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魔法科学  作者: ひのきのぼう
――第6章――
52/59

52話 ヤルグの楽々交渉術

 日が昇り始めたのは、馬車が外壁の門を通り過ぎた頃だった。揺れる馬車は寝心地が悪く、浅い眠りの中、朝日が目に入り中々寝付けず。それでも何とか睡眠を取り、次に目を覚ました頃には昼時をまたいでいた。

 今も寝ているリザの顔をぼんやり眺めていると、次第に馬車が速度を緩め、停車する。それから馬車を操るリネットさんが前方の窓から顔を覗かせ、

「少し……休憩」

 走り通しだった馬を休めるために、休憩を挟むようだ。

 既に荒野を抜け、草原地帯に入っていて、山の位置や地図を見比べると、来た時の二倍以上の速度でもって王都までの距離を縮めていると、目測でもって予想する。

 リネットさんの馭者としての腕前もそうだが、リリアが進める王都までの街道事業。今もその拡張と整備された道は硬いブロックに敷き詰められ、見る限り先は長くずっと伸びている。前に聞いた話では作業員の多くが近くの街で寝泊りをし、その街道建設をしているとか。せっかく移民として流れてきて早々、こんな所に派遣されると考えると、複雑な心境だろう……

 ちょうど木陰になった所に、馬車から外した馬を移動させたリネットさんに、

「お疲れ様です。サンドイッチ食べますか?」

 差し入れにと思い、母さんからもらったサンドイッチをリネットさんに渡す。

「……ありがとう。リザ様は……」

「まだ、寝てます。起きたらリザにもサンドイッチを渡してください。僕はちょっとやる事があるので」

 リネットさんに残りのサンドイッチの入った麻袋を渡し、馬車へと戻る。

 この後も乗ることになる馬車は快適とは言えない。すでに僕の腰は悲鳴をあげはじめ、体の節々が痛い。

 だから僕はサンドイッチを片手に、馬車の改良作業をする事にした。

 ベアリングの組み付け、車体の揺れ防止、風の抵抗を極力抑える魔法など、色々な面で改造。

 途中で僕の作業が五月蝿かったのか、リザが起きて僕の作業を覗き込んでくる。

「セレクト、おはよう。何してるの?」

「前みたいに馬車を改造してるんだ。リネットさんに昼食を渡しておいたから、食べておいで」

 リザはかるく「うん」と頷くと、木陰の方へと移動していった。

 

 そこで一時間程休憩し、改造し終えた馬車に乗り込み、また街道を走り始める。

 明らかに揺れる振動も、馬が走る速度も段違い。しばらくすると山間の道に入り、街道建設の労働者を横目に、馬車の揺れが少し酷くなった。街道の整備もここまでのようだ。

 凸凹道でも順調に馬車を走らせ、馬を休めるために一回だけ三〇分の休憩を挟んだが、それからは遅れを取り戻すように速度をあげて、日が落ちる頃には街へとたどり着いていた。

 この街は王都からリリアに向かう時、一日目に立ち寄った街。誰もが驚くその速さに、馬を走らせていたリネットさんも信じられない様子。

 前はキャラバンに同行し、賊に追われ、道が荒れていただので足止めをくらっていたが。

 条件さえ整えば第二のリリアから王都まで一日でついてしまうかもしれない。いや、今でも夜間を通して走れば十分にたどり着く距離だ。

 このまま街道が王都まで整備されれば、荷物や人の行き来が圧倒的に短縮され、経済効果は計り知れない。

 取り敢えずこの日は街で適当に宿を決めてしまおう。明日は王都に入るため、その準備を整える事にした。


「いやぁ、あっという間に来れたけど、ここで足止めか」

「今年はいいほうだと思うの。一日ずっと待たされた事もあったし……一つめの門を通れたから、お昼過ぎには城下町に着くと思うわ」

 王都の恒例行事は明後日から10日ほど行われ、内容は領地貴族や成人した王族の祝い事をやるとか。まあ、色々お祭り的な要素も含めているので、王都へと入る長蛇の列はまだ伸びる。一応、分担はされていて、南門を運搬、西門を平民、北門を貴族にと分けられているのだ。

 だからここは王都を守る北側の出入り口、大きな湖を跨いだ石橋が城下街の門へとつながっている。

 僕達は長い石橋の半ばまで差し掛かり、ゆっくりと進む景色を馬車の中から見ながら、湖に浮かんでいる船や、空を飛ぶドラゴンに目を向けた。

「リザ、ドラゴンがいっぱい飛んでるよ」

「ん? あれは……竜騎士隊の人たちだと思うわ」

 王族直属の騎士団で特に優秀な者、その中でも飛龍に愛された騎士だけがなれる、”竜騎士”なるものがある。王都の子供達の憧れの存在だとか……それらが隊を組み、規則正しい動きをしていた。

「ふーん、そうなんだ」

 マリーやガイアスあたりが見ていれば興奮していただろうが、僕はそれほど興味を惹かれない。

 ただ動くものを追って見てしまう生理的動作から目に映る……

 今もなおその竜騎士達は連携を取り、優雅に形を作っていた。

「パレードの演習でもしてるのか……」 

 そんな中、二匹のドラゴンが隊から外れて飛んでいる。

 一人は騎乗しているようだが、もう一匹のドラゴンには人影は見えない。

 それに飛び方も雑なようにも見える事から、連携を取るための躾をしているようだ。

 以前にも一度だけ、子供のドラゴンを躾ている現場をマリーと見たなと、半年前の事を思い出す。 

 竜騎士隊の動きのレパートリーが多く、飽きることなく見続け、気がつけば対岸についていた。


 既に制作していた書類を見せる事で、検問もすんなりと通り、活気あふれる城下街へと入る事ができた。

 普段とは言っても、三回しか訪れていない王都の南側とはだいぶ装いが違い、綺麗に整備された街並で、同じ城下街とは思えない。多分ここは貴族街だ。

 リリアは別邸など城下には置いていないので貴族街には用はない。

 馬車ももう必要ないので、貴族街を横切り、南の商業区に行かなくてはならないが。僕達全員が行動を共にすることはない。重たい荷物は商会に預けて魔法学園に送り届けてもらったりするので、手荷物も数日分の着替えだけで事足りる。

 だからリネットさんだけがリリア商会へと馬車を預けに行くことになり、僕とリザはその間に既に決められている宿に向かう。

 そこは貴族街からさほど遠くなく、裕福な平民層が住まう宿場。

「ここら辺なんだけど……あった。”地竜の懐”」

 手荷物を携えて、ヤルグが書いてくれたメモ通りに、道を歩けば宿屋を見つけた。

 外装も内装も、決して豪華というわけではないが、カビ臭くもない。いたって綺麗な普通の宿屋。文句をつけるなら作りが若干古い気がする。

 外から感想をのべる程度に覗いてから、中へと入り、受付のカウンターを探す。

「すいません、ここにくればこの時期でも宿が取れると聞いたんですが」

 カウンターの奥に座る女性に話かる。見た目は若く二〇代前半。眉をひそめていて愛想はあまり良くない……それなのにこのような店の顔として働けているということは、それなりの技能を持っているのだろう。

「当宿は、完全予約制ですが、どなたかのご紹介でしょうか?」

「リリア商会のヤルグ・ウィック・ツェルでお願いします」

 ヤルグのメモにも紹介制と書かれていて、これらのやりとりは予想通り。

 決められた手順があるかのように進めていく。

 受付の女の人は引き出しから書類の束を取り出して、その中から名前を探し、片手に持った透明な水晶を覗いている。

 どうやら視力が悪く……愛想が悪く感じたのもそのせいだろう。

 まだ透明なガラスもつくれなかった世界なので、メガネなどあるわけがない。だからこの透明な水晶が眼鏡がわりに使われている。ただその値段はお察しではあるが……

「……リリア……ヤルグ……お名前を伺っても……」

 使いづらそうな水晶を使いこなし、書類の束から一枚の紙を取り出した。

「セレクト・ヴェントとリザ・ルドロ・リリアス。あとはリネットさんかな?」

「はい、お名前はございますね。後は身分を証明できるものがあれば……はい、ありがとうございます。ただいま用意できます。お部屋は、四人部屋が一室となっておりますが。よろしいでしょうか?」

 すかさず僕は手元にあるリリア商会の証を提示し、部屋割りを教えてもらったが、

「……うーん、四人部屋か……肩身が狭いな」

 女性二人に男一人……

「はい、それでお願いします」

 僕が悩んでいる隣でリザが直ぐさま了承し、会計は商会払いで通してもらう。

 受付の女性から鍵を受け取り、部屋に行こうか少し悩み、

「あの、失礼な質問をしてしまいますが……目があまりよくないのですか?」

 僕は唐突に聞いてみる事にした。なにせ目が悪いというのは日常生活を送る上で死活問題になり得る……

「ん?……まあ、はい。そうですね……」

 視力が悪いのか悪くないのか聞いただけだなのに、何か感傷に触ってしまったのか、受付の女性がうつむく。

 隣のリザも怪訝な表情で僕を見てくるが、別に女性を傷つけたいとか、そういう意図はない。ただ、前の世界で目を悪くしかけていた事もあり、あまり見過ごしたくない。

 実際にリリア商会内でも何人かにはメガネを差し上げている。

「じゃあ、魔力は扱えますか?」

「え? まあ、それぐらいは簡単にできますが。それが何か?」

 僕の意図の読めない質問に、受付の女性は高圧的になるのも仕方ない。

 ずかずかと個人について聞かれれば、良い印象はないのはあたり前だ。ちなみに僕が聞いているのは、眼鏡をガラスのレンズにするか、結界を応用したレンズにするかを聞いているだけだったりする。

 何せガラスレンズであれば度の調整をしなくてはならないし、ガラスを作る素材の持ち合わせが無い事から、後で渡すことになってしまう。でも、魔力を使った結界レンズであれば、フレームさえ作れれば素材などはどうとでもなる。それと見るという意思に魔力が呼応し魔法が自動で光の屈折を調整してくれたりと、便利の度合いで言えば一目瞭然。

 荷物から実験用に取っておいた鉄屑を取り出し、賢者の石に記憶させた魔法の中から、即座に結界レンズ眼鏡を錬金する。

「じゃあ、これを差し上げます。魔力を少しこめれば一日持ちますし……こう、顔にかけて使えば視野が広がると思いますから」

 制作から仕上げまで、あまりの速さに荷物を取り出したようにしか見えない。

 間近で見ていたリザも少し驚いている。

「はあ…………あっ!」

 僕が渡したメガネを半信半疑に顔に掛けて、驚いている受付の女性を見てから、

「失礼な事を聞いてしまい、すいませんでした。僕達はこれで部屋に行きますね」

 驚いたまま固まっている受付の女性を置いて、リザと一緒にあてがわれた部屋へと向かう。

 一日一善と心で思っていると、リザはあまり面白くなかったのか、まだ不信の目を僕に向けていた。

「な、何かな?」

「そうやってセレクトは女性の弱いところに付け込むんだ……」

「え。別にそんな事してないよ。あれが男の人でも同じことしてますし……」

「へー。男の人にもそんなことするんだ」

「いやいやいや。なんだか誤解を招きそうな言い方はやめてよ。分かったよ、リザにも何か作ってあげるから」

「…………私、別に作って欲しいなんて言ってないし、物で簡単に釣られないもん」

「”もん”って、そんな子供みたいな事言わないでよ」

「でも、セレクトから見たら私なんて子供だよ。簡単に物で騙せちゃうし、セレクトから贈ってくれる物だったら、何だって嬉しいし……」

 リザは希にこうやって駄々をこねる時があるが、これは僕にしか見せない一面でもあると知っている。

 人の心を分かってしまうからなのか、リザは普段から心を抑制し、大人びた達観も持ち合わせてしまっていて、時折ガス抜きのように僕に甘えてくる。別にそれをあえて咎めようとは思ってはいない。少しでもリザのストレスが緩和するのであれば、爆発してしまうよりかは、はるかにいい。そう、僕は考えていた。

 リザと会話を弾みをきかせていると、あてがわれた部屋の前にたどり着き、扉の鍵を開けて中へと入る。

「意外と広いし、ベッドも綺麗だ。さすがヤルグの紹介するだけの事はあるな」

 普通の宿屋と思っていたが、部屋は驚く程に実用的で、宿を利用する客を喜ばせる作りになっていた。

 たとえば豪華ではないが柔らかいベッドに、毎日替えられているであろうシーツや布団。一人につき一つのランプ。

 木製のバスタブも個室に設置してあり……受付もしっかりしていた事を踏まえて考えれば、ここはもしかしたら、知る人ぞ知る老舗というやつなのかもしれない。そう思うことで

「あ、湯浴みもできるんだ……セレクト、見て。火のお札でお湯も沸かせるようになってるみたい」

「へぇ、こんなふうに使われてるんだ」

 ただの五右衛門風呂と同じ湯沸しだが、部屋で薪は焚けないしで、火の札が使われている。

 この手のタイプのお風呂は入る前に炊きだしたお湯を、下手人にせっせと運ばせるのが当たり前だったが。これであれば下手人は水だけを運び入れ、後で好きな時間にお湯を沸かせられるし、追い焚きもする事ができる。

 僕からしたらもっと実用的に改造できるが、流石に人様の物を勝手に弄ったりはしない。まあ、馬車はリリア商会の物だから別だ。

「うちはうち、よそはよそ」

「……何か言った?」

 リザの前だからかつい日本語が出てしまった。

「いや、リネットさんを待ってから出かけようか」

「じゃあ、その間にお風呂に入っちゃおうかな……」

 ちらりとリザがこちらを見てくるが、その手の動揺作戦には引っかからない自信はある。

「僕がお湯を沸かすよ。ハーブ入りの石鹸もあるから使う? あ、夕飯出るのか聞いてなかったな」

「むー……じゃあ、お願いするね……」

 何か言いたげなリザを横目に、とりあえず僕達はリネットさんが来るまでの間、自由時間として過ごすことにした。

 


 

 リネットさんと合流したのは日が傾き始めた頃で、ここ”地竜の懐”は事前に話を通してないと食事が出ない事から、今晩の夕食は外で食べることになった。ちなみに明日の朝食は既に頼んである。

 王都の街中を歩くのは久しぶりで、埃臭い匂いも何処か懐かしく感じる。学園からリザと共に王都を訪れた時はバタバタとしていた為に、一緒に出歩くことさえ出来なかった。だからリザと観光気分で出歩くのも初めてだ。

「あ、リネットさん。学園に向かう飛龍船はいつ頃になりそうですかね?」

 今、僕達の優先事項で言えば一番大事な事を質問した。

「昨日、到着したばかり……多分、次は五日後……」

 ギリギリというよりも、ヘタをすればアウト。

 僕達は取り敢えず王都へと潜伏している状態だが、セレーナさん達にとっては敷地内。本気で探しにこられたら逃げ場は無い。

 ヤルグ達が上手くごまかしていればいいが、それが出来なければ……

「こんなに呑気に構えてていいものなのかなあ……」

「どうしたの?」

「いやね、セレーナさん達が僕達を探してたらと思うと……」

「うーん。私は大丈夫だと思うの……セレーナ様って優しいし、アダル様も悪い人じゃないよ?」

「…………」

 そうは言われても、リザにとっては恩人でいい人なのかもしれないけれど、僕にとってはと考えるとまた違う。

 ただ、それを面と向かってリザに話す事はしたくはない。自分が親しいと感じている人の悪口を言われて傷つかない人はいないのだから……

「ねぇ、リネットさん。ご飯はどこで食べるの?」

 リザの前振りのない話の流れに、違和感を感じる。心の感情を汲み取れるリザは今、僕の感情を汲み取ったに違いない。なんとも大人気ない話だ。

 取り敢えずリザに心配されないように前向きに考えよう……

 すると、リネットさんが立ち止まり、辺りを見渡し始め、

「…………」

 先頭を歩いていたリネットさんには目的の場所が有るのかと思い。

 僕達は後ろを着いて歩いていたが――――

「どこで……食べる?」

 無かったようだ。


 とりあえず僕達は屋台を避け、相席の無い食事所を探して歩き回る。なんだかんだと選り好みしている内に日が暮れてしまい、この際食事が出来れば問題はないと、仕方なく適当な店に入る事になってしまった。

 店の中はいたって普通の食堂だが、リネットさんは完全に警戒態勢。なるべく端の席に座り、注文を取る。

「へぇ、ドラゴンの尻尾焼き定食ってのがあるな」

「私は、これにしよっかな。炎龍の鱗焼き」 

「…………」

 無言なままリネットさんはメニューの一つを指して”水竜始めました”という品を選んだ。

 注文を終えてから僕は辺りを見渡す。

 酔っている商人はいるが、荒くれ者や、傭兵の姿も見えない。だからそこまで警戒の必要もない。それでもリネットさんは警戒を続けていて、次にご飯を食べる機会があれば、事前に調べておこうと心に留めた。

 食事が運ばれてくる間に食堂も人が増えて、多少騒がしくはなるが、賑やかと言える程度。

「炎龍の鱗焼きってウロコを鉄板にして肉を焼いた食べ物なんだ。僕のはしっぽの形に肉を形成した肉っぽいんだよね。で、リネットさんのは……」

 少し気になっていた”水竜始めました”は、お肉のスープ煮でとても柔らかそうだ。

 僕達はお腹がすいてたのか、黙々と食べてしまい、あっという間に食べ終えてしまった。

「食べ応えもあって美味しかったね」

「うん、あっという間に食べちゃった」

「…………」

 満腹にもなり、外はもう夜を迎えている。そろそろ席を立とうと思ったその時、

「おおう、べっぴんさ―――」

 三人の酔った商人達が近づいて来て、何か言おうとした瞬間にはリネットさんの暗殺術が炸裂。

 話しかけてきた商人の肩に触れたと思ったら、音を立てずに気絶させ、何事もなかったかのように、自分の座っていた席に置く――――まるで商人は寝ているかのように気を失っている。

「……? 今、何し――――」

 仲間がやられたのを二人目のほろ酔い商人が気づいた。だが言葉を発した瞬間には意識はなく、同じように静かに着席させた。

 座らせるまでの一連の動作が滑らか過ぎて見事とも言えるが……

「…………ん?――――」

 酔っていて状況も分からない三人目の商人も消沈。

 リネットさんが、このままでは酔っている商人達を片っ端から沈めかねないと思い、騒ぎになる前にそそくさと食堂を出ることにした。

 

「リネットさん……早すぎるよ、仕事が早すぎてドン引きだよ……」

 とは言うものの、確かにあのままであれば、どのみち絡まれていたし騒ぎにもなっていた。だからリネットさんの判断は正しかったと言わざるをえない。

 ただそれでも、理にかなっていたとしても……受け入れられない事もある。

 例えば目の前で知人が知らない三人組を一瞬で気絶させたりすればなおのこと……

「多分あの感じだと泥酔客として処理されるでしょうから、取り敢えず僕達は早いとこ宿に戻りましょうか」

 日が沈めば街の装いも次第に怪しく危ないものになってくる。既にちらほらと鎧を着た雇われ兵達が闊歩し始め、厳重なリネットさんの警戒の中、何事もなく僕達は宿へと戻ってきた。

 

「お、お客様!」

 宿に戻ってきて早々に、受付の女性が出迎えてくれたのかと思ったが、

「先程はお礼を言えずにすみませんでした」

「あー、いや、僕も出過ぎた真似をして、あなたに嫌な思いをさせてしまいましたし」

「いえ、そんな事は……ないです……」

 僕の誤りを否定してくれるが。どこか受付の女性は思い悩んだ後、声を絞り出すように、

「ですが! このような高価な物はいただけません!」

 そう言って、眼鏡を返してきた。

 僕は善意でもって行った行為も、このようにして返ってくるのかと悩む。

 もし、僕が”要らない”と、ガンとして受け取らなければこの受付の女性は困るだろうし。”そうですか”と、受け取ってしまえばこの人は私生活で困るだろうしで……なんとか落としどころは無いかと考えているうちに、受付の女性の手が少し震えているのに気がついた。

「……セレクト」

 リザが念話でもって僕の名前を呼ぶ。それに僕は反応し、意を決して女性を試してみることにした。

「不躾ながら。お名前を伺ってもよろしいですか?」

「は、はい。イース・ロイマーです」

「ありがとうございます。僕はセレクト・ヴェントです。イースさん、随分と惑わせてしまったようで、すいません。僕は良かれと思ってやったことが、こんな風に返ってくるとは思わなかったので……苦しませてしまいましたか?」

 イースさんの両手で差し出された眼鏡に手を置く。このままあっさり返してくれるのであれば、それまでと思ってはいる。

「…………っ」

 でも、やはり。取ろうとするとイースさんの両手に力がこもる。

「えーっと……」

 しばらく僕の手は空中を彷徨い、言いたい事を整理して頭をかく。

「野生の生き物って生きるために生きているけど、人は何かを欲する為に生きている生き物なんですよね」

 納得して受け取ってもらうには、僕はどこから話そうか悩みながら言葉を選ぶ。まあ、それにしもても、この冒頭はひどいと思うが……

「だから日々努力して欲しい物を手に入れようとするんですけど。僕もその一人です。でも、この世界の人の中には楽に手に入るのならば、それでも良いという人もいるでしょうし……いや、むしろ多いかもしれません。なにせ、生きるというだけでも存外難しいものですから。食べて寝ること以外にも人間関係やその場の状況、色々ありますし。その中で好きなことを好きだと言ってやり通すにも根性はいるしで。泣きたくなる時だっていっぱいある。歯を食いしばって努力しても報われないと知った時は諦めるしかない…………でも、人の業とはあさましくも、手に入らない物が手に入ると思ったら、どうしても欲しくなってしまう。一度手に入った物なら尚さら手放したくはない。分かります。僕もそうですから……だから……」

 一呼吸おいて、僕は力をこめて言う。

「イースさんもそうでしょう? これが欲しくてたまらない。別に悪いことではないよ」

 僕は至って淡々と、受け売りの言葉を並べる。どれもこれもが前の世界で恩師に言われた言葉だ。だから僕自身に重みが無いのも重々承知している。でも、どうしても。努力には報いが必要だと思うから、目の前で苦悩する人には伝えておきたかった。

 イースさんは眼鏡を強く握り、両手を下げる。とりあえずこれで受け取ってもらえそうだが、まだこの人は納得していない。そういう気迫を帯びている。多分、今までの努力が無駄に思えてしまうのだろう……

「……だって……仕方ないじゃない! 勉強しようとしても、目がどうしても霞んで見えなくなっちゃうんだから!――――」

「ええ、でしょうね。毎日遅くまで仕事した後に、暗い中で読み書きをしていればそうなるでしょう。一生懸命、筆を走らせていれば手にタコだってできるでしょう。霞む目で全く読めないのに諦めきれず、癖のように勉強をしてしまうんでしょう? 目に隈ができて愛想が悪いと同僚に言われても。めげずに水晶を買うお金をコツコツ貯めて、いっぱいいっぱい頑張って……でも、まだ。全然届かない……もう、いいです。十分努力してきました。甘えていいんです。その努力をやりたい方向に向けていいんです。だって、その権利が十分にイースさんにはあるんだから。本当の意味で報われるべきなんだから……」

 畳み掛けてイースさんに言い聞かせる。途中で僕のトラウマも混じってしまっていたが。今はおいておこう。

「…………」

「だから、それは貴方のものです。受け取ってください。大事にしてください。世界は努力をする人に優しくあるべきだから………………とまあ……僕は思っているんですけどね」

 長くなってしまって、とりあえず伝えたいことは伝えたが、締めが悪くてちゃんと納得させられたかは分からない。ただ、黙ってイースさんはは俯いたまま。先ほどの気迫は感じられない。

 人集りが出来始め、宿屋の他の従業員も覗き込んでいるしで、この場に居続けるのもバツが悪く。リザ達に目配せをしてから、

「では、僕達はこれで失礼します」

 イースさんの横を通り過ぎ、部屋へと向かった。


 部屋に戻ってきて、リネットさんは湯浴みを始め。

 僕はやることも特になく、ベッドに横になる。

「セレクトってそんなに女の人のこと見てるんだ」

「ん? どうにもヤルグと一緒にいたせいか、人の事に気がつきやすいというかね」

 リザの言いたいことを先回りして、答える。

 弱みに付け込む商人の常套句として下げて上げると言う物がある。簡単に言えば、虫に食われた野菜を見せて、虫に食われるほどおいしい野菜と言い換えれば、何だか少しでも良い物に見えるという心理を利用したものだ。他にもヤルグ大好き、相手の弱みを引き出し交渉術やら色々と……

「それにしても後のほうはやりすぎだと思うの……」

「後の?」

「うーんと。イースさんが叫んだ時。あそこで終わらせてもちゃんと受け取ってくれたんじゃない?」

「まあ、そうだね。ただ、今後のことも考えると、ここの宿屋に泊まるわけだしさ。わだかまりを作るのは得策じゃないとは思ったんだけど。でも、初対面の相手にしかも年下とか。今考えるとすごい失礼だな」

「…………それは、大丈夫だと思う」

 人の心を理解するうえで、リザが言うなら大丈夫なのだろう。

 リザは僕をじっと見てから、

「私にもあんなふうに励まされたいな……」

 なんて言うから僕がどう返そうか悩んでしまい、

「う、うん。頑張って考えておくよ」

 動揺混じりに答え、

「へへ。絶対だよ」

 リザは満足そうに、自分のベッドに横たわった。




 その次の日。朝食を食べていたら、イースさんが昨日の夜に”やりたいことが出来た”と、言って、地竜の懐を辞めたことを知らされた。

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