最終話 儀式と喜び
朝、目が覚めると古い木の匂いがした。シャノンちゃんから応接室を借りてそこの床で雑魚寝していたため、身体を起こすと少しだけ背中が痛かった。
ソファの方を見ると、プラムが横たわって寝息を立てている。
僕は静かに立ち上がると、凝り固まった背中を伸ばそうと伸びをした。
「あれ? フィニは?」
フィニのベッドである布を詰めたバスケットを見やると、そこにあるはずの姿がないことに気づく。
「おーい、フィニ〜?」
翅が無く、飛べない状態なので部屋にいるはずだと思ってソファの下や本の死角などを見てまわるが、フィニは見つからない。
それどころか、近くにいれば感じるはずの従魔の繋がりがプラムのものしか感じられない。
いったんフィニを探すのはやめて、プラムを起こしにかかる。
「おはようプラム」
『おはよーエディ……』
「フィニの姿がないんだけど、プラムは何か聞いてる?」
『え? 何も聞いてないよ? 隠れてるんじゃない?』
「いや、繋がりを感じないんだ。かなり遠くに行きでもしないとこんな風にはならない……」
『え⁉︎ でもフィニって飛べないよね?』
「うん、だから部屋から出られるはずがないんだ。とにかくシャノンさんにも聞いてみよう」
そしてプラムと一緒にシャノンさんの寝室に向かった。
「シャノンさん? 起きてますか? 入りますよ?」
ノックをしても反応がなかったため部屋を覗き込むと、シャノンさんの姿もない。
『二人ともいないの? どこに行ったんだろう……』
「一応、作業部屋も確認してみよう」
『そうだね』
結論から言うと、シャノンちゃんは作業場の机に突っ伏して眠っていた。プラムの呪いを解くための魔法薬を調合していて、眠ってしまったらしい。
悪いとは思いながらもシャノンちゃんを起こし、フィニがいなくなってしまったことを説明する。
「ふわぁ……ちょっと待っておれ」
シャノンちゃんは棚に置いてある試験管を取るとその中に入っている黄色い液体をごくりと飲み干した。
「それは?」
「目覚ましの魔法薬じゃよ。これを飲むと頭が冴え、薬の効果が切れるまで眠くならなくなる。連続使用は禁物なのじゃが、まあ一度寝たから大丈夫じゃろう」
話し振りから昨晩も、その魔法薬を使って徹夜で調合してくれていたみたいだ。
「そうとも知らず起こしてしまいすみません……」
「なあに、気にするでない。それで、フィニがいなくなったんじゃったか。ふむ……」
シャノンちゃんは下唇を前に出して考えるような仕草を見せながら、左手を前に突き出した。すると何もないところに円や六芒星など複雑な図形が重なり合った魔法陣が浮かび上がる。
彼女はしばらくそれを眺めていた。
「誰かが出入りした痕跡はないのう」
「本当ですか? 近くにはいないみたいなんですけど……」
「従魔の繋がりか……フィニは〈ハイド〉のスキルを持っておるのじゃったな。あまり認めたくはないが、わしの“眼”を掻い潜って出て行ったのかもしれん」
「そんな……どうして……」
「翅を失う前ならともかく、逃げ出したというわけではないじゃろう。探すにしてもプラムの呪いを解いてからの方がよい」
「そ、そうですね」
ひとまずフィニのことは後回しにして、先にプラムの呪いを解いてしまう事にした。
「儀式の詳細は移動しながら話すとして、二人とも沐浴着の代わりになるものはもっておるか? なければ裸で構わんのだが」
「ええ、水着タイプのアパレルがあります」
「そうかなら二人とも着替えてくるのじゃ」
そしてエディはプラムを水着に着替えさせた。着替えを手伝うのは初めはお互い気恥ずかしさがあったが、事務的にやっていれば問題ないし、一月も続けばさすがに慣れた。
自分も着替え、荷物を持ってシャノンちゃんに付いて森の中を進んだ。もちろん迷わないようにお菓子を撒きながらである。
道すがら儀式の手順を覚え、妖精の泉と呼ばれる美しい湖に着く。
湖畔でプラムに『孔雀の瞳』という名の青色の魔法薬を飲ませた。
プラムの両手を握ってゆっくりと湖の中に入って行く、もう春とはいえまだ水に入るにはかなり早い時期のため水はとても冷たかった。
二人は湖の中心に向かって進み、プラムのへそが水面に浸かったあたりで足を止めた。
エディは改めてプラムの身体を見る。
初めは胸の中央にだけあった呪いの刻印は、今やワンピースタイプの水着で隠し切れないほどに広がり、植物の蔓が絡みついたような紋様が手首のあたりまで伸びていた。
『ライムエキスインク』という名の黄緑色の魔法薬を染み込ませた布で、紋様をなぞっていく。すべてをなぞる必要は無く、布でなぞるのは腕と首元だけにとどめた。
『プラム、準備はいい?』
『うん』
そして、二人で一緒に呪文を唱える。
「「我は檻に囚われし者なり、されど咎人にあらず」」
「「見守りしものよ、汝、その悪しきを許さぬ心をもって咎なき我を救い給え」」
「「我を閉じ込めし檻は開かれる」」
「「我は今解放される!」」
教わった呪文を唱えきった瞬間、僕たちを中心とした水面に同心円状の波紋が現れ、プラムの肌を這い回っていた刻印が輝いた。そして蔓の模様の先端が、まるで本物の植物の蔓のように身体から浮かび上がると、するするとリボンのように身体からほどけていき、細かな煌めきとなって消えていった。
神秘的な光景に思わず見惚れてしまう。
と、唐突にプラムが抱きついてきて我に返った。
「エディ! 見える、見えるよ!」
「ほ、ほんとに?」
「うん! エディの声も聞こえる! エディの匂いもする! エディだ、エディがいるよぅ……! えでぃぃぃ……」
プラムは僕に抱きついたまま、嬉しさのあまり泣き出してしまった。
「〈ウォーム〉」
身体を冷やすといけないので、身体を温める魔法を使い、泣きながらしがみついて離れないプラムをゆっくり岸辺へと連れて行く。
「ちゃんと呪いは解けたようじゃの」
岸辺に着くとシャノンちゃんが毛布を渡してきた、エディは未だに離れないプラムの肩に毛布を掛けてやり、さくらんぼ色の髪を撫でた。
「ありがとうございます、シャノンさんにはどれだけ感謝をしたらいいか……」
「よすのじゃ、お主らの努力がなければ魔法薬は作れなかった。わしはやり方を知っておっただけじゃ」
シャノンちゃんは幼い見た目には似合わない慈愛に溢れた笑みを浮かべていた。
「そうそう。本当に刻印がすべて消えたか確認したのか?」
「え、どういうことですか?」
「水着の中までしっかりと見ないと安心できんぞ?」
彼女はニヤニヤとした笑みを浮かべている。
この人そんな表情もするんだ……じゃなくて!
「な、なな何を言っているんですか!」
「エディ、ちゃんと確認してー?」
「プラムも何を言ってるんだ!」
「何を今更照れておるのじゃ、着替えも手伝っておったくせに」
「そうだよー、エディはもう全部見てるでしょ?」
「見ないようにしてたって!」
極力別の方向を向いて手伝っていたし、視界の隅に映っても記憶に残さないように努めていた。
するとプラムは唐突に元気さを失い、しゅんとなって俯いた。
「私、魅力ないかな……」
「そ、そんなことないって! ただプラムが何されているか分からない状況で不謹慎なことはしたくなかったっていうか……」
「じゃあ今ならっ!」
「そ、そうだー! フィニを探さないと!」
「えぇーーーー!!!」
エディはプラムの腕を振りほどいて逃げ出した。
「紳士なやつかと思ったら、ただの意気地なしじゃったか」
「エディ〜待ってーっ!」
その後しばらく湖畔での追いかけっこが続いた。
◇◇◇
「エディ、どう?」
「全然だめ。まったく繋がりが感じられない」
フィニを探すためしばらく森を歩き回ったが、さっぱり見つからない。それどころかお菓子を落として歩いているのにもかかわらず何度も湖畔に戻されてしまっていた。
「二人とも……一旦休憩せんか? もうお昼じゃ」
後ろからついて来ていたシャノンちゃんは、ぜぇぜぇと息を切らしてそばにあったちょうどいい大きさの石に腰かけ、ローブの裾を捲りあげて色白の太ももを揉みほぐしていた。
彼女の言うとおり、確かに太陽は南の空にあって、そろそろお腹も空きはじめている。
「そうですね、お腹も空いてきましたし」
「それではわしの家に戻ろうか。食べながらわしが思いついたことを話そう」
「わかりました」
二人は歩き出そうとするが、そこでシャノンちゃんが「ま、待つのじゃ!」と言ってエディたちを引き止めた。
「その、もう歩けんのじゃ。すまぬが負ぶってくれぬか?」
シャノンちゃんはあまり森歩きに慣れていないそうだ。普段山菜やきのこを採ったり、森に仕掛けた罠を確認しにいく程度で、長時間歩き続けると言うことはないらしい。
それからしばらく森を歩くと、シャノンちゃんの家に戻ってくることができた。さっきまでは湖畔に戻されていたのに、行き場所を変えただけでこうもあっさり帰ってこれると、まるで何者かに行動を制限されているような気分になる。
「ふむ、人に負ぶってもらったのはいつぶりじゃろうか。小さい体もなかなかいいものよの」
「羨ましいー」
「プラムはまた今度してあげるから」
「わーい」
それからお昼ご飯を食べた。シャノンちゃんが作ったお昼ご飯は干したキノコと薫製肉のパスタという簡素なものだったが、プラムは泣きながら美味しい美味しいと言って食べていた。
「エディ、味がずる゛よ゛ぅ……美味じい゛よ゛ぅ……」
「プラム、落ち着いてゆっくり食べるんだよ? ご飯は逃げないんだから」
「ゔん゛……」
背中を撫でてあげると、パスタを口に運んでいた手が止まり、フォークを握りしめて静かに泣いていた。
「さて、そろそろいいかの」
「はい、すみません」
「ぐすん……」
十分ほどそうしていただろうか、シャノンちゃんが話をしていいかと様子を伺ってきた。森で言っていた、フィニの行方に関して思いついたことの話だろう。
エディがハンカチを鼻に当てプラムに鼻を擤ませるとシャノンちゃんは呆れていた。
「お主らは恋人のようなときもあれば親子か兄妹のようなときもあってよく分からんのじゃ」
「世話の焼ける妹のような恋人です」
「もう! エディ!」
僕は軽く肩を突き飛ばされた。と言っても、少し体が揺れる程度の照れ隠しだ。
「恋人は冗談のつもりじゃったが、まさか魔物と人がとはのう……」
目を丸くするシャノンちゃん。お世話になった人ではあるけど、これだけは言っておかないと。
「プラムは人ですよ?」
「そうじゃったな。さて、それでフィニの行方じゃが……フィニはもともとこの森に住んでいた妖精なのじゃったな? ならば妖精の集落に戻ったのではないか? それ以外にあやつが出て行ったもっともらしい理由が思い当たらん」
「なるほど、妖精の集落にですか……」
「そういえば、フィニから聞いた話だと家出中だったらしいよ?」
えー、それは初耳なんだけど。なんでもプラムとフィニが二人でお留守番しているときに世間話程度に聞かされたらしい。
「長旅で故郷が恋しくなったのかもしれん。わしの“眼”を欺くほどの人間が家に侵入して、言い方は悪いが翅のない妖精を攫うような物好きがいるとも思えん」
「確かにそうですね。しばらくバートンに滞在して、フィニが戻って来るのを待ってみようか」
「そうだね」
フィニほどの風魔法の使い手なら道中魔物に襲われても簡単に撃退できるだろう。索敵や気配を消すことにも長けているので心配は必要ない。
「そうそう、お主らに一つ頼みたいことがあるのじゃが」
「なんでしょうか? なんでも言ってください」
「わしをお主らの旅の仲間に加えてくれぬか? 長い間人里に出ていなかったからの」
「いいですけど……大丈夫なんですか? 確か、シャノンさんの知識を狙う人から隠れているんでしたよね?」
「そうなのじゃが、さすがにこの姿なら大丈夫じゃろう」
「まあ確かにそうですね」
そんなわけで、シャノンちゃんが一緒について来ることになった。
元の姿は知らないが、六歳の少女の見た目の彼女を賢者と結びつける人はいないだろう。
シャノンちゃんが荷物を纏めるのを待ち、自前の魔法袋を持った彼女と一緒にバートンに向かった。
それから三ヶ月、バートンでダンジョンで稼ぎながらフィニが戻って来るのを待っていたが、一向に戻って来ることはなく、従魔の繋がりは消えたままだった。
仕方がないのでフィニはもう戻って来ないものと考え、エディたちはアナスタシアへ帰ることにした。
◇◇◇
アナスタシアの宿屋に帰ったエディは、その日ネーヤに呼び出された。
「エディが好きです、私と恋人になってくれませんか!」
謝ることしかできなかった。僕にはプラムがいる。ネーヤのことも好きだけど、一番がプラムなのは変わらない。
ネーヤは「そうよね、やっぱりそうよね」と泣いた。
「でも、やっぱりそれでこそ私が好きなエディだわ。私が好きになったエディは一度心に決めたことは曲げない男の子だもの」
そう言って目を赤く泣き腫らしながら歯を見せて笑った。
魔物使いになると言って一生懸命訓練して、成人したその日に〈テイム〉を授かって来るし、普通なら諦めるようなプラムの呪いも解いてみせた。私はそういうエディが好きなの
そういえばね、私も遂に〈料理〉のスキルを授かることができたの。誰かさんのことを想って頑張ったのよ、なんて言うのは意地悪かしらね。
私は宿屋の仕事を辞めるわ、そして料理人として働くの。
二人の結婚式には呼んでね。あ、もちろん料理も作らせてね。そのときにはあなたのお姉ちゃんとして出席させてよね?
そして四年後、十五歳になって結婚が許される歳になったエディとプラムは、色々な地を巡る旅を終えシャノンちゃんとともにアナスタシアに再び戻ってきた。
そして何度もお世話になった神殿の前で結婚式を挙げた。
「魔物と結婚か……なんて言うとエディに怒られるな。しかし人と同じように接しろと教えたのは俺だが、これは予想できなかったな」
「いいじゃないですか、プラムちゃんはかわいいです。誰も人じゃないなんて思いませんよ。そう言うあなたはヴァイスと結婚はしないんですか?」
「何から突っ込んでいいか……こいつはオスだぞ?」
「ぐるぁあう!」
門番のおじさんと孤児院のお母さんである院長先生は我が子のように接していたエディの門出を祝い、
「きゃあ! どうしてこんなところにネズミがいるんですの!」
「こいつらはれっきとした魔物っチュ!」
「こんなネズミを連れた人がエディとプラムのお知り合いとは思えませんわ!」
「こっちもこんな従魔に対する理解がない人が二人の友達とは思えないっチュ!」
「やれやれ騒がしいのう」
「本当ですね、断崖の賢者さん」
「! お主いつの間に隣に? それと、はて、断崖の賢者とは誰のことじゃ?」
「おや、絶壁の賢者さんでしたか?」
「どこを見て言っておるのじゃどこを! まだ十歳じゃ、これから大きくなるのじゃ!」
「小さいには小さいなりのかわいさと言うものがあります。実はオススメの下着がありまして——」
旅先で仲を深めた友人たちは、一癖も二癖もあるため衝突することもあったが、笑顔は絶えなかった。
「みなさん僕たちのために集まってくれてありがとうございます」
エディが喋り始めると、一同は会話を止め、神殿の入り口の階段の上に立つ新郎新婦を見やった。
「ご存知の方もいるとは思いますがプラムはとある呪いに掛かっていました」
「一年ほどの旅を経て私の呪いは無事に解くことができました」
「僕たちにはとても大切な仲間がいました」
「彼女の助けが無かったら、私たちは数々の困難を乗り越えることはできなかったと思います」
長い旅の間で色々なことを学んだ結果、魔物使いと従魔の繋がりが消えるのはどちらか一方が死んだ時のみという事実を知った。
それを知ったとき二人はショックを受けたが、エディとプラムはお互いに励まし合って乗り越えた。そして二人が魔法使いパーティーとして有名になるのに合わせて、大切な仲間の名前を広めていくことを決意した。
「どうかみなさん、その子の名前を覚えていてあげてください」
「その子の名は——」
そしてプラムがその名前を叫ぼうとしたとき、聞き覚えのある声によって二人の演説は遮られた。
体の倍はあろうかという大きな空色の翅が、二人の眼前で揺れる。
「ちょっとちょっとー! 勝手に殺さないでよ!」
「「フィニ⁉︎⁉︎⁉︎」」
「やっほー! 風のスペシャリスト、フィニちゃん復活だよー!」
あの晩、フィニの家族の妖精たちがフィニを迎えに来たそうだ。そしてその日以来、翅を再生するためにずっと療養していたらしい。
「なんで……従魔の繋がりが消えるのはどちらかが死んだときだけのはずじゃあ……」
「妖精はあらゆるものから身を隠せるのだ!」
「嘘、じゃあほんとに……」
「エディ、プラムん……会いたかったよ」
魔物使いの少年とスライムの少女 -fin-
これにて完結です!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!