ひばりとあげは
『ひばりとあげは』
思えば、なにかおかしかった。
「ヒバリちゃん?着いたよ」
顔を上げれば、場所は一号車と二号車の連結フロア。
「あ?……ああ、ありがとう…」
まだ、頭がくらくらしている。最悪の乗り心地だ『テンポルバート・サルト』。アゲハは大丈夫だったんだろうか。
…いや、アゲハなら逆に嬉々として「もう一回!」とか言ってそうだけどな。
「ヒバリちゃん、大丈夫?跳ぶの初めてだっけ」
「初めてだ」
そうか。何事も自分で体感してみなくちゃ駄目だな。学習。
「アゲハ姫は喜んでくれたのに」
「やっぱりか!」
「『もう一回!』って言われたからアンコールしたほどだったのに」
「思った通りだ!」
アンコールってなんだよ。あの短時間に何度も跳んだのか。マジかよ。
「やっぱりヒバリちゃん、期待を裏切らないへなちょこぶりだねっ」
「だねっ…って言われても」
僕はなにも嬉しくないよ。
言って、お腹をさする。うう…気持ち悪い。
でも、ま。とにかく行こう。
「さて、じゃあちょっと行ってくるから」
帰りも跳躍を味わわなきゃならないのは気が重いけど、それしかないからな。
「はいはーい。待ってるからごゆっくりー」
にこやかに手を振る。
一号車への入口には、騎士団が控えている。一号車は王宮みたいなもんだからな。当然だ。
一号車に入るには許可証がいるし、それを手に入れるためには事前に申請しなくちゃならないし審査もある。
まあ、僕は顔パスだけど。
ただ、さっきは、アゲハが一緒だったからかグラスホッパーも許可証なしで入れたみたいだな。しかし、バンカーが太陽側だと疑われて信用を失っているからこそ、国民はレディ・バード脱獄の噂をバンカーに悟らせずにハネを引き出していたはずだよな。僕の仮説では。
そんなバンカーを、やすやすと一号車に立ち入らせていいのかよ騎士団。案外、ずさんなのかな。
…と言うか、今現在いないしな!
「どこ行ったんだ?警備隊」
常に出入口を陣取るように守っている騎士団の警備隊が、いない。こんなんじゃ、なんのためにアゲハを一号車に戻したのか判らないじゃないか。
後でそれなりの叱責を与えてやらなくちゃならないと思いながら、アゲハがいるだろう部屋の扉を開ける。
「アゲハ?」
応答は、ない。
『リベレ・リベル』の空間へ避難してくれているのか。それならいいけど。
あー、でも警告くらいはしておいたほうがいいのかな。どうかな。
余計なことを言うと、アゲハのことだから、また一緒に戦いたいとか言い出し兼ねないけどな。
…うん、判った。このままバンクに引き返そう。姿が見えないってことは『リベレ・リベル』の空間にいるってことだろう。変に不安を煽るより、すでに安心安全な場所にいるなら、そのまま避難していてもらおう。
全てが、終わるまで。
「よし」
引き返すために、扉に手をかけたときだった。
「動かないでください、ヒバリ」
後ろから、アゲハの声がした。背中に、銃口があてられているのを感じる。
僕は、背後を取られすぎだろう。警戒心が足りない。
「ドラゴンフライさんのハネが装填してあります。動いたらぶっぱなしますから」
「アゲハ、お前…」
「喋らないでください。引き金を引きますよ」
僕は口をつぐむ。
なにが、一体、どうなっているんだ?
「アゲハはたくさん考えました。でも、ちゃんとした正解を見つけられなかったので…」
アゲハの左手が、僕のベルトから吊された『囀唄』に触れた。
「アゲハが一番いいと思ったことをすることにしました」
この状況を打破するため、考えを巡らせる。
僕とアゲハの力の差なら、強引にでもアゲハを押さえ付けられるかもしれない。
止めなきゃ。
タイミングを間違ったらアゲハはきっと引き金を引く。そうする間もなく押さえなければ…!
その刹那、僅かに銃口が背中から離れた。
今だ。
と、体を反転させて手を伸ばす。アゲハの肩に触れる。
両目に涙をたたえるアゲハと目が合った。
アゲハは引き金に指をかけたままの拳銃を右手に持って、左腕で、僕の『囀唄』を抱えていた。
「なんで、そんな顔してんだよ」
アゲハは下唇を噛んで、泣き出してしまうのを堪える。
僕は、アゲハの肩から手を離し、それをそのまま『囀唄』に伸ばした。
「ヒバリ、ごめんね」
僕が『囀唄』に触れる直前、アゲハは小さく呟き、引き金を引いた。
自分に向かって。
「アゲハ!」
僕の掌が、空を切る。
アゲハの姿は、消えていた。
装填されていたハネツールは、ドラゴンフライのハネじゃなかったんだ。
『移動』の能力を持つハネ。
レディ・バードが、最後に使ったものと同じ、それだ。
グラスホッパーの『跳躍』のハネとは違う、正真正銘『瞬間移動』の性質を持つハネ。一瞬にして、違う場所へと『移動』する。
部屋に残されたのは、僕一人。
アゲハは、僕のハネと共に、姿を消した。
「情けないの極みだね」
ハネバンクに戻ってきて早々、ハナバチにぐさりと一言入れられた。
「具現する性質を持つハネは、奪われることを警戒しなくちゃならないのは解ってるだろうに」
はい、その通りですよ。
だから常に持ち歩いてるじゃないですか。
「それでも実際、奪われてるだろ」
「…言い返す言葉もありません」
場所はハネバンク待合フロア。
僕はハナバチの前に正座して、うなだれ中。情けないのは解ってるよ。
油断もしていた。
だってまさか、アゲハが『囀唄』を奪うだなんて、そんなこと想定している訳がないだろう。
「でも、どうしてアゲハ姫はヒバリちゃんの『囀唄』を奪っていったのかな」
グラスホッパーが首を捻る。
「そのことなんだけど…」
僕は一息置いて立ち上がる。少し、足が痺れていた。
「アゲハは、ハネツールを拳銃で使ったんだ」
脇のソファーに腰を下ろす。
「それがなにか」
「あいつはいつも、ハネツールを使うときは弓で射るのに」
拳銃は、銃声が怖いからと嫌がっていたはずなんだ。
「じゃあ、アゲハ姫はなんで拳銃なんて持ってたの」
それは…。
「太陽、か」
ハナバチが、呟く。
「…そうだと、思うんだ」
ハネツールを拳銃で使う人は少なくはないけれど、アゲハにそれを渡して『囀唄』を奪わせることに利点がある人なんてそうはいない。
「先程、レディ・バードが状況が変わったって言っていたのは、このことだったんですかね」
レディ・バードが使ったものと同じ『移動』のハネツールを持っていたアゲハ。
「どちらにしても、アゲハ姫があちら側についてしまっている可能性は、濃厚でしょうね」
その根拠。
『移動』のハネツールは現在、市場には出回っていないんだ。それは『移動』のハネを持つハネ使いが今、ミッドナイト王国にはいないから。
過去には、売られていたこともあるようだけれど。
例えば、十年前とか。
「でも、十年前って言ったら丁度ハネツールの販売が始まった頃じゃない。そんな昔のもの、使えるの?」
「さあ…?でも実際レディ・バードも、アゲハも、使っていたのは『移動』のハネだったからな」
使える、と考えられるんじゃないだろうか。
「話をまとめると」
ドラゴンフライが要約する。
「レディ・バードは『移動』のハネツールを十年前に入手済みだった。そしてアゲハ姫は、それを拳銃と共に受けとった、って流れですかね」
「カッコ仮って付けておいてくれ」
アゲハがレディ・バード側に回ったなんて、信じたくない。
例えばそうであったとするならば。騎士団が警備をしていなかったことも、スワロウテイル姫が命じたからなのだと納得が出来てしまうとしても。信じたくなどない。
僕を、裏切っただなんて。
「ハナバチくん」
ドラゴンフライが、ハナバチに向き合う。
「『ミツバチネットワーク』は、使えますか」
「…使えるよ」
一瞬、表情が曇った。
ついさっき、レディ・バードに『蜜蜂』を潰され、打ちのめされたばかりだ。嫌な気持ちが、拭えないことだろう。
まあ、それにしては『囀唄』を取られた僕のことを、執拗に攻め立てたけどな!
「ヒバリさん、目つきが極悪ですよ」
「あ、ごめん」
しまった。思わず心の中が顔に出てしまった。
「元からおかしなヒバリさんは放っておくとしてハナバチくん、レディ・バードが今どこにいるか、探ってください」
元から…。ま、いいや。気にしないでおこう。
そんなことよりも、レディ・バードの居場所だ。
それは、これから必ず必要な情報。手に入れなければならない情報。
ハナバチなら、難無く突き止められるものだろうけれど、ハナバチじゃなければ掠めることすら出来ないことだろう。
だから、頼む。
「解りました」
ハナバチが意識を集中させれば、彼のハネの化身、具現した『蜜蜂』が現れる。『蜜蜂』は掴むべき情報、レディ・バードの潜伏先を探るべく、ハネバンクを飛び立った。
「それじゃあ」
いくら『ミツバチネットワーク』が優秀だって言っても、『蜜蜂』が太陽にたどり着くまで少し時間はあるだろう。
それまでに、僕がやらなくちゃならないことは。
「今から、作戦を話します」
僕がミスって『囀唄』が手元にはない状態だけれど、多分、いけると思う。
アゲハは言った。数なら勝っている、と。
ドラゴンフライは、練り上げればどうにかなる可能性も、ない訳じゃないと言った。
ハネ狩りを、許してはいけない。
僕たちはバンカーで、ハネを守るのが使命なのだから。
「…って感じで動けば、なんとか対抗出来るんじゃないかと思いますがどうですかね」
僕はそう結んだ。
あまり細部の動きまでは指示しない。縛らないほうが、うまくいくパターンだと思う。この、バンカーの四人は。
だから、大筋だけを提案する。
「粗っぽいけど、いけるんじゃないですか」
「それならあたしも、思う存分跳べるねっ」
ドラゴンフライも、グラスホッパーも、賛同してくれた。
「ヒバリくん」
ハナバチが、口を開く。
「アゲハ様のこともあるし、実行は早いほうがいいだろ?」
「まあ、そうだろうな」
「太陽の居場所を、突き止めたよ」
レディ・バードが身を隠していたのは、ハネバンクから目と鼻の先。輸出入に関するものが保管されている倉庫車両だった。
なんらかの規則を持って並べてあるのだろう木箱の上に腰掛けて、太陽は僕たちを見下ろす。
見つかることを見越していたようで、その様子に焦りなんかは見られない。
「予想以上に、早い再会だこと」
「悠長にしてられないのは、お互い様なんだろ?」
僕は、いくらか前にレディ・バードが口にした言葉を使って返す。太陽は愉快そうに、妖しく笑った。
「せっかくいじめてやったのに、立ち直りが早過ぎてつまらないよ」
「そりゃよかった」
思い通りになんて、なってやるつもりはないんだ。
「アゲハは、どこにいるんだ」
カッコ仮にしておいた、アゲハの裏切り。レディ・バードと共にいるなら確定になってしまう。
「ふふ、騎士様はプリンセスのことが気になって仕方がないみたいだねえ。お探しのスワロウテイル姫なら、ここにいるよ」
自らが座る木箱の脇をしゃくり、示す。
木箱と木箱の間、ほとんど明かりも届かず、影に包まれた僅かな隙間。『囀唄』を抱えて座り込むアゲハの姿がそこにあった。
「アゲハ!」
反射的に、駆け寄る。
「近寄らないでください。『囀唄』を抜きますよ」
抑揚もなく、淡々と呟くように吐く。僕は足を止めた。
「なに言ってるんだよアゲハ。一体どうして…」
「だから、これがアゲハなりの答えなんです。たくさん考えた結果です」
「なにをどう考えたら結論がこうなるんだよ」
「ヒバリにはきっと、ずっと解りません」
アゲハはそれきり、話せることはなにもないと口をつぐんだ。
「あはは、傑作だね。随分嫌われてるみたいじゃないか」
耳障りな笑い声が、カンに障る。
「ヒバリさん、聞く必要ありませんよ」
「解ってるよ」
どうしようもなく、いらいらするけれど。
「むっかつく!ヒバリちゃん、さっさとやっつけよっ」
代わりにグラスホッパーが言葉にしてくれた。太陽に立ち向かおうとすることなど、信じられないと言っていた奴の台詞だとは思えないな。ほんの少しの時間でも、人間変われるもんだ。
「はっ、威勢のいい小娘だね!」
言うと同時に挙げられたレディ・バードの両手には、ハネツールが装填された拳銃が。
「ドラゴンフライ!」
「はいはい!」
レディ・バードが引き金を引くより先に、ドラゴンフライが左手を払う。
『リベレ・リベル』の空気を切り裂く力。
その影響で、突風が生じる。
足元も不安定になるほどの、風。体が、飛ばされる。
「ちょっ…ドラゴンフライ、これやりすぎ」
巻き起こる風に視界が遮られ、状況の掴めぬまま、切り裂かれた空間に吸い込まれた。
「うわっ!」
バランスを崩し、尻餅をつく。
「大丈夫?ヒバリくん」
上からハナバチの声がして、手を差し延べられた。
「あ、ああ…」
その手を借りて立ち上がる。
顔を上げれば、広がるのはひたすらに真っ白い空間。
そこに、僕らバンカー四人と、レディ・バードにアゲハがいる。
ただ、それだけ。
ほかには、なにも、ない。
「へ?」
なんだ、ここは。
「ようこそ!『リベレ・リベル』の真っ白部屋へ!」
ドラゴンフライが、両手を広げて挨拶をした。
「この部屋は僕のお気に入りでしてね。あんまりにもお気に入りだからなにも置きたくなくて、徹底していたらこんなふうになっちゃいました」
なっちゃいました、って。
「前に『リベレ・リベル』を使ったときは、こんなところじゃなかったじゃないか」
壁もあって、家具もあって、やっぱりやたら広かったけど、ちゃんと部屋だった。
レディ・バードとの戦いが夜行列車ミッドナイトブルーに影響を及ぼしてはいけない。だからドラゴンフライの『リベレ・リベル』が作り出す空間をその場とすることを提案したんだけれど。
「だから、たくさんあるんですよ」
『リベレ・リベル』の部屋は。
「たくさんって…」
「でなければ、ハネバンクの保管庫しかないですもん」
…そうか、ハネ保管庫も『リベレ・リベル』が作り出した空間だったな。
ドラゴンフライの前に管理を担当していたバンカーは『施錠』のハネを持っていて、誰にも開けられない鍵を使ってハネを守っていた。彼からその業務を引き継いだドラゴンフライは、ハネ保管庫となる『部屋』を『リベレ・リベル』で作り出し、そこにハネを移し換えた。
『リベレ・リベル』の『部屋』の扉は、ドラゴンフライにしか開けられない。
変わらず、安心安全な保管庫だ。
…ドラゴンフライが悪事を働かなければ、だけれど。まあ、杞憂だろう。
「僕の家具とか私物が汚れたり壊れたりするの嫌なんで、この部屋にしました」
「ああそうかよ」
しかしこれは…ひたすらに真っ白すぎて逆に平衡感覚とか狂いそうだな。
レディ・バードに目を向ける。
「へえ。生意気に夜行列車のことを考えて、ってこと」
太陽は恐らく『リベレ・リベル』を知らない。まさか、こんなところに飛ばされるだなんて、思ってもみなかったはずだ。
まあ、この真っ白部屋は僕も思ってもみなかったけど。
「さすがね、ドラゴンフライ!あたしも跳びがいがあるわ」
グラスホッパーが楽しそうに言う。
確かにこれだけだだっ広い場所でなら『テンボルバート・サルト』も思う存分、発揮できるだろうな。
「たかが一人のハネ使い相手にバンカー四人が総出だなんて、大した歓迎だよ」
レディ・バードが、思ってもいないことを口にする。
「それでも自分のほうが勝っていると思ってるくせに」
「ご名答」
銃を構える。
引き金を引けば、攻撃性の高い『炎』のハネツールが放たれた。
「ヒバリちゃん!ハナバチ!」
グラスホッパーが右手を僕に、左手をハナバチに伸ばす。彼女は適当に掴みやすいところを掴んで、跳んだ。
僕たち目掛けて直進してきた炎からは逃れられた、けど…。
「ちょ…」
く、首ねっこです、そこ!グラスホッパーさん!
首が絞まってるし、てか高い!怖い!
いや、真っ白いから高さとかよく判んないんだけど、それでもレディ・バードがものすごく小さく見えるってことは相当なんだろう?
この高さは…怖い!グラスホッパーの奴、ここぞとばかりに縦に跳躍しやがった!
苦しみながらちらりとハナバチを見れば、あいつはしっかり手を繋がれていた。
なんで僕だけ首ねっこ!
レディ・バードがこちらを視認し、銃口を向ける。
「グラスホッパー!下降だ!」
左手のハナバチが叫ぶ。
「了解っ」
がくん、と態勢が崩れる。
僕は首ねっこを掴まれたままで、グラスホッパーは急降下した。僅かの差でレディ・バードが放ったハネが、頭上をかすめる。間一髪。
だけど、それがなに?ってくらいの急降下。
これはもう、怖いなんてものじゃない。最大級の、恐怖。
上昇しただけ、落ちる。
言葉にならない。
落ちる、落ちる、落ちる。
降り立つ寸前に、グラスホッパーは『速度』を調節した。降下の速さと打って変わって、ふわりとした着地。
僕の首ねっこが解放される。
「げほっ、げほっ」
当然、むせた。
グラスホッパーは、ふう、と一息付いた後に目を輝かせ僕に向き合う。
「跳んだ!あたし跳んだよ、ヒバリちゃん!」
「…そうですね」
感動するグラスホッパー。良かったですね、幸せそうで。僕の膝は大爆笑だっていうのに。
あー、もう跳びたくない。ごめんこうむります。
呼吸を正してレディ・バードを見遣れば。左手の拳銃が『結び』のハネツールを発動させたようだ。行動を制限する『結び』のハネによって、アゲハはレディ・バードに拘束されていた。
ドラゴンフライも、なんとかしようとしていたようだけど、レディ・バードがアゲハに害を加えることを危惧して、手出しが出来なかったみたいだな。
一方、レディ・バードが放ったハネを、連続してかわしたグラスホッパーは高らかに笑う。
「あたしの跳躍に付いて来れないみたいねレディ・バード!」
太陽の攻撃は全て避けられると、してやったりのグラスホッパーだが、当のレディ・バードは全く相手にはしていない。
「跳ぶしか能がないと、自慢話も幼稚だね」
くだらないとばかりにあざける。
カチン。
「なによ、あんたなんか道具に頼らないとなにも出来ないじゃない!」
ああ、今なにかが切れたな。
「グラスホッパー…あんまり挑発するなよ」
ハナバチが一言漏らす。僕もその意見に賛成だ。
煽ってどうする。
「私が道具に頼らないとなにも出来ないだって?」
ほら!乗ってきちゃった!
「私の獅子とお前たちのハネでは、力の差があり過ぎるから気を使って出さないようにしてやっているのに」
「…そうは言うけれど」
ハナバチがレディ・バードを見据える。
「未だに『レグルス・コル・レオニス』を使わないじゃないか。口でならいくらでも言える」
『ミツバチネットワーク』はレディ・バードのハネを感知しなかった。彼としては、太陽のハネに関して、存在の有無をはっきりさせておきたいことだろう。太陽は、そんなハナバチを見て、小さく笑った。
「お前の『蜜蜂』は具現化するんだったな」
ならば、と右手に構えていた銃を床に落とす。
そしてハナバチがそうしたように意識を集中させ、眼前に獅子を呼び出した。
喉を唸らせる、緋色のライオン。
「紹介しよう。獅子の心臓をその名に持つ、私の『レグルス』だよ」
「きゃあ!」
『レグルス』がレディ・バードの脇にいるアゲハを押さえ付ける。
「アゲハ!」
「私を煩わせると、プリンセスがどうなるか知れないよ」
駆け寄ろうと踏み出した足を止める。
手出しは、出来ない。
ドラゴンフライも、ハナバチも、グラスホッパーも、一様に動きを止めた。
「『レグルス』はお腹も空いているようだし、暴れたくて堪らないみたいだ」
唸る獅子を、レディ・バードが撫でる。
「なにが…目的なんだよ」
「ふふ、記憶力が鳥並だよ雲雀ちゃん。私の目的は『レグルス・コル・レオニス』を完全にすることだと言ったろう」
「だからそれが…」
「私は親切だからな。繰り返し教えてやるよ。我ら太陽の一族はその昔、一人のハネ使いから分け与えられたハネを持つ者だ」
思わせぶりに、笑う。
だから、そこから答えを導き出せたなら苦労はしないんだよ!解らないからむしゃくしゃしてるのに!
「…ヒバリくん」
「なんだよ!」
ハナバチに呼ばれて振り返る。
僕はな、今レディ・バードの出した憎たらしいなぞなぞに頭を悩ませてだな!
「太陽の一族にハネを分け与えたのは当時の王家だ」
「は?」
なにを、誰がだって?
「御明察、蜜蜂の坊や」
レディ・バードは満足そうに、口角を上げる。
「お前がなにも知ることは出来ないと言った、僕の『蜜蜂』の能力だよ」
「そう」
それがどうかしたのかと、言わんばかりだ。
「人から貰ったハネであるせいで、我らのハネはいつまで経っても不完全だ。能力に限界が生じる。可哀相な私の『レグルス』…こんなに微弱に成り果てて…」
自らのハネを憐れむ。
「故に私は『レグルス』のため、王族のハネを毟り取ってやることにしたのさ」
太陽の一族にハネを分け与えた王家のハネ使い。
つまりは、そのハネ使いの血を引く現在の王族からハネを奪うことで『レグルス・コル・レオニス』を完全なものにしようと企んでいるのか?
「だからアゲハを…」
狙ったと言うのか。
「勘違いするな。私はこんなものには興味がない」
冷たく、言い放つ。
「私は、知っているんだよ」
『レグルス』の下敷きとなっているアゲハを見下ろす。
「これは、影武者だ」
レディ・バードは、アゲハを見下すように笑みを浮かべながら言う。
「なあ、そうだろう?スワロウテイル姫」
止めろ。
それ以上は口にするな。
「影武者?」
怪訝そうに眉間にしわを寄せるドラゴンフライ。隣のグラスホッパーも、レディ・バードが言わんとしていることが解らない。
「アゲハ姫が影武者って…どういうことなのよ」
「ヒバリさん」
ドラゴンフライが僕に回答を求める。
その事実を知るのは、『ミツバチネットワーク』で辿り着いてしまったハナバチを含めてもごく限られた人間のみ。
そして当然、僕はその一人だ。
「………」
だけど、言えない。
僕の口からは、とても。
「ヒバリさん」
「ヒバリが言えないのなら、私が言ってやろうか」
「止めろ」
それは、十五年間守られてきた秘密。
十年前に交わされた約束。
「この国にはね、スワロウテイル姫なんて存在しないんだよ」
レディ・バードが、苦もなく言い放つ。
「アゲハは本物の王族を隠すための影武者…王族が狙われたときに身代わりになるための人間。いつ消えたって、いつ死んだって構わないんだ」
そうだろう?と、愉快そうに、僕にしてみたら不愉快な顔で、レディ・バードはアゲハを見遣る。
「揚羽蝶のくせに羽を揚げることのない…醜い青條揚羽はどこまで行っても偽物でしかない」
レディ・バードがくすりと笑う。
アゲハは『レグルス』の下で、なにも反論することなく、ただ、それを聞いているだけだった。
僕が、隠したかった事実。
知られてはならなかった秘密。
守り通さなければならなかった約束。
それが、どうしてこうもいとも簡単に、なんの関係もない太陽によって明かされなければならないのか。
歯痒くて、仕方がない。
以下、回想。
アゲハには、双子の姉がいる。
公には姉とされない、だが間違いなく唯一の姉妹。
いつもどこでも、どんなときでも凛としていて、高貴な雰囲気を纏う姉のナミと、そのすぐ隣で俯きがちにくっついている妹のアゲハ。
二人はあんまり似てない姉妹だった。
金色の髪をしたナミは、誰から見てもそれはそれは綺麗な揚羽蝶だったからだ。漆黒の髪の青條揚羽は多分、幼いながらそれを気にしていて、いつも姉の引立て役に徹しようとしていたように思う。
僕がアゲハとナミに初めて会ったのは五歳のとき。
相変わらず姉の後ろで小さくなっているアゲハは、申し訳なさそうにぺこりと頭を下げるだけで、一言も喋ろうとはしない。まるで、余計なことを口にしないようつぐんでいるかのように感じたのを憶えている。
「どうしたの?アゲハ」
ナミが妹の顔を覗き込む。アゲハは、何でもないと言わんばかりに首を振る。
あまりにも大げさに、音だって聞こえるほどにぶんぶんと首を振るアゲハを、もう解ったからと僕とナミでなだめたりしたものだ。
確か、僕らは互いに同じ年頃の子と会うのはこれが初めてで、たわいなくも楽しい時間を共に過ごしたと思う。
…そう、思うんだけど、正直、何をして遊んだのかはよく憶えてない。
僕にとって、最も印象深い出来事はこのあと。
ナミがなにかの理由で輪から抜けたあとの、僕と、アゲハの間で交わされた、約束。
今後十年、ずっと他言されることのない、秘密。
「お姫様に、なりたいの」
アゲハはぽつりと、そう零した。
どんな話の流れでの発言だったのかは忘れてしまった。
でもこれが、僕と出会ってからアゲハの発した、最初の言葉だったかもしれない。
それほど口をつぐんでいたアゲハの、どうしても言葉にしようと思わせた、願い。
「お姫様?」
僕が疑問形で返せば、こくりと頷く。
「ナミちゃんはね、綺麗で、格好よくて、アゲハの自慢なの」
少しずつ、語る。
「ナミちゃんのほうが素敵な揚羽蝶なのに、どうしてアゲハがアゲハなのかな」
幼いアゲハのコンプレックスだったのだろう。
自分に自信の持てない小さな女の子は「どうして」を繰り返していた。
自分がお姫様であれば、自慢に思うナミと対等になれるとか、揚羽の名前を持つ自信に繋がるとか、そんな意図があっての『お姫様』だったのかもしれない。
はたまた、それとは全く違う感情からくる願いだったのか。
どちらにせよ、アゲハがどんな気持ちで「お姫様になりたい」と言ったのか、僕は今も正しくは知らないけれど。
だけれど。
僕は言ったんだ。アゲハが零した一言に対する答えを。
「なればいいじゃん、お姫様」
我ながら、軽はずみな発言だったと、今になって後悔する。でもそれは、ナミの影で押し潰されそうになっていたアゲハを引っ張り上げるには、十分な一言。
少女は至極嬉しそうな笑顔になった。
この時、まだ生誕五周年のお祝いを兼ねたお披露目の式典は行われていなくて、国民は国王の子供についてなにも知らない時期だった。
きっと、色んなことが好都合だったんだと思う。アゲハの零した願いと、僕の発した軽はずみな一言が、瞬く間に現実になった。スワロウテイル姫が、本物を隠すための偽者として生み出されたんだ。
アゲハは、スワロウテイル姫として、影武者として、実によくやっている。そりゃあ近頃は頻繁に一号車を脱走していたけれど、五歳のときからこれまで十年間、ずっとお姫様を演じていた。
僕は、アゲハの一番近くでそれを見てきている。
僕が、スワロウテイル姫が生まれるための、背中を押したから。同時にそれは、アゲハとの約束だったから。アゲハがお姫様で、僕がアゲハの騎士として傍にいること。まあ実際は体のいい見張り役ではあったけれど、そうすることがアゲハの望みだったから。
僕は、アゲハが本当はお姫様でないことを、決して言わないと約束した。その秘密を、守り通すと誓った。
だってそうだろう?お姫様ならば絶対的な力で保護してもらえるけれど、偽者だなんて知れたらその保護がどうなるかなんて、考えたくもない。
僕は秘密を、約束を、守る。
一切、口にしない。
それはつまり、アゲハを守ることでもあるのだから。
そんな思いと共に、これまでを過ごしてきた。
以上が、僕とアゲハの十年間である。