、予想に反してつれてこられたのは校舎裏でも体育館倉庫でもなく食堂の端の席だった。

 割とR指定な暴力的シーンを想像していたアサトにとっては命拾いだが、どちらにせよ目の前に座るタツキの表情が険しいままなので何一つ安心できない状況である。

 とりあえず腹も減っているので購買で惣菜パンを購入してきた二人だったが、席に着いて三分経った今でも互いに封は切られていない。

 というか、ぶっちゃけ空気が重い。

 さっきまであった空腹感はすっかり消え去ってしまっているほどだ。

 まぁ、何となくこんなところにつれてこられたその理由に、アサトは心当たりがあった。

 というか、心当たりなんて一つしかなかった。

 言うまでもなく、それは昨夜のことだろう。

 そう思ったとき、ようやくタツキが口を開いた。

「昨日のことなんだけど」

「……へい」

 もはや受け答えの仕方がヤクザと一般市民だった。

 もともと男勝りで勝気な性格のタツキだからこそ、本人に自覚がなくても相手を威嚇してしまうようになってしまうのかもしれないが。

 とか何とか考えつつ、アサトは次にくるであろう言葉を予測する。

 口外したら殺すとか、口外しそうだから口封じに殺すとか、特に心配はないけど念のために殺すとか……。

「結局死ぬんかい俺!?」

「はぁ?」

「ぶほっ!? な、何でもありません!」

 思わず口に出した不穏なワードを慌てて撤回する。

 とはいえ、もしそうだったらどうしようかとも結構本気で悩んだり。

「それで、昨日のことなんだけど」

「あ、ああ」

 さぁ、どうくる?

 場合によってはこのまま逃げ出す準備もできていますと言わんばかりに、アサトは気づかれないように静かに椅子を引く。

 が、現実はどうやら二百七十度違う角度からやってきた。

「お願い! 見なかったことにして!」

 顔の前で両手を合わせ、まるで拝み倒すかのようにしてタツキは小さく頭を下げた。

「……へ?」

 思いもよらぬ対応に、アサトは引きかけた椅子と一緒に背中から倒れそうになる。

「……えーと。つまり……?」

「……だから、昨日の夜のことは見なかったことにしてほしいの! お願い、この通り!」

「昨日の夜のってのは、つまり、あれですか? お前が屋上で天体望遠鏡もが!?」

 言いかけたところを両手で口を塞がれた。

 しかも割りと本気らしく、顎骨の辺りがミシミシ音を立てている。

「ば……だから、言うなっての!」

「わ、わがった……わがったから手をはなへ……」

 どうにか鷲掴み地獄から開放されたアサトだが、当のタツキは辺りをきょろきょろと見回して今の会話が漏れていないかどうかを確認しているようだった。

「……大丈夫みたいね」

「いや、俺は全然大丈夫じゃないんだが……」

「と、とにかく! お願いだから昨日のことは黙っといて。バレるとこっちとしても色々とマズイのよ!」

 それはつまり、何かしらヤバイことに手を染めているというわけで。

 それはつまり、遠回しに共犯者になれと言っているようなもので。

 しかしまぁ、どちらにしてもだ。

「……分かったよ。ていうか、別に俺はそのことに関してどうこうするつもりなんてなかったけどな」

「ま、マジ!?」

「マジ。まぁ、気にならないかって言えば嘘になるけどさ。別にいちいち学校側にチクったりなんかしないって」

「…………」

「それに、別にテストの問題用紙盗むつもりだったとか、そういうんじゃないんだろ?」

「あ、うん……」

「なら、この話はここでおしまいだ。俺はこのことを他言しない。それでいいんだろ?」

「…………」

「……おい、聞いてるのか?」

 アサトが聞くが、タツキはすぐには答えなかった。

 ただしばらくぼんやりとアサトの顔を見て、それから小さく笑っておかしそうに言った。

「中原って、変なやつだね」

「……その言い草はヒドくないか?」

「あはは、ごめんごめん。いやでも、悪い意味じゃなくってさ」

 そう言いながらタツキは楽しそうに笑った。

 アサトにはその笑顔が、タツキが普段クラスの中で見せる笑顔とはまた少し違うように見えた。

 何というか、本当の意味で嫌味のない笑い方のように見えた。

 と、そこまで思ってふと気づく。

 ……あれ?

 何で俺、そんなことが分かる気がするんだろう?


 レポートの提出も無事終わり、とりあえず一段落である。

 とはいえ、三日後からは夏休みというゴールの直前に立ちはだかる門番、期末試験が始まる。

 試験範囲そのものはさほど広くはないものの、やはりというか何というか、テストという単語はそれだけで学生を憂鬱にする。

 とまぁ、ブルーな気分になったところでどうなるわけでもないので、アサトは前向きに検討することにした。

 もとより平均的な成績なので、普通に試験勉強さえすればそれなりの点数で返ってくるだろう。

 さすがに試験三日前ということもあるので、今日から試験最終日までの間はバイトのシフトも休みにしてある。

 勉学に励むなんてガラじゃないのは分かっているが、この数日くらいは普段より少しまじめにやってみようと思うアサトだった。

 そんなこんなで放課後である。

 ホームルームが終わり、生徒の大半は部活組か帰宅組かに分かれることになる。

 これといって何も部活をやっていないアサトはもちろん帰宅組なのだが、テスト三日前だというのに部活に急ぐクラスメートの姿も何人か見受けられる。

 そういえば陸上部などは、夏休み明けに地区予選などがあるらしいからその影響もあるのだろう。

 などと他人事のように考えてアサトは教室をあとにする。

「アサトー。帰りどっか寄っていかね?」

 去り際にクラスの連中から声がかかる。

「あー、悪い。さすがに今日は真っ直ぐ帰るわ。試験もうすぐだし」

「何だ、お前もかよ。いいじゃんか、一緒に補習受けようぜー」

「バカ言え。そうならんために少しは努力しとけよな」

 裏切り者めとわめくクラスメートに軽く手を振り、アサトは教室を出る。

 さすがに夏休みになってまで登校したいとは思わない。

 アパートから学校までの距離を考えればなおさらだ。

 誰だって炎天下の中、すし詰め状態の通勤ラッシュバスに乗りたいとは思わないだろう。

 そんなことを考えながら廊下を歩いていると、ふと視界の端にタツキの姿が映った。

 声をかけるよりも早くタツキは階段を上っていってしまったが、アサトはふとその場で足を止めていた。

 階段の先には昨日の夜と同じ東校舎の屋上がある。

 まさかとは思うが、まだ日も落ちてない今から天体観測でも始めるつもりなのだろうか。

 などと考えていると、ふいに背中から声をかけられた。

 振り返ったそこにいたのは、アサトのクラスの担任教師だ。

「廊下の真ん中で突っ立って、どうかしたのか中原?」

「あ、いえ。別に何でもないです」

「そうか? ならいいんだが、あんまりぼんやりしてると階段から転がり落ちてケガするぞ?」

 冗談めいて言いながら担任教師は横を通り過ぎていく。

 その背中にアサトは何となく呼びかけた。

「先生。うちの学校って、天文部とかありましたっけ?」

「天文部? いや、うちはそういう部はなかったと思うぞ」

「そう、ですか……」

「それがどうかしたのか?」

「いえ……ちょっと、気になっただけです。ありがとうございます」

「ああ。それじゃ、気をつけて帰れよ。それと、試験勉強もしっかりやるようにな」

 最後に小さく返事をして、アサトは担任教師の背中を見送る。

 その背中が見えなくなった頃、もう一度タツキが上っていった階段に視線を移した。

 この学校に、天文部やそれらしい部はない。

 ならば、タツキの昨夜のあの行動は部活というわけではないようだ。

 だとすると、個人的な理由があることになる。

 それは、一体……。

 何なのだろうと考えかけて、アサトは考えるのをやめた。

 理由なんて人それぞれだ。

 そこに土足で勝手に踏み込むのは、迷惑以外の何ものでもない。

 タツキの趣味が天体観測だったとして、何も不思議なことはない。

 確かに外見と性格からは意外に見えるかもしれないが、それも結局は個性だ。

 ……だけど。

 だけど、そうだとしたら。

「……あいつ」

 アサトは思う。

 昨日、月も星もない夜の下で、タツキは……何を探していたんだろう、と。



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