五十.生贄娘、白麗と話す
「何を話していたのだ?」
砥青の姿が見えなくなったところで、再び香世を腕の中に閉じ込めて、白麗が言う。
「悩みを聞いていただいておりました」
「悩み……? 薬師に関することか?」
香世は首を振る。
「いえ。違います。その、白麗様。私、謝らなければならないことがあります」
「なんだ……?」
背にまわされた白麗の手が怯えたようにぎゅっと力が入る。
「先程、紫水様とされていたお話を聞いてしまいました」
「……香世も、あそこにいたのか」
「偶々です。廊下を通りがかった時に白麗様のお声が聞こえたので。つい、立ち聞きするような真似をしてしまいました。申し訳ありません」
「香世になら構わんが、そうか。なら、私に触れられるのは気持ち悪かろう」
「えっ」
やんわりと距離を取られそうになり、香世は咄嗟に白麗を抱き締める。
「む。香世?」
「そんなこと思いません」
焦って伝えると、白麗から驚いたように息を呑む気配がした。
「だが。堕ち神に呪われている私に触れられるのは嫌ではないのか……?」
「嫌など思いません。ただ、白麗様のご不調を知っても、私には何もできることを思いつかなくて」
「そう、だったのか……。それで、悩んで……香世は既に私を助けてくれているというのに」
「え? 助ける、ですか?」
白麗の言葉の意味がわからず疑問の声を漏らした香世に、白麗は続ける。
「この紫水の屋敷に来るまで、ずっと、悪夢を見ていた。だが、ここ数日。悪夢の中で、もう駄目だと、心が折れそうになる度に温かな手が背に触れ、私を闇の中から押し出してくれた。あれは、香世だったのだろう? 紫水からも、香世が私のために無理をしていたのだと聞いている」
「確かに、この数日、うなされる白麗様の背をさすっていましたが」
「情けない夫で、すまない」
「そんなこと、ありません!」
「香世……?」
強く声を上げた香世に、白麗が驚いたような声を上げる。
「ずっとあのようにうなされていらしたなんて。私は、妻なのに、知りませんでした。せめて何かできることもあればいいのに。それもなくて……」
「……泣いているのか?」
やんわりと体を離され、白麗の手が香世の頬を包む。
そうして、親指の腹で香世の頬を伝う涙を拭うが、追いつかない。
泣きたいわけではないのに、苦しいのは白麗の方だというのに、涙は止まってくれなかった。
白麗はそんな香世の前にかがみ込み、頬をペロリと舐めた。
「なっ……」
そして、香世は叫ぶ。
「何をするのですか……!」
「泣いたり怒ったり、忙しいな」
くつくつと笑う白麗に、香世は愕然として、白麗を見つめる。
すると白麗は、真面目な顔をして言った。
「香世の心配を、嬉しいと思う。香世は何も出来ないと言ったが、この身を案じ、眠いのをこらえて背をさすり、今またこうして涙まで流してくれる。それは、何もしていないなどとは言わない」
「ですが……」
「納得してくれぬのか? なら、今度は反対側の涙を拭おうか」
そんなことを言う白麗に、香世は慌てて首を振る。
「わかりました、わかりましたから」
「なんだ、残念だな。それに、香世のおかげで、今日は紫水が夢を見ずに眠れる香を調合してくれるそうだ。だから、もう香世が気に病むことはない」
頷くと、ほっとしたように白麗は笑うのだった。




