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生贄娘と呪われ神の契約婚  作者: 乙原 ゆん


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五十九.生贄娘、切り札を使う

 空気中にうっすらと瘴気が混じっているようで、村の入り口までもう三十歩もないのに、門がかすんで見える。


「この距離でも結構な量の瘴気が漂っているようだな。香世殿は大丈夫か?」


 心配げな紫水に、香世は手の甲を見せる。白麗との契約紋はうっすらと光りを帯びていた。以前聞いたとおり、この契約紋が瘴気から守ってくれているのだろう。


「白麗様の紋が守ってくれているようです。紫水様は大丈夫なのですか」

「私は、大分厳しい。もう少し近づいてからと思っていたが、この辺りが限界だな」


 そうして紫水は足を止めた。


「香世殿。私が村の瘴気を抑えることができたら、先程話したとおり白麗のところに向かってほしい。瘴気を抑えている間、私はここを動くことはできないから、何かあれば逃げてもいい」

「わかりました」

「では、始めるぞ」


 そうして、紫水は神楽鈴をどこからか取り出し、数歩前に出ると神楽鈴を一振りする。

 シャリンという軽やかな音が響いたかと思うと、少しだけ呼吸がしやすくなる。

 神楽鈴の音はもう一度、二度と続き、紫水はゆっくりと舞い始める。

 普段、どちらかというとキビキビと動き、さっぱりとした言動をする紫水だが、この舞はうっとりするほど美しく、優美さを感じさせた。

 紫水が舞の途中で鈴を鳴らす度に村を覆っていた瘴気が薄れていく。村の入り口から奥が見通せるようになったのを見て、香世は村の中へと走りだした。



 村の中は、村人が逃げ出した時のまま、変わりはないようだった。

 洗濯物は竿に干したままになっていて、道ばたには幼い子供が遊んでいたのだろう、手作りの人形が落ちていた。

 声を掛ければ、今にも家の中から人が出てきそうだ。


「白麗様はどちらに……」


 言いかけた所で、村の奥で物が壊れる音が響いた。

 明らかに争うような物音に、香世は足を速める。

 息を切らせながら走り、道の突き当たりを曲がると思いもかけない光景が目に入って香世は足を止めた。

 そこには、身体から瘴気を吹き出しながら四つ足で立つ獣と、真珠色の毛並みを血に濡らす狼姿の白麗がいた。



 二神とも、お互いを警戒するように睨みあっている。

 かと思うと、堕ち神が駆け出し、白麗に飛びかかる。白麗は堕ち神の攻撃をかわし反撃するが、こちらもかわされる。

 何度かの交差の際、白麗の牙が堕ち神の身をえぐったのか、甲高い鳴き声が響く。

 直後、堕ち神の瘴気が目に見えて減り、一方、白麗の方は一瞬その身体を黒く染める。すぐに白麗の毛皮は白く戻るが、堕ち神の瘴気は削られたままだ。


(白麗様は堕ち神の瘴気を取り込んで、浄化されているの……?)


 だが、この方法でどれだけの時間がかかるかはわからない。

 香世は、紫水に持たされた煙玉の重みが増した気がした。

 この煙玉で堕ち神の瘴気を浄化すれば、白麗の役に立つことができるだろう。



 ふと、堕ち神が香世の方に視線を向けた気がした。

 堕ち神から立ち上る瘴気のせいで、あくまでそういう気がしたという感覚しかないが、見つかったという感覚に襲われ、香世は咄嗟に身を翻す。

 だが、遅かった。

 堕ち神がおそるべき速度で香世に向かって走ってくる。

 追ってくる気配はわかるが、恐ろしさに振り返れない。


「香世!」


 叫ばれた名と共に、どさっという音が響き、香世は振り返る。

 すると、地に転がる堕ち神と、香世の方に向かってくる白麗の姿が見えた。

 白麗は香世と堕ち神の間に立ち、堕ち神の方を見ながら香世に低い声で問う。


「何故ここにいる」


 怒りを含んだ声に身がすくむ。

 けれど、必要なことなのだと香世は勇気を振り絞った。


「紫水様から、堕ち神の瘴気を抑える道具を預かってきています。一度しか使えません」

「なるほど……」


 白麗は頷くも、目つきは険しい。

 これは後で怒られるかもしれない。

 白麗は気持ちを切り替えたようで、立ち上がった堕ち神を気にしながら香世に問う。


「それで、どうしたらいい」

「少しの間でいいので、堕ち神の動きを止めてください」

「私ではなく、香世が預かってきた物を使うのか」


 頷くと、白麗は深く息を吐いた。


「危険なことは極力やって欲しくないのだが、ここまで来たら一緒か。やってみよう」


 白麗は、立ち上がった堕ち神を油断なく見つめている。

 突然、堕ち神が、白麗に向かって飛びかかった。

 白麗は襲ってきた堕ち神に立ち向かい、体をぶつける。堕ち神の体が跳ね飛ばされ、地に転がった。

 白麗は堕ち神を追いかけ、堕ち神の首元を抑えようと飛びかかる。だが、堕ち神の方も抵抗し、二神の体がもつれあう。

 乱闘を制したのは白麗だった。

 白麗が堕ち神の四肢を押さえつけ、うつ伏せの首筋に歯を立てたのを見て、香世は駆け寄り、紫水から預かった煙玉を投げつける。

 堕ち神の体にぶつかった煙玉は薄い緑色の煙を吹き出しはじめ、それを浴びた堕ち神は苦悶の声をあげる。そうして、何度か身もだえた後、瘴気を体中から溢れさせ、口からヘドロのようなものを吐き出した。

 突然のことだったが、白麗は飛び退き、被害はない。

 白麗は香世の側に来ると、堕ち神の様子を見て呆然と呟く。


「なんだこれは……」

「わかりません。ただ、あの煙玉は薬草茶の成分を抽出し、煙として噴出すると聞いています」

「つまり、堕ち神の体にある瘴気を無理矢理浄化し排出しているということか」


 おそらくは、と香世が頷いたところで、堕ち神の体から出ていた瘴気が落ち着いてきた。堕ち神はよろよろとおぼつかない足取りで香世と白麗の元に向かって来る。

 瘴気を体内から出したせいか堕ち神の体は色さえ変わっていた。そこには、薄汚れてはいるものの、おそらくは白い毛皮を持つ、白麗にそっくりな狼の姿があった。


「お前、狼だったのか」


 白麗が言う。


「……何を。私は、山犬だ……。お前と、……一緒に、するな」


 切れ切れの声で堕ち神が言う。立っているのもやっとという姿だが、白麗に対する敵愾心は消えていないようだ。

 一方、白麗は堕ち神が自身と近い種族だったことに動揺しているようだ。


「何故、堕ち神などに」

「他人ごと、だと、思うなよ。お前、だって……、……村人が、いなく……、祀る、者……途絶えれ、ば、…………同じモノに――」


 切れ切れに言葉を紡ぐ堕ち神に、白麗がはっとした表情を浮かべる。

 その言葉に香世はここに来る直前にしていた初江の話を思い出していた。

 紫水も、そう滅多に堕ち神が現れることはないと言っていた。

 ということは、初江の村の守り神が、この堕ち神の正体なのではないだろうか。


「あなたは、楠実村の真白様ではないですか」

「……お前、どこで、その、名を――」


 思わず尋ねた香世を、驚愕した様子で堕ち神が見る。

 先程よりも、幾分かしっかりした様子だ。


「待て、お前、それ以上近づくな」


 白麗が近づいてくる堕ち神を見て、牽制する。

 堕ち神は足を止めるが、話の続きを待つようにじっと香世を見ている。


「……詳しいことはわかりません。ですが、その村の生き残りの方にお会いしたのです。その方は、流行病で村がなくなったと」

「は、やり……病……、そう……だ。そうだ、思い出したぞ……!」


 真白は絶望した様子で遠吠えをする。

 名を思い出したせいか、少し言葉が明瞭になっている。

 遠吠えの余韻が消えたところで、香世は続ける。


「その方は父君に紫水様の元に運ばれ、その方だけが生き残られたようです。村で祀っていた神様にお帰り願わないと堕ち神になるということを長らく知らず、結果的に真白様のことを放置してしまったと、とても後悔されていました」

「そう、だったか……。そうだ、私は……、助けるために、力を欲したのだった。私の力では、抑えられぬ病だったから――」


 真白の声には後悔が滲んでいた。

 ふと、香世を見ていた真白が白麗に顔を向ける。


「お前、名をなんという」

「白麗だ」

「そうか。白麗。お前に頼みがある」

「聞くだけ聞こう」

「私が奪ってしまった命の、弔いを。頼む」

「……頼まれよう。だが、まだお前にもできることはあるだろう」

「なに、を……?」


 真白は、荒い息を吐きながら白麗を見る。

 白麗はふっと人型に変わると、香世の手を取った。


「香世、少し手を借りるぞ」


 頷くと、香世の手にある契約紋が輝きだし、白麗との契約が結ばれたとき同様、胸の辺りに暖かな物を感じる。それは次第に膨れ、光として周りにあふれていく。驚いて隣を見ると白麗からも光は零れていた。尋ねようとした瞬間、光が爆発的に広がり香世は目を閉じる。


「……香世、もう大丈夫だ。目を開けてごらん」


 促され、おそるおそる目を開けると、あの強烈な光は収まっている。

 そして、周りを見渡して、香世は驚きのあまりあっという声を漏らした。

 明らかに、先程までいた村ではない場所に、香世達は立っていた。

 そこは金色に光る原で、空は雲一つ無く晴れている。

 そして、少し離れた先に真白が立っていた。真白の体は、その名の通り真っ白で、先程までの汚れもない。死にかけていたとは信じられないほどに真っ直ぐにその場に立っていた。

 その真白の周りに、多くの生き物の姿もあった。小鳥、鼠、兎、狐、猪、そして人の姿……。どの生き物も、凪いだ表情で静かに真白を見つめている。


「さぁ、最期の務めを果たせ」


 白麗の声だけが響く。

 真白は、もう何も言わず、遠吠えを一つする。

 それは長く響き渡り、真白の周りにいた者達が一人、また一匹と香世達に背を向けて草原の向こうに消えていく。

 最後の一匹を送り出すと、もう一度、真白は遠吠えを行うと、香世達に背を向け、金の海原を走り出した。


 白麗と共にその後ろ姿を見守り、真白の背中が見えなくなってしばらくして、香世は尋ねる。


「彼らは、どこに向かったのですか?」

「黄泉の国に。真白の導きで、彼らも迷うこと無くたどり着けるだろう」

「最期の務めとは、そういう意味だったのですね」


 香世の言葉に白麗は頷き、香世を見て微笑む。


「香世のおかげだ。あいつが、神としての自我を取り戻すことができたからこそ、彼らをこういう形で見送ることができた」


 はっとして、香世は白麗を見る。


「白麗様の、呪いはどうなったのですか……?」

「真白殿が持って行ったよ」


 遠く、真白が消えていった平原の果てを、白麗が目を細めて見やる。

 香世もそれに習い、もう一度、彼らの消えた地平へと目を向けると、平穏を祈った。

 どのくらいそうしていただろうか。ふと視線を感じ、隣を見上げると、白麗がじっと香世を見つめていた。


「さぁ、私達も、戻ろうか」


 香世が頷いたところで目眩にも似た感覚に襲われ、香世は目を閉じた。

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