死
二人の姿が見えなくなり、正面に向き直る。
隙だらけのカナタに斬りかかることなく、おっさんは動かず待っていた。
「別れは済んだみたいだな」
「ああ。態々待っていてくれるなんて優しいな。優しさついでに見逃してくれないか」
「悪いがそれはできない相談だ。お前さんを逃がしたら旦那に怒られるんでね」
カナタの嘘に気づいた二人が、それでも逃げてくれて良かった。これで安心して戦える。策があるなんて言ったけど、嘘だ。何も考えちゃいない。はっきり言って、奇跡でも起こらない限り勝てる気がしない。
俺の人生ここで終わりかな。死にたくないが、仲間を守って死ぬのも悪くない。俺が死んだら、二人は悲しむだろうか? だぶん悲しんでくれるだろう。でも、俺のせいで悲しい顔をさせたくない。
うん、これは死ねないなあ。彼女たちのためにも、生きて帰らなければいけない。
生きるのがどんなに絶望的状況でも、最後まで生きて帰るために足掻こう。
おっさんが刀を鞘にしまい、居合の構えをとる。
カナタは剣を上段に構える。おっさんの刀よりカナタの剣の方が長く、そのリーチの差を活かし、刀の間合いに入る前に最速で斬り下ろすしかない。
この一撃に全てをかける。遺産の力を最大限に使い、限界を超える。肉が裂け、骨が砕け、血が噴き出そうが構いはしない。これで決めなければ死ぬのだから。
そこまでしても、勝てる確率は僅かにしかないだろう。それでも、一縷の望みに賭け、全てを出しきる。
おっさんとカナタとの間の空気が張り詰める。
おっさんまでの距離は十 mある。この距離なら一足で駆け抜けられる。
お互いに相手の出方を窺い膠着状態になる。
周囲から音が消え、自分の呼吸の音がやけに大きく聞こえる。
この一合で全てが決まる。そう思うと恐怖と緊張から息が乱れる。
出方を窺って膠着するのは愚策だろう。今こうしている間にも精神的、肉体的にも疲労する。おっさんの方が実力は圧倒的の上なのだ。先をとられてしまえば、後手に回ることになる。
だから、先に仕掛ける――!
地面を踏みしめる右足が血を噴き出し、骨が軋み悲鳴を上げるが、構わず地面を踏み砕き、凄まじい速度で突進する。
距離を一瞬で縮め、残り五 m、おっさんはまだ動かない――
突然、おっさんの隣に黒いものが現れる。
「――――ッ!?」
加速しているカナタにはそれが何かわからないが、それが何であろうともう止まることはできない。
黒いものは空間を四角く切り取ったものみたいだ。人が一人通れるぐらいの大きさだ。
横目でそれを確認したおっさんは驚いた様に見えない。つまりこれが何か知っていると言う事だ。
――残り三 m。黒い空間から何かが出てきた。人だ。黒髪黒目の二十歳くらいの男が現れた。全身を黒いローブで覆い、その全身から滲み出すように深い闇を放っている。
その男を目の当たりにした瞬間、カナタは恐怖に体を硬直させてしまう。
やばい……やばい、やばい、やばい――ッ!
見ただけで、自分とその男の絶望的な実力の差を感じる。
立ち向かおうという気さえ起らない。今すぐにでもこの場を逃げ出したい。
しかし、勢いのついたカナタは止まることができず、距離が縮まっていく。
――残り一 m。剣の間合いに入っても、カナタは剣を振り下ろすことができない。
不意に男がカナタを見る。それだけで、全身が悲鳴を上げ、本能が逃げろと告げてくる。
「がぁ――――ッ!?」
男はカナタを見る事もなく、不可視の衝撃でカナタを吹き飛ばす。地面を勢いよく転がっていき壁に激突してやっと止まる。全身がバラバラに砕け散るような衝撃に動けなくなり、意識がもうろうとしてくる。
こんな所で止まっていられない。カナタはボロボロな体に鞭を打ち、壁に手をついて何とか立ち上がるが、支えを失くしたら倒れてしまうだろう。立ち上がったのは、立ち向かうためではない。逃げるためだ。運が良かったと言っていいのかわからないが、男達から五十 mは離れている。
おっさん一人ですらカナタの手には余るというのに、おっさんよりも強い男が増えたら、戦うなんて選択肢が出るわけがない。今まで死ぬような目に何度も会ってきたが、今回ほど死を感じたことはない。
恐怖で、自分の歯の根が合わずカチカチ音を立てている。魔法で傷を治すことも、遺産を使うことも恐怖でいっぱいの頭から抜け落ち考えられない。
震える全身を押して、この場から少しでも遠ざかるために、壁を支えにして覚束ない足取りで、一歩ずつ血の跡を引きながら進んでいく。
「おい、何油売っているんだ。帰るぞ」
カナタの事など眼中にない男がおっさんに言う。
「別にサボってたわけじゃないですぜ。ちゃんと仕事をしてましたよ」
「それにしては……お前に渡した奴がそこで死んでいるのはどういうことだ」
アッシュが死んで出来た灰の山を指差して男がおっさんに問う。
「そ、それは……三人組の冒険者にやられて……」
冷や汗をかきながら必死に言い訳を考える。何かないか周りを見て、カナタを見つけた。
「ま、待ってください! 旦那、あいつ勇者ですぜ」
「そうか、よくやった。アッシュを無駄に使い潰した件はこれで無しにしてやる。あいつで最後の勇者か」
探していた獲物を見つけて、ニッとその顔に笑みを浮かべる。その顔を見て、おっさんは身の毛もよだつ恐ろしさを覚えた。
「……そういえば、他の二人はどうした」
「ええと……脅威にならないので逃がしてしまいました」
「まあ、いいだろう。俺がやる」
男とおっさんが話している間もカタツムリのように遅く一歩ずつ、体を引きずって進み続けていたカナタは会話を聞いて止まる。この男を二人の所まで行かせるわけにはいかない。
恐怖に挫けそうになる心に、吹けば消えてしまうほど小さな勇気の火を灯す。
壁から離れて、振り向き一歩進む。剣を持ち上げる力も満足になく、剣先が何度も地面を叩く。足は生まれたばかりの小鹿のように震えている。
それでも、ここから先には行かせないと剣を構える。
遠くにいる男から視線を離さないで対峙する。
「この俺に剣を向けたらどうなるか、わかっているだろうな?」
「――――!?」
一瞬たりとも目を離していなかったのに、突然男が目の前に現れた。
これは速いとかそういう問題ではない。本当に離れた所から目の前に現れたのだ。
驚愕で思考停止しかける頭を無理矢理動かす。
「あぁぁああああああ――――ッ!!」
なけなしの力を振り絞って斬り上げる。
だが、カナタの最後の一撃は虚しくも失敗に終わる。
剣は半ばで折れ、男の体に届かなかった。いつ剣を折られたのか気付かなかった。
「はっ、この程度の奴を警戒しないといけないなんて、本当に馬鹿らしいな……こんな簡単に殺せるというのに」
男はカナタを笑う。言い終えると同時に、カナタの首が刎ねられていた。
カナタは声を出すこともできないまま、頭が地面に落ち転がる。
カナタの目に首から血を噴き出し、力を失った自分の体が崩れ落ちていくのが見える。
「ハハハハッ――! ……これで、俺の脅威になる存在はいなくなった! 後は教会を潰せば俺に逆らえる奴はいなくなる」
動かなくなったカナタを見て、愉快そうに笑い、ここに来た時と同じ黒い扉を出す。
男が黒い扉を通り、それに続きおっさんも隣に残っていた黒い扉に入る。その後、黒い扉は消えた。
その場に静寂が戻る。動くものはいない。
「………………」




