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マリアの騎士―名高き王と古の眷属―  作者: 草宮つずね。
第一部 始まりの物語
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第六章 牢獄の錬金術師

 マリア達は山を下っていた。ときおり休みをはさみながら、道なき道を進んでゆく。それから数日が過ぎて国境を越えると、街が見えてきた。それを山の傾斜から見下ろしてマリアは感嘆にも似た声を漏らす。


「ここがオブシディアン共和国!」


「はい、ここは交易も盛んですからマリア様が見たこと無いものもあると思いますよ」


「へえ、そうなのか。楽しみだな」


 答えたマリアの首から、ペンダントがぶら下げられている。ペンダントに付いている宝石は、少し赤い色になっていた。それをレイヴァンが不思議に思い、ペンダントの石を手に取る。


「不思議な石ですね。この石は光の加減によって色が変わるのでしょうか?」


「そうだな。バルビナからもらったときは、青い色をしていたのにな。不思議な宝石だ」


「ええ」


 レイヴァンが考え込むかのように眉に皺を寄せる。


(王妃様がこの石を、マリアにお守りとして渡したのが気になる。それにバートからもらったというのも)


 そんなレイヴァンの隣でレジーはひょうひょうとした表情で空を見上げる。何か聞こえているのかもしれない。


「レジー、どうかした?」


「はい、風が何やらそわそわしているようで」


「風が?」


「もしかしたら、この街で何かあるのかもしれません。用心していきましょう」


 マリアが小さく頷く。それから、三人は山を下り街へと降りた。そこは目が回るほどに多くの人が行き来していた。華奢で小さな体のマリアは人波に流されてしまいそうであったため、ずっとレイヴァンがマリアの肩を抱き寄せている。


「うわっ、とと」


「大丈夫ですか、マリア様」


「大丈夫。だけど、随分と人が多いな」


「交易都市と呼ばれるほどですからね。昔からここでは大きな市場が開かれ、第二の首都と呼ばれています。ですが、ここには処刑場もあるため皆、お守り袋に魔除けの力があると考えられているハーブを持ち歩いているとか」


「そうなのか」


 零して辺りを見回す。よく見れば、皆なにやら小さな袋をカバンに付けている。あの袋にハーブが詰め込まれているのかもしれない。


「ハーブがお守りか。料理に使われているのをよく見るが、お守りとしてこの国では使うんだな」


「そうですね、この国ではハーブがよく採れるのですがあまり食す習慣は無いようです」


「面白いな。わたしは、国の違いなどをもっともっと知ってみたい」


 レイヴァンがくすりと笑い「面白いですよ、文化の違いというものは」と言えば、マリアは楽しくなって頬を紅潮させた。はぐれないようにとレイヴァンのマントを強く握った。


***


 牢獄にある小さな小窓から溢れんばかりの朝日が漏れ出す。それを感じてヘルメスは、顔を上げる。看守が警戒して、持っていた槍を強く握りしめた。けれども、ヘルメスは丸腰だ。到底、武器を持っている看守にかなうわけがない。そもそも鎖でつながれているし、鉄格子に閉じこめられている。どうしようも出来ない。はずであるが身につけているペンダントが淡く光を放てば、看守は警戒しているようで汗をじっとりとかいていた。


「そんなに怯えなさるな、看守殿。ただの石だ」


「お前は錬金術師だろう。妙な術を使い、おれをどうにかする気ではないのか」


「錬金術を黒魔術か何かと勘違いしてはいないかい? そんな怪しい者ではないよ、看守殿」


 看守はやはり、槍をかまえたまま動かない。れを切らして「やれやれ」と嘆息する。


「な、なんだ」


「この石は、バートが俺にくれたものだ。それも、俺の誕生日にな。なんと言ってくれたと思う?」


 看守に問いかければ、看守は汗をじっとりとかきつつ「さあ」と小首を傾げた。


「『これがお前を助けてくれる』だぜ? 信じられないだろ。自分はこれから断頭台に向かうというのに。莫迦バカな人だ」


 錬金術師にも人間と同じ情があるのだろうか、と思い看守が槍を降ろそうとした、刹那に不気味なほどに狂ったような笑い声が響き渡る。その声に看守に戦慄が走る。


莫迦ばかだよねえ。看守殿も思うだろう? むかつくよ、俺に全てを押しつける親父にも、俺をさっさと断罪しない国にも」


 なにか言葉を発しようとした唇を看守は閉ざす。ヘルメスが鉄格子の近くまで近寄って来たからであった。鉄格子が「がしゃん」と音を立てる。


「看守殿、俺を逃がしてはくれないかい?」


莫迦ばかなことを――」


「俺は、大まじめで言っている。それにこのままここで閉じこめられているぐらいなら、断罪された方がましだ。だから、看守殿。俺を逃がしておくれ。もちろん、無償ただとは言わないさ」


 ヘルメスが()()()と微笑んで、ポケットから何やら石を取り出す。その石は青い輝きを放っていた。


「宝石?」


「金剛石、一度は聞いたことがあるだろう? だが、こいつは青い金剛石だ。その美しさに金持ちはこぞって欲しがる。これを主にあげればいい。そうすりゃ、看守殿は出世するさ。主は無類の宝石好きと聞く」


「それは、珍しいものであろう。何だって、こんなおれ何かに」


 ヘルメスの口角が上がる。


「これはちょいといわくつきのものなのさ。言っただろう、金持ちがこぞって欲しがると。だから、皆がこれを欲しがり、これの持ち主は非業の死を遂げるのさ」


 看守は震え上がる。それを見てヘルメスはニタニタと笑う。


「別名、ブルーダイヤモンドとも呼ばれている。あまり採れない特別な石だ。どうだ、お前の主に献上してみろ」


「そんなこと、できるわけないだろう」


 言いながらも、看守の手が青い金剛石に伸びかけた。瞬間、地下牢の扉が開きカツカツと音を立ててこちらへ近づいてきた。看守は、「ぴっ」と背筋を伸ばして足音の主を迎える。足音の主は、看守とヘルメスを交互に見てため息を吐き出す。


「まったく、悪魔の言葉に耳を傾けるな」


 看守は「申し訳ございません」と頭を下げる。ヘルメスの表情は、ニタニタを笑っており不気味だ。


「ヘルメス、お前は釈放だ」


「ほう、何故に?」


「知るか。とにかく、外へ出ろ」


 足音の主こと男は、鉄格子の扉を開ける。足枷だけは外してくれたが手枷は外しては、もらえなかった。その状態のまま、地下牢の外へ出る。何日ぶりかの太陽に眩しげにヘルメスは、目を細める。すると、男は胡散臭そうにヘルメスを見る。


「お前には、太陽だって実験の材料のように見えているんだろう?」


「そんなわけないですよ、俺にだって普通に感情はありますから。悪魔を見るような目で俺を見ないでいただけます?」


「ふん、どうだか」


 男はまるでハエでも見るかのような目でヘルメスを見る。けれど、ヘルメスは気にもとめていない様子で外の様子を見る。そうしてしばらく行くと、大きなお屋敷へとヘルメスは通された。

 お屋敷の中は宝石のような輝きを放つ、シャンデリアが天井で輝き床はふかふかの柔らかい絨毯が敷かれている。あっちこっちに壺や竜のモニュメントが置かれていた。それらをぼんやりとヘルメスが眺めながら男の後ろを歩いていると男は、一際大きな扉の前で足を止める。


「ここだ、一人で行け」


 ヘルメスは男の言うとおり、一人で扉を開けて中へはいる。そこには金色の髪をなびかせた美しい女性がいた。女性は長い金の髪を巻いてウエーブを付けている。髪には金紅石がつけられた髪飾りが付いている。かつて、ヘルメスが彼女に贈った物であった。


「アレシア」


 ヘルメスが名を呼べば女性アレシアは、ぱっと顔を上げて抱きついた。


「父上に何度も、迫害を辞めるように言っても聞いてくれないの。錬金術師は危険であると。人を人と見ない、悪魔に魂を売り渡した人間なのだと」


 泣いているアレシアに、ヘルメスはほんわりと微笑む。


「言っているでしょう? 俺と一緒にいては、あなたが危険な目に遭う。だから、俺に関わってはいけないと」


「いやよ、私はあなたが好き。この思いは止められないもの。それに父上だって認めていたわ。あなたたち、錬金術師がいたからこの国は栄えたのだと」


「逆に俺たち錬金術師のせいで国は借金を背負っている。そうだろう?」


 アレシアの瞳から大量の涙があふれ出す。


「俺を釈放するために何をしたんだい?」


「え? 私、何もしていないわ。それに父上も、あなたを釈放するなんて言っていない」


 ヘルメスの表情が初めて動揺した瞳へと変わる。扉へ目をやった。扉の隙間からカードが出てきた。


『お前を釈放したのはおれの独断だ。お嬢様を連れてどこかここではない遠くへ逃げろ』


 読んでヘルメスは苦笑いを浮かべる。


「逃げて、ヘルメス。いくら何でも、私を連れて逃げるのは無理だわ」


 アレシアを横抱きにすると窓から飛び降りた。


「きゃあ!」


 ヘルメスの足が地面に付いたとき、あたりには衛兵が取り囲んでいた。カバンから何やら手のひら大の球体を取り出すと、地面へ打ち付けた。たちまち白い煙が吹き出る。ヘルメスはアレシアを連れて、人波に紛れ込んだ。


***


 周りがざわめいている。疑問を感じて、マリアは視線を向けた。ひときわ大きな建物があり、白い煙が立ち上っていた。


「レイヴァン、あれは」


 呼びかければ、レイヴァンも足を止めて建物の方を見る。表情を険しくすると、マリアの肩をいっそう堅く抱き寄せて建物から遠く離れた。


「レイヴァン?」


 首を傾げるばかりのマリアに、レイヴァンが口をひらく。


「マリア様、おそらく何かあったのでしょう。今日のところはここで一晩、明かしますが明日にはここを出ましょう」


「うん」


 頷きつつも建物の方へ視線を向ける。いつの間にか側にいたレジーが、マリアに問いかけた。


「何か気になることでも?」


「さっきから、母上からいただいた石が熱いんだ」


 見ればマリアの首から提げた石が、赤い色をしている。レイヴァンが目を見開く。まるで何かに反応しているかのようだった。


「あつ!」


 マリアの体に男がぶつかる。その男は髪もひげも手入れをしておらず、伸びきっていた。手足には、枷が付いていたか。青いアザが出来ている。


「お前は――」


 マリアが何か言おうとすれば、男の近くにいた女性が口を塞いだ。


「お願い、私たちをかくまってほしいの」


 マリアは驚きつつもうなずく。男と女性を狙っているのか、多くの衛兵達が建物の方向からぞろぞろと現れた。ふさがれていた口が解放されると、レイヴァンとレジーに命じる。


「レイヴァン、レジー!」


 名を呼んだだけであるはずなのに二人は、役割をよく心得ているようで後ろから追ってきていた衛兵達の前に立ちふさがる。その間に「こっちへ」と言って女性と男を人目の付かない場所まで連れてきた。辺りを警戒しつつ、弓に手を伸ばす。手が少しばかり震えていた。


「あなた、もしかして人を殺したことがないの?」


 女性にマリアは小さくうなずく。


「あなたたちの様子から旅人だとよんで、何か罪を犯して追放されたのかと思ったけれどそうでもないのね」


 マリアの頬を汗が伝う。弓をかまえようとするものの、手がガタガタと震えている。震える手に、女性が手を重ねる。


「きっと、大丈夫だわ」


 マリアが心の中で首を傾げれば、足音が聞こえてきた。その足音が近くになり相手を認識する。レイヴァンとレジーであった。


「はあ」


 マリアの力が抜けて感嘆と共に、地面へ崩れ込んだ。駆け寄ってレイヴァンとレジーが体を支える。


「大丈夫ですか?」


「ありがとう。二人とも」


「あなたが無事なら、それでいいのですよ」


 成り行きを見守っていた女性であったが、マリア達に遠慮がちに声をかける。


「あのう、あなたたちは、旅をしているの?」


「ああ、そうだ。オブシディアン共和国に住むバートという者を尋ねてここまで来たんだ」


 マリアの言葉に男が反応する。


「バート、とお主は言ったか?」


「ああ、バートという者だ。その者なら知恵をかしてくれるであろうと。知っているのか?」


 男の瞳にマリアが映り込む。


「バートは俺の父親だ」


「何だって、それはなんという縁だ。それで、バート殿はどこに」


「斬首された」


 マリアの目が見開かれる。そして、悲しげに肩が落とされた。


「そうか。それでは、もうこの国に長く居座る必要もないな。お主も衛兵達から逃げているようだし。わたしたちが一緒だということも、向こうにも伝わっているだろう」


 側にいない方がいいとも紡いで、「お元気で」とマリアが歩き出そうとした。男が呼び止める。


「待ってくれ、お前が下げているそのペンダント」


 マリアが緩やかに男の方を振り返る。揺れる薄い金の髪が太陽の日差しを受けて鎖のように輝いて見えた。そこから除くのは、青い瞳。青い金剛石の瞳に男の見窄らしい姿が映り込む。瞳に吸い込まれそうな感覚に襲われて、わずかだが男が息を飲む。


「これは、バートから貰った物だと母上が言ったそうだ。それで、お守りとしてわたしに託してくれたんだ。これが、どうかしたのか?」


 男の痩せた手が自らの服の中を探り、首から提げている鎖の先。同じ石だ。


「お主も持っていたのか」


「ああ、処刑されるとき、これだけを俺に託して断頭台へと上がっていった」


 マリアは男に駆け寄り問いかける。


「これが何の石か、わかるか。この石、なぜだか時によって違う色をしているのだが」


「ああ、しかもこの石。どうやら、あなたが持っているその石と共鳴するようだ。近くにあると熱く熱を持ち、震える」


「さっきもこの石は熱くなって」


「おそらくこの石は、人工石だ。錬金術で生み出された石」


 初めて聞く言葉にマリアが首を傾げる。


「れんきんじゅつ?」


「ああ、俺や俺の父親がそう。自然にある物を使って別の何かを生み出す学問。それが錬金術だ」


「では、この石は?」


 マリアが石を手のひらの上に持てば、石は共鳴するかのように震えている。まるで意志を持っているかのようだ。


「かつて、バートが言っていた。『国境を越えた先にいる大切な人に何かあれば、この石が教えてくれる』と。それから『もし自分に何かあれば、お前がもう一つのこの石の持ち主をお助けせよ』と」


 もしかしたら、こうなることをバートは見越していたのかも知れないと、男がつむげばマリアの目が伏せられる。


「バートと母上は、どういった関係だったのだろうか」


 ぼそりとマリアが呟けば、男の瞳に少しばかり影が差す。


「俺にも詳しいことはわからない。だが、とても大切な人だったのだろうな」


「そうか、母上からいつか聞けるといいな」


 真っ直ぐにまばゆいばかりの青空を見上げて言えば、男がわずかに息を飲む。そんな男の手を女性は静かに握った。


「それではな。わたしたちは、そろそろ行くことにする」


 そういってマリアは二人に背を向ける。その背に男は、声をかけた。


「そういえば、名前を聞いていなかったな。俺はヘルメス、こちらの方はアレシア。お前は?」


「わたしは、マリアだ。またいつか、会えるといいな」


 そういうとマリアは、男ことヘルメスに笑顔を向けるとまた歩き出す。その後ろにレイヴァンとレジーも続いた。



 マリアが振り返ったのは、山の麓まで戻った時だった。雨の混じった風に煽られ、マリアの金の髪と外套が波打つ。


「マリア様、これからどうなさいますか」


 レイヴァンが問いかければ、マリアは困ったように微笑んだ。


「そうだな、意味もなくぶらぶらと旅をしながら仲間を捜すわけにはいかないしな。どうにか、まだベスビアナイト国で機能しているところがないか旅を続けようと思う」


 歯切れが悪いマリアに、レイヴァンの眉がわずかに寄せられる。


「気になりますか、先ほどの男」


「うん、実はね。母上とバートとの関連も気になるし。正騎士長のことも」


 マリアの首から提げられているペンダントが、赤い色をしている。レイヴァンは、跪いた。


「マリア様、俺はあなた様に付き従うのみです。あなたがなされたいようになさいませ」


 マリアの青い瞳が優しげに細められた。


「わたしのわがままを聞いてはくれないか?」


「仰せのままに」


***


 人目のつかない場所でヘルメスとアレシアは、じっと息を潜めていた。アレシアは不安げにヘルメスを見つめる。そして、ずっと思っていたことを言葉にした。


「ねえ、さっきの人たちと一緒に行った方が良かったんじゃないかしら。あの人達は、旅人のようだったし。それに悪い人にも見えなかったわ。あの人達と一緒なら」


 ヘルメスも考えていたことをアレシアは、さらりと言ってのける。けれど、わざわざ国境を越えてまで誰かに縋らなくてはならないほど切羽詰まっている人たちに頼むなど出来ないとヘルメスが反論すると、アレシアは微苦笑を浮かべる。


「真面目ね、ヘルメスは。あなたらしいけれど、あの人達なら手をかしてくれるかもしれないわ」


 アレシアの細くて白い手がヘルメスの痩せた手に重ねられた。穢れも外の世界も知らずに過ごしてきたことがわかる、手。けれど、ヘルメスにとってその手はかけがえのない手だった。


「ヘルメス、これからどうするの?」


「そうだな。とりあえずは、ここから逃げないと。それから、あれを探さないとな」


「あれって、エメラルド・タブレット?」


「ああ、錬金術の創始者が記したされるエメラルド・タブレット。あれを見つけないと。それが、父との約束だから」


 痩せた頬で微笑めば、アレシアは物悲しげに微笑む。刹那、衛兵達がどっと現れて二人を取り囲んだ。


「どうして!」


 衛兵達は、じりじりと二人に近づいてゆく。


「お嬢様のかんざしがこの近くに落ちていた。そこで、この辺りを捜索していたら、ビンゴだったってわけさ」


 衛兵の一人が言った。そして、また別の衛兵がアレシアに言う。


「さあ、お嬢様。こちらに来てください。その男から離れてください。その男は錬金術を行っていたのですよ」


「いやよ、私はこの人が好き。これは誰にも譲れないわ!」


 けれど、アレシアの細い腕を衛兵が引っ張り、呆気なく衛兵達の方へ連れ去られてしまう。

 ヘルメスがアレシアに手を伸ばした刹那。ヘルメスの背後にいた衛兵が頭を殴った。たちまち、牢獄に閉じこめられて弱り切っていた体は、地面へ突っ伏してしまう。


「ヘルメス!」


 アレシアも手を伸ばしたけれど、衛兵達に阻まれて手は届かない。それどころか、さらに遠くへと連れ去られてしまう。

 愛しい名を呼ぶけれど、その名前も誰にも届くことなく宙に消えた。アレシアの姿はもうすでにそこには無かった。悲しいのか悔しいのか分からないままヘルメスは、衛兵達に拘束されてゆく。


(また、あの牢獄に閉じこめられるのか)


 涙はとうの昔に枯れていた。工房で研究していた機材も全て壊された。もう何も無い彼には、抗う力すらも残ってはいない。けれどその時、()()と何か重量のあるものが風を切る音がした。それが何なのか分からなくてヘルメスは、顔を上げる。そこには、さっきマリアと一緒にいた黒い衣服をまとう男が剣を振るっていた。その剣の裁きは、まるで疾風がごときもので勇ましくも美しいが鋭い風のような刃は、確実に衛兵の体を動けなくしていた。まるで自分は御伽噺おとぎばなしを見ている錯覚を起こしてしまうほど、彼の動きは機敏で勇ましい。

 彼の背後からは、幾つもの閃光が空を駆け抜けて衛兵達を打ち抜いていく。


「え?」


 呆然と呟けば、さらに後ろからマリアが現れる。倒れている衛兵達を通り抜けて、真っ直ぐにヘルメスの元へ来ると手を差し伸べた。


「わたしたちと一緒に来ないか?」


 まだ幼いけれど、いくつもの傷が手に刻まれているのをヘルメスは見た。はかなげで寂しげであるのに、瞳の奥が炎が燃えて見えてヘルメスは、どこか惹かれて自分よりもうんとちいさい手を取った。


「マリア様、衛兵達が目を覚ます前にここから離れましょう」


「ああ」


 男の言葉に頷いてマリアは、ヘルメスの手を引いてその場を離れた。山の麓まで逃げ切るとヘルメスの息は上がっていた。それを整えていると、マリアは同じ言葉をまた繰り返した。


「ヘルメス、どうだ。わたしたちと一緒に来る気は無いか?」


「だが、俺は罪人ですよ。それでも、俺を迎え入れるというのか?」


「ああ、かまわない。お主にその気があるかどうかだ」


 ヘルメスの目が見開かれる。そして、絶望しきっていたその瞳に希望が宿る。それはまるで希望そのものを見ているかのような目だった。

 マリアが手を差し伸べる。その手をためらわず、ヘルメスは取った。


「これから、よろしく」


 マリアが微笑んで言えば、ヘルメスの心に光を宿した。


***


「おかわいそうに、お嬢様。錬金術師の男にだまされて」


「ああ、本当にかわいそうだ。あんな男に引っかかりさえしなければ」


 そんな会話を聞きながら、アレシアはまるで人形にでもなったかのように椅子の上でうちひしがれる。その瞳に光は無い。


(ヘルメス、彼は生きているのだろうか。生きているのなら、また会えるだろうか)


「聞いた? お嬢様のあのご様子」


「ああ、男はお嬢様を見限ってもう国境を越えているらしい」


(この国を出た? あの人が? そんなはず無い。またすぐに私を迎えに来てくれるはず。そうよね、私をこの檻からつれだしてくれるよね)


「なんでも、旅人共にこの国を出たんだそうだ」


「ええ、見た人がいたそうね。旅人達は、とてつもなく強かったって言っていたわ」


「そんな人たちの仲間になったのか。まったく錬金術師は野蛮だから、野蛮な人間に付くんだな」


「ええ、きっとそうよ。お嬢様が一緒に行かなくて良かったわ」


(うそ、うそ)


アレシアの瞳から涙がこぼれ落ちる。


(彼は私を見捨てたの? あんなに側にいると言ってくれたのに。どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうして。あのマリアと言った少女について行ったの? 私を捨てて?)


 アレシアの瞳に別の光が宿る。それは、怒りにも似た感情。


「許せない、許せない許せない許せない。私を裏切るなんて、絶対に許せない」


 アレシアの体がゆらりと揺れて立ち上がる。そして、近くにあったはさみで自らの髪を切り刻んだ。


「あは、あははははは、殺してあげる。結局、あなたも“お嬢様”ではなくなった私を愛せないのでしょう? なら、いっそ殺してあげる」


 不気味な笑い声がいつまでも響き渡っていた。


***


 ヘルメスは屋敷の方を振り返る。すると、マリアが声をかけた。


「アレシアはどうする? これから、助けに」


「いや、いずれ俺が迎えに行く。これは俺の問題だ。錬金術がどういうものであるか広めることが出来て世界に認められたら、迎えに行く。今の俺には迎えに行く資格はない」


「そうか」


「ところで俺はどうすればいい? マリアのためにどうすればいい?」


「お主には知恵を貸して貰いたい。もともと、誰かに知恵を借りるべくここまで来たんだ。それが、お主になっただけのことだ」


「俺は確かに、バートの息子ですがあまり役には立てられないと思いますよ」


「かまわないさ。今のわたしたちは、少しでも戦力が欲しいんだ」


「わかりました。このご恩をお返しするためにも」


「ありがとう、ヘルメス」


 マリアはヘルメスに、穏やかな笑みを浮かべて見せた。

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