第一章 始まり
西方の国コーラルが、ベスビアナイト国へ侵略を開始。それを迎え撃つべく、国境近くまでベスビアナイト国が誇る正騎士達が待ちかまえていた。
荒野のような世界が地平線の彼方まで広がっている。マリアの瞳のような朝の空。それをじっと見上げる姿があった。レイヴァンである。何か心配事でもあるかのような彼に正騎士長は、声をかけた。
「心配か」
レイヴァンは目だけを動かして、正騎士長を一瞥すると青い空へ視線を戻した。
「ええ、今まで戦争などほとんどありませんでしたし。それに、何やら胸騒ぎがします」
「マリア様のお側ずっといたからであろうよ。気がかりな人のおそばを離れると人というものは、とたんに臆病になるものよ。なに気にすることはない。お主は我が正騎士の中で指折りの騎士じゃ。おぬしなら、死ぬことは無かろうて」
「はい」
心の中にあるざわめきを奥にしまい込んで気づかないふりをすることにする。
レイヴァンは戦に出るのが、これが初めてというわけでもない。数年ほど前に自らの力を過信した異国が攻め入ってきたことがあった。そのとき、初めて戦へと赴いたのだが不思議と不安や恐怖というものは無かった。おのれの力を過信したつもりはない。だが、不思議とそういったものはなかった。しかし、この戦に限っては、少しばかり怖じ気づいている自分がいる。それは、臆病なのだろうか。
「レイヴァン、そろそろ自分の部下達の指揮を執れ。おぬしがいないと、部下達が不安そうな顔をしておったぞ」
苦笑いを浮かべつつ「はい」と、自分の部隊へ戻った。部下達は温かく迎え入れてくれる。
「レイヴァン様、どこにおられたのですか。みなで心配してましたぞ」
部下達を見回していると、少し遠くから同じ勲章を付けた五十手前の男達がわき上がっている声が聞こえてきた。
「空がきれいで透き通っているものだから、見上げていただけだ」
部下達も空を見上げ、微笑む。
「王子の瞳みたいな空ですね」
「ああ、そうだな」
答えたとき、突撃を知らせる角笛が鳴り響いた。
レイヴァンは黒い毛並みの馬にまたがると、正騎士の証である星の形が浮かぶ紅玉のついた勲章を胸に身につけ部下達に突撃の合図を出した。
自分を信頼し慕ってくれている部下達は、鬨の声をあげて駆け出す。ならって、自分も馬を走らせた。正騎士長からの命令で自分は最後尾に着くように、それから、あまり早く戦場の前線へと行かないようにと言われていた。もしかすると正騎士長は、王都で何かあるのかもしれないと考えているやもしれない。
荒野をかなりゆっくりではあるが駆け抜けていると、確かな違和感に襲われる。あれほど晴れ渡っていた空に雲がかかり始めたと思ったら、前方の兵達の悲鳴が聞こえてくる。距離的に言えば、伝騎が伝えた敵兵達がいる距離ではない。そこには敵兵はいるはずなど無かった。
辺りが暗くなったかと思えば、惨状を知らしめるかのように荒野に赤い血だまりがそこら中に出来ていた。中には自分の部下もおり、いまや肉のかたまりと化していた。体中に矢が突き立てられており痛ましい。
コーラル国の弓兵が、どこかで待ちかまえていたようだ。だが、弓兵達は先の兵達にやられてしまったらしい。コーラル国の兵らしき星の形を象ったメダルを胸元に付けた屍も積み上げられている。
生きている兵がどこかにいるはずだとあたりを見回すが、いかんせん辺りは暗いため、視界が悪い。そのとき、何か黒い影が後ろでうごめく。気配にはっとして後ろを振り返ると、同じく星の形を象ったメダルを付けた男が立っていた。コーラル国の兵である。コーラル国の言語を発しながらこちらに向けて剣を降ろしてくる。レイヴァンは教養があるため、言葉を理解することが出来た。どうやら、仲間のかたきと言っているようだ。レイヴァンは剣で男を無情にも切り裂く。
レイヴァンの漆黒の鎧に赤い血が吹き飛んだ。血を拭うこともなく、仲間の安否を確かめるために馬を駆ける。今だ闇は晴れていない。そんな中、仲間の屍と敵の屍ばかりが目に付いた。少し遠くから、何かが爆発する音が空気を伝ってびりびりと轟く。あっという間に炎に包まれた。どうやら揮発油がまかれていたらしい。あの炎の中にどれほどの仲間がいるのだろう。駆け出したい衝動に駆られるが、馬の手綱を強く握り締めて歯をかみしめる。炎から離れた所を駆け出せば、闇の中で鈍い金属の光が走る。それを間一髪で避けると、レイヴァンの頬をかすめた。たらり、と頬から血が流れる。警戒しながら闇の中を進めば、コーラル国の弓兵がこちらに弓をかまえていた。放たれた矢を剣で切り裂くと次に弓兵を切り裂いた。風のように早い彼の剣を弓兵は避けようとしたが、間に合わなかった。そのとき、死に間際に弓兵の脳裏にある言葉がよぎる。コーラル国が危惧する騎士がこのベスビアナイト国には、いると。
剣裁きは風が如く、瞳は獅子が如く相手を萎縮させる。それから、姿は闇をまとったカラスのようであると。誰かがこう呼んでいた。名レイヴァンから取って大烏と。
思い出して、弓兵は血を吐いて倒れた。レイヴァンは剣に付いた血を軽く払って、ふたたび闇の中を駆け出した。闇といっても、炎がまだまだ明るい。それは仲間が燃やされていることを意味していた。どうにも出来ない自分に苛立ちを募らせながら一人で走ってゆく。
(王都は無事だろうか。いいや、正騎士長直属の部下がいるのだ。何も案ずることはないだろう。だが、もし……)
そこまで思考して首を横に振る。まだ決まったわけではないのだ。今はとにかく状況を把握しなければと、闇の中を進んでゆく。そのとき、どこからか正騎士長の声が聞こえてきた。
「レイヴァン!」
「正騎士長、レイヴァンは、ここにおります」
馬蹄の音が近くなると、正騎士長の姿が闇の中で浮かび上がる。鎧は血で染め上げられていた。
「レイヴァン、今すぐに王都へ戻られよ。今ならまだ王都までの道も閉ざされてはおらぬだろう」
「正騎士長は?」
「わしも出来るだけ早く向かう。とにかくお前は、姫君をお守りするのだ」
レイヴァンは「はい、正騎士長。どうか、ご武運を」と正騎士長に背を向けて馬を走らせ始める。戦場もずいぶんと仲間を減らしてしまっているようだ。もしかすると、全滅してしまっているのかもしれない。それでも、いるかもしれない仲間を助けにいけない自分が悔しい。割り切れない気持ちを何とか押しつぶして、王都への道を急いだ。今は自分の心配をしてくれていた姫君を守らなければならない。
(胸騒ぎがする。どうか、マリア様。ご無事で……!)
どこか後ろの方で爆発音がした。その思いも打ち切って、馬を走らせた。
*
赤い紅蓮の炎が煌々と燃えている。ぼんやりとマリアは見つめていた。暖炉の中にある炎は規則正しく燃えて木を焼き尽くしてゆく。
安楽椅子に座って太ももの上には、開いたままの本。読みかけたその本は、マリアが好きな冒険小説で好きな作者の新作が今日出たと喜んで買ってはいたが、どこか意識は上の空である。バルビナは心配しているが、マリアは「大丈夫」と微笑んでは、ぼんやりと炎を見つめていた。
「今日は、マリア様の十三歳の誕生日ですね。国王様におもいっきりわがままでも申してみてはいかがでしょう? 国王様や王妃様は今は公務に追われていますが、夜にはお祝いすると張り切っておいででしたから」
無理に明るい声を出すバルビナに対し、マリアの目はどこか遠くを見つめていた。
「……戦を止めてほしい」
ぼんやりと呟いていた。彼女の切実な願いであろうが叶えられるはずもない。バルビナは黙り込む。その時、部屋の外が騒がしくなった。
「あら、なんでしょう」
バルビナが扉を開けると、剣を抜いた男が立っていた。軍服にはコーラル国の紋様と星を象ったメダルを胸元に付けていた。一瞬呆然としたがスカートが捲れ上がるのも厭わずに、足を上げて股間を蹴り上げた。
「マリア様、今のうちに早くお城の外へ!」
マリアは立ち上がると、本をとっさに懐に入れて部屋を飛び出す。
「バルビナは?」
バルビナは「王様と王妃様を助けてから向かいます。なので、早く!」と叫んだ。足がすくみそうになりながらも、広い城内を駆け抜けてゆく。ようやく階段を見つけて駆け下りると、コーラル国の兵に埋め尽くされている。にやにやと不気味な笑みを携えた男達は、マリアを見て舌なめずりした。
「この国の王子だ。討ち取れ!」
絶望に駆られながらも、身軽な体を利用して襲ってきた男達の隙間を縫うように逃げた。その先にも、敵の兵士達が大勢で囲っている。震える足にムチを打って必死に城内を駆ける。
(どうして、こんなことに……)
きれいにあしらわれたドレスを着た女性を見つける。王妃アイリーンだ。
「母上!」
「マリア、無事だったのね。良かった。とにかく、ここは危険だわ。早く逃げましょう」
アイリーンはマリアの手を引いて城内を駆ける。ドレスの裾が汚れるのも厭わずに。美しい髪を振り乱して。一国の王妃などではなく、一人の母親だった。
だが兵士達が槍を向ける。足を止めてアイリーンは兵達をにらみ付けた。
「逃げなさい。あなたなら、ここから逃げられるでしょう?」
「ですが、母上!」
すがりつく我が子を後方に突き飛ばして、アイリーンは兵士達に詰め寄った。
「母上!」
「いきなさい、マリア」
小さな手をぎゅと握りこんでマリアは、背を向けて駆け出す。ブルーダイヤモンドの瞳には、分厚い涙が浮かんでいた。
涙を拭う暇さえ与えられることなど無く、次から次へと兵士達が攻め入ってくる。撒きながら一階へようやく着いた。
なにかあったら、ここから逃げなさい。前にアイリーンから説明されていた隠し扉を開けると、中へ滑り込んだ。小柄な体しか通れない為、兵士達は追って来れない。そもそも扉は、足下にあるため気づかれにくい。
マリアは四つん這いの体勢で、暗くて狭い道を通ってゆく。しばらくして光が漏れている扉を見つけて開けた。
「げほっ……ごほ……外?」
ずいぶん使われていなかったのか。ほこりでマリアは咳き込んでしまう。息を整えると、辺りを見回す。分厚い木々に覆われた草原へ出た。どうやら城の近くにある森へと通じていたようだ。
(久しいな。昔はよく、ここで遊んでいたっけ)
思いをはせながら、出来るだけ遠くに向かうため駆け出す。すぐに息切れを起こして、立ち止まると近くにあった木にもたれかかった。疲れがどっと押し寄せてきて、黒い騎士の名を呟いた。
(戦場は今、どうなっているのだろう。レイヴァンは無事だろうか。無事ならば、それでいいのだけれど、城がこんな事になっているのだ。もしかしたら、もう)
そこまで考えて首を振る。
(いや、まだそうとは言い切れない。ちゃんと、安否を確認するまでは――)
マリアの意識は、闇の中へと落ちてしまった。
☆
次に目を覚ましたとき、あたりはすっかり夜の顔になっていた。兵士達が追ってくるのかと思ったが、兵士達は森にまで目がいっていないのかもしれない。あたりは静かで、どことなく恐ろしかった。木々に混じって光る夜行性の目が少し恐くて自分の体を抱きしめる。眠ることも出来ず、歩き始めた。マリア自身、どこをどう歩いているのかも分かってはいない。何度か森に来たことはあるものの、いつもバルビナやレイヴァンがあまり深いところには行かせてくれなかったからというのもある。
「おなか、すいたな」
そういえば、朝からろくに食事をしていなかった。森は食料の宝庫という人もいるが、マリアにはどれが食べても大丈夫でどれが食べてはいけないものかまったく見当も付かない。ぼんやりとした頭で考えを巡らせていると、ちょうど誰かが近くを通った。驚いて身構えると相手は、とても見窄らしい格好をした男であった。マリアが目を見開けば男は、ぼろい布袋からパンの欠片をマリアに渡す。何があったのか知らないけれどこれをお食べ、と言ってくれた。パンの欠片にマリアは、嬉しそうに微笑んで「ありがとう」と呟いた。男も微笑んでから、去ってゆく。パンの欠片を一口かじると、森の中を進んでゆく。森はどこもかしこも闇で、何も見えない。こんな中をマリアは、ひたすら歩いた。夜のあまりの肌寒さに体を強ばらせる。体をさすっても冷気が消えないから寒い。立ち止まるわけにもいかず、深い闇の中へ足を突っ込んでゆく。やがて、どれほど時間が経ったのだろうか。パンの欠片も食べきってしまい、心も寒く凍えそうになったころ。足下がふらついて木によりかかった。そのままズルズルと、木により掛かったまま地面にへたり込む。そのまま意識は闇の中へと消えていった。
わずかな朝の日差しに起こされて目を開く。自分の衣服が随分と汚れていることに気づいた。ああ、とため息にも似た声を零す。
(母上とバルビナは、無事だろうか。レイヴァンも、けっきょく昨日は会えなかったし。戦場でやはり何かあったのだろうか)
そんなことを考えていると、遠くから馬蹄の音が聞こえてきた。何も出来ずに思わず硬直してしまう。やがて音が近づき、馬がマリアの前で止まれば黒い甲冑に身を包んだわかい男の顔を陽光が照らしだした。
「レイヴァン!」
「マリア様!」
お互いに相手が誰かわかるとレイヴァンは、馬から下りてマリアに問いかけた。
「このような場所でどうなさったのですか」
「城が……コーラル国の兵達に襲われてなんとかわたしは、逃げてきたんだが、バルビナと母上がわたしをかばって……!」
涙目で話していたマリアであったが、甲冑が返り血まみれであることに気づく。手に持っている剣にも僅かであるが、血がこびり付いていた。戦場にいたことを思い知らされてしまう。身を強ばらせるマリアに、レイヴァンが剣を鞘にしまいこみ騎士らしく手を取った。
「マリア様、とりあえずここから離れましょう。ここにいては、危険です」
「う、うん」
マリアを馬に乗せると、後ろに自分も乗って走らせ始める。青い瞳がこっそり後ろを振り返ったけれども、闇に塗りつぶされた木々があるだけだった。
written by 草宮つずね。