全力で拒みたいもの
さながら、その様子は獣のようだった。
「さ、さぁ…カンザキ君。ワタシを愉しませてちょうだい。」
そう言って、鼻息荒げて俺の前へと躍り出たオカマ氏。
その水面下では、激しい腰振りダンスを繰り広げているのか…周囲は激しく波打っている。
まるで、大海原に現れたシャチ、或いはトドと向かい合う小魚もかくやといった気分である。
(何だか…ゴブリン共と対峙した時のことを思い出すな。)
そして…相も変わらずに、呪文の在り処を表す輝きは…水底から水面を照らし出していた。
正直、今すぐにでも全速力でエスケープしたい。
しかし、こんなところで屈する訳にはいかないのだ。
何せ…あの輝かしくも汚らしい光の向こう側に、第二の呪文が待っているのだから。
落ち着け…考えろ。考えるんだ。
いかにして、この屈強なオカマ氏を無傷で説き伏せるか…。
「ね、ねぇ…ワタシ、いつまでこうしてればいいのかしらん。」
まず、身体能力で優位に立つことは出来ない。
言動がやや個性的なれど、仮にもターナーズ・営業部の武闘派なのだ。
俺ごときが敵う相手ではない。
「か、カンザキ君…ちょっと…。」
そうなると…何らかの作戦で動きを封じなければ…。
でも、一体どうやって…。
「わ、ワタシ…放置プレーも嫌いじゃないの。むしろ…す…いえ、何でもないわ。でも、でもねん…。」
よくよく考えてみたら、俺はこの人のことなんてほぼ知らない…。
それなのに、作戦なんて…。
「テメェ、人の話聞いてんのか!!ゴルァ!!」
「は、はひ!すみません!」
不意に俺の脳天に、ドスの利いた声が突き刺さる。
無理矢理に意識を引き戻された視線の先、そこには修羅の如き表情を浮かべたオカマ氏が鎮座していた。
「え、その…申し訳ありません。」
凄まじい迫力に、俺の口からは自然と謝罪の言葉がついて出る。
すると、オカマ氏は途端に笑顔を浮かべた。
「あらん、ほんのちょっとイラっとしちゃったわね。ごめんなさい。」
「い、いえ…ハハ…。」
鬼気迫るというのは、まさにあんな状態のことを示すのだろう。
それをまざまざと感じ取った俺は、ただ…乾いた笑いを浮かべることしか出来なかった。
そんな俺の様子を見て、オカマ氏は満足気に笑みを浮かべる。
そして一言…。
「カワイイ。」
――!?
背筋には悪寒が走る。
頼む。誰か、助けてくれ。
だが、考えてみれば…そもそも、こんな状況に追い込むような神様が救いの手を差し伸べてくれるはずもない。
かと言って、策略を巡らせる時間はもう無い。
先程も同じことを繰り返したらどうなるか…想像もつかないからだ。
「ねぇ、ちょっと良いかしら。」
憔悴する頭に、オカマ氏の声が響く。
俺はとっさに声も出せず、壊れたおもちゃのように頭をカクカクと上下に動かす。
すると、オカマ氏は意気揚々と語り始めた。
「さっきも、ちょっと言ったけど…ワタシね、放置プレーも嫌いじゃないの。だけれども、だからこそ…コダワリがあるの。その放置って…こちらに興味がある中で敢えて、げ…下僕のように蔑むことに意味があると思うのよん。でも…あの時のカンザキ君、まるで眼の前に居るワタシじゃなく…その先の…どこか遠くを見ているような感じがしたのよ。だから、ちょっと怒っちゃったの。ごめんなさいね。」
――えっ!?
(その先の…どこか遠くを見ているような感じがしたのよ。)
何だか色々と雑多なノイズが入り混じっているが…その一言だけは聞き逃すことが出来なかった。
(どこか遠くを見ている…。)
そして、先程のオカマ氏の言葉が頭の中で反響する。
この口ぶり…まさか、呪文のことを…。
だが、この呪文習得に必要な大変に厄介なプロセスを知っているのは俺と女神…あとは、フィーネくらいのものだろう。
加えて、この輝きは一応は大魔導とされた俺にしか見えないはず。
現に、以前のフィーネも気付いていなかったし、現在…オカマ氏がソレを意識しているとは思えない。
しかし…だとしたら一体…。
(一体、何を勘付いた。)
「あら…図星…みたいね。ただ1つ、聞きたいの。ねぇカンザキ君、アナタは一体…何を見ていたの。」
おそらくは俺の表情から何かを読み取ったのであろう…オカマ氏は追撃の手を強める。
「え…ええと…。」
くそっ…どうすればいい。
この状況を切り抜けるには…一体、どうすれば…。
あるいは、いっそ何かを勘付いて居るのであればいっその事、全てを…。
(いや、それはダメだろう。全力で拒みたいもの扱いされて…一体、誰が協力してくれるっていうんだ。)
浮かんだその考えを、俺は直ちに打ち消した。
「ふーん…よっぽど…ワタシに知られたくないことのようね…。」
「そ、それは…。」
未だ、納得できない様子のオカマ氏は尋問を続ける。
対して、まな板の上の鯉状態たる俺は…ただ、口籠ることしか出来ずに居た。
「…あくまで秘密ってワケね。それなら…ワタシにも考えがあるの。アナタの奥にあるもの…引きずり出して上げるわ。覚悟なさい!!」
そして、再び舌舐めずりをするオカマ氏。
まるで蛇に睨まれた蛙のように、手足が硬直する。
「それじゃ…目をつむってちょっと待っててもらえるかしらん。」
「は、はい。」
その言葉に従い、まぶたを下ろす。
途端に世界は黒に満たされた。
正直、不安しか無いが…拒絶して変に刺激を与えることも恐ろしい。
(これは仕方がない…仕方がないことなんだ。)
内心で言い聞かせながら、俺は裁定を待った。
「お待たせしたわねん。」
そして、ものの2~3分もしないうちに、再びオカマ氏の声。
察するに…何かを用意してきたようだが…。
「はい、これ。」
そして、オカマ氏は俺の手を取り…何かを手渡した。
これは…一体…。
「もういいわよ。」
その言葉に従い、目を開く。すると、俺の手の内にあったのは折り畳まれた厚手の布であった。
いわゆる、タオル代わりの布である。無論、肌触りは本物には及ばないが…。
だが、そんなことよりも…今はこの行動の意味を探らなければ…。
「えっと…何ですこれ。」
「ふふん、よくぞ聞いてくれたわん。この布こそがアナタに与えられた権利。」
「は、はぁ…。」
一体、どういうことだ…話が読めない。
「あらあら、何が何やらという顔ね。じゃあ、説明してあげるわ。何を隠そう…アナタが何を欲しているのか…ワタシには大方、分かってしまったのよ!」
(ま、まさか…この人…遂に呪文のことに辿り着いたのか…。)
これまで、考えたことが無いわけではなかった。
この人のこれまでの奇抜な行動…実はそれらは全てカモフラージュだったという可能性を…。
しかし、それなら真の目的は一体。
加えて、このタオルもどきの使い道とは…。
(ダメだ。分からない。)
あまりにも常識外れのことが多すぎて、もはや…いくら考えても無駄なのではなかろうか。
それに、もはや引き返すという選択肢は無いのだ。
(あとはもう、出たとこ勝負しかない…。)
俺は慎重に次の言葉を待った。
そして、オカマ氏は重々しく口を開く。
「カンザキ君!アナタ…さては…。」
生唾を飲み込む。
これから発せられる一言一句を聞き逃さないようにと…。
やがて、その続きが発せられた。
「さては、ドSなのね!!」
「…え?」
あさっての方向からの発言に、思わずリアクションが遅れる。
そして、自らの中に巣食うク○コップの名言が今まさに頭の中を支配していた。
『おまえは何を言ってるんだ。』
だが、そんな俺の心境など知るはずもないオカマ氏は、確信をもって続ける。
「アナタの、まるでワタシに欠片も興味が無いようなあの視線…ワタシには分かったの。根本的には自らが虐げるに相応しい対象にしか、アナタは興味が無いのよ。」
「は…はぁ…。」
「それなら…ワタシはアナタを目覚めさせてあげる!!さぁ、カンザキ君。この布を使って、ワ、ワタシをいじめてちょうだい!!」
興奮気味に息を荒げるオカマ氏。
俺は、酷く冷めた視線でそれを見ていた。
「わかりました。」
布を片手に、迷わずにそう答える。
眼の前のオカマ氏のボルテージが上がるにつれて、対照的に俺の脳が急速に冷やされていく感覚を覚えた。
それは…まるで、火と氷のように…。
(何だ、簡単じゃないか。)
そして、過去最高に冷え切った頭で導き出した結論…ただ1つ、自らが今やるべきこと…。
それを行うべく…俺は腰をかがめながらも、前へと一歩を踏み出した。
(必要なのは先程の状況の、反転。それなら…。)
「いい、いいわ!!その目!!」
恍惚とした表情を浮かべるオカマ氏。
そのまま、俺はその背後に回る。
そして…。
「ちょ、ちょっと!!いたっ…痛い!!それに、何も見えないわ!!あぁ…でも…これはこれで…。」
オカマ氏の視界を塞ぐように、タオル代わりの布をきつく巻き付ける。
蓋を開けてみれば、簡単なことだった。
眼の前でクネクネと動いているこの人物はただのドMだったという事実。
そして、だからこそ…彼を強者と捉えた、俺の消極的な態度には不満を示していた。
それならば、逆のことをしてやればいい。
「ほら、喜べよ。変態。」
「あ、あぁ…そんな。そんな、冷たい声で言われるなんて!!た、たまらないわ!!」
仕上げとばかりに罵声を浴びせる。
すると、ついに興奮が抑えきれなかったのか…オカマ氏は立ち上がる。
激しく波打つ水面…そして、俺の目の前に広がる臀部。
そこに一際輝く、金色の一文が記されていた。
『プロテクト・フィールド』
あぁ、前じゃなくて良かった。
そう思いながら…俺は浴場をあとにした。
「ねぇ、ちょっ…ちょっとカンザキ君。これたまらないわ。難しい放置プレーが布一枚と少々の言葉でこんなに進化するなんて!!ねぇ、アナタはドSの権化よ!!素晴らしいわ!!」
何か聞こえてきたけど、無視することにしよう。
きっと、彼も本望だろう。
こうして俺は…全力で拒みたいもの、その先にある第二の呪文『プロテクト・フィールド』を手入れたのだった。




