彼の名は。
あのエンドミーティングの日から三日が経った。
俺の安静も解かれ、体力も回復してきたように思える。少なくとも、日常生活に於いては支障なく過ごすことが出来るようにはなった。
そんな日の昼下がり、部屋で一人平穏を満喫していた俺の元に、ノックと共に不穏分子が現れる。
「カンザキ、居るか?」
「あ、はい。お疲れ様です。」
そう言って現れたのはヒゲ部長その人だった。だが、俺の不安を煽るのは部長当人というよりも、その要件にあった。
「体調はどうだ。」
「まぁ、ぼちぼちですね。普通には動けますよ。」
「そうか、それはよかった。では、早速で悪いが…。」
そう言うと一呼吸置く部長。そして…。
「社長がお前を呼んでいる。社長室まで来てもらいたい。」
衝撃の一言を俺に言い放った。
「ここが社長室だ。」
俺は部長に連れられ、ギルド本部の二階、社長室前へと連れてこられていた。そのドアは特に華美な装飾が施している訳でもなく、ただ『社長室』とだけ書かれた木製のプレートがぶら下げられている。
かつて想像していた社長室よりも大分シンプルな様子だ。
「では、私はまだ仕事が残っているのでな。」
「ちょ…!」
「また後でな。」
そう言って、足早に部長が去っていく。
「置き去りかよ…。」
堪らず、その場で愚痴る。
社長からの個別の呼び出し、一体どんな要件かは想像も付かない。様々な想像が頭を駆け巡り、俺の不安が増大していく。
「いきなり解雇…は無いと思うが。ひょっとして呪文でダンジョンが思った以上に破壊されて怒っているとか…。」
あり得る話だった。正直、あの時はダンジョンの損傷具合にまで気を払う余裕なんて無かった。
あれだけの威力の光線が放たれたのだから、柱の一本や二本折れていてもおかしくはない。いや、そもそもあの部屋に柱なんてあっただろうか…。考えるほどに、当時の状況が分からなくなっていく。
「やべ…わけが分からなくなってきた。」
頭痛がしてくる。これ以上考えるのは止めよう。
もはや、呼ばれてしまった以上、どうしようもないのだ。
「ええい、ままよ。」
決意を固めた俺は、ドアを三度ノックする。
「どうぞー。」
中から、柔らかい声で入室を促される。しかし、この声どこかで聞いたような…。
「失礼致します。」
そして入室した俺を待っていたのは…。
「こんにちは、カンザキ君。加減はいかがですかな。」
「あ、あなたはお風呂場の紳士!!」
風呂場で意味深な会話を交わした、初老の紳士であった。
「社長とは露知らず、あ、あのお風呂場で以前は何かラフな感じで接してしまい、申し訳ございませんでした。」
混乱に陥った俺の脳が意味不明な謝罪を繰り出す。
「いえいえ、いいのですよ。お風呂場でお互い裸を晒した仲では無いですか。」
苦笑する社長。しかし、その発言は微妙だ…。
「それよりも、私の方こそ自己紹介が遅れて申し訳ない。」
「いえ、そんな…。」
「このターナーズ・ギルドを預かります、代表取締役社長、田辺と申します。宜しくお願い致します。」
そう言って、名刺を差し出す社長。
「これはどうも…ご丁寧に。」
雰囲気に飲まれ、名刺を受け取る。
「社長。申し訳ありません、私…まだ名刺が…。」
「分かってますよ。社長ですから。」
「それもそうですか。」
「そうですとも。」
ハハハと笑い合う新米社員と社長。
そんな中、ふと違和感を覚える。
…何か今、凄く重要なことを聞いたような…。
「社長…失礼ながら、今、ご自分のお名前を田辺さんと仰いました?」
「はい。田辺ですよ。」
「えええええええええ!!」
堪らず、声を上げる。
そう、俺は今まさに伝説の男を目の当たりにしていたのだった。
「まぁ、立ち話も何ですし…とりあえず座りましょうか。」
「そ、そうですね…。」
一度、心を落ち着ける。しかし、まさか伝説の男と風呂を共にしていたとは…。
そして、よくよく考えてみると…ヒゲは『創業者』とは口にしたが、一言も代替わりしたとは言ってなかったことに気付く。
創業者兼現社長、それが今、眼の前に居る田辺氏ということになるのだろう。
「神崎君。」
その一言に、思考の渦から意識を引き戻される。見れば社長は既に着席していた。
俺も「失礼致します。」と一言告げて着席する。
改めて部屋を見渡すと、業務用と来客用の机が二つ、そこに合わせて通常の椅子が一つと長椅子が二つ設置されていた。そして、それ以外には本棚と機械式時計が一つあるだけだ。
社長室として見るならば、かなり質素な部類に入るだろう。
当然、机を挟んで、向かい合って話をする形となる。
「…あなたが、伝説の男と呼ばれている田辺さんだったんですね。」
「そんな大したものではありませんよ。」
苦笑する社長。
「ここまでやってこれたのもヒルゲール君や、ラインフォール君、メルガーネス君、それから…この会社で頑張ってくれた皆さんのおかげですよ。」
「そうですか…。」
「そして、神崎君。君もその一員となってくれると、私はそう思っていますよ。」
「…。」
嬉しい反面、プレッシャーを感じ、咄嗟に言葉を返すことが出来なかった。
果たして俺は、その期待に応えることが出来るのだろうか。
「…どうなるかは分かりませんが、とりあえずやれるだけは頑張ってみようと思います。」
俺は、思いの丈をそのままに言葉にした。
「はい。是非頑張って下さい、女神ライラが見出した期待のルーキー君。」
田辺社長は、嬉しそうに微笑む。一方で俺はその名前を聞き逃せなかった。
「…社長はライラをご存知なのですか。」
「はい。よく存じておりますよ。」
これから先…社長と下っ端の俺が直接話をする機会はそうは無いだろう。
そう思うと、確かめずには居られなかった。
「やはり、社長は…転生者なのですか。」
「はい、新宿で山手線内回りを待っている最中に飛ばされました。」
「新宿…内回りはえげつないですね…。」
「えげつないですね。」
もう一生、元の世界の出来事に触れることも無いかと思っていた俺の脳裏に、ふと今までの出来事が蘇る。そして、思い出した。社食で初めて食べた食事のことを…。
「社長…生姜焼き、美味しかったです。」
「そうでしょう。あれは苦労をしましたよ…。」
ハハハと笑う社長。あの夜、風呂場で感じた“親しみ”は元の世界に繋がっているという、その感覚だったのだろう。
「…色々と話をしたいことがあるのですが…いや、余りにもありすぎて…。」
それは正直な感想だった。色々と聞きたいことはあった。それは、この世界のこと…元の世界のこと。だが、それらは頭の中で綯い交ぜになっていく。
「あの…えっと。この世界ってそもそも…いや、女神が先か。ちが……」
社長がそんな俺の様子を見かねてか、声を掛けてくれる。
「神崎君。その話はまた今度、ゆっくりとしましょう。」
「でも、社長は…いつも動き回っているとカイルさんが…。」
「君にヒントをあげましょう。」
そう言って、俺を諭す社長。
ふと、駄々をこねた自分が恥ずかしくなる。社長の顔を直視できなかった。
「ヒント…ですか。」
「私は、風呂が好きです。異世界に来ても作ってしまうくらいには。」
なるほど、言われてみれば確かにそうだ。
「また、会うこともあるでしょう。その時には、是非一人の日本人、いえ、友人の田辺として接して下さい。」
「それは、いいのでしょうか。」
「いいんです!」
何故か語尾が強調される。ジ○ン・カ○ラの真似だろうか…あまり似ていない。
「…はい!分かりました、田辺さん。」
「ええ。よろしくお願いします。」
一時の間をおいて返事をすると、社長…いや、田辺氏は嬉しそうに笑顔でそう告げたのだった。
「ところで…神崎君。」
「何でしょうか。」
「面談後にはこれを渡して欲しいと、ヒルゲール君から頼まれていたのですが。」
そう言って、メモ書きを取り出す田辺氏。
「何だろう…えっと、ありがとうございます。」
そのメモを受け取る。
「では、またお風呂場で。」
「はい、今日はありがとうございました。」
ドアまで行き、一礼。
「失礼致します。」
俺は社長室をあとにする。
こうして、俺は、伝説の男の友人となった。
廊下に出ると、早速、受け取ったメモを広げる。
「えっと…何々…。午後6時頃、前と同じ酒場…?」
メモにはそう乱雑に書かれている。
恐らく、新人歓迎会のと時と同じ酒場に6時頃に来いということなのだろうか…。
「もうちょい、伝え方ってあるだろ…。」
俺はそう一人、愚痴るのだった。




