まるで、けいこくのようなきてき
『まるで、けいこくのようなきてき』
汽笛が鳴る。
とは言っても夜行列車ミッドナイトブルー、蒸気機関車じゃありません。蒸気で動いてないってことは、汽笛なんか付いてる訳がない。それなのに実際のところ、この夜行列車に汽笛は、ある。
この列車が海に潜ったその頃からあるのか、それとも潜って数年、海をめぐる間に付けられたものなのか。定かではないけれど、無くてもいいものなんだから誰かが趣味で付けたんだと思う。
僕は、この汽笛の音が好きだ。どこが好きなのかと聞かれたら、安心できるところだと答える。生まれたときからずっと、聞いてるんだ。それだけ暮らしに密着していたら、安心も憶えるよ。
だけど今日は、そんな汽笛が警鐘のように聞こえる。
太陽は今、どこで、何を企んでいるのだろう。
「対策を、練らなくちゃと思う」
僕は言う。作戦会議だ。
場所は再び休憩室。ローテーブルを挟んで座る、僕、ドラゴンフライ、ハナバチ、グラスホッパー、そして、アゲハ。
正直、これはバンカーの仕事だし、場合によっては危険も伴うから、アゲハには一号車に戻って欲しかった。
「アゲハもできることはしますから」
そう言って、聞かないんだ。
「でも、太陽さんはどうしていきなり動き始めたのでしょう?」
アゲハが首をひねる。
「話を聞いていると、太陽さんって悪い人のかたまりみたいじゃないですか。いい人の部分なんて少しも感じられません」
「それは当然よアゲハ姫。レディ・バードはいいことになんて、興味ないもの」
「一人で悪の秘密結社ですか?」
「うん。そうそう」
違うだろ。
グラスホッパーは相槌を打ったけれど。いや、一人で悪の秘密結社、ってなんだよ。
「だとしたら、ですよ?そんなに悪い人なのだとしたら、なぜ、今まで素直に捕まっていたのですか?」
どうして、今になって脱獄したのか。
更には、脱獄以前にどうして迂闊に捕まったりしたのか。
「太陽さんのハネは脅威なんですよね?どうして太陽さんは、捕まるときにハネで抵抗しなかったのでしょう」
アゲハの言うことはもっともだ。
レディ・バードは、ハネ狩りの片鱗を覗かせたんだ。だから、警察は彼女を拘束した。と、言うことは、レディ・バードを警察が捕らえたあの日、確かにハネ狩りを始めるつもりだったはずなんだ。
自らの、ハネを奪うハネを使って。
『レグルス・コル・レオニス』。
獅子を支配する天道の鞘翅。
レディ・バードのハネの名前。
ならばなぜ?ハネで警察に抵抗しなかったんだ?それを考えると、アゲハの言う通りおかしい。
「あ…あきらめた、とか?」
「ありえません。悪の秘密結社は決してあきらめたりはしないんです」
…妙な理屈だ。
「追い詰められて、観念したとか」
僕は自分でもありえないと思いながら口にする。
「もしかしたら、全ては太陽さんの計画通りなのかもしれません」
アゲハは至極深刻そうに呟く。
「そんな…」
「アゲハ様の読みは、当たってると思う」
しばらく考え込んでいたハナバチが、ふと口を開いた。
「僕の『ミツバチネットワーク』で、十年前に太陽が拘束されたときのことを探っても、ハネ狩りの事実を見出だせなかったから」
ずっと違和感はあったのだとハナバチは話す。レディ・バードが捕まったのはハネ狩りの片鱗を覗かせたからじゃなかった?
「それなら、レディ・バードがこれまでおとなしく、幽閉されていたのも…」
「彼女の悪巧みの内、ってことですかね」
ドラゴンフライが結論付けたアゲハの問いに、僕らは一様に言葉を失う。
「十年越しの計画って…一体何なんだよ…」
それはひどく、時間を掛けた悪巧み。
太陽は、何を目的としているのだろうか。
「一つ言えることは」
手持ち無沙汰であるというように、帽子に手をやりながらドラゴンフライは続ける。
「ポーズであったにしても、十年間おとなしくしていたレディ・バードが脱獄したということは、彼女の悪巧みがいよいよ本格的に動き出すということです」
警戒して、損はない。
むしろ、警戒しなくちゃならない。
「僕らの仕事は、ハネ狩りから国民のハネを守ることだ」
十年掛かりだろうが何だろうが、太陽に屈するわけにはいかないんだ。選択肢は、他に用意などされていない。
ハネ狩りを阻止する。それのみだ。
「あたし、責任重大なのって苦手なのよね…」
はあ、と深く息を吐きながら、グラスホッパーはソファーの上からずるずると腰を滑り落とす。九十度に腰掛けていたはずの姿勢は、だらんとだらけて今ではほぼ百八十度。逆にきつそうな態勢だな。
「国民のハネを守るって言ったって、そのハネがあたしたちの元にないんじゃ守りたくても守れないわよ」
ドラゴンフライが確認済。
ハネバンクの保管庫に預けられていたハネは、もうほとんどが引き出されていた。
「だから、レディ・バードを押さえるんじゃないか」
脅威の根本を押さえれば、万事解決だ。
「…ヒバリちゃん…。それ、本気で言ってるの?」
信じられない、という様相のグラスホッパーが、体を九十度に戻しながら尋ねてくる。
やっぱり百八十度は辛かったんだな。
「本気だよ」
そうしなきゃ、僕たちはずっと怯えて暮らさなきゃならない。
「でもヒバリ、太陽さんにハネを使われたら、ヒバリのハネは取られちゃうんですよ?」
グラスホッパーの隣で、同じく不安そうな顔を浮かべるアゲハ。
「それを恐れて何もしなかったら、近いうちに必ず誰かのハネが犠牲になる」
「ミッドナイト王国は限られた空間ですからね。向こうもこっちも逃げられない」
それは、双方のプラスでありマイナス。
「なによ、ドラゴンフライもヒバリちゃんに賛成なの?」
「どのみち誰かが動かなくちゃならないのなら、その誰かは僕たちバンカーであると思っているだけですよ」
バンカーはハネの専門家だ。
ハネに関する事柄で、一番に力を尽くすべきなのは、やはりバンカーなんだ。
「大丈夫だよ、アゲハ。そんな顔するなよ」
依然として心配そうに僕を見るアゲハの頭を撫でてやる。
「レディ・バードに対抗出来るのは、僕のハネくらいだろうから」
唄を囀る鳥の羽。
『囀唄』。
僕のハネなら、太陽の『レグルス・コル・レオニス』を押さえられる、はず。
「ドラゴンフライやハナバチや、グラスホッパーのハネの力も、借りなきゃならないとは思うけど」
僕がそう言えば、挙げられなかったアゲハがぽ
つりと呟く。
「アゲハの…アゲハのハネは、必要ありませんか?」
「アゲハ」
そういうつもりじゃない。そういうつもりじゃなくて、ただ、太陽とバンカーの問題にアゲハを巻き込みたくないんだ。
「解ってます。アゲハのハネは、太陽さんをやっつける力にはなれそうにありません。アゲハのハネも、戦えるハネだったらよかったのに」
うなだれるアゲハ。
確かにアゲハのハネはレディ・バードにダメージを与えることには不向きかもしれないけれど。
「アゲハのハネはみんなを幸せにできるだろう?だからいつものように、ばかみたいにえっへへーって笑っていればいいんだよ、お前は」
「失礼しちゃいますね。ばかみたいにとはなんですか。アゲハはこんなにヒバリのことを心配しているのに」
むくれる。
「だったらバンカーが太陽を押さえられるように祈っててよ、スワロウテイル姫」
アゲハはお姫様だから、あんまり危険なことに首を突っ込んだら駄目なんだよ。
「アゲハは、お姫様じゃありませんよ?」
「うん、解った解った。アゲハはアゲハだよな」
僕はもう一度、アゲハの頭を撫でてやった。
「ヒバリくん、ちょっといいかな」
これまでしばらく黙っていたハナバチが、口を開く。
「これは一つの仮説なんだけど、もしかしたら…」
そこまで言って、言い淀む。
「なんだよ」
言葉にするのを迷うように、渋る。言ってはならないことかのように。
「もしかしたら、なに?」
促しても目を伏せる。
そして、一呼吸置いてハナバチは、続きを口にした。
「…もしかしたら、太陽は、ハネを失っているかもしれない」
「は?」
それはそれは大それた仮説だな。驚きが隠せないじゃないか。
「なにそれハナバチ。どういうことなの」
「それは、ハナバチくんの『ミツバチネットワーク』からの情報ですか」
グラスホッパーもドラゴンフライも、僕と同じく驚愕している。
「うん。さっきから『蜜蜂』を遣わして探ってるんだけど、一向に太陽の『獅子の王』――『レグルス・コル・レオニス』を感知しない。まだなんとも言えないけど、十年前に太陽がハネを使わなかったのは、そのとき既に使えなかったからなのかも」
ハナバチの『ミツバチネットワーク』には間違いはない。
と、するなら。
「それならヒバリ、恐れることなど何もないではないですか」
一気に明るくなるアゲハ。
「ヒバリの『囀唄』なら、ハネのない太陽さんなんて、敵じゃありません!」
「…だけどアゲハ様」
浮かれるアゲハをハナバチが制する。
「『獅子の王』がいないとしても、太陽はハネツールをいくつも所持しているみたいで…」
『ハネツール』。
ハネの力を閉じ込めた、使い捨ての魔法。
多種多様のそれは、ハネ屋で難無く手に入る。前にちらっと話したハネ取引では、このハネツールをやり取りさせるのが主流だったりもする。
ただ、脱獄したレディ・バードがそのハネツールを正規のルートで手に入れたとは思えないよなあ。けれど、ハナバチの『蜜蜂』は太陽がハネツールを所持していると情報を手に入れた。
「レディ・バードのハネは、他人のハネを奪う力を持っていた」
「自分の力ではないものを、駆使する能力に長けてそうですね」
わざとらしく溜め息を吐きながら、ドラゴンフライは肩を落とす。
「なんなのよもう!結局は脅威じゃない!ああ、だからあたし、責任重大なのは苦手だって言ってるのに。あたしみたいなか弱い女の子がどうやったらレディ・バードに対抗できるって言うのよ!そういうよく判んない感じ、苦手だわ!…いや、あたしも大量のハネツールを持てば、ってあたしハネツールも苦手だった!」
「落ち着け」
一気にまくし立てるグラスホッパー。と言うか、お前苦手多いな。誰でも使えるはずのハネツールまで苦手だなんて、どんな低レベルだよ。
「でも、ハネツールは一回きりしか使えません。いつかは尽きます。勝率はまだこちら側のほうが高いですよ。こちらは人数でも勝っていますし。アゲハを入れたら五対一です」
落ち込み気味のグラスホッパーを励ますように、アゲハは言った。
「駄目だよアゲハ」
駄目なんだ。太陽がハネツールを持つなら、状況はさほど変わらない。
「僕らのハネも、使えば減るんだよ」
いつかは尽きるという点では、ハネも、使い捨てのハネツールも変わりはないんだ。
人数だって、レディ・バードの実力が不明瞭な今、こっちが多いからって安心出来るものじゃない。第一アゲハは戦力には入れられないし。
「ハナバチは意地悪です…。アゲハをぬか喜びさせました」
みるみるうちに、しゅんとなる。
「ごめんなさい…」
ハナバチも、申し訳なさそうに俯いた。
「だけどハナバチ」
ハナバチのハネは重大な情報を手に入れている。
さすがは遥かを見通す蜜蜂の膜翅『ミツバチネットワーク』。そのハネを評価されてバンカーに選ばれただけのことはある。
ハナバチは、今現在レディ・バードが多くのハネツールを持っていることを見通していた。つまりは、ハナバチの『蜜蜂』はレディ・バードに行き当たっているということ。
僕はハナバチに向き合い、問いを放った。
「太陽は、どこにいる」
夜行列車ミッドナイトブルーの汽笛が、怪しく鳴り響いた。