六十四.生贄娘、祭を見る
「おかえりなさいませ! 主様!」
「おかえりなさいませ! 香世様!」
白麗の屋敷に帰ると出迎えてくれた楓と桜に、香世の頬も緩む。
「ただいま帰りました」
「留守中、変わりはなかったか?」
白麗が尋ねると、二人は頷く。
「万事つつがなく」
「地上も天気に恵まれて豊作のようです」
「なによりだ」
白麗はそう言うと、香世の方に目を向ける。
「疲れただろう。香世は先にゆっくり休むといい」
「白麗様はどうなさるのですか?」
「留守中の話を聞いてから、私も休む。そうだ。楓。桜。香世の部屋は私の方に移動することになった」
その一言に、楓と桜の歓声が上がる。
「主様、おめでとうございます!」
「やっとですね、主様!」
「香世様、末永くお願いします」
「香世様、後で詳しいお話をお聞かせください」
興奮する二人に、白麗はやや呆れたように言う。
「二人とも覗いておっただろうに」
「確かに見ていましたが」
「こういうことは直接伺うことが大事なのです」
「そうか?」
力説する二人に、白麗は苦笑気味だ。
香世は三人のそんなやりとりに愕然とする。
「その、見ていたというのは……?」
あっという顔をした白麗が、香世を見る。
「主様、話しておられないのですか?」
白麗に尋ねる桜に対し、楓が説明してくれる。
「……香世様、あの場には私達の本体とも言える木があるので、近くで起きたことは見聞きできるのです」
その言葉は、会話から予想できたものだったが、やはり直接言われると衝撃的だ。
真っ赤になっているだろう顔を隠そうと俯いて両手で顔を覆う香世に、楓と桜は驚いた声を上げる。
「香世様⁉」
「大丈夫です! 香世様!」
「そうです! 私達、決定的なところは白麗様の影で見えておりませんから!」
「うむ、我が眷属とはいえ、見せるわけにはいかぬからな」
焦る二人に対して、白麗の声はどこまでも落ち着いていて、そのことがなんだか腹立たしい。
「もう、主様!」
「その言い方では、香世様は怒ってしまわれますよ」
香世のことを心配する楓と桜に、白麗がしゅんと項垂れて謝罪する。
「……その、香世、悪かった」
顔を上げられないままに、香世は尋ねる。
「本当に、楓さんと桜さんは見ておられませんか?」
「はい」
「本当です」
頷く二人にほっとしていると、白麗が言う。
「香世、すまない。だから、顔を上げておくれ」
優しい手つきで髪を撫でられ、香世はつい顔を上げてしまった。
ほっとした表情の白麗が目に入り、香世も微笑んでしまう。
「許してくれるか?」
「はい。ですが、今度からは、きちんとそういうことは教えてください」
「何をだ?」
「その、楓さんと、桜さんが見ている、とか」
「わかった。接吻の時に、言えばいいのだな」
頷く香世に白麗は言う。
「なら、今また接吻をしてもいいか?」
「え……?」
驚いた後、香世は真っ赤になって言う。
「なんでそんな話になるのですか!」
「真っ赤になった香世がとても可愛いからだ」
「なっ……」
絶句する香世に白麗はささやきかける。
「そんな表情をされては、逆効果なのだが……」
再び真っ赤になって顔をうつむけ手で覆った香世を見て、白麗が言う。
「なっ、今度は、ちゃんと聞いたぞ!」
「主様、そういうのはお二人の時になさるのです」
「主様、女心に疎かったのですね」
「うぐっ……」
二人の言葉に衝撃を受ける白麗を見て、楓が言う。
「主様、先にお仕事をお願いします」
「そうですね。香世様も落ち着かれる時間があった方がよろしいかと」
白麗は少し躊躇った後に香世に囁く。
「香世、また後でな。すぐに戻る。部屋で待っていてほしい」
なんとか頷いた香世を見て、白麗は楓に向き直る。
「楓、あちらで話を聞こう」
「かしこまりました。桜、香世様を頼みます」
「もちろんです! 香世様、どうぞこちらへ」
そうして、馴れているはずの白麗の屋敷なのにどうしてか落ち着かない思いをしながら、香世は白麗の部屋へと案内されるのだった。
* * *
白麗の屋敷に戻って、そう日をおかず、秋の大祭が執り行われた。
大祭と言うだけあり、数日前から白麗は身を清め、準備をしていた。
今日は朝から祝詞を捧げ、それが終わると地上に降りるため、香世も白麗の手によって、人には見えないようにしてもらっていた。
「これで、村の人達からは姿が見えないのですか?」
「そうだ。私も毎年、こうして村に降りていた」
「見に来てくださっていたのですね。でも、白麗様だけなら、お姿を隠されなくてもよかったのではないですか? 紫水様のところでは、お姿を特に隠されていなかったですよね」
紫水の所では気にせず人前に出ていたのに、どうしてだろうと白麗に尋ねると、白麗は少し答えづらそうにしながらも教えてくれた。
「私の気持ちの問題だ。人の姿では目立ちすぎるし、獣の姿では、人と近くなりすぎる。親しくすることが悪いことではないが、皆、私より早くに旅立っていってしまう。親しき者を見送り続けるのは、つらくなる時があるのだよ」
「そう、だったのですか……」
白麗の気持ちを思って言葉を無くす香世に、白麗は微笑みかける。
「だが、これからは、香世がいる。落ち着いたら、久々に彼らと共に祭を楽しんでもいいかもしれんな。……香世は、ずっと共にいてくれるだろう?」
躊躇いがちに尋ねる白麗に、香世は頷いた。
「白麗様が嫌と言われない限り、ずっと」
「うむ……。だが、今日は、このままでいこう」
「わかりました」
そして、香世は白麗と共に地上へと向かった。
いくつかの村を白麗によって周り、最期に香世が暮らしていた村に到着する。
ここも他の村同様、白麗を祀る神社は清められ、村で作った野菜や米が捧げられていた。
違うのは、皆、どこか影のある表情をしているところだ。
(何か、問題があったのかしら……)
香世が心配していたところ、ちょうど村長の奏上が始まった。
「いつも村をお守りくださっている白麗様。そして柱様。お二方のおかげで、無事、今年はこのように豊作となりました。世の平安と、この村のますますの発展をここに祈願いたします」
村長の奏上が終わると、その場で宴会が始まった。
「今年はどうなることかと思ったけれど、こうして結果的には無事に豊作になってよかった、よかった」
「それは、そうだけれど。あの後すぐに、雨は上がってしまって、香世ちゃんが、犠牲になる必要はあったのかねぇ」
「何を言う。雨が上がったのは、香世ちゃんのおかげだろう」
「そうだけどねぇ。せっかくなら、皆で喜び集ったじゃないか」
豊作を喜ぶ声と共に、そんな声も聞こえてくる。
(そっか。私が柱様になってからすぐに雨が上がったから……)
不要な犠牲だったのかもしれないと、思われていたのか。
香世が頷いていると、隣でむっとした顔の白麗が言う。
「村長に、香世は私の花嫁として迎えることになったから、心配はいらぬと言っておかねばならなかったな」
「そんなことができたのですか」
驚く香世に、白麗は言う。
「夢枕に立つだけだ」
「夢枕に……。でも、わざわざ言わなくても……」
「それに、今後は、柱様という生け贄も不要と言っておかねばならぬ」
疑問を浮かべる香世に、白麗は続ける。
「私には香世がいればいい。他に贄は不要だ」
それに、と続ける。
「若い男が生け贄としてやってきてみろ。私は、香世が目移りせぬか心配で何も手が着かなくなりそうだ」
真剣に言う白麗に香世は零れそうな笑いを抑え、口元を抑える。
「柱様は、若い女性かもしれませんよ?」
「香世がいるのにか? 人間は変わっているのだな」
目を丸くした後、すぐに顔をしかめた白麗に、香世は今度こそ声を立てて笑うのだった。
最終話、本日21時に投稿します




