四十六.生贄娘、書庫に向かう二
ふと、部屋に差す光が陰った気がして、香世は顔を上げた。
気が付くと随分時間が経っているようで、窓の外からは夕暮れの気配がしている。
「もうこんな時間」
「集中しておられましたね」
隣にいる山吹が顔を上げて、続ける。
「今日は、そろそろ片付けましょうか」
部屋で作業をしていた他の人も、香世達同様片付けを始めている。
「夜はこちらの部屋は空いていないのですか?」
香世が尋ねると、山吹は頷いた。
「夜の作業を許すと寝ずに取り組んでしまう者が多いので、書庫と共にこの部屋は施錠されます」
なるほど、と頷く香世に山吹は言う。
「では、本を戻して参りますね。香世様は片付けをされていてください。水場は、廊下の突き当たりを右に進んだところにあります」
「わかりました」
山吹が二人分の本を持ち、香世は山吹が使っていた分もまとめて筆を洗いに行こうと共に席を立つ。
二人で出入り口に向かったところで、廊下から声が聞こえた。
紫水の眷属が何人か話をしながら部屋の前を通っているようだ。
聞き耳を立てるつもりはなかったが、聞き馴染みのある名を拾ってしまい、思わず戸を開けようとしていた手が止まる。
「……それはそうと、白麗様、ご結婚されたんですって」
「主様と恋仲なんじゃなんていう噂もあったたのに、残念ですね」
「意外でした。昔からのお知り合いで、仲もよかったから、もしかしてなんて期待していたのですが」
「あのお二人、並んで立っておられるだけで絵になりましたからね」
「確かに、眼福でした。今もですが」
「ですが、私、紫水様にはもっと、こう、元気があるタイプの方が似合うと思うんです」
「そうですか? 私は紫水様にはもっと落ち着いた包容力がある方がいいと思います」
「二人とも、恋物語の読み過ぎですよ」
足音と人の気配が遠ざかった後も、固まっていた香世に心配げな声がかかる。
「申し訳ありません。お気を悪くされたのではないですか」
「いえ、大丈夫です。その、私もそう思っていたので」
「そう、というのは?」
「……白麗様と、紫水様が並んで立っておられると、お似合いだと」
そう言うと、山吹が驚いたように首を振る。
「そのようなことは、ございません!」
「ええっと、山吹様?」
「香世様は、白麗様を一番近くで見ておられるのに、気が付いておられないのですか? 香世様に笑いかける白麗様のあの眼差し! 優しくて、愛おしそうで、私まで幸せになるなと思っておりました。あのお顔を見ればどなたにお気持ちがあるのか一目瞭然です!」
山吹の勢いに押され、香世は戸惑いながらも頷いた。
「そ、そうだと、いいのですが」
「そうです。あのように思われるのは、どんな方だろうと思っていましたが、香世様は少しお話をしただけの私でもわかるくらいに真面目で優しい方で、流石白麗様が選ばれた方なのだと納得していました。それに、香世様がもたらしてくださった薬草茶の配合は多くの神の希望となります。なのでどうか自信をお持ちください」
「それは、言い過ぎかと」
「いいえ」
山吹は真剣な表情で首を振る。
そのあまりの熱心さに、他の人からはそう見えるのだと、そうであれば嬉しいという自分がいることにも気が付いた。
(……そっか。私も、白麗様をお慕いしているから、紫水様と白麗様のご関係が気になるのね)
そういう仲ではないと知っていても、香世が知らない白麗の昔の様子を知る紫水と、親しげな白麗の様子に、胸が痛んでしまう。
「僭越ではございますが、私は白麗様と香世様を推していますので」
「あ、ありがとうございます」
礼を言うと、入り口で話し込んでしまったことに気が付いて慌てて戸を開ける。
そこにはもう先程通り過ぎていった者達の姿はない。
「では、私はこちら片付けて参りますね」
「私も筆を洗って参ります」
そう言って、廊下の先に進むのだった。




