八.白麗の事情
白麗は、もとは地上に暮らす白い狼だった。
生まれもった色が仲間と違ったために群れに馴染めず、一匹で暮らしていたのだ。
ある時、他の獣に襲われている男を救った。その人間も変わり者のようで、村から村を訪ね歩き定住をしない人間だった。
最初は、しばらく様子を見るつもりで、こっそり後をつけているだけだった。
助けた命をすぐに失われてはたまらないと思ったからだ。
だが、その男があまりにも迂闊で。
目を離すと、すぐに崖から落ちかけるわ、人に騙されるわ、獣に襲われるわ。
しょうがないから、白麗は、その男の傍で見守ることにしたのだった。
あれは、いつのことだっただろう。
男が立ち寄り、滞在していた村が大熊に襲われた。
一番に逃げれば良いのに、男は宿を借りた家の夫婦と子供を逃がすのに必死で、逃げ損ねた。
白麗は、男を救いたいだけだった。
齢を重ねた大熊に、いくら狼とは言え、白麗一匹の力では敵わない。それでも、男を逃がす時間が稼げればと思っただけのことだった。
結果的に大熊とは相打ちで、白麗は命を失う代わりに、長年大熊の存在に苦しめられていた村を救うことになった。村人には盛大に感謝され、村の守り神として祀り上げられ、白麗は神となった。
男も白麗と離れがたく思ったのか、あんなに一所に留まろうとしなかったのに、白麗を失った後は村に留まり続けた。おかげで、白麗は男が天に昇っていく姿を見送ることができたので、結果的に悪くはない結末だったと思っている。
男がいなくなってからも村人は変わらず白麗を祀り続け、白麗の加護の元、村は栄えた。そうするうちに、白麗を祀ると村が栄えるという噂が広まり、白麗を祀る村が増え、見守る村も増えていった。
白麗が力を落としたのは、二年前のことだった。
『堕ち神』と呼ばれる、かつては神であったものの、今は神でなくなってしまった、そんな存在が白麗が見守る村にやってきたのだ。
堕ち神には、人からの信仰を失くした神と、瘴気を取り込みすぎたために神格を維持出来なくなった神の二種類居る。
信仰を失くした神は、信仰の先をすげ替え、その土地に元からいた神の座を奪おうとする。
瘴気を取り込みすぎた神は、もう二度と神に戻ることが出来ないためか、己の身に起こった不運を、他の神に擦り付け呪い、仲間を増やそうとする。
どちらも厄介な存在だが、ある時、そんな存在が白麗の元にやってきた。
人に紛れてやってきた堕ち神に呪われ、許容量以上の瘴気を取り込まされて、白麗は村の加護どころではなくなった。かつて生きていた時から自慢にしていた白く輝くようであった毛皮も、瘴気によって黒く染まった。
かろうじて瘴気に穢されていない神気を守りながら、呪いを抑え取り込んだ瘴気を浄化していく。
白麗には、そんなことしか出来なくなった。
けれど、神気の大半を失った白麗が瘴気を浄化するのと、瘴気が白麗を取り込んでいく速度では、瘴気の方がわずかに上回っている。
(もう、どうにもできないのなら、最後はせめて、村や眷属達を巻き込まぬように)
香世がやってきたのは、堕ちるのならば一人で良いと神としての終わり方を考えて居た、そんな時だった。
もうそんな力は無いというのに、低頭し、必死に自分以外のために願う姿に、なんとかしてやりたいという気持ちが消せなかった。
だが、方法がない。
白麗は自身を蝕む瘴気を打ち払う事も出来ないのに、それを知らず、目の前の少女は命を捧げると言っている。
自分の命は失っても、村のためにと必死な様子の少女を見ていて、ふと白麗は思ったのだ。
(この者にならば、我が神格を預けても良いのでは……?)
自分の身をいとわず差しだす姿に、彼女にならば神としての存在を保っている神格を預けることも許せる気がした。呪いが届かぬ場所に神格があれば、白麗は瘴気を浄化し呪いに対処する猶予も生まれる。
だが、ただの人間に、白麗の神気を預けることは難しい。
(何か方法を……)
そうしてなんとか考えついたのは、香世を神の嫁として迎え、神格を預けるという方法だった。
白麗にもっと力が残されていれば、他の手段も取れたかもしれない。
理由すら告げずに望まない結婚を押しつけたというのに、香世の方も白麗を受け入れてくれたからこそ、この契約は結ばれた。
白麗は神格を香世に預けたことで、それまで力を節約するために子犬の姿を取っていたが、必要も無くなった。残念ながら瘴気に染められた毛色は戻らなかったが、白麗の不調を受け、荒れていた天候を収めることは可能だった。
(これで、香世との約束は果たせた)
香世のおかげで、自らが『堕ち神』になるという恐怖もかなり和らいでいる。
(だが、それ以上に)
香世の心根は美しく、預けている神格から伝わってくるのは、まるで陽だまりで過ごしているかのような心地よい感情だ。
まだ僅かな時間しか過ごしていないが、どんどん香世に惹かれていっている自身の気持ちも自覚している。
そもそも、好意がなければ、契約結婚など思いつかなかっただろう。
(時間はかかるかもしれんが、瘴気を全て浄化しきった暁には、香世の夫として、全力でその献身に報いよう)
丁寧に毛繕いをしてくれる手に身を任せ、白麗は微睡みに意識を沈めた。