48話 マリーの夏休み2
「てめぇどんだけ食いやがるんだよぉ……」
「うむ、悪くはなかったな」
昼食を終えたマリー達は食堂を後に、商店街へと戻る道を歩く。
ボイルはというと奢ると言ってマリーを連れ出したことを酷く後悔し、軽くなった財布に目を向けている。
「俺様でも銅貨7枚程度しか食わねぇってのによ、次から次へと頼んで……何で銅貨20枚分も食えるんだよ!」
「ケチケチするなその程度で。久しぶりに沢山食べれると思ったからな少し張り切ってしまった。満腹だ」
「はぁ、俺様の小遣いが……」
思わぬ出費と気軽に奢るなどといった自分に対しボイルが肩を落とす。
人々が行き交う商店街はちょうど職人達が飯時から帰ってくる時間なのだろう。
子供に見える小人族がいそいそと工場や商店へと戻っていく様子が見れる。
そしてちょうどマリー達も裏路地に差し掛かる角へ。だが、食事前に訪れた時はまるで感じなかったどんよりとした空気が今そこに漂っている。
どういう事なのだとその中心を見てみれば、見覚えのある人物が気だるけに地面に座っている。先程まで意気揚々としていたディアードだったはずが、今は見る影もなく憔悴しきっていた。
「おやっさん?」
「ディアード、どうしたこんな所で」
目の焦点があわないままに、ディアードはその目に光なくマリー達を見る。
「さっきはあんな大口叩いて悪かった…………どうやら俺にはあの鎧を直すことは出来そうにない」
「ああ、なんだ。そんなことか。気に病む事ではない」
「許してくれんのか?」
「許すも何も、直ればいいと思っていた程度だ」
セレクトが作った特注の鎧、幾重にも魔法が施された鎧なのだから鍛冶での補修は難しいだろうことは分かっていた。
「嬢ちゃんの金は返すぜ、技術を盗むだけなら詐欺師と変わらねぇからな」
言われた通りに銀貨は返してもらうが、ここまでくれば職人気質も極まれり、そんな姿を見せられるマリーも悪い気がしてしまう。
「それで鎧はどこにある?」
ディアードは影に隠すように置いてあった風呂敷を取り出す。
「取り敢えず元には戻してある」
確認を込めてマリーが風呂敷を広げてみた。
「…………ん?なんだだいぶ形にはなってるではないか。十分に着れそうだが……何がダメなんだ?」
確かにひしゃげた部品もあるが上手い事ツギハギし修正、鎧としての機能は7分程度には取り戻している。それだけでも頼んでいた以上の出来であるように思えるのに、ディアードは落ち込んでしまっている
「全然ダメだ!まるで納得いかねぇ!その金属は何なんだ?というよりも金属なのか?いや……鉱物じゃないのか?いくら熱を通してハンマーで叩いてもウンともスンともしなかった。熱も衝撃も受け付けない物を鎧の形にしてあるだって?夢でも見てんのかよ俺は」
相当腕に自身があったのだろう、ディアードの自尊心が傷ついてしまい茫然自失に陥ってしまったようだった。そんな彼をを見ていると、
「見てみろマリー。これが普通の反応だ!」
突然ボイルがマリーを責める。
「な!私が悪いのか?」
「俺様もお前に負けてからだいぶこんな状態だった。人間に負けるはずがない、何か仕掛けがあるんだとばかり疑ったもんだぜ」
「私はそんな小賢しい人間ではない」
「知ってるよ。で、そんなとんでもねぇ鎧が壊れた理由を聞いてもいいか?」
「あ、ああ。油断した挙句メルヴィナの竜化した時の一撃をモロに受けてしまってな」
何を言わせるんだ恥ずかしいとマリーがうつむく。
ボイルの脳裏に浮かぶメルヴィナの竜化、山をも砕くと言われる一撃を一身にあびて五体満足でいられるものかと思ったが……
「本気……いや、お前がそんな事でつまんねぇ嘘なんてつくわけねぇよな。実際にこの鎧の有様だしよぉ」
揺るがない証拠が確かにあるのを見たボイルは頭痛を覚え始め。
その隣で虚ろげに聞いていたディアードは立ち上がり、
「すまない。俺はどうやら疲れてるみたいだ。当分店は閉める事にする」
そういってディアードは路地裏に消え、通りで騒がしくしてたおかげで人集りが出来始めていた事にボイルは気づき、取り敢えずその場を離れることになった。
「お前と関わってると暇しねぇな」
両手を頭の後ろで交差させたままボイルは明後日の方向を見つつ、これまでの感想をのべる。
嫌味などは含まれてはいない、貴重な体験でありどこか楽しくもある。
それがボイルの思うところだった。
「私はこれといって何してるわけでは無いんだがな」
「自覚してやってたら世話なんかしたかねぇよ」
「貴様に世話を頼んだ覚えはないぞ?」
「ふん、俺様も今日はこの辺でおいとまさせてもらぜ。明日また訓練の間にいるからよ、暇なんだろ?相手頼むわ」
何かを思い出したようにボイルが踵を返し、来た道を帰っていく。
その後ろ姿をマリーは少し追いかけた後に自分も今行くべき所を頭の中で探し、
「セフィラの所に行くか」
歩みを進める。
校舎内に建てられた男子寮は二つあり、貴族寮と平民寮に分かれている。
マリーが向かう先は平民寮、そこの手前の開けた庭にセフィラは植えられていた。
昼間であろうと人気は皆無の平民寮、もう一人住人が居るのだがマリーはその人物を夏季休暇が始まってからは見ていない。
もしかすれば一度国へと帰ったのかもしれないが、平民がおいそれと出せる金額ではない事はマリーも知るところ。
深く考えたところで出ない答えと興味がないと頭を切り替え、マリーは晩飯に食べるものを何にするかと考えることにした。
「肉魚肉肉魚肉肉肉肉……」
そんな偏りのある内容を歩数と合わせてつぶやきながら平民寮へとつながる林道を進み、そして抜ける。
下を向きながら木の陰が晴れるのを確認しその歩みを止めた。
「肉肉魚……よし、魚にしよう」
目の前には見慣れた平民寮があり、その横を向けばセフィラが立派に立っている。が、何やら騒がしい……
「む、白い人集か……」
何時もは人気のないこの場所、見慣れない白ずくめの集団がセフィラを囲っていた。
マリーは警戒を強めてそれに近づく。
その数は3人、誰もがマリーの存在には気づいていない。
「そこで何をしている?」
マリーの声音とその気迫に驚く白づくめの集団。
”ひゃい”と締め上げられたような悲鳴を揚げて恐る恐ると一斉にマリーに注目を集め、するとその中の一人が前に出てきた。
「す、すみません。私たちは怪しい者ではございませんわ。ちょうどこの木が私達の崇める神樹ととても似ていらして。お祈りを捧げさせてもらっていたところなのです」
遠目から見ていたため白のローブと重なり分からなかったが、よく見ればその背中には純白の翼があり有翼人なのだと分かる。
「教国の信徒であったか」
「はい」
「驚かせてしまったようで済まない。この木の面倒を任されていたので少々警戒してしまった」
「そうだったのですか、私たちの方こそすみません、勝手に近づいてしまって……」
「そのようなことはない、祈りを捧げることは大事なことだ。私もよく迷いを抱いた時は祈りを捧げる」
するとまるで花が咲いたように笑顔になる信徒の3人
「お名前を聞いてもよろしいでしょうか」
「そうだな、私はマリー・アトロットだ。マリーでいい」
満足げに言い切ったマリーは自己紹介としての返答が帰ってくるものと思って黙るが、一向にそれに続く者がいない。
マリーがふと気がつけば空気が固まっていた。
それでもって目の前の彼女らは口に手を当てて驚いた様子を見せ、嫌な前触れだとマリーは直感した。
「ま、マリー・アトロット様……ご本人でいらっしゃるのですか?」
「…………そうだが」
「ああ、なんという奇跡、祈りが届いたのです。今一度祈りましょう、我らが女神の祝福に」
マリーはどういう状況なのかまるで理解が追いつかない。
そんな彼女達の祈りが終わると好奇心ではなく、信仰心からくる瞳の輝きを放つ。
「では他の勇者様もここに?」
「すまない、正直何の話なのか分からない。私が、ん?……勇者?」
「もしかしてご存知ないのでしょか?今や教国の多くの吟遊詩人の方達がこぞって奏でています。それを、名は”エルフと異国の三賢人”。女神を魔王の手から解き放ち、教国をすくった3人の勇者。その伝説で――――」
話を聞くにどうやら登場人物や経緯も具体的な内容はそのままに、その他いろいろと装飾を施され、伝記として今や教国内で広く知れ渡っているらしい事を聞かされた。
それにしてもマリーの知る上ではまだ当分の間は極秘扱いであったはずで、こうも話が広まっていようとは寝耳に水。
「握手していただいてもよろしいでしょうか!」
「本もございます。こちらに名前を書いていただけないですか?」
「ずるいですわ!わたくしも!」
後退しようと一歩下がるがすでに回り込まれていて、逃げるタイミングを完全に無くしたマリーは諦め、彼女達の要望を聞くはめになる。
本の空白のページに名前を書き、これでもかと言うほど握手をさせられ、メルヴィナとの戦闘以上に精神が疲弊していく。
「先ほどの質問をいいでしょうか?」
「この際だ、なんでも聞くぞ」
「ありがとうございます。その他の勇者様たちもここにおられるのですか?」
「ああ、そうだったな。セレクトとリザの事でいいんだったな……」
「はい。セレクト・ヴェント様とリザイア・ルドロ・リリアス様です」
「今は二人は夏期休暇でリリアに帰省している。私は訳あってここで修行をしているが」
「話は本にて伺っております。マリー様はその剣でもって女神を魔王の手から解き放ったと」
「あの時はセレクトが作った刀があったからこそ出来たことだ、それにリザの魔法もなければあの魔物の猛攻をかいくぐる事は出来なかった」
彼女達の間で歓声が上がる。
本で読んだり歌として紡がれる話よりも本人から聞くことで、”はぁ”と一人の少女が空を仰いで倒れこむ程に感極まってしまった。
そんな彼女達の姿をその目に止め、
「私も話しすぎた、この事は極秘に頼む。下手に騒がしくなるのは困ってしまうからな」
「はい。では、最後に一つだけでいいでしょうか」
「う……うむ」
「女神リアム・レアム様より与えられし宝玉や芳香とはどんなものなのでしょう」
「芳香ではなくて茶葉だ。神樹の上で本人に入れてもらった紅茶が美味しかったからな、セレクトが土産としてもらっ物だ。それと宝玉とやらは多分神樹の種の事だろうな。お前達が神樹と似た木と言っていたが、そこに立っているのが紛れもなくその種から出来た神樹、名はセフィラ」
マリーに驚かされもはや言葉をなくした少女達。ただえさえ有頂天な喜びようもここまでくれば夢と仰ぐほかない。
「すまないが私は少し疲れた、休ませてもらう。セフィラは恥ずかしがり屋なのであまり騒がしくしないでやってほしい。だが、寂しがり屋でもあるからな、静かにする分にはいつまでいてくれても構わない」
マリーから滞在の了承を得た彼女達だが息をすることを忘れていて、言われた意味すらも理解するまで時間がかかる。
踵を返し寮の中へと消えていくマリー。
そこに残された彼女達も現実に戻ってくるのに数分と時間を要したとか。
今日はあまり剣を握らなかったとマリーは一日を振り返り、たまには休む日を設けるのも必要なことだと言うセレクトの教えを思い出し、こんな日もあっていいと納得する。
「ここ最近まともに体を休めていなかったな。これではセレクトに酷く怒られてしまう」
その場にいないセレクトの顔を思い浮かべて頬を緩ます。
「リザは元気でやっていればいいが」
本人の意思とは関係なく人の気持ちを理解でいてしまう体質に、優しいリザ心を痛めてしまいやすい。
それゆえにマリーは些細な変化も気に留めて、表情の奥にあるリザの気持ちを理解しようとする。
「リリアを離れる前にはフェリアもだいぶしっかりして来ていた、今はどうなのだろう。そういえばガイアスは強くなっているのだろうか……獣化を習得しているのであれば私も本気で相手をしないと負けてしまうかもな」
思いを馳せれば記憶の中の潮の香りを思い出す。
会いたいという思いがしきりに膨れ上がる……
「ダメだ。私は強くなるためにここに残ったのだ。メルヴィナに勝つまではセレクトに合わせる顔もない!」
「張り切りすぎだろ、少しは落ち着け」
意表をつくように後ろから聞き覚えのある声を投げ変えられ、マリーは振り向きそうになる。
「肩の力を抜けよ、お前の悪い癖だぞ」
「随分と帰ってくるのが早くはないか?」
マリーはこみ上げてくる想いに気丈に振舞おうとするが、言葉がつまりかけて堪える。
「いつ帰ってくるなんて言ってないだろ。それにマリーの事が心配だから早く帰ってきたんだ」
「だが、まだ私はお前との約束を果たしてない……」
「僕がそんな事を気にすると思うか?それにまだ夏休み中だからまだ時間はある。一緒に考えてあげるよ」
「それでも」
顔を合わせてしまえば気持ちが緩む、決意が緩む。
「お前はアレだ。今、視野が狭くなってる。良くない傾向だ」
「ああ、分かっている。メルヴィナは戦う毎に私の技を盗み、己が糧にしている。だから私の剣は届かない」
「なら後はそうだな……ちゃんと弧は描いているか?円は大事だ、円滑という言葉があるぐらい大事だ。合理を見出し刹那に近づく為の動きになるからな」
マリーは足腰の動きを教えられた時、コマを回しながらにセレクトは持論を語った時の事を思い出す。
あらゆる物の動作の中に円が存在し、それらを知ることで剣技は光を放つ。
マリーにとっては初歩の初歩。
メルヴィナに勝つことばかり考えていて忘れていたとマリーは気付かされ、窓の外に目を向ければ青い空に青い海が広がっていた。
「ああ、そういう事か……すまない。こんな所にまで心配に来させてしまったようだ。だけど大丈夫だ。私はまだやれる、だから見守っていてくれ」
意を決してマリーは振り向く、大きな風が吹き抜け、
「そうか――――」
その向こう、かすかに声が聞こえたような気がした。
マリーは目を覚まし天井を見つめる。
「夢か……」
ここはセレクトの部屋。
合鍵でもって部屋へと入ったマリーは、セレクトが作った冷却装置に魔力を込めて可動をさせ、部屋が涼しくなるとベッドに横になるは眠ってしまったのだ。
ベッドから起き上がったマリーが窓の外を見てみるが、そこには青い空も青い海もも当たらない。
代わりに見慣れた夕焼け空を背にセフィラが立っている。
「あの者らも帰ったか」
見下ろせば誰もいなくなったセフィラの木陰、寝る前に騒がしかった黄色い歓声も聞こえない。
筋肉の筋を伸ばし、背伸びをし、そして――
「よし!休みは終わりだ」
夢にまで出てきたセレクトの助言を胸に、マリーは部屋から飛び出していった。
「はぁ」
大きな体を揺らし、のしのしと歩くその姿は誰だろうボイルである。
昨日はマリーと分かれてからその目で確かめるためにと、向かう所があった。
都市を守る塀の向こう側、昼間の多くは日陰になってしまうため農地としても使えず、荒れ放題の更地。
今は練習場としてマリーとメルヴィナが活用し、大きく凹んだ大地が大小様々に数えるのも嫌になる。
もはやそこは戦場と言ってしまっても語弊はないように思えた。
「何でよろしくなんて言っちまったんだ俺ぁよ。はぁ」
それでも逃げずにボイルは訓練の間へと歩みを勧めていた。
歩く足は重く、訓練の間へと近づけば近づくだけに圧力が強くなる。
すでにそこにマリーが居るものと分かってしまう程に感じる野生の勘。
一瞬戸惑いを覚えながらその門かいくぐる。
「ああ」
ボイルの口から無意識にこぼれた言葉、それは目の前に広がる光景が後悔そのものでしかないと悟ったからで、
「どうしたボイル、そんな所で。私の相手をするのだろ?」
「ばっかあかぁ」
バカを言うんじゃないと言葉を続けようとしたボイルだが、息継ぎを忘れていたために酸欠になる。
ボイルは信じられないと、こんな事はありえないと、昨日の今日でこれ程までに威圧の質が変わるものなのかと……軽く意識を向けられているだけに過ぎないはずなのに、意識を持ってかれそうになっている自分がいた。
「む、すまない。まだ力が操作しきれない」
ふっと威圧が消えて体が楽になるボイルは深呼吸をし顔を上げる。
「マリー、てめぇは何をしやがった……」
「私も獣化のそれを体得するためにいろいろとな」
「バカを言うんじゃねぇ。人間が覚えられるわけねぇだろ。聞いたこともねぇぞ!」
「だろうな、こんなにあっさり出来るものとは思っていなかった」
色々な物に円の動きが応用できるのならと、マリーは暴れまわる体内の魔力も渦を作ることで制御出来るのではないかと考えた、結果出来てしまった。
マリーが言うように容易なわけはない。人間の限界を超える、ただそれがどれほどの才能の上に有るのかと考えれば途方もない修練の積み重ね、その賜物である。ただの人間がマリーを真似しようとしてもそう簡単に出来はしない。
「まだ改良が必要だ」
もって一分と身体強化の時間は短い、メルヴィナとの戦闘を考慮しても最低でも五分以上は必要だとマリーは考えていた。
「化物め」
「今の私には褒め言葉だろうな。で、ボイル、お前は何しに来たんだ?」
マリーの挑発にボイルは引き攣るが、
「ああ?てめーとやり合いに来たに決まってんだろうが」
震える腕に力を込めて背中の双剣を取り出し――構える。
「今日は俺から行くぜ!」
メルヴィナと相対した時は震えて動けず狩られるだけの存在で、時に自分を肯定するために強く振舞う姿に酔いしれて。だが、彼もまた自分の限界を越えようとする挑戦者となるためにその一歩を踏み出した――――
マリーとボイルの修練過程は五日と過ぎ去り、ボイルの成長は著しく目を貼るものになる。もともと力は十分にあり、その実力を生かしきれない精神力が彼の足枷となっていた。今回マリーをメルヴィナに見立てそのトラウマを克服し、才を開花。力だけでは得られない技術を戦闘に生かしきれるようになっていた。
一方のマリーはというと大きな力を制御しきれない上に、まだ獣化ならぬ”超人化”の限界を伸ばすことも出来ていない。
「てめぇは求めすぎだ。人間で過ぎた力を得て間もないってのに、そうそう強くなられちゃ俺達竜人の面子がまるでなくなっちまうぜ」
言ってみたが、それも時間の問題なのかとボイルは心の中で改める。
「だがボイル、貴様も相当強くなったと思うぞ」
「へっそうかよ。気休めにもなんねぇつうの。だが、ありがとな。お前のお陰で震えもなくなってスッキリしたぜ」
ボイルは珍しく礼を言う、精神の変化は少なからず彼の芯をも変えていたのだろう。
「ああ、少なくとも気絶もしなくなった上に、ちゃんと下がることを覚えたからな。後は攻め手を見極められれば――」
「あーあー、分かってんよ。避けていないで攻めろって言うんだろ。無茶いうんじゃねぇよ、何処にそんな隙があるってんだ」
セレクトに言わせればマリーも隙だらけではあるのだが、ボイルから見ればまだまだ格上のマリーは強い。踏み込むだけでも相当な覚悟がいる。
今までのボイルの戦い方は怒りや威勢の類から生まれる暴力的な物で、恐怖を覆い隠すだけに役立てていた。理性的な判断ではなく野性的な勘に等しい判断の戦い方は、その恐怖に抗えないような格上の相手に出会うと萎縮してしまい、攻撃にも悪手が生まれて読まれやすくなる。
そして一度でも格上と認識してしまうと戦闘を避け、逃亡。それも選択の内かもしれないが、敵前逃亡もいつまでも許されるものではない。夏を開ければ校外実習があり、魔物や魔獣といった相手との戦闘は避けられない。魔獣の類の威嚇にさらされる最前線、そんな中に放り込まれ正気を保ちつつ動き回らねばならないと考えれば、彼にとって今回のトラウマの克服はとても大きな成果と言えよう。
「今日はこれぐらいにしようぜ、晩飯が逃げちまう」
「もうそんな時間か」
すでに日は沈んでいる、朝から晩まで信じられない集中力でもって互いに二人は手合わせを続けていた。
その原動力として考えるのならば楽しいや嬉しいといった感情が大きく。一度たりとも戦闘を楽しいなどとは思わなかったボイルにとっては特に――――見たことがない風景と爽快な風の中に身を置いている感覚は新鮮に感じていただろう。
マリーも同じようなものだ。ここに来て大きな力を手に入れて扱うことに慣れようと必死になるあまりに時間も忘れてしまっていた。
「なんだ、もう終わってしまうのか?せっかく我も足を向けたというのに。無駄足だったか」
その声の主にボイルの身の毛が一瞬だけ逆立つ。
「いつまでも見ているだけだと思っていたがな」
数分と前からそこにメルヴィナはいたようで、隠れるように訓練の間を覗いていた。
「気づいていたのか、なら我もまだまだと言うわけか。隠密とは難しいものだ」
只ならない気配を消そうとしても、戦闘で敏感になっているマリーにはメルヴィナから漏れ出る気配を探るのは簡単だ。
「すまぬなマリー。何の言伝もなしにいなくなって、さぞ寂しかったであろう?」
「何だ、そんなつまらない挑発をしに来たのか?それにしても先程は随分とボイルを見ていたようだったが」
マリーに見透かされ失言をしたとばかりにメルヴィナは鼻で笑う。
「そうだな。貴殿はそう言う奴であったな。すっかり忘れておったわ。許せ、我もこの数日と無駄に過ごし苛立っていたようだ」
身分で言えばメルヴィナは王国の姫であり、当然に敬われる存在。
校外実習で出向いた先でもそれなりの待遇は当たり前、敬意を示さないマリーが異端なのだ。
それでもメルヴィナには新鮮で寛容に許されている。それに彼女もマリーに魅せられた一人でもある。
少なからずマリーに対して敬意を持っているつもりだ。
「姉御よ、随分と早いご帰宅じゃねぇか?」
「ほう……坊よ、随分と成長したようだな。我を前に怯えが大分減ったでわないか。それでいい、いい顔つきだ。我もマリーに触発されたように、お前も成長したようだな。なによりだ」
「お、おうよ。で、何でこんなに早く?」
「なに、我がいると魔獣の類は別に魔物が居なくなるそうでな。生態調査出来ぬと体良く追い出されてきたのだ」
メルヴィナの放つ気配に当てられるのは人間よりも野生に住む魔物。王家直系の竜人とあれば存在自体が生物の本能に警戒をさせてしまうのかもしれない。
「すまねぇが俺達は一日中体を動かして疲れてる、マリーもまともに相手は出来ないぜ?」
「そうであろうな。我もそこまで無理にとはいう気はない」
もとよりメルヴィナの格好は普段着のようで、軽装もつけていない。
「メルヴィナよ、それを言うなら何故このような所に来た?」
「我が直々にお主らをねぎらおうと思ってな。ボイル、お前の同席も許そう。晩飯に付き合え」
思いもよらないメルヴィナの誘いに、名を呼ばれたボイルも初めての事で驚く。
何時も小間使としてボイルを使い、坊と呼ばれていた事に違和感なく従っていたが。名前を呼ばれただけでボイルの目尻に涙が浮かぶ。
いたってマリーは冷静でタダ飯が食えるなら願ったり叶ったり、断る理由はない。
汗をぬぐい、二人は身支度を整えメルヴィナの後に続く。
メルヴィナの向かう先は宿場でも上流階級の貴族御用達の料理店。
馬車を走らせるより歩いたほうが遠回りせずに速いとの事で歩かされていた。
宿場は晩飯時の人ごみは多く、吹き抜けの食堂兼宿屋は多くの人を取り入れようと、あの手この手と呼び込みをする。活気があるといえば聞こえはいいが、喧嘩なども絶えないことから騒がしいというのが正しい評価であろう。
しかし、妙にも今日の宿場に広がる騒がしさは静まりかえり、聞こえてくる喧嘩の声も何処か遠い。
三人の内に気づく者はいない。我が強い三人が連なり歩く様は見るものが見れば、その膝を屈してしまうかもしれない程に悠然とした覇気を放っている事に。
「お、すまねぇな。大丈夫か?」
その三人の中でも図体の大きいボイルは呼び込みに立つ看板娘と肩がぶつかり、誤って倒してしまう。
「だ、大丈夫です!ぼーとしてしまいまして」
はわはわと慌てる様は小動物で、それを見かねるマリー。
「無闇に脅すな」
「脅してねぇーよ!」
ボイルの声だけに反応し、ひぃと叫んだ娘は脱兎のごとく店の奥へと逃げていく。
「静かにしていろ。流石に我もこの先で騒ぎを起こしたくはない」
そこは宿場でも豪華な作りで見事な建物が連なる貴族御用達の宿場。
専用の門が作られ警備に検問と厳重に管理されている。だが、メルヴィナを筆頭に歩けば声をかけられずに通れてしまう。相応の身分か通行証がなければ通れないおかげで圧倒的に人が減り、歩きやすくなる道に寂しくも静けさが漂っていた。
「今日はここで食事にするか」
事前に予約をしていたわけでは無いのだろう発言をし、適当に選んだ店の前で止まった。
店構えの作りは教国式で女神をかたどった彫刻が堂々と門前に出迎えている。
そのままにメルヴィナに連れられ建物の中へと入れば、外とは雰囲気とは打って変わってとても賑やかしい、すぐさま使用人が優雅に接客を始める為にと現れた。
「これはメルヴィナ様、当店にお越しいただきありがとうございます。今宵もお食事でよろしいでしょうか?」
白を貴重とする衣装が似合う初老の男性、長年に渡り洗礼された動きで業務を全うする。その様は三人を前にしても揺るがない。
「うむ。今日は三人分で頼む」
「かしこまりました。ではこちらの者が席までご案内します」
その後ろに控えていた淑女が一礼し「こちらへ」と案内される。
今だにこういう場に慣れないマリーの視線はよく動き、時にボイルは平然と歩く。
いくつもの卓を並べられた広いホールには客たちの舌鼓が聞こえ、それを横目に案内されるままに奥へと進む、絵画が並ぶ廊下に一つだけある特別な作りの個室へと入る。そこには一つの円卓があり、三つの椅子が均等に置かれている。予約はしていないのにその用意周到さは見事と言えるが、もしかしたら店に入る前、検問所の時点で何者かが通達し混乱を回避したのかもしれない。
部屋の中は見るものすべてが色鮮やかで、くすみや埃なども見当たらないのは当然にシミなどない純白のテーブルクロスに、やわらかすぎて腰の落ち着かない椅子。
セレクトやリザがいればこういった場でのマナーを密かに教えてもらえるのだが、今のマリーにそう言った相方はいない。
助け舟もないその状況に、段々と借りてきた猫さながらにマリーは不安を覚え始めた。
「ふっ。マリーよ、こういう場は初めてか?」
「……初めてではないが。やはり、少し落ち着かない」
「だろうな。さっきからずっとキョロキョロしやがって。笑いを堪えるのに必死だったぜ」
そんなボイルの言動も耳に入らないマリー、それをメルヴィナは愛玩動物を見るように微笑む。
「少なくとも今後、お前はこういう場に慣れてもらう必要が出てくるからな。今日から毎日、我と共に晩餐を共にしてもらうぞ」
「なんだそれは、タダ飯が食えるというので付いて来たが。どういう事だ?」
「どうもこうも、純粋に我はお前が気に入っているのだ。この度の校外実習にて魔獣を数匹と狩って確信を得た。お主の剣技を糧に十分に我も強くなっている。魔獣とて暴れる竜程に厄介な相手と記憶していたが、今回は赤子の手をひねるように狩り尽くしてしまったわ。これを期にお主を晩餐に呼びつける事は多くなるであろう」
笑い話のようにメルヴィナが話すが魔獣を知るマリーは笑えない。
リリアに出た巨大な海蛇、暴力の権化にしか見えなかったそれを数匹狩ったなどと抜かす状況に、単独で立たされた時にいくら力を得たといっても臆さない自信がマリーには持てなかった。
「それともう一つある。この月の終わりに王国にて立国共和式典が執り行われる。毎年の行事ではあるが、その際にお主にも参席してもらいたいのだマリーよ」
思いがけない申し出に、そばで聞いていたボイルが動揺する。
「まさかよぉ姉御。そいつはもしかして騎士としてマリーを隊に入れるってことか?」
「そうだ。我はまだ正式には騎士隊を創設する事が許されてはいないが、今回の式典でその任が下りる。これは決定事項だ。だからその折には副隊長としてマリーを傍らに据えたいと思っている」
王国騎士団の一人に選ばれ、なおかつメルヴィナの右腕――メルヴィナ騎士隊のお披露目の場として式典に出ろと言う、とんでもない申し出。
王国人として剣を携える人であれば光栄であり名誉。
「ボイル、お前も我の傍らに今一度立つことを許そう、マリーと共に来い」
「え、あ……おうよ!姉御が良いって言うなら大歓迎だぜ!」
ボイルも二つ返事で了承してしまう事柄。だが、マリーの忠誠はどこにあるかといえば――
「すまないが、私は断らせてもらう」
セレクトを置いて他に居る訳がない。
「ふむ、では晩餐に……今なんと申した?」
配膳された前菜を前にメルヴィナが聞き間違えたのかと思う。
「断わらせてもらうといったんだ。すでに忠誠の誓いは他の者に立てているからな」
「…………そうか、すでにお主の剣はここには無かったか。なるほど……確かにお主の強さは……今、我は納得したぞ」
一人で何かに完結し答えを出したメルヴィナは、それでも不敵に笑ってみせる。
「手に入れられぬもの程欲しくなる。そう簡単に手に入るほどお主は安くはないということだな。して、マリーよ、お前の忠義はどこにある」
「言うわけがないだろ」
マリーは警戒をし声が自然と低くなる。
それを言ってしまえば遠からずセレクトに多大な迷惑をかけると想像するは容易い。
「愚問であった。忠義が向けられるように我自身が精進を励む他ないようだな」
それでもマリーの忠誠が揺らぐことは無いと言うまでもない……そんな事を知る由もないメルヴィナは意気揚々と前菜を口にし、どうなる事やらと見守っていたボイルも無言で食事を始める。
「…………」
少しだけ思いにふけった後にマリーも我に帰り、食事を初めて口にした。