第十話 不可解な馬車と呪い
立ち並ぶ木々は青々としていて、空には薄っすらと雲がかかっている。
鳥たちは姿を見せず、さえずりだけが時折聞こえてくる。
静かな森の中、エディとプラムは辺りを適度に警戒しながら、周囲を散策していた。
『そろそろいったん休憩しようか』
『わかったー』
森を歩くときは、慣れている人でもかなりの集中力を必要とする。肉体的に疲れなくても精神的に疲れるのだ。
エディたちは休憩に入るために、手頃な場所を探しはじめる。
『あっちの方におっきな岩があるよ』
『それじゃあそこで休憩をしようか』
陰に魔物が潜んでいるかもしれないため、大岩の周りをぐるりと回って確認する。
岩の反対側まで回ったとき、ふと普段の森には無いものを見かけて、立ち止まった。
『プラム、ちょっとこっち来て』
『どうしたの?』
『何か人工物がある。壊れた馬車かな』
近づいて見てみるとやはりそれは無残に壊れてしまった馬車だった。荷台は横転し、御者らしき人の死体がすぐ近くに投げ捨てられている。
捨てられた馬車を発見したり、遭難して死んだ人を見つけたりした場合、誰であろうと冒険者ギルドへ報告する義務がある。また遺品を持ち帰った場合、引き取り手がいる場合は礼金をもらえ、いない場合は発見した人が好きにして良いことになっている。
馬車をよく観察すると、一般によく見る馬車より一回りも二回りも小さかった。
「プラムは荷台の方を見て来てくれる? 僕は御者の方を見るから」
プラムは「分かったー」と馬車の後ろに回っていった。
荷台の方に行かせたのは、もちろん彼女に死体漁りなんてさせたくないからだ。
エディは御者の遺体に近寄る。
すると、朽ちかけた死体がゆっくりと起き上がり始めた。
「ええ⁉︎ ってゾンビなのか……」
まさかこんなところで会うなんてと、身構えるも、ゾンビの動きは鈍重で、大した脅威は感じられなかった。
ゾンビが本当に恐ろしいのは集団で襲われた時や武器を何も持っていない時だけなのだ。
「火の魔法が効くんだっけ。〈ファイア〉!」
いつか聞いたことのある情報を頼りに、燃え盛る火の玉をぶつけると、火は瞬く間に全身に燃え広がり、ゾンビはその場でもがき始めた。
しばらく待っていると足が炭化して体重を支えられなくなったゾンビはその場に倒れ、炭の塊となった。
最近覚えた、地面に穴を開ける魔法〈ピットフォール〉を使って遺体を埋葬していると、プラムがエディのところにやってくる。
「なんか変な匂いがするけど……御者の人からは何か見つかった?」
「ううん、ゾンビになってたから燃やして埋めたところ。プラムは何か収穫あった?」
「ふふん、なんか凄そうなものがあったよ! コレ!」
そう言ってプラムが見せたものは、分厚い本だった。
「なんか布に包まれて箱に入れられてすごく大事そうに仕舞われてたの!」
「へぇ、何の本なの?」
「魔法の研究の本みたいだよ」
「すごい! お手柄だよ、プラム!」
「えへへ〜」
なでられるとプラムはさらに嬉しそうにしていた。
その後、使えそうなものもそうでないものもとりあえず魔法の袋に詰めて、街に戻ることにした。
「おぼろげの森に馬車、ですか」
街に戻ったエディは、早速ギルドに森で見たことを報告する。
「はい。横転して壊れていました。小さな馬車だったので、たぶんマルチボアに横からぶつかられたんだと思います」
「御者の遺体がゾンビになっていたなら、肉食の魔物に襲われたわけではなさそうですね」
「あ、それと、遺品はこれで全部になります」
「全部持ち帰ってくれたのね。それじゃあいったんギルドで預かっておくわね」
「お願いします」
「……それにしてもその馬車、森のど真ん中を突っ切るなんて随分変な場所を通っていたのね」
「近道だったりするんじゃないですか?」
「まあ、そうかもしれないわね」
報告を済ませたエディたちは、依頼の報酬とマルチボアの素材を売った代金だけ持って宿に戻った。
部屋に戻ったエディは、荷物だけ置いた後、すぐに部屋を出る。それはもちろん、プラムが冒険者の装備からラフな服へと着替えるのを待つためだ。
「エディ、ちょっと来て!」
プラムの慌てた声に、何事かと思いながら部屋を覗く。
「ちょっ⁉︎ プラム、なんて格好してるの⁉︎」
エディが覗いた先には、下着姿のプラムが上半身には何も着ていない状態で、左右の手でそれぞれの胸を隠しながら立っていた。
俗に言う、手ブラというスタイルであった。
「エディ! プラムの胸を見て!」
何を言ってるんだこの子は!
プラムがおかしくなった! 慌てながら、踵を返そうとすると、再びプラムがエディを呼び止める。
「待って、エディ! 胸に変な模様が浮かんでるの!」
「え?」
振り返ってプラムの胸部をよく見てみると、胸を隠した手と手の間、心臓の向かって少し左あたりに、確かに奇妙な紋様が浮かんでいた。
三又の槍を円状に五つ並べたようなその文様は、何度か事故でプラムの裸を見てしまった時には無かったものだ。
「と、とりあえず神殿の治療院に行って見てもらおう。だから、プラム服を着ようか」
「え? あっ……」
プラムはようやく今の状況に気付いたのか、顔がみるみる赤くなっていく。
エディは急いで部屋を出ると、網膜に蘇るプラムのきわどい姿に、忘れるべきなのに忘れたくないという葛藤を強いられていた。
二人とも着替えた後、気まずさから会話も少なめに神殿に向かう。
神殿は治療院も兼ねていて、色々な病気とかも見てもらえるのだ。
「今日はどうされました?」
「えっと、プラムの胸に突然変な紋様が浮かんできたの……」
「なるほど、少しこっちに来てもらえるかしら」
プラムは女の神官とともに衝立の向こうに消える。
すぐに戻って来たかと思うと、女性神官は難しい顔をしていた。
「あの……模様は一体何だったんですか?」
「その模様は、『呪印』と呼ばれるものよ」
「じゅいん?」
プラムは可愛らしく首をかしげる。
「ええ、簡単に言えば、プラムちゃん。あなたは呪いにかかっているわ」
「「え?」」
想像していなかった内容に、プラムとエディは思わず聞き返していた。
「体に呪いがかけられた場合、体のどこかに呪いにかかったことを表す模様が浮かぶの、それが呪印。呪印は呪いの種類によって形が決まっていて、プラムちゃんの胸にある模様は『天使の喇叭の刻印』と呼ばれるものよ」
「なんか、すごく神聖そうな名前ですね」
「二人とも同名の植物を知らないの?」
「知らなーい」
「そんな名前の植物があるんですか?」
「ええ。植物のエンジェルストランペットはね、その名前のイメージに反して毒草なの。この植物を象った呪印が現れるってことはね、『孤独な檻』という呪いにかかっていることを示しているの」
「呪いってどんな呪いなんですか?」
「この呪いはね、徐々に身体の感覚が無くなっていくの。痛みに鈍くなると言えば聞こえはいいんだけど、食べ物の味がわからなくなったり、目が見えなくなったりするの。過去にこの呪いにかかった人は、生きているという感覚欲しさに自分の腕を切りつけたり、血が出ているのも構わず頭を壁に打ち付けたり、音を聞きたくて喉が枯れるまで叫び続けたりと、ロクな話がないわ」
「そんな……。でも呪いは解けるんですよね?」
「もちろんすぐに解けるわよ。うちの解呪師に解けない呪いはないわ」
女性神官は確信したようにそう言う。
「なら安心です」
「それじゃあ、解呪師を読んでくるわね」
そして彼女は部屋を出て行った。
思わず肩の力が抜け、長いため息が出る。
プラムが悪い呪いにかかっていると聞いた時はどうなることかと思ったけど、すぐに解いてもらえるみたいでよかった……。
エディは心から安堵するが——
——その安堵はすぐに絶望に変わった。
「え⁉︎ 呪いが解けない⁉︎」
「うむ……今までに見たこともないくらい強い呪いじゃ。何度試しても儂には解けんかった」
「と、解ける人はいないんですか?」
「この方はこの国でトップクラスの解呪師よ。おそらくプラムちゃんの呪いを解ける人はこの国にはいないわ……」
「そん……な……」
エディは思わず崩れ落ちる。
ショックを受けるエディとは対照的に、プラムは特に慌てることなく平然としていた。
実際、プラムはそれほど危機感を抱いていない。全くもって身体の感覚が無くなったりということがなかったからだ。
しかし、それは当たり前だった。進行性の呪いは、初めのうちはまったくといってその効果を現さず、長い時間をかけて徐々にその効果を発揮していくのだ。
「呪いを解く方法は他に無いんですか⁉︎」
「あることにはある」
「ならそれを教えてください!」
エディは必死になって懇願する。
「そう、焦るでない。方法はあるにはあるが、儂は教えることができん」
「どうしてですか……?」
「専門外だからじゃ」
解呪師のお爺さんの話によると、呪いを解く方法は大きく分けて二つあるらしい。
一つは解呪魔法で解く方法。その名の通り、魔力を使って呪いを解くやり方で、解呪師と呼ばれる存在はすべてこの解呪魔法によって呪いを解く人を指す。
もう一つの方法は、儀式を行って解く方法。魔法さえ使えればいい解呪魔法と違って様々な準備物を必要とし、手順も呪いの種類や強さによって変わるため、このやり方は一般的ではない。
「断崖の賢者に会いに行きなさい。あの者なら儀式の方法がわかるはずじゃ」
断崖の賢者と呼ばれる人の居場所を聞いた後、エディとプラムは治療院を後にした。
宿までの道中、エディは不安からずっと表情を硬くしていた。
「エディ、顔が怖いよ?」
「そうかな……? ごめん、プラムが呪いにかかったのがショックで……」
「プラムは全然大丈夫だよ? それに呪いもそんなにすぐに効果が表れるものじゃないってお爺さんも言ってたよ?」
「そうだよね。ごめん、ちょっと悪く考えすぎてたよ」
エディの表情が少し明るくなったのを見て、プラムもにっこりと笑った。
宿に帰ると、ギルドのお姉さんが訪ねてきていて、ネーヤと立ち話をしていた。
「あ、エディたちが帰ってきましたよ」
「よかった、話したいことがあったのよ」
「どうかしたんですか?」
「こんなところじゃなんだから、場所を移しましょうか」
「あ、はい。プラムも一緒でいいですか」
「ええ、むしろ二人に聞いてもらわないといけない話よ」
あまり他人に聞かれるとよろしくない話らしく、エディたちはギルドに向かうことになった。
ギルドに着くと、二人は応接室のようなところに案内された。
「ソファがふかふかだー」
プラムはソファに座ると楽しそうに跳ねていた。
それを見てエディとギルドのお姉さんは揃って目を細める。
給仕の人がお茶を用意し、一息ついたところで、お姉さんが話を切り出した。
「二人に話さなければならないことというのは、馬車の荷物のことよ」
なんとなくそんな気はしていた。きっと鑑定結果が出たのだろう。
それにしてもわざわざ宿までやってくるなんてどんな鑑定だったのだろうか。
「鑑定した結果、荷物の中にとんでもないものが混じっていたのよ」
「とんでもないものってなんですか?」
「王様に献上されるはずだった魔道書よ」
「「⁉︎」」
魔道書と聞いてすぐに、プラムが発見した分厚い本を思い出した。
あれが王様に献上されるはずのものだったのなら、勝手に包みを開いてしまったのはまずいんじゃないだろうか。
表情に出ていたのだろう、お姉さんは優しく微笑んで心配いらないと言った。
「この件であなたたちが罰せられることはないわ」
「よかったです」
「でも王様の物ならプラムたちの物にはできないねー」
確かに、魔法についていろいろ書かれていたのであの本は欲しかった。
「いいえ、あれは正式には王様のものではないわ」
「どういうことですか?」
尋ねると、お姉さんの表情は険しいものになる。
「実はあの本は、王様を殺すための呪具……呪い道具だったの。包みを開けて最初に触れた人間が呪いにかかるようになっていたみたい」
「⁉︎——っそれって……」
「宿屋の女の子からあなたたちが治療院に向かったと聞いたわ。どっちが呪いに掛かったの?」
「プラムだよー」
「そう……。エディくんの様子を見るに、呪いは解けなかったみたいね」
「……はい……」
「どんな呪いかは聞いた?」
「『孤独な檻』という呪いらしいです。徐々に感覚が無くなっていく呪いだと聞きました」
「本に掛かっていた呪いと同じね。プラムちゃんの呪いはあの本から受けたものと見て間違いないわ」
エディは後悔の念に襲われ目の前が真っ暗になった。
自分があの時プラムを荷台に向かわせたばかりに、彼女は呪いに掛かってしまったのだ。
「僕が最初に本に触っていれば……」
「エディ、なんでそんなこと言うの?」
思わず漏れた言葉に、プラムが怒った様子で反論してきた。
「プラムは従魔だよ? ご主人様を守ってこその存在だよ?」
「僕はプラムをそんな風に思ってないよ」
「それは嬉しいけど、でも、プラムはエディに守られるだけの存在じゃないよ? プラムだってエディを守りたいんだよ?」
「……」
「だから、自分が呪いに掛かっていたらなんて言わないで欲しいな」
「ごめん、プラム」
「なでなでしてくれたら許す!」
プラムが求めるままに頭をなでると、プラムの表情はすぐに蕩けた。
「エディくん、これからどうするつもりなの?」
「魔法とは違った呪いの解き方があるらしいので、やり方を知っているという賢者を訪ねてみようと思ってます」
「そう、ならくよくよしてる暇はないわね」
「あはは、そうですね」
ギルドのお姉さんからも背中を押され、エディは少しこそばゆく思いながら苦笑する。
うん、自分を責めても先に進まないよね。
今はとにかくプラムのかかった呪いを解くことだけを考えよう!
【呪い】
魔力が変質した“瘴気”を糧にして起きる様々な災い。呪いを扱う魔物もおり魔力が過剰に満ちている世界樹近辺に多く生息しており、『石化』の呪いを使うバジリスクなどが有名。
人為的には魔力の宿った物体と儀式を組み合わせて引き起こされる。
呪いの影響は多岐に渡り、生物の身体の変質、感情の操作、記憶の改竄、幻覚、不可解な現象の誘発などがある。