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魔法科学  作者: ひのきのぼう
――第6章――
54/59

54話 マリーの成果

「どらぁ! うらぁ! せいやああああ! っしゃあああああ!」

 剛剣を二本構えた豪腕巨躯なボイルは、それらを振り回し、轟音と衝撃を生み出していた。

「気合は十分だが、これだけ接近している私に当たらないなど。話にならん」

 そんな嵐の中でさえ、そよ風程度に受け流すマリーは当たり前と言わんばかりの挙動でボイルの目の前に立つ。

「だから、なんで当たんねぇんだよ!」

 振り下ろされる剣を一歩横に、薙ぎ払われる剣は踏み超えて、マリーは避けてみせる。

「早さが足りない上に、単純すぎる。重い二本の剣に振り回されないようにと鍛えた体なのだろうが、宝の持ち腐れでしかないぞ」

 苛立ちを覚えたボイルが二本の剛剣を力任せに振り下ろすが。しかしマリーはそれも難なく避けてみせ、地面に食い込んだ剣のそれぞれに足をかける。

「っがああああぁぁぁ!」

 ボイルがマリーを振り払おうと力を込めるが、ほんの僅かしか持ち上がらず、双剣はずしりと地に沈む。

「そんな動きでは無駄に体力を消耗するだけだぞ。お前はメルヴィナではない。剣に抗うな、振り回されるな。使いこなすということは体の一部だと言う事を知れ」

 それはマリーがセレクトに言われ続けた言葉で、そのままボイルに教え込んでいた。

 足場の悪いぬかるみの中を走り、疲れた体で揺れる船の上でバランスをとらされ、休む間は柔軟な筋肉を作るために、ひたすら筋を伸ばす事を強いられて。体の芯を作る事を優先に、マリーは剣術を仕込まれてきた。

 そんなマリーからしてみればボイルなど、筋肉はあるが体は固く、剣を振れば重心がぶれ、接近戦を仕掛ければ小回りも利かない。そんな素人と大差ない肉人形でしかない。

「ふ、疲れたようだな。では休みながら柔軟と行こうか」

「はぁ、はぁ……また、やんのかぁ……」

「当たり前だ。お前は体のかたさをなんとかしないと、重心を保つ技術も意味がなくなる。私から言わせてもらえばこれは基礎より前の段階だぞ」

 純粋な力だけではこれ以上強くなれない事をボイルは悟り。マリーに剣術の指南を頼み込み、それをマリーは承諾したのだが……型の違うボイルに剣術を説くということ事態が間違いなのだと、セレクトの言葉をふりかえる。

 以前、ガイアスが指南を受けようと、セレクトに志願した事があったが。既に他で指南を受けていたガイアスに剣術は一切教えず、体の基礎作りだけをさせていた。そして疑問に思ったマリーはセレクトから聞いていた。「剣術を教えても型が違えば意味もないし、体が変に覚えると致命的に弱くなる」と。

 それはボイルに対しても言えることで、ならば足らないものを足せばいいと、セレクトにされて来た事をそのまま教えている。

「こんなの休みになってねぇぞ! いてぇいてぇいたいたいたあああああ!」

 筋を伸ばす痛みに耐え切れず、今日もボイルの悲痛な叫びが訓練の間に響くことになった。


 まるで動けなくなったボイルを捨て置き、指南を終えたマリーは訓練の間から外に出ると、そこに様子を見ていたのであろう、メルヴィナが一人、マリーを出迎えていた。

「マリーよ、随分と坊を鍛え上げてくれているようだな」

「あれだけ泣いて懇願されれば、教えない訳にはいかない。それよりメルヴィナ、まだ仕事とやらは終わらないのか? せっかく校外実習とやらから帰ってきたのに。まだ、手合わせすらしていないではないか」

「我も存外忙しい身の上でな、時間が取れぬ」

「という割には、毎日晩飯を誘いには来てくれるのだな」

「諦めが悪いのはお主だけではないぞ? 少しでもお主の好意を買うことが出来れば安いものだ」

 マリーの忠誠の拠り所を知っているメルヴィナは、頑なに揺るがないと知りながらも、マリーを晩餐に招き、それでも好意を得ようとしている。こんな風に自分から相手を誘うようなことは初めてで、別の手段が思い浮かばない……他者を知ろうとしてこなかったメルヴィナは今正に、対等に友と呼べる存在を見つけ、喜んでいることに気づいてはいなかった。

 そして今日も同じ卓を囲み、三人で晩餐を共にする。

 毎日続く優雅な食事会に、マリーはすっかりテーブルマナーを覚えてしまっていた。

 臨機応変に食器を使い分け行儀よく御馳走を食べ進め、メルヴィナの思惑にハマるようで少しばかり警戒心を抱いていたが、このような食事をとる機会など、マリー一人でいてはめったにない。

 晩餐を食べ終えてからはいつものように各自で解散し、マリーも学園の寮へと帰る……

 しかし、今日の足取りは少し違う。向かう先はセレクトの部屋がある平民寮。何故にそこかと言うのなら。前にセレクトのベッドで眠りこけた際、強くなるための助言を受ける夢を見たことに始まる。それからと言うもの時折セレクトの部屋で寝ることにしていた。

「女子寮はこっちではないぞ?」

「そういうお前は何故私に付いて来る」

 マリーの後ろを、いったん別れたはずのメルヴィナは何故かついてきていた。

「なに、年頃の娘は親交を深めるのに部屋に集まるものと聞いたぞ?」

「だから、なぜそれが私に付いて来るということになるのだ?」

「お主に忠誠を誓ってもらうには、まず最初にお互いを知らねばなるまい。それ故に親睦を深めようとな」

 一体誰に吹き込まれたのかとマリーは考え、先程から掴みきれない正体に行き着く。

「メルヴィナ、そこにいる従者がそんな事を言ったのか?」

 マリーは位置までは断定できないが、気配だけは感じられる存在に、ハッタリ混じりに指摘した。

「ほほう、ばれたか。いつから気づいた?」

「晩餐を食べた後、一度お前と分かれてからだ。尾けさせたな」

「ペトゥナ、出てこい。紹介してやる」

 気配が浮かび上がる事で、マリーはその位置を察し、ゆっくりと後ろを振り向くと、暗闇の中に潜む影は物音も立てず姿を表す。

「趣味が悪いぞ、ペトゥナ。マリーが警戒をしているではないか」

 得体の知れない異様なまでの存在の薄さに、マリーは警戒を解けない。

「すみません……メルヴィナ様。……バレてしまいました」

「気にするな。マリーが成長しているのであって、お前の問題ではない。それに、学園で気配をさとられたのは初めてであろう?」

「…………はい」

 ペトゥナはメルヴィナに忠誠を誓い、様々な雑務やその弊害となり得る危険因子の排除を行う隠者……

 だが、一度目にペトゥナの正体を見破ったのはセレクトで、マリーではない。しかし、ペトゥナは主の言葉に即答できずに、あまつさえ偽りを語ってしまっていた。

 なぜそのようなつまらない嘘をついたかと説明するのであれば。ペトゥナの独断専行でセレクトの命を狙ったことがあり、そして何もできずに返り討ちにあったうえ温情をかけられた屈辱、さらにいえば接触自体、相互の取り決めにより無かったことにされている。

 だから目には見えないが、ペトゥナの中には煮え切らない感情が渦巻いていた。


「で、マリーよ。お主はどこに向かっておるのだ? 女子寮とは反対の方向ではなかったか?」

「お前にはまるで縁の無いところだ。だから今日は帰れ」

「そう言うな、我もマリーの行く所が気になるのだ」

「…………なら、今日は女子寮に戻るか」

 このままでは寮に案内してしまうと思ったマリーは立ち止まり、メルヴィナの動向を変えようと試みるが、

「む、マリーは帰るのか? 我の興味は既にこの先にあるのだがな」

 既にメルヴィナの歩みは寮にあるようで……ペトゥナを連れて歩いていく。

「…………好きにしろ」

 メルヴィナに言っても聞かない事は既に知っているマリーは、どうせこの先は何の面白みもない平民寮だと諦めた。どうせ直ぐに飽きると判断し、それ以上は語ることをやめた。

 マリーは黙々と林を抜け、変わらぬ飾り気のない平民寮の前に出る。歩みがてらセフィラに一声かけたいと思ったが、その存在をメルヴィナ達に知られると厄介だと思い。結局そのまま寮の中へと入ることにした。

 そして、マリー達が寮に入ることで魔法が起動し玄関に明かりが灯る。

「おい、メルヴィナ、靴で上がるな」

 マリーが靴を脱ぐ傍らで、メルヴィナは一人、ずかずかと土足で室内に上がってしまう。

 セレクトが寮を改築してから土足厳禁となっていて、一応来客用のスリッパもちゃんと用意してある。

 他にも誰の目に止まる場所に看板が置かれ”土足厳禁、履き替え求む”と書かれていた。

「ここで靴を脱ぐのか?」

 メルヴィナは既に上がってしまっている廊下を指してマリーに尋ね。それを目にするマリーの肩が落ちる。

「こっちに室内用の履物があるから、ここで履き替えろ。脱いだ靴はこの中に入れろ」

 済し崩しにマリーは説明し、飽きて早く帰って欲しいと思いながらも面倒をみることにした。

「こんなに汚して……叱られるのは私なのだぞ……」

「すまない、平民の習わしというのを我は知らぬ。王宮内でもベッドの上ぐらいでしか靴は脱がぬのでな……」

 後ろからペトゥナがメルヴィナの靴を脱がせはじめるのを見つつ、玄関に置いてあるはき箒で汚れた床を払う。

「平民にそんな習わしなどない、あいつが嫌がるからだ……」

「あいつ?」

「ここの管理人みたいな奴だ。気にするな」

 マリーはセレクトの名前を避けて答えるようにしている。なにせスペリアム教国の英雄譚が歌われ始めたこの状況で、いつ繋がりがバレてもおかしくはない。だから引きのばせるのであれば、セレクトが戻るまではごまかし通そうと思っていた。

「ほう、随分と親しい仲のようだな。ならば挨拶ぐらいはしておくか」

「やめてくれ!……今は長期休暇で帰省中だ。私はその間だけ管理を任されている……」

「そうか、それならまた今度にしておこう」

 ペトゥナは固く結ばれていたメルヴィナの靴を脱がし、用意したスリッパに履き替えさせた。

 それを確認したマリーは一階の廊下の突き当たりを目指して歩き始める。

「これは便利だな、ランタンも使わなくて済む。どうなっているのだ?」

 廊下に飾られたランタンが、マリー達の行く先を照らし、後に消えていく。

 寮全体には魔法で様々な工夫が施され、その一つに魔法での自動点滅装置も完備されている。

 動力源としては魔力濃度の高い聖水を屋根裏に置き、タンクを通して寮全体に魔力を供給しているだけなのだが、このような試みは学園内だけでもここだけ。そして、セレクトが寮を離れている今でも、聖水の魔力は枯渇せずに、今も供給されていた。

 しかし、どのような仕組みかをマリーに聞いても、もちろん答えることは出来ない。

 メルヴィナもそこまで興味ないのか、はたまた話題を振っただけなのか。それ以上の追求はしなかった。

 そして、廊下の最奥へとたどり着いたマリーが扉を開けると、部屋全体に取り付けられたランタンに光が灯り、中の様子が表わとなる。

「随分と風変わりな部屋であるな」

「ここは銭湯という湯浴み場らしいぞ」

 この部屋は、平民寮の中でも最も手を加えていた場所である。元々あった湯浴み場に改良を加えたもので、現在は日本の銭湯風に仕上げてあった。

 女子寮にももちろん豪華な湯浴み場が置かれているが、便利さで言えばこちらの設備の方がはるか上を行く。

 風呂場にはシャワーやカラン、鏡が複数設置されており、香りのついた石鹸も置かれている。

脱衣所の方にも洗面台や髪を乾かすための温風装置、体重計などがあり、セレクトが居る時には冷えたミルクさえも提供されていた。

 その中でもマリーのお気に入りが体を解してくれるマッサージチェア。とりわけ体が疲れた日は、この銭湯の世話になっている。

 今日は特に疲れたというわけではないが、セレクトの部屋に泊まるとあれば、利用しないのはもったいない。

 むしろマリーの目当ての半分はここにあるといっても過言ではなかった。

「何をしているのだ?」

「このままでは風呂に入れないからな。それの準備だ。ここのボタンと言う物を押すとだな……まあ、なんだ。ここの風呂場が使えるようになるのだ」

 意気揚々、鼻高々にマリーはその素晴らしさを語り始めたが、途中で話しすぎたと言葉を濁す……

「ほう、我の邸宅では世話係が準備をしてくれるので必要はなさそうではあるが。面白いな……よし、我もここで湯浴みをするぞ。今日は世話係もいないのでペトゥナ、共に湯浴みをし、背中をながす事を許す」

 メルヴィナはそう言うとマリーに倣い一人でそそくさと服を脱ぎ、銭湯へと入る準備する。

「何をやっておる、ペトゥナ、服を脱がんか。共に銭湯とやらを楽しもうと言っているのだから、早くしろ」

「いえ……その……」

 主の命令は絶対で、ペトゥナに拒否権は無いが。それでも服を脱ぐことをためらうペトゥナ……

「お主がどっちつかずなのは知らぬわけではないが、恥ずべきことではない。それは我が定めた理と思え」

 そうは言っても裸になる事はなるべく避けておきたいとペトゥナは思っていた。だから涙目になりながらも少しずつ服を脱ぐ、なにせ……

「……ん? ペトゥナ。体つきがだいぶ変わってはおらぬか? 前はこうガッチリとしていたように思えていたが。今は妙に胸も大きく……」

 元々ペトゥナは両性具有という稀な体質の持ち主であったが、セレクトに魔力の流れを変えられてしまい、ホルモンバランスに手を加えられたことで、今はほぼ女性と言えるほどに女性化していた。

「…………おい、ペトゥナ。これは喜ぶべき事ではないのか?」

「わ、分かりかねます……」

 隠者としてなるべく表情を消そうと思っても、初めて吹きあがる感情をペトゥナは抑えられず、顔を真っ赤にしながら立ちすくんでいた。


「ほう、これは何だ? 妙な管が付いているが……」

「シャワーと言う物らしい、そこを捻るとぬるま湯が出てくるぞ」

 メルヴィナはシャワーを出したり止めたりと、子供のように遊ぶ。

「では、この面妖な入れ物から出てくるのは……」

 次に目をつけたのはポンプ式の液体石鹸用の容器、マリーの真似をして中身を取り出す。

「髪専用のシャンプーという液体の石鹸だそうだ、香り付けに香草が入っている。無駄に使うな」

「ふむ、では色違いのこちらは」

「体専用の……いい加減にしろ。私は先に風呂に入るからな。ペトゥナとやら、その洗剤を使っても構わない、洗ってからこさせろ」

 メルヴィナの質問攻めにあったマリーは手早く体を洗い終え、一足先に湯船へと向かう。その場に残るメルヴィナはまだ、ペトゥナによって体を入念に洗われていた。

 銭湯の内装は女子寮とのそれとは違い、天井が高く、開放的に作られていて、音がよく響く。一番風呂の独特な清潔さが、鼻や視覚でもって僅かに緊張していた感覚を和らげる。そして、一度湯船に浸かればため息が自然と漏れ、どれほど一日で疲れていたのかをマリーは毎回知らされていた。

「ふぅ………………今日は騒がしいな……」

 何時もならお湯が肌を流れる音と、自分の吐息だけが支配する空間に、今日はメルヴィナとペトゥナがいる。初めて他人の気配を感じながら、湯船につかり、桶の渇いた音が鳴り響く。

 不快だと口にしたいところだが……どこかそれが本来の姿なのだと頭の片隅で理解してしまっている。

「次はリザ達と入りたい……」

 両手でお湯をすくい上げ、セレクトやリザ、リネア、フィアといった面子を思い浮かべ、

「いや、セレクトはダメだ。私は良くてもあいつは怒り出す」

 前に一度だけセレクトが湯船に浸かっているところに入り、これでもかと怒られたことがあった。

 その時は丸一日言葉を聞いてくれない程にへそを曲げられてしまい、マリーは次はないと思っている。

「ふぅ、ここはなんとも面白い所だな、我も気に入ったぞ。是非とも王城にも設けたいものだ……よし、ペトゥナ。この銭湯とやらを作った職人を探し出して、作らせろ。費用は我の小遣いから好きなだけ持っていけ」

「…………」

 体を洗い終えたメルヴィナとペトゥナが湯船に入り、幅広い銭湯を絶賛するが、当の職人はここにいない。だが、ペトゥナはこんな事はセレクトにしか出来ないとも知っているので、金で解決できない問題にどうしたものかと考えて沈黙してしまう。

 マリーもそれを聞いて、セレクトが褒められていると嬉しく思う反面、いらぬ詮索の手が伸びてしまうと不安を感じる。

「王城や邸宅よりも飾りつけなどは質素であるようだが、便利さでは圧倒的に優れておるな。純白石鹸とやらの固形の物は近年よく目にするが、香草入の液体というのは初めてだ。一度だけ湯浴みの後に香草を練ったものを肌につけたことがあるが、臭いが強くて鼻が曲がりそうであった。香水というのも嫌いであったが、これは……悪くない……いや、むしろ良い。平民の生活とやらもしっかりと目を通しておかなくてはならんな。もしかすれば我々の方が貧相な生活をしているやもしれん」

 これ程に上機嫌なメルヴィナを見るのは初めてで、王族にここまで言わせるセレクトの凄さを再確認させられた。

 存分に湯船に浸かるのも熱くなってきた頃に、マリー達は風呂場から上がり、脱衣所に戻る。

 熱く火照る体にマリーは旋風装置のボタンを押し、風を受けていると、メルヴィナも隣にやってきては真似をする。

「これはなんとも言えんな……」

「メルヴィナ、これが極楽というものだ」

 終いには共にマッサージ機に座り、最後の疲れを癒す。

「マリーよ、あの箱は何だ?」

「あれか?あれは飲み物を冷やす装置だ。セレクトがいればミルクや果汁などを入れて置いてくれるのだがな。生憎やつはリリアに帰省中だ。帰ってくればじきに補充される」

 別にマリーの為に置いてあるわけではない。が、

「ふむ、そのセレクトとやらがここの管理もしていると。そうか、お主が親しく接しているのはリザイア嬢の他に、その者がいるのだな」

「…………」

 マリーはマッサージチェアによって解されて、口が滑ったと苦虫を噛み潰す。

「では、その者に言っておけ。我らの分もしっかりと用意しておけとな」

 前に顔を合わせているはずだが、名前だけではメルヴィナは結び付けられないのか、とりあえずマリーは安堵して、

「そうだな、言っておく」

 と、話題を適当に流す……


「ここのところ謁見の申し出が多くてな、今日は随分と羽を伸ばすことが出来た。礼を言うぞマリー」

 風呂場を利用したメルヴィナは満足したようで、玄関先でマリーに別れを告げていた。

「ならちゃんと私の相手をしろ。毎日ボイルの相手では剣も錆びるというものだ」

「よう言う。お主のその剣、実戦で一度も抜いたことがないであろう」

 不本意にも鞘から覗く刃でもって、メルヴィナの剣を受け止めたことがある。その時はメルヴィナの剣を一方的に傷つけてしまった。その凄まじい切れ味にマリー自身もおいそれと抜けない。

「これは人に使ってはいけないものだからな。校外実習とやらが始まれば、見せることになるだろう」

「ふっ、お主は本当に楽しませてくれるな。我を人扱いするとは。やはり欲しくなる……ここは一つ提案だ。明日時間を割いて相手をしてやる、その代わり我に負ければ共に王国の行事に出てもらうぞ」

「それは前に言っていた騎士隊の話か? 忠誠心も無しに下につけと?」

 メルヴィナは強引でこそあれ、暴君のように力で他者を支配するようなことはしない。それがマリーの評価であった。

「そういうな、騎士隊には入らずに我の客として参席して欲しい。それぐらいなら良いであろう? それに騎士隊と言う物を間近で見れば考えも変わるやもしれん」

「……それはまずありえないが。まあ、その程度であれば……問題はないか……良いだろう、私が勝てば――――」

「なんでも望みを叶えてやる」

 メルヴィナはにやりと笑い、踵を返す。マリーに背中を向けて、

「時間はペトゥナが伝えに行く、訓練の間でボイルと待っておれ」

 そう言葉を残してから平民寮を去っていった。 

 嵐の後の静けさに、気配が一人になった廊下を進んで階段を上がる。真っ直ぐにセレクトの部屋へと向かい、明日のことを考えながら眠りについた。





「すまん、待たせたな。探し物に手こずっていた」

 ペトゥナの知らせが届いたのは正午過ぎ、太陽が傾き始め、既にマリーの扱きにボイルが倒れた頃だった。

 呼び出されたのはマリーたちに提供されている郊外の訓練場という草原だったところ、今では抉れた土がむき出しとなっている。

「気にするな、こちらも十分に万全を整えられた。探し物は見つかったのか?」

「ああ、こいつだ。マリーも付けろ」

 メルヴィナが二つの指輪を取り出して、片方を自らの指に嵌めてみせた。

「これは何だ?」

「こいつは契の指輪という。奴隷の時代に作られた魔法の道具で、今は形を変えて騎士どうしの果し合い、互に決め事を違えぬようにと使われるようになっている」

「そんな物があるのか、ちなみに聞くが違えた場合はどうなる……」

「何、少々痛い目にあう程度、問題はあるまい? 我の込めるものは、残りの休暇の間、お主と共にあるというのでどうだ?」

 忠誠を誓わせる類ではなく、そこに込められた思いはただ一緒に過ごしたいという純粋な願い。

 マリーもメルヴィナに妙に気に入られている事は知っている。それはセレクトやリザと共に居たいと願う自分とたいして変わらないものだと、マリーには思えた。

「昨日の話した内容と少し違うが、小間使にされるわけではないのなら問題はない。私が勝ったらなんでも言う事を一つ聞いてもらうでいいか?」

 散々考える時間があったはずだが、マリーはメルヴィナにどうして欲しいとかは特になく。あえて言うなら剣の相手をして欲しいと言うもので、願いにするような事でもない。それに本来の目的がメルヴィナに勝つという事なので、戦えるのであれば一緒に居る方が、その機会も増えるというもの。決して負けてもマリーのデメリットになるわけでもない。

「お主も随分と大雑把な願いではあるが……好きにしろ。どうせ勝つのは我だ」

 言い交わす言葉もなくなり、互いに模擬の刀剣を構える。静かな闘志が重圧となり、観戦しているボイルが唸る。

 

 セレクトが作った訓練用の刀と剣は、マリーとメルヴィナの模擬戦でも壊れることなく健在だ。

 そして幾度目の戦いとなるかは分からないが、互いに同じように呼吸を整え終わる動作が始まりの合図と分かるほどに、慣れてしまっている。

 先手はマリーの攻撃から始まる。万全というだけあってその剣筋は鋭い。

 刀剣には僅かに魔力を込めるだけで障壁結界を張る魔法が施されていて、致命的な攻撃を緩和する仕様になっている。しかし、二人の斬撃に障壁結界も耐え切れずに一時的に吹き飛ぶ。

 メルヴィナも流石に守るだけでは勢いに押されてしまうと悟り、攻撃に転じる。剣筋がぶつかり合うたびに波動が生まれ、地響きとなってボイルまで届いていた。

 持久戦になればなるにつれてマリーの勝機は薄れていくが、一歩と踏み出せないメルヴィナの攻防に耐えることしか出来ない。

 やがてそのマリーの剣筋にも疲れが現れると、形勢はひっくり返ることなく、押されてしまう。受け流しきれなくなった斬撃をそのまま受け止めてしまい、吹き飛ぶ。

 これらの行われる戦闘はこれまで、同様の流れでマリーの敗北を意味してきたが、今日だけは違う。吹き飛ばされたマリーは受身を取り、間髪いれずにメルヴィナに飛びかかる。

 そのマリーの勢いにメルヴィナは目を潜めて「ほう」と一言に、先ほどと同じように攻防が始まる。が、やはりマリーが吹き飛ぶ結果は変わらない。

 セレクトから貰い、ディアードに直してもらった鎧はまだ壊れてはいない。

 だから諦めずにマリーは野獣のごとく何度も何度も受身をとっては繰り返す。

 ただその行為に何の意味があるのかもわからず、メルヴィナは段々と苛立ちを募らせるばかりだったが……

「おい、無駄だと分かっているだろう。我もこれ以上はお主を痛めたくはない」

 だが、マリーはメルヴィナに応じることはなく、常に攻撃の姿勢で飛び込んでは吹き飛んでいく。

 段々とその攻防のやりとりも少なくなり、二手三手でマリーはあしらわれる。それに嫌気がさしてきたメルヴィナは、ならばこの一撃で仕留めるとひと振りで……マリーを払う。

「いい加減にしろ」

 吹き飛んだ先で土煙が舞い、マリーの姿は捉えられないが、やはり闘士はまだそこで息をしている。

「負けを認めろ……」

 だからメルヴィナは最後にしようと踏み込み――――


「惜しいな……」

「ひやりとした、危なかったぞ」

 メルヴィナを苛立たせて一歩前に出るまで、すべての流れはマリーの想像していた通りあった。が、放った一閃はメルヴィナの鼻先をかすめ、空を切る。

 メルヴィナの戦闘においての勘が一つ上を行っていた。

 それでも諦めの悪いマリーは切り返し攻撃をしようとするが、

「これでしまいだ」

 盛大に振り下ろされるメルヴィナの剣戟がマリーに当たり、その力なく吹き飛ぶ様に、メルヴィナも苦痛な表情を浮かべた。

 もはやメルヴィナの戦闘に対しての意欲は薄れ、虚しさが胸の奥を突く。好意を寄せる相手を傷つける事がこんなにも苦しいものなのかと、心を痛めていた。

 そして、吹き飛ばしてしまったマリーの安否を確認するために近づくが……

「おい、もう、やめろ…………ん? なんだそれは」

 倒れているはずのマリーの体を渦巻く異様な魔力をメルヴィナは肌で感じ、歩みを止め――――その刹那、

「そんな力を隠していたとはな」

 メルヴィナは呆れを通り越し、感嘆たる思いで受け止める。

 それは最後の切り札、体内で暴れる魔力を急速に回転させ、安定化をはかった肉体強化”獣化”ならぬ”超人化”。

 まだ二~三分しか維持できないそれは、暴力的なまでの人間を超えた力を発揮する。

 瞬きすら許さないマリーの穿つ攻撃に、メルヴィナは防御に徹して窺う。

「すごいぞ、我の想像を優に超えてくるとは、驚きが止まん。勝手に悲観して悪かった、許せ」

「べらべらと、舌を噛むぞ」

 メルヴィナに攻撃の隙を与えない。マリーは次の瞬間、隙が生まれるのを本能で感じ、ほんの僅かな間ではあるが逃してたまるかと、勘だけを頼りに渾身の一撃にかけた剣撃を叩き込む。

 その時初めてメルヴィナの剣が弾け、後退させた。

 だが、それだけで終わってはダメだと、マリーは踏み込み、追加とばかりに攻撃を――――

「面白いが、それだけではダメだ――――」


 マリーが気がついた時には土くれの中に埋まっていた。

「私は……」

 起き上がる気力もなく、いったい何が起きたのかはメルヴィナを見れば理解できた。

「人間がここまで進化するとは思わなかった。だが、それではダメだ。マリーよ、お主の強さは技にこそある。その技を捨てて力に走れば負けるのはわかっていたであろう……いや、その前の鼻をかすめたのが本命だったか……あっぱれだ。確かに度肝は抜かれたな。はっはっは」

 ”竜化”それは獣化と同じく竜人特有の肉体強化。それに追いの一手が及ばずマリーは吹き飛ばされてしまっていた。

「これでもまだ届かないか……」

 マリーは力なく手をメルヴィナに向けて掴む動作をするが、何も手応えはない……

 その言葉と行動に戦意が無いとみるや、メルヴィナは竜化を解く。

 しだいに体の痛みが増してきて、マリーはどれほど意識がなかったのか考える。その間にメルヴィナの手により、力強く引っ張り上げられた。

「手心を加えたつもりであったが、大丈夫か?」

「大丈夫だ……」

 そう強がっているが、その足取りはふらついている。それに鎧もボロボロで、崩れてしまい、本当に鉄屑と化してしまった。

「…………」

「肩をかそう。掴まれ」

 下に落ちる鎧を見つめ、悲しげな表情を浮かべるマリーを見ると、メルヴィナも心なしか悲観にくれる。

 こうしてマリーはメルヴィナに敗北し、共にセプタニア共王国、立国式典に参列することとなったのであった。

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