二.生贄娘、目を覚ます
気がつくと、香世は豪華絢爛なお屋敷の一室に寝かされていた。
十畳以上もある広い畳の間の中央に布団が敷かれ、天井には金箔を使った見事な草花の絵が描かれている。座敷を仕切る襖にも、金箔と銀箔を使って湖の景色が描かれていた。そのうえ香が焚いてあるのかどこからともなく良い匂いが漂っている。
布団は今まで触ったこともないほど上等な布を使ったふわふわで、何もなければこのままもう一度眠りたいくらいだった。
「天国みたい……」
香世は直近の記憶を思い出し、首を傾げる。
柱様――生け贄として崖に身を投げたはずなのに、場違いな部屋の中にいることは分かるが、理由がわからない。
とてつもなくお金持ちの家なのだろう。
着ている物は、身を投げた時のままだった。そんな姿で、香世の家の全財産を合わせたよりも高価そうな綺麗な布団の上に居続けるのが申し訳なくて、慌てて布団の側の畳の上に正座する。
その畳も張り替えたばかりのように青々としていて、直に座るのも躊躇われるくらいだった。
「村は、どうなったの……?」
柱様としてのお役目を果たせず、もしかして何かの手違いがあってこの家の人に拾われたのだろうか。
この屋敷の持ち主はお金持ちのようだし、見ず知らずの香世を助けてくれた位に優しいのなら、お願いしたら村のことも助けてくれるかもしれない。考え込んでいたところで、すっと襖が開いた。
「起きたのか」
聞こえたのは低い男の声だった。だが部屋に入ってきたのは黒い子犬だけで、声の持ち主は姿を見せない。
香世がきょろきょろと辺りを見回している間に、子犬は香世の前にトテトテと歩いてくる。
そして座っている香世の前まで来ると、行儀良く腰を下ろした。
近くに来ると、子犬は珍しい金色の瞳をしているのが分かった。
「痛むところはないか?」
続いて聞こえた先程と同じ声に目を瞬かせる。
部屋をもう一度見回すが、やはりこの子犬以外に生き物の気配はない。
「……犬が、しゃべった?」
常識ではあり得ない出来事に戸惑っていると、子犬は渋い声で言う。
「送ってやるから、どこの村から来たのか言え」
「えっと、送ってくださるとは?」
「ここは神界だ。お前のような人間が来るところではない」
にべもない言い方だが、おかげでこの状況の謎が一つ解けた。
生贄になるために身を投げた香世は、何かの手違いがあってこの屋敷の主に保護されてしまったのだろう。
お役目をきちんと果たせなかったと知り、香世は呆然とする。
「そんな。なら、村は……」
はっとして、子犬を見る。
ここが神界だというのなら、この子犬はこの屋敷の主である神のお使いかもしれない。頭を下げ、願い出る。
「こちらは、さぞ力ある神様のお屋敷だと存じます。助けて頂いた上に、厚かましいお願いであるとは思いますが、どうか、村を助けてください」
返事の代わりに、ぐるぅと低いうなり声が聞こえた。
「お前の願いを聞くために助けたのではない」
子犬の声は、酷く冷たい。
だが負けるわけにはいかなかった。
「ですが! 私は、村の守り神様に身を捧げました! どうして命があるのかはわかりませんが、こうして生きているからには、なんとしても神様にお目にかかって、村を助けてくださるようにお願いしないといけません!」
悲鳴に近い香世の声に、子犬はぽつりと呟きのような声を零す。
「長雨のせいか……」
「はい。去年は旱魃で、今年は長雨が続いています。村にはもう蓄えはありません。このまま雨が上がらなければ、何も作物を育てることができないでしょう。だから――」
「だったら残念だったな。お前の言う神様とやらは、生け贄は欲していない。お前が何をしようと無駄だ」
「そんな……」
「わかったら、村に帰れ」
「嫌です!」
「どうしてだ!」
「村を助けたいのです! だから、あなた様になんと言われようと帰りません!」
香世は頭を下げ続けたまま乞い願う。
「守り神様に、どうか、会わせてください」
「それは…………、でもか?」
「え? 今、なんと?」
低く声を落とした子犬の声に、香世はなんと言われたのか聞き取ることができなかった。
「それは、私がその村の守り神とやらでもかっ」