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ビビッド

作者: 三笠佳

数年前に初めて書いた私小説です。USBから発掘しました(以前このサイトに投稿していた時期もあります)。

で、改めて見直すと下手くそな文章だなあと(笑)

自分なりに「記憶」というものについて考えて書いた小説です。

「たとえ記憶が薄らいでも、体験したことやその時の感情が人間の中から消えてなくなるわけではない」がテーマです。

 微風に攫われた花弁が不規則に揺れながら、視界を横切る。淡い桃色のうらとおもてが交互に顔を覗かせる。

 大阪市内を流れる大川沿いの道には等間隔で桜が植えられている。僕は色や形からそれが何の品種であるのかを判断できるほど桜に詳しくはないけれど、全ての木が一斉に花を咲き揃えている様子から、ここにあるものはソメイヨシノだろうと見当を立てていた。

 「花見に行こう」と母が言った。今日はそれから一番近い土曜日。何も予定は無いので、二人で出かけることとなった。ずっと電車に揺られ続けるよりも、少し歩きたい気分だったから、JR京橋駅で電車を降り、徒歩で京阪電車の天満橋駅へ向かった。天満橋駅周辺に桜が咲き揃っている場所があると母が言った。僕は道を覚えたり、地図を見て歩くことはあまり得意じゃないので、頭に乗せた濃灰色のハットがたまに吹く強めの風に飛ばされないよう手で押さえながら、母の隣に付いて歩くだけだ。一人なら好き勝手に歩いた揚げ句、迷子になったって構わないのだけれど、やはり同行者がいる時は少しでも確実性の高い方法を取るのが良い。

 ところで僕の方向音痴ぶりは、これまで幾度となく自分自身を窮地に追いやってきた。例えば高校生の頃には、英語検定の受験会場に指定されたO高校へ行かなければならない時、高校の最寄駅を降りた途端どちらへ向かって歩けばいいのか、受験票に記載している簡略化された地図をいくら見てもさっぱりわからなくなってしまった。手に持った受験票の向きを横に向けたりひっくり返したりして、目の前の道に地図を照らし合わせようと何度試みても、上手くいかない。そのうち、たまたま近くをO高校の制服を着た男子生徒が歩いて行くのが見えた。その後に付いて行こうと閃いた。これならば確実に目的地にたどり着けるはずだと、安心しきって歩いて行ったが、これがいけなかった。しばらく歩いた後、男子生徒が入っていったのは学校ではなく飲食店だった。どうして目の前を歩く人物が昼飯を食べに行こうとしている可能性くらい想像できなかったのだろう。とはいえ自宅と学校の行き帰りを繰り返すだけの高校生活しか知らない当時の自分にとっては、それも当然と言えば当然かもしれない。全国チェーンの飲食店の高く聳え立つ看板は呆然とする僕を気の毒そうに見下ろしているみたいに思えた。


 大阪城公園の中を通り抜けるつもりだったが、ちょうどその日は大阪城ホールでアイドルグループのコンサートがあり、その影響でなんとも道が混んでいた。歩きにくそうな気がして、急遽行き方を変えることになった。目的地さえはっきりしていれば、行き方はいくらでも変えられる。

 母の若干曖昧な記憶を辿りながら、歩く。大阪市内で育った母にとってこの辺りは学生時代から現在にかけて歩き尽した土地でありながら、処処で「たぶんこっちで合ってると思うねんけど……」と繰り返し口にした。実際に見当違いな道へ入っていくことはなかったけれど、母の姿を見ながら記憶というものの不安定さを再認識せずにはいられなかった。

 大切なことをずっと覚えておきたいと願っても、記憶を完全なまま保存しておくことは難しい。見て、聞いて、感じた直後から少しずつ、けれど確実に失われていく。そのくせどうでもいい出来事の切れ端みたいなものほど保存状態は良いもので、普段はすっかり忘れていても些細なきっかけで鮮明に蘇ってくる。

 今まさに、ツイン21という二つ並んだ高層の商業ビルの近くを通った時に思い出したことだ。小学六年生の頃、ツイン21のギャラリー等の周辺施設を利用して開催されるダンスイベントに学年全員で参加し、練習に練習を重ねて体に覚えこませたソーラン節を張り切って踊った時のことだ。

 イベント当日、夕方の休憩時間中に子供たちは皆、観覧に来ていた家族とご飯を食べに行った。僕も母と一緒にドリンクバーのあるファミレスに入った。そこで何を食べたかは全く覚えていないけれど、冷蔵庫には飲み物と言えばお茶か水しか入っていない家で育った僕はジュースがたくさん飲めることが嬉しくて、先のことなど考えず滅多矢鱈にジュースを飲んだ。お腹は水風船みたくぱんぱんになっていた。するとプログラムの再開後、たちまち強烈な尿意をもよおした。もはや踊りに集中などできなかった。「ソーラン! ソーラン!」と掛け声を上げながらも、頭の中は「おしっこに行きたい」という考えに占拠されている。呼吸が乱れて変な汗が出た。

 絶対におしっこは漏らしたくなかった。学年全員がいる場所でソーラン節を踊りながらおもらしなどしたら次の日には酷い渾名が付けられるに決まっている。それに当時の僕は思春期の男子らしくクラスに好きな女の子がいた。少し勝ち気でイニシアチブを握りたがるタイプの女の子だった。尿意は容赦なく僕を苦しめるが、好きな女の子の前だ、やはりおもらしなどできるはずはなかった。

 少し話は逸れるけれど、僕の女性の好みは昔から徹底して「頼りになる人」ばかりだ。一般的に男が好みそうな、いわゆる守ってあげたくなるような女性というのは、ちっとも好みではない。困っている人がいれば、自分にできる範囲で助けてやろうという気は起こすけれど、それがきっかけで女性に好意を抱くようなこともない。心の奥底で面倒くささを覚えるだけだ。この理由を紐解いて行くと、要するに僕には「自分が男だ」という感覚が欠如しているような、そんな気がする。これは女になりたいとかそういう意味ではなくて、つまり大人に成りきれていないのだ。実際、性別の差がないこどものような精神を今でも引きずり続けている。これまでの人生の中で、女性を守ることより反対に守られることが多かった。学校では担任が世話焼きな女性であることが多かった、長期間続けたアルバイト先は、自分以外全員女性ということもあった、そして母の存在。ずっと女性に庇護されてきたような気がする、そしてそんな環境に居心地の良さを感じる自分がいた……。

 大阪城ホール内でのフィナーレは終わりに近づく。ほっとする気持ちでかえって漏らしてしまいそうになる。ところがイベントに参加している別の団体の代表者であるおじさんがマイクに向かって「お前たち、まだまだ踊れるだろ」と叫びみんなを煽り始める。ただでさえ顔のいかついおじさんだったこともあり、僕はその言葉を恐怖の大王の残酷な言葉を聞くような気分で聞いた、僕はもう踊りたくなどなかった。早くトイレに行きたかった。それなのに会場のあちらこちらから熱っぽい雄叫びのようなものが上がり出す。さらなる熱気に包まれた会場はまた踊りだした……。どうしてたった一人の掛け声で皆が踊りだすのか、その意味がさっぱりわからなかった。

 それにしても先生に事情を話してトイレにいけば良かったものを、それすら言い出せなかったのはどうしてだろう。たぶん、言えば怒られるような気がして、怖かったんだ。どうやら僕は昔から、人の顔色ばかり窺って怒られないようにいい子でいるという使命みたいなものを自分に課して、必死に振る舞ってきたんだなあ、としみじみと感じる。ところで、いい子とはどんな子か。もちろんそれは大人に従う子供だろう。

 ところであの時、本当にみんなは何の疑問も不満も無く、ただ踊りたくて踊っていたんだろうか、誰もが同じ熱っぽさを共有していたんだろうか? 結局おしっこを漏らすことはなかったけれど、あの時の絶望感はどこかに消えてしまったわけではなくて、まだ僕の中に残っていたらしい……。


 もともとどこかにゆっくり腰をおろして花を見る気はなかったので、天満橋駅前から大川沿いの道へ下り、桜並木を見て歩くことにした。春の陽を浴び逞しく枝を伸ばして立ち並ぶ桜は、いかにも人工的に管理された自然の景観という感じがした。それでも僕はその花を奇麗だと思った。恣意的な誰かの管理下にあろうがなかろうが、一つ一つの木に注目すれば、そこにはたしかに多様な顔がある。各々に宿る生命力のようなものを感じられて、いつまでも眺めていられる気がする。

 空は澄んだ青が広がっていて散歩日和と言える、人がごった返していること以外にとりわけ不満はなかった。普段外出をしないためにレジャー情報に疎い僕は、その道の混み具合から、どうやらこの辺りはかなり有名な花見のスポットらしいと、今更ながら気がついた。いろんな人がいる。日本語以外の言葉も多く耳に入ってくるし、実際に容姿から海外の観光客と分かる人も見かけた。あの国の人たちはみんな似たような眼鏡をかけているな、とか思った。それでもたぶん圧倒的に日本人が多いのだろうけれど。

 以前読んだとある随筆には「どんな狂態を演じても、どんな無軌道に振舞っても、この桜の前ならばあながち悪くはない。」とかいうことが書いてあった。読んだ当初は、なるほどと思い、桜の新たな楽しみ方を発見したような気にもなったけれど、やはりごたごたと人の多い場所は気疲れしてしまう。ちなみにその随筆は祇園の枝垂れ桜について書かれたものであって、川沿いの桜並木についての記述ではないし、今目の前にはっきりと「狂態を演じて」いる人なんかがいるわけでもないから参考にすること自体無意味なのかもしれない。何かを感じて考えるのは自分の力でやればいい、そこに本なんて本当は必要ない。結局僕は、こういう猥雑なところがどうしても好きになれない。それならそれで好いはずだ、仕方のないことなんだから。

 道に沿ってたくさん建てられた屋台のテントから脂っぽい美味そうな匂いが漂ってくる。催眠術にかかったみたいに次々に人がテントの方へ吸い寄せられて行き、から揚げとかフランクフルトなんかを買っていく姿を、もう何度も見かけていた。催眠は伝播するらしい、僕もそんな人たちを見ているだけで口寂しくなるような錯覚に陥った。だけどそんなはずはなかった。直前に天満橋駅のスターバックスでキャラメルフラペチーノを買って、今まさにそれを飲んでいる。甘くて、おいしい。キャラメルソースのかかった生クリームがねったりと口の中に甘味を押し広げていく。手に持ったカップは半分ほど空になっている。母は横でホワイトモカを飲んでいて、屋台の食べ物には興味を示していないように見えた。母は肉をほとんど食べられず、油ものも好まないので本当に興味は無いのだと思う。肉を食べられなくなったきっかけは、幼少期に祖母の不味い肉料理をさんざん食べさせられたせいだと言う。具体的にどのように不味かったのか、詳細こそ忘れたものの、不快だったという記憶が、今でも強烈に頭の中に残っているそうだ。


「来れてよかったなあ」

 それまで続けていた他愛のない会話が一段落したところで、右側を歩く母が言った。去年の春に突発性の病気で右耳の聴力を完全に失った母は、会話を成り立たせるために、一緒に出かける時は必ず右側を歩くようになった。

「うん」

 少し大きな声で、短く答えた。それ以上は答えずに、どこまでも続いていそうな並木道の、ずっと先の方に目を遣る。果てまでは見えなくて、本当にどこまでも続いているような気がした。もしかしたら、そう信じたいだけなのかもしれない。

 母と出かける機会はここ一年ほどで増えたけれど、突然心を入れ替えて親孝行に励みだしたというわけではない。パートの事務員として働く母の休みに合わせて、僕が時間を取れるようになったからだ。僕は二年前に大学を卒業したにもかかわらず、就職はしていない。フリーターとして、コンビニで週五日勤務している。土日はほぼ毎週勤務していたが、土曜日は仕事が昼までの日が多く、雇い主の気まぐれで今日みたいに時々休みをもらえることがある。

 今でこそ気楽なフリーターの身に成り果てたけれど、母子家庭ということもあり、大学生の頃は学校へ通う時間以外はほとんどアルバイトをして過ごした。母とどこかへ出かけることなどほとんどなかった。僕が三歳の頃に亡くなった父の遺族年金は僕が十八歳を迎えると支給は打ち切られたし、もともと家は決して裕福とは言えず、それは仕方のないことだった。

 複数のアルバイトを掛け持ちして稼いだ給料のほとんどを家に入れるようにしていたので、自由に使える時間も金もあまり無く、友人と遊びに出かけることも少なかった。ごく稀に出かけても金を出させることが圧倒的に多かった。そんな生活を続けるうちに友人に金を支払ってもらったり、友人から少額とはいえ借金をすることに抵抗が無くなり、やがてそういったことがたった一つの特技じみたものとなった。

 大学にいたころ同じゼミの学生からは「人に頼って生きることにかけて天才的な才能がある」と言われた。そうなのかもしれないし、そうじゃないにしても、結局自分は人に頼らなければ生きられない甘ったれた人間なんだと思う。大学生の間、四年近く続けたアルバイトでも頻繁にミスを繰り返して、同僚の手を煩わせ続けた。集中力がなく、突発的な出来事に対して臨機応変な対応もできず、自分には社会に適応する能力がまるっきり欠けているような気がする。そんなヘマばかりやらかす自分がいつかどこかの企業に就職し働く姿を想像することはできなかった。実際に就職活動は失敗し、今はフリーターとして文字通り自由に生きている。学校へ通う必要がなくなったこと以外、学生の頃とほとんど変わらない生活をしていて、自立しているとは到底言えそうもない。ただ、強がりではなく無事に就職を果たした同級生達を羨む気持ちは無く、自分はこれで良かったのだという思いもある。脱落というものは、そうなってみると案外気楽な面もあって、定職に就かずに週休二日のアルバイト生活をしていると当然経済的には苦しいはずなのだけれど、なぜか今よりもう少し稼ぎの多かった学生時代に比べて気持ちがはるかに明るい。こんな生活をいつまでも続けられるはずがないことは十分に承知しているつもりだし、もちろん明るい気持ちなどそのうち持てなくなるだろう。だけど早急に仕事を探そうという気持ちは起こってこない。たった数年間の働き詰めの生活を経験した程度で「働くことに疲れた」のかもしれない。だとしたらやっぱり甘ったれなのだろう。

 今の生活サイクルは気に入っているけれど、この生活が突然崩れてもっと過酷な生活が始まる可能性はある。もしも今の生活がもっと酷い生活への入り口であったとしても、いつかこの時代を振り返る日が来た時、僕はやはり「いい時代だった」と思うのかもしれない。細々としたことの一切を忘れ去っても、今の生活に染み渡っている吞気さだけはずっと覚えているような、そんな気がする。


「写真撮らんでええの?」

 母が訊ねてきた時、僕はほとんど何も話さずに、桜の花をじいっと見ていた。僕はなんとなくこの景色が気に入った。だから、目の前に広がる景色を――花も人もその背後に見える碧落も――全てを目に焼き付けるように、見ていた。この景色を少しも色褪せないままに、確実な記憶として残しておくことはできないだろうか。

 お尻のポケットに入れてあるスマホには、非常に性能の良いカメラ機能が付いている。けれど、

「うん。なんかな、あんまり写真は撮りたくないねん」

「なんで?」

 母が意外そうな顔をして訊いてくる。僕が出かけ先では何にでもレンズを向けたがる癖があったことを知っているからだ。実際、散歩に行けば夏の緑色の銀杏でさえ写真に収めてきたことがあるし、去年の冬に母と一緒にUSJへ行った時にはスマホの電池が無くなるまで写真や動画を撮り続けた。


 母はそれまで一度もUSJへ行ったことがなく、テレビでCMを見かける度に行ってみたいと言っていた。お金が無いのだからなるべく出費は控えるべきだと思ったけれど、母は気にしなくていいと言った。これは母の生活態度全てに統一して表れていることで、お金がないからと言って徹底的に切り詰めるようなことはしない。我慢してばかりいると気持ちまで貧乏臭くなると普段からよく主張した。それが母の気位だった。ほとんど押し切られる形となったが、結果から言えば行って良かったと思っている。母も終始子供みたいに喜んでいた。

 エントランスの地球を模った巨大なモニュメントを目にすると、電車の中で感じていた出費に対する後ろめたさはすっかり消え去った。外国風の建物が立ち並び、きぐるみのキャラクターが歩き回るテーマパーク特有の非日常な雰囲気にはしゃいで、写真を撮りまくった。入場した時点ですでに十五時を回っていたので、一つ目のアトラクションに二時間以上も並んで乗った後は日が傾き始めていた。それからさらに二つのアトラクションを堪能するともうアトラクションの営業時間は終了間際となり、パレードの開始時刻が迫っていた。時間の流れを速く感じた。

 パレードを見ることも最初から予定に入れていたので、園内のことに詳しくないわりに比較的フロートが良く見えそうなエントランスすぐのキャノピーに近い位置を確保した。しばらくして派手な音楽と共にカラフルな電飾を施されたフロートが通路をゆっくりと進んで来た。目の前を流れる煌びやかなフロートやパフォーマーにカメラ――と言っても大抵はスマホだ――を向ける人は多い。僕も同様だった。

 目の前に溢れる光の粒は白い吐息を照らす。本当なら一瞬で過ぎ去っていくはずの景色を永遠に残していたくて、熱心にスマホの画面を確認しながら動画を撮り続けた。後から動画を見返すことを考えて、一つのフロートが前を通り過ぎる度に一旦撮影を止めて、また新しく向かってくるフロートへ向けてレンズを向ける。そんな作業を繰り返しているうち、凝視していた画面が突如暗転した。電池切れだった。仕方なくスマホをポケットにしまい込んだ。他にカメラは持っていなかったので、それからはただ通り過ぎていくものを見つめるだけだった。

 家に帰ってから、写真や動画の写り具合を確かめた。僕はたくさん写真を撮りたがるくせに、カメラ機能を上手く使いこなせていないので、暗くなってから撮った写真の半分以上は真っ黒で何も映ってないようなものが多く、ぎょっとすると同時になんだか情けない気分になった。それだけならまだいいくらいで、まともに写っている写真や動画を幾ら見返してもその風景の詳細をはっきりと思い出せないことに驚いた。というのもスマホの画面が映すものを見ても「こんなんあったっけ?」と感じることばかりなのだ。スマホを持たずに見ていた景色の方がはるかに思い出しやすかった。あの時、僕は本当に目の前の景色を楽しんでいたんだろうか? サービス精神旺盛なパフォーマーがすぐ傍まで近づいて来た時も、僕が見ていたのはスマホの画面だった。華やかなものが目の前を通り過ぎても、それがフレーム内に収まるかどうかだけを絶えず気にしていた。何を映しているのか、そのことにはほとんど注意を払わなかった。だから、何も覚えていないのだ……。こんなことになるのなら、レンズ越しにではなくもっと自分の目で見ておけば良かったと悔やんだ。


 そんなことを思い出しながら、母の質問に答えた。

「写真撮ってたら“写真を撮ったこと”ばっかり覚えてて、景色そのものがあんまり記憶に残らん気がすんねん……」

「……ふうん」

 母はそう言ったきり、写真を撮ることを勧めてこなかった。

 カメラを使わず自分の目で見て記憶に留めようとしたところで、そのうち記憶は薄らいでいくだろう。あるいは完全に消えてしまう場合だってある。記憶とはそういうものだ。実際、僕は幼かったとはいえ死んだ父の顔をロクに覚えていない。もちろん父が死んだ時、僕はまだ幼かったので何も覚えていなくても仕方がないと言われればそうかもしれないけれど、それでも父に風呂に入れてもらった時に浴室で滑って転んで頭を打ったこととか、当時住んでいたマンションの隣室に住んでいた女性からキャンディーをもらってそれを嬉しそうに父と母に報告したことなんかは覚えている。だけどその時父がどんな顔をしていたのかは全然覚えていない。父の顔を知らない訳ではないけれど、思い出そうとして浮かんでくるのは写真に写った父の顔だ。つまり僕が理解している父の顔は、僕の記憶の中から引っ張り出して来たものではなくて、写真を見たことで新しく作り上げられたものに過ぎない。こういうのは覚えているとは言わないと思う。だとしたら写真が残っていたからこそ僕は父の顔を知れたわけで、そういうことからもカメラで何かを記録として残すことの重要性も分かっているつもりだけれど……。

 記憶が色褪せることは避けられない。目の前にある鮮やかな薄桃色、この景色もたぶんそのうち忘れてしまう。だけど僕はカメラを使いたくなかった。目の前の綺麗なものに、レンズ越しにではなく、直接触れていたかった。


 花弁が舞う。揺れて、落ちる。どれ一つとして同じ揺れ方をしない。数えるのをあっさりと諦められるほどに多くの数の花弁が散っているのに、禿げた木はどこにも見当たらない。桜の木は散った花弁のことなど気にも留めていないように見えた。とても美しい。こんなに美しい景色を人は忘れてしまえるものだろうか。


 気が付くと手に持った飲み物のカップは空になっていた。辺りを見回してゴミ箱を探す。少し先の方に橙色のフェンスで囲っただけの簡易ゴミ置き場らしい場所を見つけた。このゴミ置き場は無粋だが、現実的な手段だ。フェンスは僕の背丈以上の高さがあり、ゴミを入れるには投げ込むしかなさそうだ。ゴミ置き場の近くに来たとき、腕を伸ばして手に持ったドリンクカップを投げた。ところが投げたカップは高さが足りず、フェンスに跳ね返って足もとに落っこちた。

「この距離で入らんか」

 母が笑いながら言った。自分でも滑稽に思い、笑う。一方内心ではこんなつまらない失敗にさえほんの少し憂鬱を覚える。僕は本当に何をやってもうまくいかないな、と。日常のささいな失敗の記憶は消えても、それに伴う陰鬱な感情は確実に蓄積され、それはじわじわと神経を痛めつけていくのかもしれない……。

 カップを拾い上げてまた、投げた。今度はうまくフェンスを越えて、内側へ落ちた。


 すぐ傍を流れる川の水が比較的綺麗なものなのかどうか、僕にはよくわからない。しかし自宅の近くを流れる一級河川のN川はヘドロ臭くて近くを通る度に胸がむかつくことと比べれば、遙かに清潔に思えた。だからこそ、水面を波立てながら進む遊覧船を見て、一度くらいはあれに乗ってみたいと思えるのだろう。

「昔、あれ乗ったことあるわ」

 母が横を通り過ぎる遊覧船を眺めながら、言った。

「いつ?」

「短大出て働き始めた頃やったかなあ。お父ちゃんと一緒に乗ってん」

 母のお父ちゃん、つまり僕にとっては祖父に当たる。祖父は僕が生まれる前に亡くなったので会ったことなど一度もない。母や叔母たちは幼い頃の僕の顔が祖父にそっくりだったと言う。そう言われて祖父に対して興味が湧かないこともないけれど、祖父の顔が写った写真は、何十年先の未来の自画像みたいなものかもしれないと思うとやはり嫌なもので、一度も祖父の写真を見たことがない。そのくせ祖父は小説家を目指していたらしく遺品整理中に書きかけの原稿が出てきた話とか、一族が入るための立派な墓を購入した際に祖父が「ええ墓や。俺が一番に入るからな」と冗談めかして言いふらしていたら、本当に墓を購入して真っ先に死んだという哀愁漂う笑い話などをたくさん聞いてきたせいで、祖父のことをよく知った人物のようにも感じている。祖父を覚えている人たちの記憶が、僕にも確実に伝わっている。

「その時はお父ちゃんの分のお金も出したげてん。親孝行しようって思って。それに比べて……なあ」

 最後の言葉は苦笑交じりで、僕の顔を見ながら言った。確かに僕はかなり親不孝な生活をしている。そのことに後ろめたさもある。

「うん、ごめんなあ」

「嘘やで。気にせんでええから」

 最後は冗談っぽく誤魔化したけれど、母の本音がどこにあるのか、僕には判別のしようもない。いつかこのやり取りも本当の意味で笑い話にできる日が来るのだろうか。少しだけ陰気な気分になって、頭が痛くなった。

   

 しばらく歩くとベンチに腰かけてスマホのレンズを自分へ向けている着物姿の女性を見かけた。もう一方の手に持った缶チューハイを顔に近づけて、唇を少しだけ突き出すような格好で体を止めている。

 携帯電話の普及率が高いということは、ほとんどの人がカメラを持ち歩いているのと変わらない。とても撮りやすい時代になった。これはきっと誰かにとっては良いことのはずだ。それを僕が悪く言う資格なんかないはずだ。それでも……。

 みんなどこへ行ってもカメラのシャッターを切ることばかり考えているみたいにも見えてしまう。……自分だってそうだったんだから。

 あの女性は目の前の景色を本当に楽しんでいるんだろうか? その姿に、どこか白けたものを感じてしまう。僕は傲慢なんだろうか。

「自撮りしてる人おるな」

 僕は母に向かってそう言いながら、なんだか恥ずかしくなって笑った。


下手くそなりに、敬愛する安岡章太郎先生の文体を真似ようとした形跡を自分で見つけて、過去の自分自身を少し愛らしく感じました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 突然すいません。最近、自分も少し記憶について考えるようになって、ちょっと書き込んでしまいました。 以前頂いた感想やメッセージでも記憶について書かれてあったのを思い出して、文章を書いている人…
2019/08/23 02:55 退会済み
管理
[一言] 『僕は本当に何をやってもうまくいかないな、と。日常のささいな失敗の記憶は消えても、それに伴う陰鬱な感情は確実に蓄積され、それはじわじわと神経を痛めつけていくのかもしれない……。』 今の自分を…
2019/02/10 22:20 退会済み
管理
[一言] 会社の休憩時間は車の中で過ごしているのですが、作品を読んでいて思わず笑ってしまいました。楽しませていただきました。
2018/12/10 23:03 退会済み
管理
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