第二十一話 覚悟と決意
「えうぅ……えでぃぃ……ひっぐ、えでぃぃいい」
私は込み上げてくる涙を必死に止めようと、別のことを考えようとするが、どうしてもエディのことを考えてしまいそれは叶わない。
プラムのことを恨むことも考えた。
でもプラムが何か悪いことをしたわけでもなし、何より良心がそれを許さなかった。ただ自分が弱かっただけなのだ。
最初エディが取られたように感じたけれど、そもそも私とエディは同じ孤児院出身なだけで、今は宿の働き手と客くらいの関係しかない。取られたなんてのはただの自分勝手な思い込みだ、とすぐに気づいた。
悔しい……すごく、悔しい。
怖気づいて気持ちを伝えられなかった自分が情けなくて、悔しい。
プラムもエディもお互いの気持ちを伝えあったからこそ付き合うことになったんだ。
私は目元を強く擦った。手の甲に着いた涙をスカートで拭きながらゆっくりと立ち上がると、滲んでぼやけていた視界は、少し眩しいがはっきりしていた。
私は諦めるような性格じゃない。
私は諦めるような性格じゃない。
私は諦めるような性格じゃない!
なんども口の中で繰り返し、自分を奮い立たせた。
奪われたわけじゃない。私が最初から土俵に立ってすらいなかっただけだ。ならば私のスタートラインはここから。エディをこちらに振り向かせてみせる!
「裏庭に来たから顔が洗いやすいわね」
重りを入れた桶を井戸に落とし、滑車を使って引き上げると、濁りのない水が桶に満たされていた。
水はとても冷たく、泣き痕を洗うと思ったよりもすっきりした。
「強気なのが私だからね」
そしてネーヤは建物の中へと戻って行った。
目元は赤くなっているが、その表情は明るく、やる気に満ちた笑みすら浮かんでいる。
ネーヤはエディたちの泊まっている部屋の前に立つと、その扉を叩いた。
「私よ、ネーヤよ。ちょっと話があるの。入れてもらえる?」
扉の向こうからは焦ったようなフィニの声が返って来た。
「ネーヤさん? えーっと……」
フィニはしばらく沈黙を続けた。何を躊躇うことがあるのだろうか。もしかして着替え中だったのだろうか?
ネーヤがはやる気持ちを抑えて待っていると、ガチャリと扉が開かれた。
「どうぞ〜」
「失礼するわね」
部屋に入るとプラムはベッドに腰掛けたまま私の方を見てぎこちない笑みを浮かべた。目も焦点があっておらずどこか私を見ていないような気がする。
怪訝に思いながら不躾にならない程度に軽く部屋を見回すと正面にある出窓に小さなバスケットが置かれていた。
私が見ていることに気がついたフィニはそこに飛んでいくとバスケットの中に入って見せた。
「えへへ〜フィニのベッドいいでしょ〜。エディに作ってもらったんだー♪」
「へぇ、さすがエディね。ところでエディはどこに行ったの?」
「エディは今買い出しに行ってるよ〜」
「二人は付いて行かなかったんだ」
「ちょっと旅の疲れが出ちゃってねー、二人一緒にお留守番なんだー」
それを聞いて私は少しイラっとした。エディだって疲れているはずだ。そりゃあ二人は女の子だから疲れの度合いは男の子のエディとは違うかもしれない。けれどエディだけ一人で買い出しに行かせるのは如何なものか。
私の意見を押し付けるつもりはないけど、私なら疲れていてもエディと一緒に買い物に行って、後で一緒に休憩する。
立場に固執する気はないけど、なぜ従魔二人が宿でのうのうと休んでいて、エディが使いパシリのような真似をしなければならないのだろう。
それはエディに対する依怙贔屓を多分に含んだ考えだった。
恋愛に関しては奥手になってしまうが、思ったことをそのまま口にするのがいつものネーヤだ。
「二人は従魔なのにそれでいいの?」
「どういうことー?」
「…………っ!」
フィニは分かっていないようで首を傾げていたが、プラムは——なぜか少し遅れて——びくりと反応した。
人間として生きることを望むプラムだが、エディの従魔としてのプライドは別だった。
「従魔なのにご主人様のエディを買い出しに行かせて呑気なものねと言ってるの」
「そうは言ってもエディはフィニたちを従魔としてじゃなくて——」
「……うるさい!!!!!!!! プラムだって好きで留守番してるんじゃないもん!!!!!!!!」
フィニが弁明しようと何かを少し話し始めたとき、プラムがいきなり耳を塞ぎたくなるような大声をあげてネーヤに反抗した。
ネーヤはプラムが大声をあげたことに多少びっくりしたが、余計に苛立ちを募らせた。
「じゃあどうして留守番してるの? 別に怪我をしているわけでもなさそうだけど?」
「ええーっと……」
「……うるさい!!! ネーヤには関係ない!!!」
「関係あるわよ! 私はエディを心配しているの!」
「……」
「……うるさいうるさいうるさい!!!! フィニももう何も言わないで!!!!」
パシン——
気がついたらネーヤはプラムの頰を叩いていた。
失恋の恨みはすでにない、しかしただ座ったまま喚いているプラムがとても苛立った。
プラムは避けることもなく、ネーヤの手のひらを顔で受け止め——
「ちょっと⁉︎」
「プラムんっ⁉︎⁉︎」
横に倒れてベッドに身体を弾ませた後、鈍い音を立てながら床に頭を打ちつけた。
「あれ……私倒れた? え? なんで?」
プラムは床に手を付いて起き上がるが、立ち上がろうとはせずベッドを探すように手を彷徨わせる。
「え、ごめんプラム……プラム?」
慌てて手を差し伸べるがプラムは掴もうともせず依然としてばたばたと手を伸ばしている。
「ネーヤさん、もう隠していられないから言うけど、プラムは目が見えないんだー……」
「え、嘘?」
「ほんとだよ。それだけじゃなくて耳も聞こえなければ、触られている感覚もないんだ。呪いの所為でね」
「なによそれ……」
「だからプラムはお留守番なの。フィニはプラムの護衛」
「ごめんなさい、私、ひどいことを……」
「……」
その後プラムの身体をベッドに寝かせ、会話も魔物使いと従魔の間で使える念話でなんとかやりとりをしていることを聞いた。
そんな弱い立場にある子を私は殴ってしまった。
「ごめん、ごめんねプラム……」
「……ネーヤ……いいよ。私も今の自分が嫌いだから……」
プラムは許してくれた。でも彼女自身悩んでいることを知らなかったとはいえ、悪く言ってしまった自分が許せなかった。
「ねぇプラム。呪い、解けたら私を殴って」
「ええ……⁉︎ なんで?」
「プラムを殴っちゃったし、平等じゃないでしょ? プラムが殴ってくれなきゃ私が自分を許せないから……だから、絶対呪いを解いてこの街に戻ってきて」
「……分かった」
もちろんエディを諦めるつもりはない。ただ、プラムの境遇を知って、応援したいという気持ちが起こってしまった。ネーヤは面倒見のよい性格なのだ。
「実は私もね、エディのことが好きなの」
「……ネーヤも?」
「うん。今はプラムに先を越されちゃったけど私も簡単には諦められない。だからプラムが呪いを解いて帰って来た後エディに告白するわ」
「……うん……」
プラムは複雑な表情を浮かべていた。なんと言っていいか分からないんだろう。そりゃそうだ、彼女からすれば横取りを宣言されているのだから。
でも私は横取りなんてするつもりはなかった。エディに対するある種の確信があったからだ。
それから二日後、プラムたちはアナスタシアから北に向けて旅立った。
◇◇◇
アナスタシアを発って五日、エディたちはバートンに到着していた。人数が少なく、荷物も少ないために、以前騎士たちと一緒に行動していたときより速い到着だ。
目が見えないプラムは心身ともに疲れやすいので、速く移動できるのは本当に助かる。
一日の休憩を挟み、僕たちはもどりの森へと向かった。人を惑わせるために空間が歪められているのを逆手に取ったフィニの案内のおかげで、しばらく歩くだけで断崖にめり込むように建つレンガ造りの一軒家が見えてきた。
重圧感のある木のドアについたノッカーを叩くと、しばらくしてから扉が開き、銀髪の女の子が顔を見せた。
「シャノンさんお久しぶりです」
「やはり速い到着じゃのう。さあ、入りなさい」
家に入ると廊下の両側にずらりと本が並べられていて、人が肩を狭めて寝転ぶのがやっとであろう幅だけ床が顔を見せていた。
「今の身長じゃと、高いところの本は取れないのじゃ。仕方なく床に並べて整理しているのじゃ」
「まだ、元に戻る魔法薬はできてないんですね」
「若返り薬も偶然の産物じゃからのう……」
そして応接間へと案内された。
以前は上から下までびっしりと詰め込まれていた本棚は、中程から上がすっかり空っぽになっていてその分床に積まれた本が多くなっていた。
エディたちは勧められるままソファーの一つに座る。
「さて、ここに来たということは伝えておった素材を全て集めて来たのじゃな?」
「はい、なんとか」
「正直、半年を過ぎてから諦めておったがよく戻って来たのう。今呪いの状況はどうなのじゃ?」
「目も耳も、五感がすべて感じられないそうです」
「……よくその状態で生きてこれたものよの」
「僕たちには従魔の繋がりがありますから」
「なるほど念話か」
「あと、魔力は感じるみたいなのでこうして触れて魔力を流してあげれば僕が触っていることは分かるみたいです」
エディは左隣に座るプラムの手を握り、魔力を流した。すぐにプラムが魔力を返してくれる。この魔力の交換はお互いをかなり近くに感じられるのでプラムを安心させるだけでなく僕の気持ちも落ち着く。今シャノンさんと喋っている間も僕と僕にもたれかかるプラムとの間で魔力のやりとりがなされている。
「人の身体に魔力を流すのは大変なのじゃが……まぁそのあたりは、お主の魔力操作の腕とそやつのスライムとしての素質、従魔の繋がりがあっての事じゃろうな」
そういえばフィニとはあまりうまくできなかったっけ。プラムとフィニの間でもできなかったようなので、それだけスライムのスキルの影響は大きいのだろう。
「それで、早速魔法薬を作ってもらいたいんですが……」
「まあそう焦るな、実は魔法薬の材料で一つだけ伝えていないものがあるのじゃ」
そう言ってシャノンさんはちらりとフィニの方を見た。
「まさか……」
「ああ、妖精の翅じゃよ」
妖精の翅は魔法薬の材料として汎用性が高くよく使われるものだ。子供に読み聞かせるような物語でも度々登場するため、魔法薬の知識がない僕でもそれはよく知っていた。
一部の貴族の間では装飾品としても需要があるとも。これは商人の父から聞いた話だ。
「なんでそんな大事なこと黙ってたんですか!」
「お主は妖精をテイムしておるじゃろう」
賢者は冷たい目をしていた。初めて会ったときは優しい人だと思ったけど、エディが嫌厭しているような従魔を道具としか見ていない人なのだろうか。
「フィニは! フィニは家族なんです。プラムを救うためにフィニを犠牲にするなんてできない……」
となるともどりの森で他の妖精を狩るか? いや、妖精は人間と同じ知性のある生き物だ。スライムを狩るのとはわけが違い、フィニの家族を殺すことになる……
ならば、他の地域に棲む妖精を探す? だが、妖精は姿を隠すのが上手く、その住処を見つけるのは簡単なことではない。
「エディはそう言ってくれると思ったよー」
思い悩んでいると、いつも通りの軽い調子でフィニがそう言い、エディの顔の前に静止した。
「で、どうするのじゃ、フィニよ?」
シャノンさんの目は以前見た思慮深くて温かいものに戻っている。
「もちろん、フィニの翅を使ってもらうことにするよ」
「「フィニ⁉︎」」
僕とプラムは同時に声を上げた。
「私のためにフィニが犠牲になる必要なんてないよ!」
「プラムん……フィニはエディはもちろんプラムんのことも大好きなんだー。だからね、プラムんを助けるためにフィニも役に立ちたいんだー」
「フィニは十分役に立ってるよ!」
「正直に言うとね、他の妖精の翅が使われる方が嫌なの。後になって、あのときフィニは自分可愛さに二人に協力しなかったなーって後悔する方が嫌なの」
フィニは珍しく真面目な顔でそう言った。エディもプラムも黙り込んでしまうが、フィニは真剣な顔から一転してにぱっと笑った。
「そもそも二人とも、何か勘違いしてない? 妖精の翅って切っても別に死ぬわけじゃないよ?」
「そうなの? でも……」
「それでも僕は……」
二人が難しい顔で俯いていると、黙って様子を見ていたシャノンが口を開いた。
「二人とも、フィニの覚悟を無碍にしてやるでない。わしはこやつにだけは素材のことを話しておった。半年以上の間、逃げもせずお主らと行動して出した結論じゃ。生半可な気持ちでないことは分かるじゃろ」
「フィニも大切って言ってもらえただけで、フィニは満足だよー」
「分かりました。フィニ、最後に聞くけどほんとにいいんだね?」
「何度聞かれても答えは変わらないよ。フィニの翅を使って」
エディがフィニの瞳を見ると、彼女は真っ直ぐにエディを見つめ返した。相変わらず口元は楽しそうに結ばれているが、その瞳には覚悟の輝きがしっかりと宿っていた。
「ここではなんじゃ、部屋を変えるぞ」
作業部屋に移動し、エディは自らの手でフィニの翅を切り落とした。
血は、流れなかった。
その後魔法薬の調合には丸一日かかるということでエディたちはシャノンさんの家で一泊することになった。飛べなくなったフィニは事あるごとにエディに持ち上げてもらい一日を過ごした。不便にもかかわらずフィニは絶えず笑っていて、神妙になっているエディとプラムを笑わせようと冗談を言いつづけた。
そして翌日にプラムの呪いを解く儀式を控えたその晩——
フィニは忽然と姿を消した。