一.生贄娘、志願する
「そのお役目――柱様に、私が志願いたします」
香世の言葉に、村長の家に集まった村人の目が一斉に集まった。
その視線を受け止め、香世は静かに頭を下げる。
柱様というのは、村の守り神様に捧げる生け贄のことだ。
この集会は、春から続く長雨を止めてもらうため誰が生け贄になるか、それを決めるためのものだった。
沈黙が続く間も、ごうごうと滝のような雨の音が外から響いている。
数十人がこの狭い空間に集まっているというのに、誰も、何も発さない。
去年は、旱魃だった。
夏になる前から雨が降らず村の畑の作物は全滅し、二年前の蓄えでようやく凌いだ。
今年は、尽きた蓄えの分まで働こうと、皆気合いが入っていた。だというのに、今度は長雨が始まった。
この雨が止まなければ、遅かれ早かれ村人は全員飢えて死んでしまう。
生け贄が必要な程に、この村の状況は逼迫していた。
「……香世ちゃん、柱様に志願するって、どういうことかわかっているのかい?」
村で良く野菜を分けてもらっていたおかみさんが言う。
その声は掠れていた。
「はい。亡くなった父からも、聞いております」
「だからって、何も香世ちゃんがならなくとも」
十五になったばかりの香世を贄に差し出すのは、気が咎めるのだろう。
だが、香世にはこうするのが一番良いとわかっていた。
香世はこの村の生まれではない。
旅の薬師として各地を放浪していた両親と共に、七年前にやってきた新参者だ。
その上、二年前、旱魃が始まる前の年に両親を事故で亡くした、孤児である。
両親を亡くした時、まだ十三歳だった香世は、薬師であった父から教えてもらった一番簡単な傷薬しか作ることができなかった。にも関わらず、村の人たちは香世の両親の葬儀をあげ、丁寧に葬ってくれた。その後も、一人になった香世が困っていないかと気に掛けて、時には食事に呼んでくれたりもして、世話を焼いてくれていた。
こんなことがなかったら、これから父が残した書き付けを頼りに調薬を学んで、恩返しをしていくつもりだったのだ。
だから、香世が手を挙げるのが、一番良い事だと思っている。
思っていた形とは違うけれど、この村の皆に恩を返せるのならば、躊躇うことではない。話し合いに来る前に、香世はそう覚悟を決めていた。
「そりゃ、香世ちゃんが柱様になってくれたらありがたいが……」
村役の一人がぽつりと言う。
「ちょっと、松さん」
咎めるように、松の妻が言う。
けれど、だからと言って香世の代わりに手を挙げる人はいないのだ。
「……こんなことのために、助けたんじゃないんだよ」
おかみさんの言葉に、胸がじわりと温かくなる。
旅を好んでいた両親がこの村に落ち着いたのも、こういった村人達の優しさがあったからだろう。
「両親が生きていたときから、村の皆さんによくしてもらいました。だから、私でお役に立てるのなら」
「そういってもらえると助かるけど、香世ちゃんはまだ成人もしていないのに……」
村人達の助けがなければ、両親を亡くした香世が到底一人で生きていくことなどできなかった。
「両親も、きっとわかってくれると思います」
申し訳ないという思いを滲ませるおかみさんの声に答えると、村長のしわがれた声がぽつりと落ちる。
「……本当にいいのだね」
つらそうに言う村長に静かに頷くと、部屋全体にどこかほっとした雰囲気が漂った。
「はい。家の中も、片付けてきています。残った物は、皆様で使ってください」
「……ありがとうなぁ」
泣いてくれているのだろうか。涙声になった村長の声が聞こえて、やはり手を挙げてよかったという思いが香世の中に満ちる。
「覚悟も決めて参りました。ですので、時間が開いて怖くなる前に連れて行ってください」
「そうか……。なら、遅くなる前に行こうか」
あまり時間をかけると、夜になってしまう。
それに、大雨の中、全員での移動は危険だった。
村長と村役の二人が、香世が贄となる姿を見届ける事となり、四人で今まで儀式を行ったことがあるという崖に向かう。
儀式は、特別な手順もなく、ただ祈りを捧げて身投げをすれば良いらしい。
「これで、村が救われますように……」
香世は神に祈りを捧げると、崖の底に向かって身を投げた。