オフコース
「あれ…。」
目を開くとそこは、ただ真っ白な空間だった。
この感じ…何だか凄く既視感がある。
(ここは…一体どこだったか。)
記憶を辿ろうとするも、何故か頭がそれを拒む。
どうにも…あまり、良い思い出があるようには思えない。
しかし…何れにせよ、状況を把握しなければならないだろう。
俺は直前の出来事を探るべく、記憶をなぞる。
(思い出せ、今まで何をしていた…。)
ラフきゅんから承認を受けて、その日は帰されて…それから一体何をしたんだ…。
ダメだ。思い出せない。
いや、むしろ…。
「あれ?何もしてない!?」
「はい!正解!!あんたは帰ってからみっともなくグースカ寝てましたー!!」
「どわっ!!」
「どーも!一緒にデートしたい女神ランキング堂々の1位…ライラよ!さぁ、跪きなさい!」
振り返ると、いつの間に現れたのか…例の腐れ女神が自信満々に立っていた。
その瞬間、頭の中で全てが繋がる。
一体何の用だとか、あー…また夢の世界か、とか…言いたいことが山程浮かんだ。
だが、それよりもまず最初に突っ込みを入れなければならないことがあるだろう。
「その調査、どこ調べだよ!!」
「聞いて驚きなさい…私調べよ!!」
ダメだこいつ…早くなんとかしないと。
「ねぇ…ちょっと…その可哀相なものを見る目はやめなさいよ。」
「いや、いいんだ。お前の信じるお前を信じてくれ。」
「えぇ、これからも様々なランキングで1位独占しまくりよ!」
あぁ、何故こんな頭の残念な女神が存在してしまうんだ。
とても…哀れだ。
そして、それ故に思う。
こんな女神に牛耳られる俺たちの世界は一体、どうなってしまうんだ…と。
もしかしなくても、既に詰んでるのではないだろうか…と。
「ちょっ、何泣いてんのよ。あ、分かった。嬉し泣きね。」
あまりの不憫さ…そして世界の行く末を憂い、思わず涙が溢れてしまった。
願わくば…来世はまともな頭を持って転生して欲しいものだ。
もっとも、神なる存在が転生を果たすのか…全くの謎ではあるが。
ともあれ、この状況で掛ける言葉は一つしか無い。
「すまない。ほんと、何ていうか…強く生きろよ。」
「え…えぇ、ありがとうございます?」
困惑しつつも、照れた様子の女神。
皮肉にも、彼女がこんな残念な頭を持ちながらも女神等という大役を仰せつかってしまった以上…俺としては、その幸運を祈るしか無かろう。
2つの世界のため、是非とも強く生きて欲しい。
無論、俺と関わり合いの無いところで。
(頑張れよ、ライラ。俺の居ないところで。)
心の中で、改めてエールを送っておく。
しかしまぁ…酔狂な人種も居たものだ。
こんな『気の狂った残念女神』に投票するなど、おおよそ一般的な価値観をお持ちとは思えない。
一体誰だろう。そんな頭のおかしい輩は…。
「ちなみに…誰がお前に投票したんだ。」
自然と口から出た言葉に対し、ライラは不敵な笑みを浮かべる。
そして、意気揚々とその一言を口にした。
「あんた。」
「は?」
思わず口から間抜けな声が漏れる。
呆然と視線を向けると、そこには自信満々にこちらを指差すライラ。
「だ・か・ら、あんたよアンタ。神崎大魔道。」
「こんのド腐れ女神!!」
距離を詰め、俺は女神の胸元を締め上げた。
しかし、女神は余裕の表情を浮かべている。
「ハハッ、何とでも言いなさい!何をどう頑張ろうとも…票操作によって、天界であんたは私の超熱烈ファンということになってるわ。」
こいつ2秒で不正を自供しやがった!!
だが待て。
それ以上に…まずいことがある。
――天界であんたは私の超熱烈ファンということになってるわ
その言葉のおぞましさに、背筋が凍った。
「何て…何て恐ろしいことを…。」
そして…絶望感からか、腕に込めた力が抜ける。
(俺がコイツのファン…!?そんなもの、世界がひっくり返ってもあり得ない。名誉毀損も甚だしい。)
一方で両手の圧力から解放された女神は「はー、おかしい。」などと宣いながら、ケラケラと笑っている。
その姿を見ている内に、沸々と怒りが湧き上がってきた。
「お前…その不名誉なデマを今すぐ訂正してこい!!神様達が誤解しっぱなしじゃねえか!!」
「えー、この偉大なる私の最初にして最後のファンになれるのよ。ありがたいことこの上ないじゃない。」
「自分で最後って言ってるじゃねえか!!大体、この世界の信者達はどうなんだよ!!」
「天界流に言うと、ファンと信者は別物よ。信者はちゃーんと大切にしないとね。あ、ちなみに…儲かるって漢字知ってる?」
そう言って、ニヤニヤと2本の指で輪っかを作る女神。
「こいつ!!最低だ!!」
俺は、このふざけた女神…いや、邪神にボディーブローを一発…ねじ込んでやろうと、拳を構えた。
今こそ、世界のために正義の鉄槌を下すのだと。
ところが、当の女神は焦った様子も無く、余裕の表情を浮かべている。
「あら〜、そんなことしていいのかしら?」
「何?」
「今や、私の証言によって、あんたはストーカー容疑までかけられているのよ。もし、私が声を上げれば…すぐにでも天界流のおもてなしがあんたを待ち受けてるって寸法よ。」
「おまっ…!!」
天界流のおもてなし…その不穏な響きにたじろぐ。
一体何をされるのか、想像もつかない。
「と言うわけで…哀れな神崎君は私に従う他、なくなったってこと。」
あー、いい気味だわー。とご満悦な表情を浮かべる女神。
こいつ…ふざけたフリをしておいて、俺の拳に対策を練ってきやがった。
「さーて、この不心得者をどうしてやろうかしら。」
不敵な笑みを浮かべてこたらへと距離を詰める女神。
俺は、たまらずに一歩後ずさる。
「さて、それじゃ…せっかくだし、早速言うことを聞いてもらおうかしら。」
「や、やめろ…。」
おおよそ、女神とは思えない表情のライラ。
とんでもないことを言い始めるのは目に見えている。
俺は生唾を飲み込んだ。
「そうねー。私のファンらしく…。」
言葉とともにライラは徐に靴を脱ぎ捨て…右足を前方へと突き出した。
そして一言。
「舐めなさい。」
そう、言い放ってみせた。
こいつ…やはりAHOなのか?
残念ながらそれはファンの行動ではない。そもそも、ファンですら無いんだが。
無論、答えは決まっている。
「無理。」
「ふぁにふんのよ!!いふぁいわね!!」
俺は女神の両頬を思いっきり引張りながら答えた。
天界なんて知ったことか。
この腐れ女神の足を舐める位なら…まだ、天にでも召された方がマシだ。
「いいのふぁひら。あんふぁ、へんはいのおふぉふぇなひは。」
強気の表情でこちらを睨む女神。
だが…彼女は大事なことを失念していた。
「その状態で、助けを呼べるもんなら呼んでみろよ。」
「ふぁっ!?」
「おら、呼んでみろよ。」
思いっきり左右へと頬を引っ張る。
「ひゃ、ひゃめへ。」
声にならない声を上げる女神と、無表情で頬を引っ張る俺。
何ともシュールな光景…だが、非常に遺憾ながらもこれは必要なことなのだ。
決して、仕返しとかではない。
先程、こいつは声を上げればと言った。
つまり、おもてなしについては、ライラの声がトリガーとなっていると推察される。
ともすれば、言語不明瞭にしてやれば…こいつの足を舐めるなどというバカバカしい行動を取らなくても済むはずなのだ。
ぬかったな、ど腐れ女神。
「ほら、ごめんなさいは?」
「あ、あやまひゃないからね。」
「ああん?」
「わかっは。あやはる…あやはるから!!」
その言葉に、俺は手を離した。
すると、ライラは両頬を抑えながら…真っ直ぐこちらを見据える。
そして、目一杯の声量でその言葉を吐き出した。
――バーカ!!
「ふぁい。あの、ふぁい。ごへんなはい。もうひまへん。」
「本当に?」
「ふぁい。ほんほうへふ。わふぁひにひかひまふ。」
自分に誓うというのがまた…何とも癪に障るが、俺は再び手を離した。
「あー痛かった。まったく、あんた何してくれてんのよ。」
頬を擦りながら、こちらを睨むライラ。
しかし、勝手にファンにされた挙げ句に足まで舐めろと言われたのだ。
俺に与えられた精神的ダメージは計り知れない。
そうなると…。
「いや…正当防衛だろ。これは。」
「何よ、せっかくあんたを天界公認の私のファンに…いえ、何でもないです。」
素早く伸びた俺の手を前に、女神はシュッとした。
一体、このアホ騒ぎにいつまで付き合えばいいのだろうか…。
しかし、俺はふと思い当たる。
この女神…やろうと思えば最初に頬から手を離した瞬間、天界の援軍でも何でも呼べたのでは無いだろうか。
それを思いつかない程にアホなのか…或いは…。
「お前…。」
そのことを口にしようとしたその時…急に何かに納得したように女神はポツリと話し始めた。
「ったく、まぁいいわ。そこまで強情なら大丈夫でしょう。神崎!」
「何だよ、藪から棒に。」
唐突に名前を呼ばれ、緊張が走る。
正直、理解が追いつかないが…どうやら何か話があるらしい。
「今回はね…わざわざ、あんたにヒントを与えにきたってわけ。」
「ヒント?なんのだよ。」
「呪文。」
ゴクリと唾を飲み込む。
これは…急に真面目な話になってしまった。
もちろん、ファンがどうだのと…そんな下らないやり取りをするためだけに来たわけでは無い、とは思っていた。
しかし、まさか呪文についての話だとは…。
「マジか…。」
「えぇ。大マジよ。」
思わず互いに一段、声が低くなる。
そして、ライラは姿勢を正し、真っ直ぐと俺に告げた。
「第二の呪文…全てを拒む力。それは…神崎大魔導あなたが全力で拒みたいもの、その先にあります。」
「全力で拒みたいもの…。」
それが何を意味するかは、正直分からない。
だが、あの研修以来…初めて呪文の手がかりを見つけることが出来たのだ。
これでまた、1つ…前に進める気がする。
そして、そんな俺の様子を見ていたライラは、再び話を始めた。
「まぁ、見たところ、あんたの素質は十分みたいだしね。」
その言葉に、今までの言動が頭を過る。
「お前、まさか…。」
「まぁ、お察しの通りよ。あんたのこと試させて貰ったってとこ。」
それにしたって…もう少しやり方があるだろう。
何だよ、ストーカーって…。
「まぁ、精々頑張んなさい…っと、そうそう。もう一つ、大事な話があったんだ。」
「何だよ。」
ライラはムッとした様子で告げる。
「あんた、杖の扱いがぞんざい過ぎる!!」
「そ、そ…そんなことねーよ。」
一瞬、ギクリとする。
あの日、フィーネのベッドの下で見つけた杖。
始めこそ、大事に扱っていたが…思った以上に頑丈なので、最近は色々なことに利用していたのだ。
それこそ、衝立や布を被せて掃除用具にしたり、果ては孫の手代わりといった具合である。
しかし、まさか逐一把握しているわけもあるまい。
ここは何とか誤魔化せれば…。
「こ、この前…あんたあれで、背中とか色々掻いたでしょ。ぜ…全部お見通しなんだからね!!」
無理だった。
「いや、アレは…こう、先っぽの方がちょうどいい感じに冷んやりしててだな。」
「シャラップ!とにかく、あの杖は凄く大事なものなの。もっと大切に扱いなさい。いいわね!!」
顔を真赤にして、そう告げる女神。
なるほど…それ程までに大切な物なのか…。
「分かった。善処はしよう…って、あれ?」
久々にまじまじと杖を見た俺は、とあることに気付く。
「何よ。」
「宝石が…無い。4個しか付いてない。」
そう、当初は先端に5個の宝石が埋め込まれていたはずなのだが…それがいつの間にか消失していたのだ。
――えっ、これやばくね。
さぞや怒られるだろう…そう思って、ライラの方へと向き直る。
しかし、彼女は特に気にする様子も無く、口を開いた。
「あぁ、それならいいのよ。」
「いや…でも大事に扱えって。」
「あんたが呪文を発動するのに必要なのよ。ソレは。」
ライラは続ける。
「あんたの中の天使の魔力は、杖を伝って最終的に宝石を媒介として発動されるの。」
「なるほど。」
「そして、役目を終えた宝石は砕け散る。これが通常の魔法との違いってわけね。」
「じゃあ、この宝石は…。」
「砕け散るべくして、散ったってこと。まぁ、必要な投資ってやつね。」
一瞬、ヒヤッとしたものの…どうやらそこには寛容らしい。
「仕方ない…今後はもう少し杖らしく扱うことにするよ。」
「分かれば宜しい。」
満足気に頷くライラ。
そして、女神は話は終わりとばかりに切り上げようとする。
「まっ、私からの要件はこんなところかしらね。」
「お前、いつも唐突だよな…。」
「あら、ごめんあそばせ。あんたと違って暇じゃないのよ。」
「おいコラ。こちとら、誰かさんが紹介してくれたギルドでエライ目に遭ってんだぞ。」
「でも、死んだように生きるよりは…悪くないでしょ。」
「それは…。」
痛いところを突かれ、言葉に詰まる。
確かにそれは…そうかもしれない。
生きている意味も分からずにただ、毎日…ゲームに没頭する日々。
そんな日常から抜け出し、もう一度大手を振って外を出歩ける。
本当はそんな日々をずっと…夢に…。
(あ、あれ…。)
そんなことを考えていたからだろうか…何故だか、不意にまぶたが重く感じられた。
「何だか目が…。」
「あら、そろそろ時間のようね。」
その様子を見てか、女神は飄々と答える。
どうやら、そろそろ夢の世界の面会も終わりを告げるらしい。
だが、それは困る。
俺にはまだ…確認しなければいけないことがあるのだ。
何とか意識を保ちつつ、言葉を口にする。
「現実で眼を覚ます前に、1つだけ聞きたい。」
「なにかしら。」
「お前の…ファンの話…あれは本当なのか。」
今回、俺を試す目的で口にしたであろう…俺が奴の熱烈なファンだというデマ。果たして、それを本当に天界へと流したのか否か。
その真偽を確かめずして、奴を逃がすわけにはいかない。
…というのも、何故かこの異世界においては…彼女、女神ライラは実際に俺の前に姿を表したことがないのだ。
ならば今、この夢の世界で確かめる他ないだろう。
――しょう……わね。
しかし、意識は徐々に沈んでいく。
そこに、抗いがたい眠りが潜んでいるかのように…。
声も途切れ途切れにしか聞こえない。
それを知ってか、ライラは一文字づつ答え始めた。
――お…。
(お?おってなんだ…。はい・いいえ、もしくはイェスorノーで良いはずなのに。)
――ふ…。
(お…ふ…何を言ってるんだ。あいつは。)
――こ…。
(お…ふ…こ…?いよいよ…意味が分からないぞ…。)
沈み行く意識の中で、その言葉の意味を考える…。
――す…。
女神は最後と言わんばかりに、笑顔で手を降っている。
(お…ふ…こ…す…?ま…さ…か。)
その答えに辿り着いた瞬間、俺の意識は完全に消失した。
「of course、じゃねえよ!!ど腐れ女神が!!!」
そして翌朝…俺の目覚めの第一声がそう、響き渡ったのは言うまでもない。




