51話 涙の対価
誤字脱字がひどいので、ストレスを感じる方はすみません。
報告があればなるべく早く修正致します。
背筋を舐められるような緊張に、セレーナ姫が捕食者であると僕は本能でもって実感していた。
「セレクト、お願いできる?」
「え、あ……うん。セレクト・ヴェントです。えーっと、魔法使い見習いです」
リザの声で我に返り、何とか自己紹介をする。
「ワタシはセレーナ・レクス・セプタニアン。名前のとおり王族の家系ですわ」
セレーナ姫は口元の扇子をどけて、青い口紅でもって彩られた唇がなめらかに動く。日傘で見えにくかったが帽子も被っていて、髪の毛を束ねているのか、その隙間からドレスと同様に青い髪が微かに見えた。始めてその顔の全体像が見える事で、妖艶な美貌とやらを始めて目の当たりにする……
何をそんなに楽しいのかは分からないが、僕が自己紹介したらセレーナ姫は瞼を細めてニタリと笑い、やはりその目を向けられると、僕は背中にジワリと汗を感じ息が止まる。
「それで、そちらの愛らしい娘さんのお名前を聞いても?」
そう言いながら、すすすとセレーナ姫は接近してくると、いつの間にか僕の影に隠れていたフェリアの鼻先まで顔を近づけ、その眼下に晒されたフェリアは緊張のあまり、尻尾と耳が垂れ下がっていた。
少しばかりの香水が僕の鼻をかすめる……
「ふぇ……フェリア・ツェレーニです……」
「まぁ可愛い! フェリアちゃんね。覚えたわ」
フェリアから名前を聞き出したセレーナ姫は、まだ顔を離すことなく。その目に焼き付けるようにフェリアの顔を覗き込む。
「顔をお見せになって…………」
扇子を使いフェリアの顎をしゃくりあげ、愛おしく見つめ、
「お願いですわ。ワタシの名前をおっしゃってはいただけないかしら?」
「え……エレーナ……様?」
「ああ、いえ。それはダメですわ。もっと親しみを込めてお願いいたしますわ。さあ」
「じゃ、じゃあ……エレーナ……おねいちゃん?」
フェリアの潤んだ瞳と儚げな声に、
「はぁ。もう限界ですわ」
セレーナ姫は両手で持っていた日傘も扇子も放り出し、フェリアを抱きしめて撫で回す。
フェリアは驚きのあまり尻尾と耳が伸びきって、涙目でもって無言にも助けを求めてくる。
「セ、セレーナ様、そのへんで」
「………………そうですわね、今はこのへんにしておきましょう」
「…………」
リザの静止により、フェリアを堪能したセレーナ姫は名残惜しそうに離れる。その一瞬、目と目があった気がしたが、気のせいか……
ガイアスが落ちていた日傘と扇子を素早く拾い上げ、セレーナ姫に手渡す。
「俺はガイアス・ツ――――」
「では、お兄様を探しに行きましょう」
扇子を広げたセレーナ姫は一人でお兄様とやらを探しに歩き出し、僕達もそれに続く。
フェリアは僕の後ろで袖を掴み、ガイアスは妙に落ち込んで……
「あ、あの。リザイア様……そろそろ……お戻りに……」
警備隊員の人も消え去りそうな言葉はリザには届かず、進んでいく彼女達を見て肩を落としていた。
無闇に迷子を探したとしても見つからない。手っ取り早いのは聞き込みをする事だ。そのアダルお兄様とやらもセレーナ姫と同様に、それなりに目に付く格好をしているらしく。巡回の警備隊員を捕まえて聞くことにし、
「はい、見ましたね。妙に白を基調としていましたから覚えております。その時は確か……門前で……妙に外壁の壁をずっと観察していましたね」
それは確かに妙だなと思い、王族関係者の奇人ぶりを思いだせば、これ以上関わりを持ちたくないと思うのは僕だけじゃないはず。
今しがた嫌々ながらも街の出入り口、その門前まで戻ってきていた。
「見当たりませんね」
「見たのも昼前という話でしたし、それもそうでしょう」
セレーナ姫と会ったのが先程と考えると、相当な時間、一人でこの辺りを探し回っていたに違いない。
心細かったなどといっていたが、比喩でも何でもなかったようだ。
もう少しだけ周りをキョロキョロ探してみても、やはりその白いシルエットの人物は見当たらず。
その間に警備隊員の人は事務所に聞き込みをしてくれていた。
僕達が探している間、結局セレーナ姫は途中で探すことに疲れたのか、フェリアを後ろから抱きついては、己が欲望の限りをつくし、
「いやー」
「いいですわ。見た目も愛らしくこの触り心地……これはリリアのどこで売っておりますの?」
「売ってないですし、売り物じゃないです。セレーナ様」
セレーナ姫も分かっての質問だろうが、王族だけに「あら、残念」などと、洒落にならないからやめてほしい……リザのツッコミを入れている姿は何とも珍しかった。
そんな僕もフェリアを助けたいのもやまやまだが、女性だけの空間に割って入れるほど器用な事は出来ない。ハーベスなんかは心得てそうだが……僕に出来ることはなるべく早くセレーナ姫の兄、アダルお兄様を見つける事だ。
「いいな……」
フェリアとセレーナ姫、その様子をガイアスは呟きながら指を咥えてみていた。実に教育上よろしくない光景ではある……が、時すでに遅し。きっとガイアスは何か新しい扉が開く予感を感じている、そんな眼差しだ――――
「あ、分かりましたよ!どうも壁沿いにへばりつきながら……あちらの方向へと歩いて行ったとか」
僕がガイアスに注目していれば、警備隊員の人が有用な情報を持ってきてくれた。ただ、聞くからに怪しい……
いっそのことセレーナ姫をこの人に預けて僕たちは帰りたいぐらいに。
「じゃあ、僕達はこの辺で戻らないとなんで――――」
「え、待ってくださいよ! 俺一人とかダメです! 荷が重すぎます! 絶対に嫌です!」
まあ、そうなるだろうなと思いながらの提案だったが、仕方なしと早めに諦め、白い人物が消えた方へと皆を連れて歩く事にした。
出来たばかりの外壁は光を反射するほどに見事な仕上がりで、見惚れてしまう。
今は見えていないがこの外壁は二重構造になっていて、隠された内壁には壁の強度を鉄並みにする強化魔法が施されている。僕が2ヶ月ほどの期間を費やして作り上げた造形物で、何処まで出来たは知らないが、まだ内壁を覆う壁作りは手作業でもって行われていた。
「セレクトさんとおっしゃいましたね、一つ質問をよろしいでしょうか?」
先程までフェリアとやいのやいのとしていたセレーナ姫が、いつの間にか僕のとなりに来て声をかけてきた。
「は、はい。何でもどうぞ」
「その変わった日傘はどこで売っておりますの?」
「え……あ」
日除けに出した結界は、未だ賢者の石を中心に頭上を自動追尾している。
僕は仕舞うのをすっかり忘れて、彼女の気を引いてしまったようだ。
「確かお兄様の話では、リリアの魔法はとても発達していらっしゃるとか」
「えーと、そうかもですね。今は試作段階で売り物ではないですよ……これも実験がてらに持ち出した物です……あ、きれちゃいマシタ」
外壁の影のおかげでリザに日も当たらない。なるべく自然を装い、日よけの結界を消す。
「あら、それは残念ですわ。とても珍しくて便利そう……王都でも流行ると思いますの。是非とも完成させていただきたいものですわ」
「まだ魔力が扱える人しか使えないので、実用化はまだ検討中だとか……」
また、妖艶な笑みを浮かべて「期待しておりますわ」と僕に警戒をさせる言葉を残す……
やっと僕はそこで気がついた。彼女の目、それがどんな部類の物か。人を試し、心の中を見透かそうとする……そう、それは商人の目だ――――
白い影を探してだいぶ歩いてきたが、とうとう外壁補強工事の作業現場まで来てしまった。
ただ、僕の知る現場の雰囲気は無く休憩の時間とはまた違い、皆が何をしていいのか分からないような状態だった。
「あ! セレクト君じゃないか。こんな所で何をしているんだい?」
そんな中、警備隊隊長のガイアスの父、ジーノさんが僕に気がついて困った様子で話しかけてきた。
「ガイアスも一緒のようだし……」
「その、最初から話すと長くなるんですけど――――」
取り敢えず手短にまとめるようにして、ヤルグとの工場見学から、ここまで来た経緯をジーノさんに話し、
「それはガイアス達が迷惑をかけてしまったね。でもまぁ、ちょうどいいかな。セレクト君達が探している人物で私達も困っていたところだ」
ジーノさんが見つめる方向は作業途中の現場、そこに僕達が探していたであろう白い人物がいた。
ただ遠めに見ただけでも怪しい動きをしている。詳しく表現するなら壁に張り付いて身を捩り、そこから時折聞こえてくる奇声。
見るからに関わってはいけない部類の人物に、挨拶などせずに帰りたい気持ちでいっぱいだ。
「もう、昼頃からずっとあの調子で張り付いてしまっていてね。格好も貴族らしいから誰も手が出せない状態なんだ。ヤルグ君にも連絡をしているんだけど、まだ連絡が返ってこないしで。困り果てていた所に君たちが来てくれて助かったよ」
”助かったよ”なんて捨て猫の里親が見つかったような心境で言われてしまい、僕も嫌ですなんて面と向かって言えない。
「あの、セレーナ姫。聞いていた通り――――」
後ろを振り向き、フェリアをお人形にしていたセレーナ姫に話かける。
「ん、確かにワタシは姫ですが。その呼び方はあまり好いていませんの。セレーナとお呼びください」
「じゃ、じゃあ。セレーナさんでいいですかね」
「まあ、それでもいいですわ。セレクトさんが話かけていただけるとは、どのような事でしょう」
「いや、はい、もう……うん。多分、探している人が見つかったので……あそこに」
もはや何も言うまいと、僕が指し示す方向に目を向け、セレーナさんは口元に手をあてて驚きを表す。
「あら、ワタシとした事が忘れていましたわ。勝手にはぐれて、勝手にはしゃいで、勝手に醜態を晒すお兄様の事をうっかりすっかり忘れてしまっていましたわ。探していただいてありがとうございます。これを期に今後の事で、いい方向へと回ることでしょう」
セレーナ姫、改”セレーナさん”は青いドレスの端をつまみ上げ、軽くお辞儀をする。
すると、誰だろう、セレーナさんが――――魔力を操り、こぶし程の石を浮かび上がらせ、飛ばす。
優雅にお辞儀をしていたのにもかかわらず、セレーナさんが放った石は放物線を描き――――見事に兄様へと直撃した。
石の直撃により、倒れてピクリとも動かなくなった白い人物こと、お兄様とやらに近づいて安否の確認をしようと覗き込む……
「はっ! いけない、セレーナを探さなくては!」
白目を向いていた顔が戻るや、倒れたままの姿勢でもって叫んだ。
「ほほ、お兄様、ワタシはここにおりますわ」
「おお! セレーナ、そこにいたか」
ニコニコと石を飛ばした事なんて無かったかのようにセレーナさんは振る舞い、お兄様は倒れた姿勢のまま、瞳だけを動かしセレーナさんを見つける。
「はい。ですからそのような所でお昼寝をしていては、また石が飛んでくるやもしれませんわ」
セレーナさんの魔力の動きを見れば、また近くの石に集中し、
「それは危ない!」
きびきびとした動きでもってお兄様とやらは立ち上がり、埃を叩きながら背筋を伸ばした姿は、一見紳士。
「して、わたしは何を……そうであったー! セレーナよ、見てはくれまいか、この優美な造形物を!」
今度は額に手をあて。大げさな動きでもって外壁を讃賞してみせた。
「はい、変哲もない壁でありますわね」
「そうなんだ! これがすごいのだ! 綺麗に羅列された石の造形も然ることながら、それ以上ーに!」
僕は二人の少し噛み合わない会話を聞きながら。やはり思う以上の要注意人物であるようで、
「使われている魔法が素っ晴らっしぃ!」
この見た目紳士のお兄様の言動は魔道士が持つ魔法への探究心から来ているものだと知る。
造形物に見とれる変人であればまだ良かったが……それに、どうしてこんな所に王族が護衛をつけずに来ているのか。
それだけ考えれば僕が近づいてはいけない存在だと容易に想像が出来てしまう。
「今までに見たことのない術式の奥に秘められている物が、私にはまったく理解が出来ない。だが、分かってしまう、想像を絶する程の神聖さを持っていることに。私の中の知識が求めてしまっている! 月光の下で愛を交わす度に深く求め合う一夜の恋人達。今の私はそれらの者と同じ心境でもって、この魔法に惹かれてしまう。ああ、花よ、その花弁を私になでさせておくれ、舐めさせておくれ、あああぶちゃぶぶおいちおああ――――」
後半は何を言っているのか分からないが、とてつもない変態であることはよく分かった。
今も僕の魔法にしゃぶりつくように離れる気配はなく。先程、遠目に見ていたのはこれなのかと……大人達が揃いも揃って手に負えないのもうなずける。
そして今も――――
「え? い、いや! きゃああああ!」
リザは悲鳴をあげて、
「あばばばば」
ガイアスは見たこともない反応で、
「お兄ちゃん。何も聞こえないよう、見えないよう」
フェリアはガイアスのファインプレーにより耳と目を塞がれている。
周りの大人達も遠ざかり、セレーナさんは扇子でもって顔を隠してしまっているのでその表情は読み取れない。
僕はこの事態の収拾がつけられず、思考を放棄し帰ってしまおうと決めた。
踵を返し――――
「はぁ、君ってやつは……」
今日、何度と聞いたその声の主と目が合う。
「どうしてそんなに簡単に、厄介事に関われるのか不思議で仕方ないよ……とりあえず、この場の状況を詳しく教えてくれないかな。セレトン」
ヤルグはいつもの笑顔で近づいてきて、どうして僕達がここに居いると分かったのかを考える。
多分、僕達を探している間にジーノさんが向かわせた連絡が入り、ヤルグがもしやと思ってここにたどり着いたのだろう。
「セレクトさん、間に入ってしまいすみません。説明はワタシからさせていただきますわ……はあ、これではお忍びと言う事も意味がなくなってしまいましたわね。少々お待ちください――――」
ゴス! という鈍い音が響き、騒がしかった場が静まる。
作業用のブロックがずしりと落ちると、興奮していた気持ち悪い紳士は地面に倒れ動かなくなった。
「この度は王都から派遣されてきました。視察官ことワタシ、セレーナ・レクス・セプタニアンと、あちらに倒れているアダル・レクス・セプタニアン。ワタシの兄なのですが、皆様にはとてもご迷惑をかけてしまい、この場を借りて深くお詫び申し上げますわ。リリア商会長ヤルグ殿」
セレーナさんは深く、そして優雅にお辞儀し謝罪をのべる。
「ボクの自己紹介は必要はなさそうですね。それにしても、まさかそのようなお二方に来ていただけるとは……」
ヤルグも敬意を表す、首元に左手を宛てて王国式の一礼をした。
「そこまではお気になさらずに、構えないでくださいな。身分を明かしたとはいっても、ワタシ共がお忍びで来ている事は変わりませんので。ただのお客人としてお迎えいただければと思っておりますわ」
手の内を明かし貴族のそれと変わらない扱いをしろと、セレーナさんは言った。多分、護衛抜きでのお忍びとはいえ領地内で王族相手に不詳な事態が起きてしまえば、どんな事だろうと今後リリアの立場は悪くなる。セレーナさん達に課せられた抜き打ち視察もこの様な騒ぎ立てを起こした時点で、遅かれ早かれヤルグに知れてしまいその意味もなく、このようなお使いも出来ないのかと叱責を浴びせられていたに違いない。だからこちらに優位を持たせ、かつ好意的かを示すことが重要になると判断したセレーナさんは、立場上お忍びでの視察は変わらずに、こちらも騒ぎ立てず黙っていてほしいと言う事を暗に示した。それに少しでも自分達が提示する事でリリアに恩を売っているという格好にもなる。
「それではこの後はどうしましょうかね? ボク達は屋敷へ戻るところなのですが」
「護衛もおりませんし、出来ればご一緒させていただけたらと思っておりますわ」
それは誰も見ていないから、僕達と行動を共にしても問題はないという発言だろう……
「それでは、あちらにご用意していますので」
ヤルグの向かう先にはすでに大型の8人乗りの馬車が用意されていた。
そのどこまでものヤルグの用意周到さに、今後のこの二人の腹の探り合いが怖い。
馬車は4頭もの馬により引かれ、馬車内の座席は対面する作りで4人がふた組と、普段のものより長い車体となっている。
後ろからリザ、セレーナさん、その対面にガイアスとフェリア、その背の座席に僕とヤルグが座り最後に対面には奇人変人のアダルさん? が、気を失って座っている。相も変わらずリネットさんは馭者で馬を操っていた。
すでに小一時間ほど走らせ、馬車は街中へと戻ってきていて、時間も夕刻に差し掛かり、日は街を赤く染め上げていた。
「この後どうするだよ」
「どうするも、こんなに早く視察が来るなんてボクも予想していなかったからね。最低でも王都の行事が行われた後だとばかり思っていたよ。でもセレトン達のおかげで先手は取れそうだね。ただ、厄介なのは確かだよ」
「そんな事じゃないだろ。どう見てもセレーナさん達を使った嫌がらせじゃないか。十中八九、視察中になんか悪いことが起きるよ」
未だに嫌がらせは多く、この視察も幾重にも計算された物で、この先に待つのはどう見ても血生臭い事が控えている。
「…………」
深く考え込むヤルグに僕も不安で仕方がない。少なくとも視察に訪れた二人には、人材不足の中で厳重な警備をしかないといけないのは確かだ。
最悪、僕も彼等の護衛につく事を真面目に考える。
「がはぁ! ここは? そうだ! セレーナを探さなくては!」
それは唐突に、その場のほとんどが驚く勢いでもって、厄介の種が起きた。
「アダルお兄様、ワタシはここですわ」
と、馬車のいちばん後ろに座るセレーナさんが返事をする。
「おお、そこにいたか妹よ! ん? 確か私は見事な魔法を発見したような……」
「アダルお兄様、外をご覧になって。ほら、城下にも負けない町並みですわ」
セレーナさんの誘導に見事に誘われ、アダルさんは馬車の外に注目してくれた。
「確かにこれはすごい。むむ、あれは何だ! 街を照らしているもそうだが、少年達はいったい……」
巡回する少年警備隊はこの時間になると、街灯に光を灯すために原動力となる聖水を注いで回る。
それを目にしたアダルさんはとてもそれが珍しく気になったようだ。
だけど、そわそわしだしたら窓にへばりつき、通り過ぎていく彼らに鼻息を荒くしている。
今にも馬車から飛び出しそうで、
「あれは巡回をしている少年警備隊が、この時間になると、魔法の照明器具に魔力を注ぎ、明かりを灯しているのです」
リザがすかさず答えてみせた。
「それは聞いたことがありますね、確か魔法学園都市でも最近使われ始めたと…………おお、そういう貴方はリザイア嬢ではありませんか」
「はい。お久しぶりです、アダル様。お陰様で体の方もこの通りに」
「ほう、確かに魔晶石症の影もなく。そういえば体に出来た聖痕の方はどうなりましたか? 出来ればこの後じっくり体の調査をあがぁ!」
”聖痕”それはリザの体を治療した時に残してしまった魔法で、今もリザの体には刻み込まれている。
ひゅっと僕とヤルグの間を何かが勢いよく飛び越え。それはセレーナさんの扇子が”ゴン!”と、アダルさんの額へと直撃していた。
「子女にそのような事を言うと、アダルお兄様でも容赦はしませんわ。もう少し慎みをもってくださいな」
「私とした事が、これは失礼。だけどセレーナよ、レクスの眷属として直ぐに暴力に頼るのは良くない」
「はい、心得ておりますわ。それよりアダルお兄様、ちゃんと自分の紹介をして頂けませんこと?」
ニコニコとしたセレーナさんの対応は軽く流すだけだった。
「これは失礼。私はアダル・レクス・セプタニアン。この度は魔法研究において王宮よりも一つ二つ先を行く、リリアの視察に来たのだ」
「ボクはリリア商会の長を勤めさせていただいております。ヤルグともうします」
「おお、これは確かに噂にたがわない……いや、失礼。私もその凄腕と称されるヤルグ殿とあえて光栄だ」
「随分とボクは王都では買われているようですね。さほどたいした功績は上げておらず、何より辺境のしがない商人風情と心得ていますが」
「そんなに自分を卑下せずとも。先のリリアの不況を乗り越えた商会長の手腕は、領主共々噂になっております。王宮内では嫉妬の声も囁かれる程」
「それは何とも怖い話ですね。心に留めて寝首をかかれないように、財布の紐と同じに気を引き締めないといけませんね」
間髪いれずに会話をする事で、ヤルグはアダルの注意がそれないようにと誘導している。
器用にもその間に身内にしか知りえない合図を送る。その内容は「沈黙」
今、僕の情報が少しでももれないようにとヤルグが、がんばってくれていた。
屋敷の前へと馬車が到着する頃には夜の帳が降り始め、星が点々と輝き始めていた。
ヤルグのおかげでここまで何とかアダルの興味は僕に向かず、変態的行動も抑えられている。
既に連絡してあったのか、ディーマスさん達が表に出て待っていてくれていた。
「よくおいでくださいました。アダル王子それにセレーネ姫」
「これはディーマス卿、このような時間に出迎えをさせてしまうとは、誠に申し訳ない」
どうにも最初にあった時の印象が強烈的で、常に警戒していたが、常識に収まる範囲の出来事であれば紳士の振る舞いを見せている事から、きっと王宮ではこの姿が本来のアダルさんなのかもしれない……
「積もる話も有りましょう、晩餐をご用意しておりますので、さあこちらへ」
リリーナさんの招きにより屋敷の中へと移動、僕は最後尾でヤルグに目配せしながら、自室に戻るためにそっとその場を離れる事にした。ガイアスはこのまま彼らの護衛に回ってもらい、フェリアはセレーナさんの気を引くために……と、言うよりもセレーナさんがずっと手を繋いで離さないため、屋敷の中へと一緒に消えていく。リザもセレーナさんと会話をしているため、別れをいう事ができなかった。
程なくしてあてがわれた離れに移動し、使用人達が集う食堂、そこで父さん達と食事を済ませる。
何気ない食卓でも、慣れ親しんだ味にホッとし、今日一日の緊張が少しでもほぐれていくのを感じた。
「これを見てくれ、セレクト」
食事を済ませると、父さんは僕が作ったベアリングを取り出し、馬車の革命が起きると豪語。
意気揚々と話す姿に、僕が作ったと言うにはだいぶ気が引けてしまい、苦笑いでごまかす。
父さんはこの街に来ても馬車作りに専念し、今では指示を出す立場で働いている。
母さんもお腹に子供がいるにもかかわらず、趣味の園芸で得た知識で、荒野でも栽培が出来そうな野菜を考案したり、土壌開発に一役かっていた。
「今度ヤルグさんが家を建ててくれるそうよ」
それは僕の今回の労働の対価として貰い受けるものだが、父さんたちに使ってもらえるのであれば、何も思うことはない。
その内しゃべる事もなくなり、解散となって僕は両親の隣の自室に引きこもる。
残していた仕事として、ちゃっちゃか終わらそうと、今日という日の残る時間、ベアリングの作成に必要な錬金板の制作に取り掛かったのだった。
――――時間を戻すこと屋敷の晩餐。
屋敷の中に入ったヤルグ一行は、そのまま晩餐の食卓へと足を運び入れ。長い卓に置かれた数々のリリアの名物料理を前に、決められた席に座っていた。
当主のディーマスを上座に、左手側にリリーナ、リザ、ヤルグと並び、右手側にアダル、セレーナ、それとフェリアとガイアスも加わっている。
「今夜の晩餐は当家の料理人に腕によりをかけさせて作らせました。是非ともリリア名物料理をご堪能し、旅路で疲れた心と体を癒して頂ければと思っております。では、料理の冷めぬうちにいただきましょう」
ディーマスは挨拶を手短にすませ、並べられた料理に不満はないかと、アダルとセリーナを見守る。
「これはなんとも豪華な。さすが交易都市と謳われているリリアだ。食材も王都より新鮮な物が揃えられていると聞き及んでいたが……これほどまでとは、宮廷料理人達が噂するのも頷ける。では、一口いただこう」
アダルが口にするのは白身魚のムニエル。
塩コショウと小麦粉、油にバター、仕上げに柑橘類のソースが加えられた、シンプルな料理ではある。
ただ、リリア以外では知られていない調味料としてバターの存在は大きく、噛み締める度に広がる味にアダルは眉をすぼめて、新しい味覚の開花に憂いを感じた。
リリアを知らずして料理を語れないと、宮廷料理人がぼやく程の衝撃には、アダルも認めざるをえない。
隣でフェリアの面倒を見ながら食べるセレーナも同様の衝撃を受け、頬を染めるほどの味わいに思いをはせる。
だが、並べられた品々はまだ序の口と言わんばかりに他の新しい料理が続々とまた運ばれてくる。
たった一口だけ取って食べていてもお腹が満たされてしまう程の量に、空腹も満たされ始めたセレーナは一瞬だけ我に返り……
「あら、そういえばセレクトさんがおりませんわ。どこへ行ってしまわれたので? この場で改めてアダルお兄様に紹介したく思っておりましたのに……」
「ああ、彼はリリア魔道士組合の使いの者ですから。屋敷に入る前に帰っていただきました」
何食わぬ顔でヤルグはさらっと嘘を吐き、自らの食事を進める。
ただ、突き通せる程の嘘でもないしで、今後の事をどうするか考える時間を稼ぐ。
「あら、それは残念。とても珍しい魔法を使っていらしたから、是非ともアダルお兄様にと――――」
話途中にセレーナは言葉を止め、今しがたデザートに出された甘菓子に目が釘付けになっていた。
「美しい……これは一体なんという芸術作品なのですか」
セレクトの知識によりこの世界に生み出された料理の品々の中にはケーキ類も多く含まれ、その見た目のインパクトから心奪われる者は多い。
今もタルト生地の上に乗せられたふんだんの果実に、セレーナは情熱的な眼差しを向け、
「これはリリアで考案された甘菓子の一つでフルーツタルトと言うそうです。この甘菓子はサクサクとした食感がとても話題を呼んでいて、果実で見えていませんがこの下にはカスタードクリームと言う卵と乳を合わせた甘い物が詰まっております。果実もスペリアム産の物を取り寄せており――――」
料理の事は饒舌にリザが説明し、セレーナは聞き入り、もはやセレクトの話題はそれる。
内心ヒヤヒヤとしたヤルグはほっと胸を撫で下ろし、今の状態を見据えて――――一人ある決断を迫られていた。
僕は錬金板の制作に意外と時間がかかってしまい、寝るのも深夜、街灯の魔力も切れ始めた頃にベッドに入る。
それほど寝付けて間もないあいだにドン! ドン! ドン!と荒々しく扉を叩かれ、
「…………ん? こんな時間に……」
ベッドから出る……
「流石にまだ眠いんだけど……」
僕は目をこすり暗い中で叩かれた扉を開けると、ランプが目の前に差し出され、そのあまりの眩しさに顔をしかめる。
「すごい、眩しいんだけど」
「やっと起きたね。さ、身支度を済ませて」
寝起きで思考もおぼつかない中で、だらしないであろう僕の顔とは違い、ヤルグの表情は真剣そのもの。
「え、どういうこと?」
「あまり時間はないから、手短に言うよ。今すぐ王都へと逃げて欲しい。出来れば、そのまま学園に帰ってくれ」
「…………はぁ」
失敗した。いや、手に負えない相手と判断したのだろう。言うまでもない、セレーナさんたちがだ。
僕は巻き込まれる形でもってこの第二のリリアの街へとやってきて。それなのに、また巻き込まれるようにして学園へと戻るのか。そう考えるとため息がついつい出てしまった。
「まあ、残っても数日だったし、文句は言わないよ。僕もあのアダルさんの餌食になりたいわけじゃないしね」
見境のないあの一級品の変人に興味を惹かれたら僕の貞操も危うい……ただ、それだけではない。セレーナさんも十分に危険な人物ではある。
「リザはもちろん一緒だよね?」
それでも僕一人で学園に返されるのはごめんだ。
「ぬかりは無いよ。既に準備を整えて、今頃セレトンを待ってるんじゃないかな?」
なら迷うことはない。僕は急いで身支度、というよりも服を着替えるだけで準備が完了する。
「じゃあ、行こうか」
「あれ? まだ、だいぶ散らかってるけど。これらは置いていくのかい」
ヤルグは部屋の惨状を見て軽く嘆くが、散らかっているものは全部、錬金板と設計図。
「軸受以外にも色々と前々から作っておいたものが転がってるだけだよ。期を見て提供しようと思ってたけど……整理はヤルグの方でやっといて。特に分からないのがあったら時間はかかるだろうけど、手紙なりで連絡してくれれば答えるし……そうだ、試作実験中のこれを預けておく、肌身離さず持っていてよ」
僕はヤルグに四角い箱を渡す。まだ精度に問題があり実用的ではないそれは、リザの念話を体現したマジックアイテムといえばわかりやすい。魔力にも電気と同じ性質があるのか、魔法を使うことで波状の波が、空気中のエーテルを伝わり広範囲に広がる。電話と違うのは電気を使うか魔力を使うかの違い。ただ、まだその周波数の合わせ方が分からないといった感じだ。
「おい、早く行くんだろ」
僕が部屋を出ようとするが、ヤルグはたたずんで扉の位置からどかない。
思い悩んだように立ち尽くしてしまっている。
「ごめんよ。最初から最後までボク達の都合でこんな目に合わせてしまうなんて……なんとも情けない話だ。まともに君を守ってあげることさえ出来ないなんて。少しでも君に見合うものは上げれないかと考えても、ボク達は与えられる事に慣れすぎてしまって、君の要望に全く答えられていない。商人として僕は失格だ」
気にしていないといえば嘘だが、強引に振り回されるのはもう、残念ながら慣れてしまっている。
本当に変な方向で諦め癖がついていて、今も何処かしょうがないと思ってしまっていた。
「そうでもないだろ。強欲な商人なら僕を余すことなく使おうとするだろうけど。ヤルグは僕のためにって色々手を回してくれてるだろ? 例えばガイアスに休みを与えたり、リリーナ婦人の足止めをしたりさ。それに褒美なら十分もらってるよ。これとか――――」
僕はカバンに入れておいた袋を取り出す。中に入っているのは米のような穀物。
日本人ならこれは心の拠り所と言ってもいい。だから十分すぎる褒美と思っている。
「毎月送ってくれると僕はすごい助かるよ、正直家を建ててもらうよりかははるかにね」
僕の言葉にヤルグはくしゃりと顔を崩す。
「…………はぁ。君ってやつは」
「時間が無いんだろ。ほら、行くぞ」
ヤルグを押しのけざまにランプを奪い取り、そのまま歩き出す。
急ぐのは時間もあるだろう、リザも待っている……ただ、どれも言い訳だ。正直それ以上に、決して振り返りたくない物を見てしまったから。ヤルグを置いて僕は早足でその場を後にする。
廊下に響く足音と、鼻をすする音を聞きながら……
せめて、別れの挨拶はしっかりとしたかったが、まだ朝日も見えない真夜中だ。人の気配もない。
母屋へと繋ぐ廊下にさし当たると、後ろからヤルグが追いついて来ていた。
「屋敷の中は避けて、外を回っていこう」
吹き抜けの廊下から裏庭を横切り、表玄関へと移動する。
ほんのりと明かりが見え、リザがいるのかと思ったが、それだけじゃないようだ。
人の気配が多数有り、角を過ぎれば馬車の周りに人だかりが出来ているのが分かった。
その場にいる面々はガイアスやフェリア、父さんや母さん、神父様や街で街道建設に携わった大人も数人いる。出会ったばかりの少年警備隊員の姿もあった。
「何だよ、居ないのは僕だけだったか」
「集められるだけ集めてきたぜ!」
ガイアスが呑気に言うが、これは言わば夜逃げだ。騒がしくしては本末転倒というものだが。
皆分かっているのか、思ったほど騒がしくは無い。
「むぅ……セレクトお兄ちゃんもリザお姉ちゃんも行っちゃうの?」
寝ぼけ眼のフェリアはやっと状況を理解したのか、鼻をすすり隣に立つリザに泣きつき始めた。
「父さん、母さん、こんな時間に急な話でごめん」
「気にするな、また直ぐに会えるさ」
「その頃にはお兄ちゃんね」
別れの抱擁に家族の絆を確かめる。父さんと母さんは僕に道中のご飯を用意してくれていたのか、パンの匂いがする荷物を持たせてくれた。
そして隣に立つ神父様と目が合う。最近は魔力を扱える作業員の育成に徹していて、話す事も出来ず。こうやって会える機会が別れになるとは思ってはいなかった……
「話は聞いたよ、後の事は私達に任せてくれればいい。アダルとは学園の同期で、魔法の研究機関でも共に研究をしていた仲だからね。扱いはわかっているつもりだよ」
確かに神父様の昔話で、研究機関に勤めていたと聞いていたが、こんな所に繋がりがあったとは思わなかった。だけど、神父様が教えてくれたことで、心配なくこの街を離れられる。
「じゃあ、ヤルグの事も頼みます。ここで頼れるのも多分神父様が一番だと思いますから」
僕がそう言うと神父様は「うっ」とした顔をしてから、了解してくれた。
重い荷物を持ち、馬車の前に立つと警備隊の少年達が積極的に荷物を馬車へと積んでくれる。
そんな少年達の中にアーガインの姿を見つけ、声をかけてみることにした。
「アーガインさんだっけ?」
「は、はい! アーガイン・ガーラントと申します。アーガインとお呼びください」
「そんなに畏まらなくてもいいよ、アーガイン」
「いえ! そのような事は有りません! 昨日は失礼な言動をしてしまい誠に申し訳ありませんでした! 罰を与えるなり、何なりとお申し付けください!」
「一警備隊員にそんな事、僕はしないよ。あーでも、そうだな。ガイアスの事は愛想つかさないでしっかり見ててやってほしいな。特に礼儀作法とか。リリアを代表する警備隊隊長があのままだと、色々大変なことになりそうだからさ。その分アーガインはだいぶ礼儀正しいし、お手本になってやってくれ。いざとなれば僕の名前を出せばいい。例えば”セレクトに言われているから”って言えば渋々だろうけど言うことは聞いてくれるだろうからね」
「わたくしめにそのような大役を申し付けて下さり感謝の念で胸が一杯であります! その信頼にお答えできるよう日々努力させていただきます」
騎士団並の敬礼を見せるアーガインに僕は悪いことをしたなと、特にガイアスに目をくれる。
するとリザに泣きつくフェリアをなだめていたガイアスがこちらに気づき、別れの挨拶をと近づいてきた。
「もう少しセレクトと手合わせしたかったぜ! 次に帰ってくる時はマリーも連れてこいよな!」
「一応春先にも長休みがあるらしいから、もしかしたらヤルグに召集されるかもね。その時はガイアスがこの街に残ってるかは分からないけど」
「それなら大丈夫だ。3年は滞在する予定だからな」
「なら次はマリーと一緒に手合わせだ」
ガイアスの両肩を叩き、ガイアスも僕の両肩を叩く。
別れの挨拶も一通り終えて、馬車の準備もでき、馭者のリネットさんと目が合う。
「……王都まで……護衛……」
道中の警戒もリネットさんがいれば問題は無い。キャラバンを組む必要もないので、来た時よりかははるかに早い足取りで戻ることができそうだ。
リザも両親との今生の別れのような挨拶を終えてから、僕達の下へとくる。
「セレクト、行きましょう」
目元が赤く腫れ、涙声ながらにリザは馬車へと乗り込む。
それに続いて僕も馬車へと乗り込み、開かれた窓から顔を出し、改めて皆に手を振る。
声を張り上げて別れの挨拶は出来ない。だからその分、皆が大きく手を振ってくれていた。
少年警備隊員一同が揃い敬礼をし、その後ろの屋敷が目に入る。来た時とは違い、新築同様に改修されている。そこにどれだけ思い出が出来たのかを振り返り、哀愁を漂わせ。
僕とリザは王都へと一足早く、帰ることになったのだ。
屋敷の中、人気もない廊下、静かな別れを眺める人影が一人、面白そうに扇子を片手に窓の外を見ていた。
「ほほ、早起きはするものですわ。とても面白いものを見せてもらいました。また次にお会いする時を楽しみにしておりますわ、勇者様」
誰に聞かれることもなく。セレーナ・レクス・セプタニアンは自分に与えられた寝室へと入っていった…………
今回で長かった(2年もまたして)話も一区切り。
次の話は王都での騒動となります。
王都では建国の日を祝うお祭りが行われているようですが、どうなるか……楽しみにしていただけたらと思います。