世の中には知らないほうが良いこともある。
決戦当日。その日は嫌味なまでの快晴だった。
雲一つない晴れ空の下、俺達(主にドルグ)は台車で器材を運びつつベルディアの中央広場へと向かう。
「やれることは…やったわね。」
「そうだね。」
「ま、なるようになるさ。」
「あぁ、こいつの言うとおりだ。カッカしてもしょうがねえぞ、嬢ちゃん。」
俺達4人は思い思いの感想を述べつつ、歩を進めていた。
思い返せば、入社から一ヶ月…この地で過ごしてきた日常は、今までに経験したことの無い混沌とした日々であった。だが、現代日本で腐っていたままでは体験することのない日々であったことは間違いないだろう。
モンスターの巣食うダンジョンの攻略に始まり、今度は自分達の出店で先輩との勝負。
あの時に一歩踏み出すことで得た、『日常』は少なくとも俺に生きている実感を与えてくれた。
そして、今回の決戦の場へと赴く今、俺達は出来る限りのことをやってきたのだ。
これで負けるようであれば、諦めもつくというものだろう。
むしろ、俺の作戦がどこまで通用するのか。それを考えると…自然と楽しみな気持ちが湧き上がるのだった。
そして、そんなことを考えていたからだろうか…。俺の脳裏にはふと、あの憎たらしいガリ勉メガネが負けた時の様相が思い浮かんでくる。
小柄で丸眼鏡をかけた、オカッパヘアーの男性が顔を真赤にして飛び跳ねている。そして、周囲に構うこと無く、喚き散らすのだ。
「キィィィィ!!私は負けてない!!あり得ないガリね!!この低学歴ガリガリガリガリ!!」
…なんだか最後の方はおかしな空想が混じり込んだ気がしないでもないか、気にしないでおく。
いずれにせよ、あの人が素直に敗北を認めるとは思えかった。
そうなれば、負けを認めさせる『一言』が必要になってくるだろう。俺はガリ勉を打ち負かした後の、『決め台詞』を検討する。
案1、ガリクソン破れたり!…王道過ぎるか。
案2、せ〜んぱ〜い。勉強しすぎて頭バカになっちゃったんですかぁ?…と、これはちょっと言い過ぎか。
案3……。
何故だか、こんな時に限り、俺の言語野は絶好調であった。
「あ、あのさ。カンザキ。」
すると、それを遮るかのごとくドルグから声を掛けられる。
「案4、ガリベールン、愚かなり!!」
「へ?」
だが、俺の口からは、つい考えていた案4が口をついて出てしまう。
当然のごとく、キョトンとするドルグの表情がこちらへと向けられていた。
「おっと、すまん。ちょっと後にしてくれ。作戦の最終段階について考えてるんだ。」
俺は再度、内心を口に出さないよう何とか誤魔化す。嘘は付いていない。
「そっか、ごめんよ。」
そして、それを受けたドルグは素直に引き下がってくれた。
相変わらず、物分りが良くて助かる。世のお偉いさん方も、これくらい物分りが良ければ助かるのだが…と思うが、それは心の内にとどめ置く。
「わりぃな。デカイ方の兄ちゃん、話なら俺が聞いてやっから。」
すると、彼はその言葉と共に大男の屈強な腕に強く肩を叩かれた。
「まぁ、よくあることですから。」
「おっ、デカイ方の兄ちゃんは心もデカイな。」
「ハハハ、恐縮です。」
そして、ドルグは苦笑いを浮かべる。
「なぁ、そう思うだろ。嬢ちゃん。」
「そうですね。ドルグは広い心の持ち主だと思います。」
笑顔で返事をするフィーネ。その点については俺も同意だった。
「ハハハ、良かったじゃねえか。デカイ方の兄ちゃん。」
「えぇ。ありがとうございます。」
そう言うと、ドルグと大男は互いに笑い合う。
その様は、むさ苦しい気がしないでもないが…いい絵面であった。
ところが、そんな中で空間を切り裂くかの如く、フィーネのツッコミが響き渡る。
「っていうか…誰よ!このむさ苦しいオッサン!!」
「ハルゲールさんだ。」
「は?」
ベルディアの街の中央広場を前に俺は足を止め、フィーネの疑問に答えた。
「だから、この人の名前だ。知りたがってただろ。」
「なるほど…。ハルゲールさん、よろしくお願いします。」
「おう、よろしくな。嬢ちゃん。」
頭を下げるフィーネ。対してハルゲール氏は片手を上げる。実にラフな挨拶だ。彼らしいとも言える。
「って、ちっがーう!!」
「何だよ、誰かって聞かれたから答えたじゃないか。」
「名前だけ聞いてもしょうがないでしょう!この人は、一体、何・な・の・よ!」
まくし立てるフィーネ。
俺は観念して、その正体を明かすことにする。願わくば、本番にて明かしたかったのだが仕方ない。
「名も無き串焼き屋台店主にして、俺の師匠だ。」
「は、はぁ。」
呆然とするフィーネ。やはりと言っては何だが…説明不足だったらしい。
「んじゃ、改めて…。この人が、我らがチーム神崎の5人目にして、最後の助っ人兼、俺達の秘密兵器。ハルゲールさんだ!」
「おう、オメーら。改めてよろしく頼む。」
そして、ハルゲールさんこと、師匠は右手を差し出す。
「ドルグです。よろしくお願いします。」
「わ、私はフィーネ…です。よろしく…。」
フィーネとドルグはそれぞれ握手をしながら自己紹介を済ませた。
少しフィーネが引いている様な気もしたが、気のせいだろう。多分。
そして、何を隠そう…彼こそ一昨日に交渉を持ちかけた串焼き屋台店主なのである。
俺が初任給を全て注ぎ込んで買った物、それは店主…ハルゲール氏自身だったのだ。
もちろん、今日限定での出張店舗という形での依頼だが、その代償は決して安いものではなかった。それについては、再びスッカラカンとなった俺の懐事情から察して頂きたいと思う。
しかし、間違い無く彼のその腕前は、ガリ勉先輩との勝負にて力を発揮してくれることだろう。
さらに、加えて言えば、ハルゲール氏は1日の突貫とは言え、俺に最低限の技術までも教えてくれたのである。
今のところ、想像以上の成果と言えるだろう。俺は自信満々に2人に告げる。
「焼きは俺と師匠に任せとけ!お前ら!!接客と配膳は任せたぞ!」
「っとまぁ、そんな訳で…今日はこいつと2人でガンガン焼いてやるからよ。」
師匠はそう言うと、筋骨隆々とした肉体で力こぶを作ってみせていた。
何の意味があるのかは不明だが、取り敢えずは頼もしい。
「そ、そうね。」
「わ、分かった。」
フィーネと、ドルグは静かに頷く。
そして、俺はついでとばかりに付け加えた。
「ちなみに、今回は道具も師匠からお借りした。礼を言うように。」
そう、今回は師匠の屋台の焼き場をそのまま使用することとなる。
こう言っては何だが、至れり尽くせりである。
「「ありがとうございます。」」
俺の言葉に反射的に頭を下げるドルグとフィーネ。
すると師匠は、そんな2人を見て大声で笑い飛ばした。
「なあに、代金も頂いたし、兄貴のところの部下が困ってんだ。この程度軽いって…。」
「ありがとうございます。師匠。」
俺は師匠の言葉を遮るかのごとく、大声で礼を述べた。
感謝の気持ちもあるが、そうせずには居られない事情があったからだ。
しかし、そんな俺の努力も虚しく…フィーネは疑問を口にする。
「ねぇ、今…兄貴って…それにハルゲールって名前…。」
「フィーネよ、それ以上はいけない。」
「え…。」
俺は彼女の言葉を遮る。そして、そのまま彼女の手を引き、近くの路地まで引っ張っていった。
買い取りを申し出た際に、俺は全ての事情を師匠に話し、その結果として知りたくない事実までも知る羽目になってしまったのだ。
いたずらに上司のプライベート領域に踏み込んでも良いことなど何一つとして無い。これは古今東西語り継がれ、分かりきっていることだ。だが、今回は余りにも偶然が重なりすぎてしまったのだ。
俺は顔を近づけ、真剣な表情でフィーネに念押しをする。
「いいか。俺達は師匠の家族構成については何も知らない。知らないんだ。」
すると、彼女は「え…えぇ。」とだけ答える。心なしか、その顔が紅潮しているようにも見えたが、多分気のせいだろう。
そして、彼女はうつむきながら元の場所へと戻って行く。いやはや…真剣に考えてくれているようで何よりだ。
得てして、世の中には知らない方が良いこともある。
このことが後ほど、ヒゲに知られたらどうなるか…全く予想がつかないのだ。
そんな重荷を背負うのは1人だけでいい…。
そう、決意を固め…俺もまた、中央広場の前へと戻っていった。
こうして、俺達4人は会場へと赴いた。全ては、ガリ勉野郎を打ち倒すために…。




