七.生贄娘、お役目を賜る
食事が終わり、桜と楓がお膳を下げて、再び部屋に二人きりになる。
そうしたところで白麗は香世に向き直った。
「香世に、一つ嫁としての仕事を頼みたいのだが」
「はい。何でもいたします」
かしこまる香世に、白麗は首を振る。
「そう気負うようなことではない。ただ、私の毛繕いをしてもらいたい」
「毛繕い……」
白麗の毛皮は、黒く艶やかに輝いているが、香世の仕事というくらいだ。必要なことなのだろう。
「道具はそちらの戸棚の中にある」
白麗が示したのは、香世が入ってきたのとは別の方角だった。
「次の間にある箪笥の一番下の段に櫛が入っているから持って来て欲しい」
「かしこまりました」
櫛を取りに行き、戻ってくると白麗は静かに体を伏せていた。
「まずは背中側から頼もう」
白麗の毛は尻尾は長くとも胴の毛にはそこまで長さがなく、櫛を通すというよりも、マッサージに近い。
香世は犬の世話をしたことがなく、下手だったらどうしようと心配していたが、白麗が気持ちよさそうに目を伏せる様子にほっとしていた。
「そこが終われば、尻尾の方も頼む」
「はい」
「今までは、楓さんと桜さんが櫛を使われていたのですか?」
「いや……」
白麗は首を振る。
「昔は頼んでいたこともあったが、ここ二年はそれも難しくてな」
何か理由があるのだろうか。続く言葉を待ったが、白麗はそれ以上何も言わない。
(もしかしたら、白麗様の体調不良に関係しているのかしら。だったら、来たばかりの私に話せることではないのかも)
香世はそう思い、話題を変えるためにも、この機会に気になっていたことを聞くことにした。
「ところで、白麗様」
「なんだ」
「白麗様は、何の犬種なのでしょうか」
「犬種……?」
「あっ神様に、犬種などないのでしょうか」
香世の問いに、少しの沈黙の後、白麗の声が返る。
「……私は犬ではない。狼だ」
「えっ」
まずいことを言ってしまったと、香世は固まっている。
頭から抜けていたが、守り神は狼だと知っていたはずなのに。
確かに香世が知る犬よりも白麗の体は大きいし、牙も長いと思っていた。
だが、それは白麗が神だから、普通の犬より体格が良いだけだと思っていたのだ。
白麗が子犬のように愛らしい姿なのもあって、今まで白麗のことを狼だと思ったことはなかった。
愕然とする香世を見て、白麗は笑いを零す。
「くくっ、我が嫁は、可愛らしいの」
「もっ、申し訳ありません」
「いい、気にしておらぬ」
平伏した香世に、白麗は普段通りの声の調子で答えてくれる。
「初めにきちんと伝えなかった私が悪い。怒っておらぬから、続きをしておくれ」
鼻先で頭をつつかれ、おそるおそる顔を上げるとペロリと頬を舐められる。
「わっ」
驚く香世に、白麗は笑う。
「ほら、これで、私を驚かせた分とあいこだ」
「おあいこ……」
白麗の尻尾は楽しげに揺られていて、香世は恐る恐る体を起こした。
「さ、続きを頼む」
再び白麗は横たわり、香世はご機嫌に揺れる尻尾に安堵しながら、再びくしけずっていく。
胴体と尾と終わったところで、白麗が眠そうな声を上げた。
「……もう、十分だ。明日も頼む」
「はい。櫛を戻して参ります」
「うむ」
静かに隣室に入り、櫛を元あった場所に戻すと、香世は眠りについた白麗を起こさぬように部屋を後にした。