幼馴染同士で結ばれるありふれたお話
初投稿ですので、温かい目で読んでいただけたら嬉しいです。
「あなたのことが好きです。付き合ってください!」
とある高校の教室で、ある男子生徒が女子生徒に告白されている。時刻は17:45、放課後である。告白された少年――高木陽仁は慣れた様子で少女に告げた。
「ごめん。君の気持ちには応えられない」
少女はその言葉を告げられて、顔を上げたまま一瞬固まる。そして静かに項垂れて言った。
「……うん。ふられるだろうなって思ってた。高木君は、小山内さんが好きなんだよね」
……これは想像上の出来事である。では誰の想像なのかというと、高木の想像である。
高木陽仁は最近、自分がモテないことに頭を悩ませていた。彼は今までの人生で、告白されたことが1度もない。顔はそこそこ良いはずだし、運動神経も抜群。学力だって低くはない自分が、どうして告白されないのか。
彼に告白する女子がいない理由は、このような彼の自信過剰さを女子が嫌がっているからなのだが、彼がそのことを知る由もない。要は……彼はちょっとクズなのであった。そんな彼が、自分がモテない理由として行き着いた答えは、「幼馴染の小山内沙苗と一緒に行動しすぎて、周りの女子から自分は沙苗と付き合っていると勘違いされている」というものだった。
ちなみに彼は、さきほど想像上で告白してきた女子をふっている。想像に出てきた女子が、彼の好みの顔ではなかったからだ。想像上でも失礼な男である。
さて、彼が想像上で告白されていたのは17:45分であったが、現在の時刻も17:45分である。しかし、彼がいるのは放課後の教室などではなく、彼の幼馴染である小山内沙苗の部屋であった。
「でさ。こういうことを考えたんだ」
たった今考えて行き着いた自分がモテない理由を、幼馴染に告げる。それを告げられた小山内がどう思うかなど全く考えてなどいない。馬鹿野郎である。
しかし、幼い頃から高木と一緒に過ごしてきた小山内としては、このような考えの欠けた高木の発言には慣れっこであった。
「……ふーん。それで……?」
表面上では大したことがないように話の先を促す。高木に見えないように、こっそりと拳を握りしめた。彼女は本当は傷ついているのだが、それに気づける高木ではない。
「だからさ、俺たち少し距離をおかないか?沙苗だって、俺と付き合ってるって勘違いされるのは困るだろ?」
「……」
高木のあまりに身勝手な言葉に、小山内は1人困った顔をした。距離をおこうも何も、ほとんどの場合は彼の方から小山内に接触しているのである。今日も「明日の予習を写させてくれ!」と、高木が小山内の家にやってきたのだった。そうやって高木から接触してきてくれることが、小山内からしたら助かっていたりもするのだが。
それに、小山内は高木の事が好きだった。人間としても……恋愛的な意味でも。人付き合いが苦手な小山内にとって、自分から積極的に話しかけてくれる高木は、かけがえのない存在だ。たとえ高木が小山内と仲良くしている理由が、彼女の宿題を写すためであったり、彼女が作ったお菓子を食べるためであったとしても、小山内の気持ちは変わらない。
小山内は逡巡する。ここで距離を置くのに同意をしたとしても、高木はすぐに自分と距離を置くのに飽き、また自分に話しかけてくれるようになるだろう。
しかし、距離をおこうと告げられた事はかなりショックである。好きな人に「君と一緒にいたらモテないから、離れてくれ」と言われたのだ。嬉しい気持ちにはなれないだろう。小山内はくちびるを噛み締めた。
「……そんなのいや」
小さな声で呟いく。しかし、高木には聞こえなかったようだ。
「まあさ、そういう事だから。宿題写させてくれてありがとう!」
そう言って高木は立ち上がる。そもそも、この男には幼馴染が反対するという発想がない。
いつもの様に幼馴染の宿題を写し終えた彼は、適当に別れを言って自分の家に帰っていった。
※ ※ ※
翌日。小山内はいつも通りに朝早く目を覚ました。彼女はベッドから起き上がり顔を洗うと、机に座った。小山内は朝起きてからの1時間を予習の時間と決めている。高校に入学してから毎日やってきたおかげで、予習は現在の授業で扱っている範囲よりも、だいぶ進んでいた。
1時間後、普段なら隣の家の高木を起こしに行く時間となった。彼の両親は仕事で家を空けていることが多く、寝坊しがちな彼を起こすことは小山内の日課となっている。
いつもの様に机から立ち上がった小山内は、昨日の高木とのやり取りを思い出した。そっか、今日からしばらく必要ないんだ……。などと考え、少し寂しい気持ちになりながら呟く。
「陽仁、大丈夫かな……」
幼馴染が寝坊していないか、とても心配な小山内であった。
普段高木の家で食べていた朝食を、今日は自分の家で済ませて家を出る。
その際、無意識に自分の家の隣に建っている高木の家の方を見てしまう。
陽仁はもう起きただろうか?
「……何やってるんだろ、わたし」
12月の冷たい風が吹く中しばらく立ち尽くして高木の部屋を見ていた小山内は、そんな自分に溜息をついて学校へ向かった。
※ ※ ※
「お、沙苗ちゃんおっはよー! ……あれ?陽仁は?」
教室に着くと高木の親友から話しかけられた。大山智史、小山内が高木の次に仲良くしている同級生だ。明るくて女子からの人気も高かった大山は、最近彼女ができたらしい。実は高木が自分に彼女ができない理由を本気で悩み始めたのも、大山が付き合い始めたというのが大きな理由だったりする。
「……陽仁は、私と一緒にいたらモテないからしばらくは私と距離を置きたいんだって」
小山内は大山に昨日の出来事を説明した。事情を聞いた大山は呆れた様子で言う。
「うわぁ。あいつまたバカな事を言い出したな。……っていうか、沙苗ちゃんがいないと多分あいつ何もできないよ?」
後半は笑いながら言った大山だったが、小山内はそれを聞いて溜息をつくしかなかった。
ちなみに小山内と大山が会話をしているまさにその時、高木はちょうど目覚めたところだった。急いで学校まで向かっても遅刻確定な時間である。
「うおおお!? なんで起こしてくれなかったんださなえぇぇ!!」
そう叫びながら急いで着替える高木であった。
※ ※ ※
「どうしてだ? モテるどころか笑われる回数が多くなってきた気がする」
それから2日後。放課後の教室でひとり悶々と考え込む男子生徒が1人。高木陽仁である。
ここ2日間の高木は散々だった。昨日今日と連続で遅刻し朝食も食べ損ねている。授業中に教師に質問されたときも、隣の席の小山内が答えを教えてくれなかったので恥をかいてしまった。ここのところは昼食も1人で食べている。大山を誘ったら「彼女と食べるから!」と断られてしまった。放課後も小山内に宿題を手伝ってもらえないので、夜遅くまで起きて宿題をやらねばならない。
「それになんとなく……違和感を感じるというか」
少し考えこんでみたものの、結局違和感が何から生じているのかはわからなかった。
※ ※ ※
一方で小山内は高木の身を案じていた。目にクマもでき始め、肌も荒れている。あの様子じゃおそらくちゃんと食事も取れていないだろう。授業中寝ていて先生に怒られたりもしていた。
しかし、自分から高木に話しかければ、それは自分と距離を置きたがっている高木への迷惑になるかもしれない。高木に迷惑はかけたくなかった。
ふと考える。今まで、高木はすぐに飽きて自分に今まで通り話しかけてくれるようになるだろう、と信じていたが、ずっとこのままだったらどうしよう、と。
それは、とても耐えられない。小山内は少し泣きそうになった。
※ ※ ※
さらに翌日。今日も高木はぼっちだったわけだが、昨日感じていた違和感の正体に気づいた。小山内がほとんど1人でいるのだ。たまに気遣うように大山が小山内に話しかける姿は見かけるのだが、それ以外の人が話しかけている様子は滅多に見かけなかった。
高木は今まで小山内の交友関係を気にしたことなどなかった。漠然ではあるが、彼女にも友人がおり、友人と接していない暇な時間を使って自分に付き合ってくれているのだろうと思っていた。だが、もし彼女が他の交友関係を築く時間よりも自分と過ごす時間を優先していたのだとしたら……。
高木は恐ろしさを感じた。自分はあまりに幼馴染を振り回しすぎていたのではないか。そして今も自分の都合で距離を置いている……
このままでいいのだろうか?
※ ※ ※
体育の授業になり、高木は1人でボールを扱う小山内を見て呆然としていた。現在、女子は教師から自由にペアを組んでボールをパスし合うように指示されていた。今日出席している女子の人数は17人。ペアを組めば1人余ってしまう。そして余った女子というのが小山内だった。
高木は背筋に冷たい汗を感じながら、自分の抱いた疑問が確信に変わっていこうとしているのを感じていた。小山内は新しく交友関係を築く時間よりも、高木と過ごす時間を優先してしまっていたのだろう。優先するどころか、他に交友関係を築く時間は無いに等しかったのかもしれない。
小山内を見つめて、唇を噛む彼の肩を叩く手が1つ。
「……ようやく気づいたって顔だね」
話しかけてきた大山に高木は震える声で尋ねた。
「なあ、大山。沙苗はいつもああやって1人だったのか?」
大山は溜息をついてから高木の問いに答える。
「そうだね。でも別に陽仁のせいじゃないみたいだよ。沙苗ちゃんの声が小さくてむかつくとか、そういうことを言う女子も見かけたし」
しかし、それを聞いても納得していなそうな高木の様子を見て大山は付け加えた。
「ほら、沙苗ちゃんって可愛いから、色々嫉妬とかも受けるんだよ」
それでも高木は納得しない。
「……いや、でも、俺のせいだろ」
高木は後悔していた。自分はなんと勝手な人間であったのだろう、と。今まで散々沙苗に頼ってきて、俺は沙苗が困っていることにすら気づけなかった。
拳を握りしめて肩を落とす高木に、冗談めかして彼の親友は告げた。
「まあ、沙苗ちゃんから話を聞いた時、今回ばかりは俺も『陽仁の奴は随分自分勝手なお願いをしたなー』って思ったな」
「う……」と呻った高木に、親友は真面目な声音になって尋ねる。
「……沙苗ちゃん1人だけど、どうするの?」
高木には、「謝るなら今がチャンスだ」と親友が言っているように思えた。こういう大事な場面で友の背中を押せるような人間であるからこそ、大山は高木の親友になり得たのだろう。
「……謝ってくる」
「よろしい! いってきな」
高木の決意に大山は彼の背中を強く叩きながら返事をした。
大山に発破されて小山内の元に着いた高木は、小山内に声をかける。
「沙苗、少し話が――」
まさに口を開いた瞬間だった。
高木の目には凄い勢いで小山内の顔に飛んでくるボールが見えた。高木はとっさに小山内に抱きついて、その身で小山内をかばう。そしてボールは――
「――ふごっ」
高木の顔面に直撃した。一瞬で口の中に広がる鉄の味。それなりに痛むが、小山内に当たらなくてよかったと高木は本気で思った。しかし、鼻へのダメージは意外と大きかったのか、ボタボタと彼の鼻から地面に赤い雫が落ちる。
……あ、これ鼻血出てるわ。
ぼんやりと「鼻、痛え」と呑気に考えていた高木だが、
「きゃああ! ごめんなさい! 高木くん大丈夫?」
ボールを投げた女子が高木の様子に気づいて青ざめ、周囲が次第にざわつきだした。
「えええ!? 先生、高木が鼻血を出してます!」
先生に報告をする男子もいる。というか、大山である。先生に報告をしつつも、高木にボールを当てた女子へのフォローも忘れない。落ち込む彼女の肩を軽く叩いて慰めている。
「なにぃ? 大丈夫か高木! 誰か高木を保健室に連れて行ってやってくれ!」
高木負傷の報告を聞き、体育教師が叫んだ。そんな大袈裟な……と、それらの様子をぼんやり眺めていた高木だったが、
「わ、私が連れて行きます……!」
体育教師の指示に小山内が答えたことで、高木はまだ自分の腕の中に小山内がいることに気づいた。慌てて彼女から体を離す。
「ご、ごめっ――」
「そうか、それじゃあ頼んだ小山内!他の奴らも、授業再開するから元いた場所に戻れー」
咄嗟に謝ろうとした高木に被せる形で、体育教師が両手を叩いた。
高木の周りに集まっていたクラスメイト達が、元居た場所に戻ってボールのパスを再開しだす。
「行こう、陽仁」
小山内は他の生徒の邪魔にならないように体育館の端を歩きながら、高木の手を引いて保健室に向かって歩き始めた。
「さ、沙苗っ?手……」
言いかけて、高木は手を引く彼女の目に涙がたまっているのに気づく。そういえば彼女と手を繋ぐのはいつ以来だろう。涙を堪えた彼女と手を繋いだことが前にもあった様な気がする。ズキズキとした鼻の痛みが少し、強くなった気がした。
保健室に着くと、小山内は高木を保健室の先生に託して出て行こうとした。そういえば結局謝れていないことを思い出し、高木は小山内の背中に声をかける。
「沙苗! 俺、お前に話したいことがあるんだ。今夜家に行ってもいいか?」
彼女は顔だけ振り返って小さく頷いた。よかった、とりあえずは話してくれる気はあるらしい、などと思う高木。
「こら!保健室で大きな声を出さない」
と養護教諭に注意をされながら手当てを受ける高木を確認し、小山内は今度こそ保健室を出た。
※ ※ ※
――ピンポーン
学校が終わって帰宅した後、シャワーを浴びて着替えた高木は、小山内の家のインターホンを鳴らした。
「……」
ガチャリ
しばらくして中から小山内が出てくる。
「入って」
小山内は短く一言告げると、自分の部屋に向かって歩き始めた。心なしか彼女の顔が緊張しているようにも見えたが、高木はあれだけ酷いことをしても小山内が自分を迎え入れてくれた事に感謝した。
部屋に入った2人は、テーブルを挟んでそれぞれ腰を下ろす。しばしの沈黙。
「陽仁、私……」
小山内が意を決して口を開いたが、しかし、それに被せるように高木は言った。
「沙苗、ごめん! 今まで本当にすまなかった」
「え……?」
突然の謝罪に混乱する小山内。小山内は、今日の体育の時間中に陽仁が怪我をしたことについて話し合うものだと思っていた。しかしどうやら、高木はそのつもりではないようだ。
いまいち状況がわからず、しばし硬直する小山内。
一方で、高木は戸惑っている様に見える小山内に、自分の思いをどのように伝えるかを考えていた。これから自分が話すことは、小山内にちゃんと聞いてもらわなくてはならない。高木は小山内に伝わるように、丁寧に自分の思いを話すことにした。
「沙苗、俺さ……今日まで気づかなかったんだ。沙苗がクラスで1人ぼっちでいることに」
思い出しても悔しい。高木は1人で昼食をとる幼馴染の少女の姿を思い出しながら続けた。
「この何日か沙苗と接しないで生活したけどさ、俺はほんとダメダメだった。1人で起きられなかったし、宿題だって長く時間をかけないと終わらせられなかった。大山がいなかったら昼食だって1人だった。今までずっとお前に甘えてきてたんだなってわかったんだ」
情けない自分を恥じる。結局、高木は小山内がいないとほとんど何もできなかったのである。
「でも、今日体育の時間に1人でいる沙苗を見てさ、俺がずっとこんな甘えた態度だったせいで、沙苗の時間を奪ってしまっていたんだってことにも気づいたんだ」
悔しそうに話す高木の様子を見て、小山内は再び混乱していた。小山内としては、高木に自分の時間を奪われている感覚などなかった。むしろ幼馴染と過ごす時間は楽しい時間だと感じていた。
それなのに、高木はその時間を彼が自分に甘えるだけの時間だったと言う。私ばかりが陽仁との時間を大切に思っていて、陽仁は私との時間をそんなふうには思っていなかった?小山内は自身の目を高木の顔から逸らした。もしそうだったのだとしたら、それは悲しすぎるよ……。
小山内が泣きそうになっている間にも、高木の言葉は続く。
「俺、今までお前がくれる物って全部がずっと無償で続いていくもんだって思ってた。当たり前のものなんだって」
ここで一旦話をやめ、高木は深く息を吸う。そして幼馴染の目を覗き込みゆっくりと続けた。
「でも違うよな。沙苗には貰うだけ貰っていたくせに、俺はお前に何も与えられてないことに気がついた」
また一呼吸置いて続ける。
「 ……多分俺たちこのままじゃダメなんだ。俺はどうしても自分勝手な人間だから、もう沙苗と関わるのはやめたほうがいいんじゃないかって、そんな風にも考えた」
やめて!
小山内は心で叫んでいた。思わず両手の拳を強く握りしめる。これ以上今まで一緒に過ごした時間を、高木が自分を責めるような形で否定する姿は見たくなかった。陽仁は気づいていないけれど、私はあなたからたくさんのものをもらったんだよ。だから私は、あなたと離れたくない。離れたくない……!
小山内はくちびるを噛み締めた。溢れそうになる涙を必死に堪えるが堪えきれず涙が頬を伝っていく。絶交を切り出されると思うと、悲しさとか、寂しさとか、感情が溢れてきて目の前が急に暗くなった様に感じた。上半身を支えていることすらできずに、絨毯に手をついた小山内から嗚咽が漏れた。
「……そんなこと、ない」
小さな声を絞り出すが、高木の耳には届かなかった。泣いているせいで下を向いているのもあり、小山内の口が動いたことにさえ高木は気づかない。
高木は、前髪で隠れた幼馴染の顔から雫が落ちるのを見て、両手を強く握りしめた。やはり小山内は相当我慢してきたのだろう。高木は、自分がしてきた数々の傍若無人な行為を思い出して幼なじみは涙しているのだ、と考えていた。とんでもない誤解である。大山がいたらため息をついていることだろう。
高木は小山内が自分に怒って泣いている、と考えていたわけだが、ここで終わるわけにはいかなかった。謝るだけではなく、高木は今日彼女にお願いをしにきたのだ。握りしめていた拳を一旦開き、もう一度握り直す。
「……だけどさ、俺はやっぱり沙苗と離れたくないんだよ。今まで散々迷惑をかけて挙げ句の果てに泣かせてしまっているのに、それでもお前と一緒にいたいんだ」
自分から距離を置きたいなどと言っておいてよくもまあ、と自分でもあきれる。それでも、これが高木の本心だった。
「俺と接する時間が沙苗の負担になっているのはわかる。だけど、だけどもしよかったら……俺が変わるまで待っていてほしい。お前とずっと一緒にいたいから」
ゆっくり顔を上げて、目を瞬かせる小山内。
真剣な目で小山内の目を見つめる高木。
数秒の沈黙が流れた。
高木はこの言葉を相当な覚悟を決めて小山内に伝えた。怒られることだって覚悟しているし、一発、いや、数発叩かれたとしても、仕方ない。
しかし、伝えられた側の小山内は、高木が家に来てから3度目の混乱に見舞われていた。おそらく高木はここ数日の生活で、自分のためにいろいろ考えてくれたのだろう。
嬉しい。
自然と顔が綻ぶのを感じる。絶交を切り出されると思ったのも自分の早とちりだったようだ。
ではなぜ小山内が混乱しているのかというと、それは自分が告白されたような気がしたからである。
「沙苗……?」
流石に沈黙に耐えかねた高木が、不安そうな顔で小山内の顔を覗き込む。しばらく顔を見合わせる2人。
「……ふふっ」
少しして小山内は吹き出した。
高木と小山内は、並のカップルなんかよりもよっぽど一緒にいた時間が長いのだ。
今の高木の間抜け面を見れば、小山内にはこれが高木の通常運転から来た何気ない発言だと認識できる。
小山内は両目に溜まっていた涙を拭った。鼻を啜って、深く呼吸をする。うん、だいぶ落ち着いた。
もちろん小山内の答えは決まっている。彼女が高木と離れたいわけなどないのだ。
「わかった。それでいいよ」
そう言おうとして小山内は気づいた。結局こうやってまた高木に流されていたのでは、自分の言いたいことはいつまでも伝えられないじゃないか、と。私がこの数日でどのように感じていたのかを、ちゃんと陽仁に伝えたい。小山内は心を落ち着かせるためにゆっくりと息を吐いた。
「陽仁……。私もあなたに言いたいことがあるんだ……」
普段あまり開かない口を頑張って動かす。両手を握り締めて、逸らしそうになる自分の目を必死に高木の目に合わせた。これから伝えようとすることは自分の大好きな人に拒絶されるかもしれない。そう考えると、心臓を鷲掴みにされるような恐怖が胸の奥から湧き上がってきた。
やっぱりやめてしまおうか……
「ん? なんだ?」
しかし、幼馴染がちゃんと自分の話に耳を傾けようとしていることに気づいて、勇気付けられた。一度硬く決めてしまえば、あとは言いたいことを伝えるだけだ。再度ゆっくりと息を吐く。
「私は、陽仁と一緒に過ごした時間を負担だなんて思ったことないよ。私だってこれからも陽仁と一緒にいたいし、どんなに泣いたとしても離れたくない」
頭の中でまとまらない思いを、なんとか言葉にして伝える。小山内は胸の奥が熱くなるのを感じた。私はたぶん、今涙を流しながら幼馴染に気持ちを伝えている。
「……っ……だからっ私は、陽仁が私と距離を置くって言った時、辛かった。クラスで大山君しか話しかけてくれなくなって、『ああ、私の中で陽仁はこんなに大切な人だったんだ』って、そう思った。大事な人が1人でお昼ご飯食べてるのに、一緒に食べてあげることができないのも、具合悪そうなのに声をかけることができないのも、辛かった……」
小山内は目から雫をこぼしながらも、頑張って口元だけでも笑みを作り幼馴染を見つめる。別に高木を責めたいわけではないのだ。
そんな小山内の様子に、高木は自分達を遠くから眺めているような、そんな奇妙な感覚に陥っていた。なぜか少しボーッとして、重く感じる頭で考える。
……沙苗は俺が自分勝手なことばかり考えていた間にも、俺のことをちゃんと見て、心配してくれていたんだな……
すでにだいぶ自分のことを恥ずかしく思っていた高木だったが、小山内にもう一度頭を下げたくなった。
小山内は話を続ける。
「だから、陽仁が自分を変えてでも私と一緒にいたい、と言ってくれたことは嬉しかった」
何度も握りしめて少し痛む両手を、また握りしめる。
「……でも、私も変わらなきゃダメなんだよね。このまま陽仁や大山君に甘えていたら、私はいつまでも2人に心配をさせちゃう」
今まで黙って聞いていた高木だったが、思わず小山内の話を遮って否定した。勢いよく首を横に振る。
「いや!それは違うだろ。大山から事情は聞いたけど、それは俺が話しかけすぎたせいや、周りの女子からの嫉妬が……」
大人しくて心根の優しい幼馴染があれほどの仕打ちを受ける理由が、高木にはわからなかった。
しかし、小山内もはっきりと高木の言葉に首を振った。
「ううん。私は2人に甘えてた。私、喋るのが苦手だから、誰か話しかけてくれても会話を広げようって努力をあまりしてなかったと思う……。それで1人ぼっちになっていったのに、陽仁たちがいればそれでいいかなって。そんな風に考えてた。だから私も変わらなきゃダメなんだよ、ちゃんと」
いつのまにか嗚咽も止み、真剣な目で話す小山内を見て、高木は自分達を客観的に見ているような奇妙な感覚が強くなるのを感じていた。
なにか……自分は何か忘れているのではないか。
そんなもどかしさを感じながら、鼻の頭を擦る。
「……っ」
ボールが当たった場所が刺激され、鈍い痛みが鼻の奥を走った。
刹那――
――思い出す小学生の頃の記憶。殴り合い。ぶりっ子となじられる幼馴染。泣いている幼馴染に手をひかれながら帰る、幼い自分――
高木はゆっくりと瞼をとじた。
……ああ、どうしてこんな大事なことを忘れていたんだろう。俺はほんとバカだな。
「なあ、沙苗。小学の頃にさ、お前がケーキを学校に作ってきた時のこと覚えてるか?」
小山内がビクリと動きを止めた。目に見えて固まった幼馴染に、辛いことを思い出させるかもしれないと思いながらも、高木は続ける。
「上手にできたから、お前は友達に喜んで欲しくてケーキを学校に持ってきたんだよな。でも、お前の友達は、そんなお前のケーキを食べずに『ぶりっ子』って言葉をお前に浴びせかけた。男子たちなんか調子に乗ってお前のケーキを投げ始めてさ。誰だったか忘れたけど、そいつがお前の顔面にケーキを投げつけた時、俺、我慢できなくなって飛び出したんだ。いや、そんな状況になるまでなにしてたんだって話だけどさ。……その様子を見て、俺はようやく飛び出した。そのあとは殴り合いになって、先生の仲裁が入って、結局喧嘩両成敗ってことになったんだっけ」
高木は小山内の肩をゆっくりと掴んだ。
「……お前が口下手になったのって、その事件以降だろう」
小山内はもともと活発というわけでもなかったが、今よりは人と接することができる少女だった。高木は学校での幼馴染の変化にほとんど気づいていなかった。なぜなら自分と一緒にいるときはいつも通りの幼馴染だったから。
高木はくちびるを噛み締めた。小学生だったあの時、どうして自分はもっと早く助けに入れなかったのだろう。どうして最近まで、小山内が1人でいることに気づけなかったのだろう。
……いや、本当はわかってる。俺が自分のことしか見えていなかったから。……沙苗は今、どんなに悲しい表情を浮かべて俺の話を聞いているんだろう。
しかし、顔を上げた小山内の表情は、高木の心配に反して穏やかなものだった。
小山内が口を開く。
「陽仁、私はケーキをずたずたにされたから人と話せなくなったわけじゃないよ。陽仁が私を守ってくれた時、あなたは顔に拳を受けて鼻血を出した。ものすごい出血量だったけど、陽仁はずっと『沙苗に謝れ!』って怒ってくれていたよね。嬉しかった。でもそれ以上に怖かった。陽仁が私のせいで傷ついたことが、本当に悲しかった。そのとき、私は陽仁をすごく大事に思っていたんだって、気づいたの」
高木の顔を見上げて小山内は話を続ける。
「もしまた私がトラブルに巻き込まれたら、陽仁は自分が傷ついても私を助けようとするかもしれない。それなら、最初から私には陽仁だけいればいいって思った。私が人と深く関わらなければ、陽仁に迷惑をかけることもないだろうって思った。もちろん私の考えは間違っているんだと気づいてた。間違っててもいいやって思ってた」
一呼吸置いて続ける。
「もちろん陽仁のせいだとかそんなことを言うつもりはないよ? 私は本当に陽仁さえいればそれで幸せだったの」
小山内はゆっくりと目を瞑る。その表情は、不安を感じながらも覚悟を決めようとしているようだった。
「……でも、変わらなきゃダメだね。だって陽仁に心配かけたくないから」
少女は目をぎゅっと瞑ったまま続ける。
「だから私は頑張る。頑張って変わるから、だから、もし私が変われたら……わたしと……!」
必死な小山内を妙に冷静な気持ちで眺めながら、高木はとりあえず幼馴染が変わろうという決心をしたことまでは理解した。昔の話を持ち出したのは、彼女に無理をするなと伝えたかったからなのだが、どうやら自分と彼女の話はかなり食い違っていたようだ。今の彼はいろいろと話の整理ができていない。
……えっと、つまり沙苗は俺が傷ついたのが嫌だったのか?
今日ボールから庇った後に沙苗が泣きそうだったのも、もしかして同じ理由だったのだろうか、と高木は気づいた。でも、そういうのを恐れずにこれから頑張って人と関わって行こうと思っている、と。
「わ、わたしと……!」
さっきから目をぎゅっと瞑って「私と」を繰り返す幼馴染を他所にとりあえず彼が出した結論は、彼女を支えるというものだった。幼馴染に対しては即断即決、遠慮知らずの高木である。小山内が何か言葉を言いかけているのは分かるが、しばらくは同じ言葉で詰まり続けそうだ。悪いなと思いつつ早いうちに思った事をそのまま伝えることにした。
「わたしと、つ……つつ」
「……喋ってるとこ悪い。なあ、沙苗。お前が変わりたいって本気で思ってることはわかった。その……俺もできる限り、沙苗に友達ができるように頑張るよ。俺じゃ力不足なら智史にだって力を借りる。だから1人で抱え込まずに、俺にできることがあったらなんでも言って欲しいんだ。全力で力になるから」
これから大事な事を言おうとしていた小山内は、思いっきり話をぶった斬られた形になった。一瞬微妙な顔をしたものの、高木は鈍感なだけで悪気はない。それに応援してくれるというのは素直に嬉しい。
「ありがとう……」
小山内の返事を聞き、高木はとりあえず胸を撫で下ろした。幼馴染が自分の申し出を受け入れてくれたことが嬉しい。
高木はため息をついて組んでいた足を投げ出した。とても晴れやかな顔をして、そのまま伸びをする。なんなら鼻歌でも歌い出しそうな様子である。
あとは彼女がさっきまで言いかけていた言葉を待つだけである。大方、2人で買い物に行きたいなどと言ったお願いだろう、と予想をつける。これまで小山内が同じ言葉で詰まり続けるときというのは、決まって高木を遊びに誘うときだったからだ。買い物にはしょっちゅう付き合っているしお安い御用だ、などと高木は考えていた。
……彼が先ほどの決意通りに変われる日は、遠そうである。
それから数分の沈黙が続いた。高木が会話の流れをぶった斬ったせいで、小山内にもう一度覚悟を決める時間が必要となったためである。小山内は今日何度目になるかわからない深呼吸をした。
ようやく口を開く。
「陽仁……。私は陽仁が本当は優しい人だって知ってる。今日、私をボールから庇ってくれた時も、嬉しかったし、すごく心配した」
突然褒められて高木は狼狽した。
「お、おい。急に褒めたりしてどうしたんだよ?」
軽く笑いながら小山内のほうを見た高木は、今までにないほどに真剣な顔をしている幼馴染に気づいて慌てて向き直る。これはどうやら、沙苗の買い物に付き合うとかっていう雰囲気じゃなさそうだ。もっと真剣な、沙苗にとって伝えるのに覚悟のいる話な気がする。
真剣な表情を崩さないまま、小山内は続けた。
「はっ……陽仁の彼女になるの……私じゃ、ダメかな……?」
しばらく見つめ合う2人。
ほう。沙苗が俺の彼女とな。
……え?
幼馴染が言った言葉を理解した瞬間、高木は目玉が飛び出るんじゃないか、と言うほどに目を見開いた。幼馴染に今言われたことを反芻してから、ようやく、
「……ん?」
と一言発する。この男、本当に幼馴染からの好意に気づいていなかったのである。目をパチクリして困惑する高木に、真っ赤な顔をして小山内は続けた。
「小学生のケーキ事件で陽仁が私のために怒ってくれた時から、ずっと陽仁が好きです。ずっと好きだったけど、伝えたら陽仁がいなくなるような気がして言えなかった」
「え、あ、いや……。お、お前の傍からいなくなるなんてこと、ないけどさ」
高木は、驚いてのけぞっていた体を元の位置に戻した。小山内と高木は幼馴染同士である。高校生になってもお互いの部屋に行き来する関係の幼馴染というのは、当然それなりに近しい関係にいるわけであり、告白に失敗すれば今まで通りではいられなくなる。関係の消滅とまでは行かなくても、気まずくなって行き来が少なくなるのは間違いない。それでも相当な勇気を出して小山内が告白してくれたことに気づいた高木は、自分の頬が急速に熱を帯びるのを感じた。
高木は真っ赤な顔をして言葉を続ける小山内の口から、もう目を離せなかった。
「陽仁、好きです。大好きです。私と付き合ってください」
目尻に涙をためながら、それでもしっかりと高木の目を見る小山内。辛かったのだ。高木がモテようとすることも、彼女を女性として見ていなかったことも。高木はそんな彼女を見て、つくづく自分はカッコ悪いなと思った。幼馴染がここまでしてくれるまで、彼女の気持ちに気づかなかったのだから。そして多分、俺もお前を……
「沙苗、俺は……」
まったく、俺はお前を泣かせてばかりだな。これからはなるべく笑顔にできるように頑張るから。
※ ※ ※
「あなたのことが好きです。付き合ってください!」
とある高校の教室で、ある男子生徒が女子生徒に告白されている。時刻は17:45、放課後である。告白された少年は申し訳なさそうに少女に告げた。
「ごめん……。君の気持ちは嬉しいけど、その気持ちには応えられない」
少女はその言葉を告げられて、うつむく。それからしばらくして、諦めたような、しかしどこかがスッキリしたような、清々しい笑顔を彼に向けた。
「……うん。そうだよね。あなたは小山内さんと付き合っているんだものね。ごめんなさい。返事をくれただけでも感謝してる」
そうして1人の少女の恋は終わる。告白された男子生徒は彼女に一言、
「ごめんな」
そう伝えて教室の外に出て、脱靴場に向かった。脱靴場では彼の恋人が待っている。
「ごめん、待たせたな」
「ううん。大丈夫」
脱靴場についた高木は彼女と短いやり取りをしたあと、2人並んで正門をくぐった。付き合い始めた彼らが今までと何か違うことをするようになったかと問われると、大きな変化はないかもしれない。しかし、2人の学校での様子は少し変わった。
少年は今までよりも人を思いやることができるようになり、自分のことは自分でこなせるようになった。
少女には友人が増えて、学校での口数も増えた。
楽しそうに下校する、そんな2人を遠くから見守る少年。大山智史である。2人をずっと陰ながら応援していた彼の耳には少女の言葉が聞こえていた。
「陽仁、いつもありがとう。私、今すっごく幸せ……!」
それを聞いて微笑んだ大山は、空を見上げてつぶやいた。
「ほんと、末長く爆発しろって感じだな。さて、俺もそろそろ行くか!」
大山も自分の彼女と待ち合わせている教室へ向かって歩き始めた。2人の幸せがいつまでも続くことを祈りながら……
最後まで読んでいただきありがとうございました。ここをこうすればよくなるんじゃないか?自分はこう思った、などの感想を寄せてくださると、筆者が喜びます。
この話に出てくるキャラクターを気に入っていただけた方は、大山が主人公の物語『気になっている女の子が学校に来なくなったので、勢いで告白をしてみた話』も読んでみていただけると嬉しいです。今回のお話の2ヶ月ほど前という設定です。