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生贄娘と呪われ神の契約婚  作者: 乙原 ゆん


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三十九.生贄娘、蛍を見る

 おやつに飴をいただいた後、夕飯までまだ時間があるということだったので、香世は私室に戻っていた。

 楓達からはゆっくりしているようにと言われていたが、砥青が居る間に写した薬草図を眺めたり、半島人参を使う薬の調合を調べていると気がつけば、結構な時間が過ぎていた。

 障子を開けると、空は茜色に染まっている。


「もうこんな時間」


 少しだけのつもりだったのに、と思いながら庭を眺めると、白麗の姿が見えた。

 白麗は庭で花を見ているようだ。

 ふと、顔を上げた白麗と目が合った。白麗は微笑むと香世の元へとやってくる。


「まさか、会えるとは思っていなかった」


 花を見に来たのではないだろうか。その言い方だと、香世に会いたいと思っていたというように聞こえる。

 首を傾ける香世を白麗が誘う。


「よかったら庭を見ないか?」


 白麗からそんな誘いを受けることが珍しく、香世は頷いた。


「準備をして参りますので、少々お待ちください」


 香世はそう答えると、草履を取りに向かった。



 庭に出て白麗がいた所まで向かっていると、白麗は先程の場所に留まっていた。


「お待たせしました」

「いや、待っていない。早かったな」


 香世を見て白麗は微笑む。


「香世に花を摘もうと思ったが、そういえば、私は香世が好きな花さえ知らないと思ってな」

「こだわりはないので、何でも好きです。それに、こうして眺めていられるだけで満ち足りた気持ちになります」

「満ち足りた気持ち?」

「はい。植物が花を付けるのは、種子を残すためです。その植物が次の世代に命を紡ごうとしている姿は、どれも美しいと思うので」

「はは、香世は根っからの薬師なのだな。そんなことを言われるとは思わなかった」

「でしたら、白麗様はどう答えると思っておられたのですか?」

「美しいから、だろうか」


 そういえば、村に居た頃、同じ年頃の女の子はそのようなことを言っていた。そして、村の男の子に花を貰うと嬉しそうに頬を染めていた。

 もしかして、白麗を落胆させてしまっただろうか。香世は隣の白麗を見上げる。


「がっかりさせてしまいましたか……?」

「いや。香世らしい答えを聞けて、私は嬉しい」


 白麗はそう言うと、香世の手を取った。


「あちらで見せたい物があるのだが、ついてきてくれるか」


 香世が頷くと、ゆっくりと歩き始める。

 白麗が連れて行ってくれたのは、庭の奥の竹林になっている方向だった。こちらには立ち入る理由もなく、香世は近づいたことがない。竹林の手前に門扉があり、なんとなく特別な場所という感じがしていたこともある。

 白麗は扉を開けて、竹林の小道を進む。


「こちらには、何があるのですか?」

「見たらわかる」


 白麗はそう言うだけだ。


「泉……?」


 少し歩くと、竹林に囲まれるようにして泉が見えてきた。

 泉の奥の方で水が湧き出し、泉から小さな川が引かれている。

 水が綺麗なせいか、水底の白い小石の粒まではっきりと見えていて、深さまではわからなかった。


「庭の小川は、ここから水を引いている」


 香世が視線で小川の先を辿っていると、白麗が言う。


「そうでしたか。見せたい物とは、この泉ですか?」

「そうだけれど、そうではない。香世、水面を見てご覧」


 促されるままに視線を落とすと、小さな波を立てている水面に次第に色が乗っていく。


「あっ」


 それは香世の良く知る光景だった。

 夕焼けに染まった空の下、立ち並ぶ村人達の家からは炊事の煙が立ち上っている。

 村を囲むように広がる水田には一面の緑が広がっていた。


「私が住んでいた村……」

「村を見せると約束していただろう。気になっているのではないかと思ってな」


 時間が遅いせいか、残念ながら、道を歩いている人は居ない。

 それでも窓から覗く明かりに、村の皆が元気に過ごしているのだろうと察せられた。

 水面に映った村の様子に見入る香世に、白麗が言う。


「誰か姿を見たい人がおったか?」

「いえ」


 ただ、久々に見る村が懐かしかっただけだ。香世は首を振ると続ける。


「今年の秋は大丈夫のようですね」

「あぁ、豊作になると良いな」

「今までもこのように見ておられたのですか?」

「そうだな。必要な時には。こうして見ずとも、村の様子は意識を向けると感じることはできるから、ここに来るのは稀だが」


 つまりは、今日ここに来たのは香世のためだということだろう。


「香世が現れたのもここだったのだよ」

「えっ」


 驚く香世に、白麗は微笑んで続ける。


「生け贄になって村を救いたいという香世の気持ちで、ここに通じたのだ」

「では、あの時、お屋敷には白麗様が運んでくださったのですか」


 あの時は気が付くとお座敷で寝ていたので、尋ねると白麗は首を振る。


「流石に子犬の姿では運べなかった。楓と桜が頑張ってくれた」

「あの二人が……?」


 まだ子供の体格の二人がどうやってだろう。

 香世が疑問に思っているのを見て、白麗がはっと気が付いたように頷く。


「そうか。香世はあの二人を見た目通りの年齢だと思っているのだな。だが、実はそうではない。そうだな。香世よりは年上だ」

「えっ」


 驚く香世に、白麗は忍び笑う。


「今度聞いてみるといい。それに私の眷属としてそれなりに力は与えてあるから、心配せずとも、香世くらいなら問題なく運べていた」

「そうでしたか」


 あの二人を困らせたわけではなかったのだと知り、香世はほっと息を吐いた。


「そうだ。香世にまだ渡していなかったな」


 白麗が懐から今日買ってもらった櫛と簪の包みを取り出す。


「村の光景は、香世が私の所に来てくれたからこそだ。この程度で香世の働きに報いることができたとは思わないが、よかったら使って欲しい」

「ありがとうございます。大事に使います」


 そう言うと、白麗は何か言いたげに口を開いた。


「香世は……」


 続きの言葉を香世は待ったが、白麗は首を振ると微笑みを浮かべる。


「そろそろ帰ろうか。夕餉の仕度もできておるだろう」


 そう言うと、白麗は水面に映った村の光景を消し、香世を促す。


(白麗様は何を言いたかったのだろう)


 疑問を浮かべながらも、香世は白麗の屋敷へと戻るのだった。

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