第64話 悪役令嬢ハナにゃん様の素晴らしい御力。ヤンデレは常にヤンデレである。
驚いたハナにゃんは「体から変なものが出ているのですにゃーん!! 怪しいのですにゃーん!」と鳴いた。
――――!!!
ヤンデレ達の耳に着火剤を投げ込んでしまった悪役令嬢ハナちゃん。
現場は一時騒然となり、眠れる最上階の美おじさんが証拠ごと闇へ葬り去られかけるというややこしい事案が発生する。
が、一部の堅物教師と丁度入室してきた副学園長のおかげで凶行はなんとか食い止められた。
◇
幼稚園児系ヤンデレ製造機ハナにゃんは順を追って「にゃーん、にゃーん」と丁寧に説明をした。
ベッドに弱った(学園長)香水(付き)が寝ている。
(体に悪いものなので)洗った方がいい(が、弱っている人には)水をかけてはいけない。(大好きなママから)メッされてしまう。
ピンク色の煙が出ていた。(ハナちゃんから逃げようとしたので)邪悪である。
「なるほど……。俺には感じられないが、聖属性を持つハナには邪悪なオーラが見えたということか」
ヤンデレが弱々しい婚約者を暗い瞳で見つめながら推理する。
「そして〝ああなった人間〟の香水を洗い流すには水ではない何かが必要になると。滅されるというのは、おそらくただの水では邪悪な力に負けてしまい効果がないという意味だろう。……サクラ、お前は大丈夫なのか?」
「さぁ? どうかな。自分じゃ何も感じないけど。おかしくなったら気絶させるように伝えてあるし、いまのところは大丈夫なんじゃない? 俺が吸ったのは香水だけだし……ああ、そういえばカナデくんは現場を見たわけじゃないんだっけ。呪具の他に、あの部屋の厨房から紅茶の缶が大量に発見されたんだけど、報告で聞いてる?」
「そのことなら先程『おかしな成分は検出されなかった』『術にも反応しない』と簡単な調査の結果が送られてきた。これからの調べで何か見つかるかもしれないが。……まさか、二つを組み合わせることで完成する『毒』なのか?」
「にゃーん、にゃーん、お兄にゃーん」
「ハナ、二人を倒すのはあとにしなさい。今は人手があったほうがいいだろう」
「俺は結界を張ってすぐ離れたから、単純に『香水を吸った量』の問題かもしれないけどね。呪術のなかには条件が複雑になるほど効果が強くなるものもあるし、あの部屋全体が術式の一部だとしたら、押収した物の調査だけじゃ何も出てこないかも」
堅物教師アヤメも口を挟む。
「過去に見つかった大規模な術式の中には、数十キロも離れた土地を点で結ぶため、逆五芒星の頂点にあたる土地で――事件を起こし、その中心に大量の――を捧げるなどして特殊な力場を作るといったおぞましいものも――」
という子供に聞かせるべきではない事件について語ってしまった男は「にゃ、にゃーん……」の声に反応し、視線をそちらへ向け、目を見開いた。
なんと! ぷるぷる震えるハナにゃんが自身の猫手で頭上の猫耳を押さえようと懸命に頑張っている!
己の失態を悔いた男は「すまない……」と苦し気に告げ、ひとりで廊下へ出て行った。
闇を纏いしお兄様とカナデは弱々しい悪役令嬢ちゃんを二枚のブレザーで包んだり幼児を騙す大人のように、あれは悪い冗談だ、ヤツには妄想癖がある、などと嘯きながら彼女をなだめすかしたりしていたが、先程の話に何も思わないわけではなかった。
つまりアヤメは『一般的に知られていない複雑な条件をいくつも掛け合わせたオリジナルの呪術であれば、作った本人から詳細な条件を聞き出さぬ限り証拠はつかめない』と言いたいのだろう。
例えばその条件に『紅茶を入れるときに両手の小指を立てる』というふざけた動作が含まれているとしたら、想像でどうにかなるものではない。
男達がつい、弱った美おじさんを放置していることを忘れ、犯人を締め上げる方法について考えてしまっていたとき。もぞもぞと動いたブレザーから愛くるしい猫がにゅ……と顔をだした。
「…………」
ヤンデレ達はひとまず考えるのを止め、可愛らしい猫を暗い瞳でじっと眺めた。
静かになった部屋。
そこで、実は弱っている人間が付近にいるとそわそわしてしまう純真な幼稚園児系悪役令嬢ハナちゃんが、清らかな美声でにゃーんと告げた。
「あたためるのですにゃーん」
◇
聖なる力の持ち主ハナ様はおっしゃった。
聖水をお風呂場であたためるのですにゃーん。
『自身の力で復活させた超貴重な聖水で〝ピンク色の煙が出ているおじさん〟を浄化する』というハナの言葉に、彼らは魂が浄化されてもおかしくないほど深く感動した。
(が、ヤンデレ達のヤンでいる心は残念ながら浄化されなかった)
すぐさま配下を動かし、特別室の浴槽を聖水で満たすべく最上階へと運ばせる。
いかにも神殿らしい彫刻が施された真っ白な風呂場――。
光射すステンドグラスに描かれているのは女神、ではなく猫。
壁際には蔦植物の伸びる芸術的なツボ、と見せかけてよく見るとそこにも猫の絵。
広い空間の真ん中には四角く切り取られたローマ風呂のような浴槽。
人口の泉にも似たそれの周りにも、真っ白の猫の像。
猫に囲まれないと風呂にも入れないのか。
そんな風に訊きたくなるほど、そこは猫が好きで好きで仕方のない人間が作った風呂場のようであった。
誰も使わない場所だからと趣味に走りすぎである。
ヤンデレ達はほぼ意識のない学園長を殴りたくなる衝動を抑えつつ、治療のようすを眺めた。
青く輝くホット聖水に灰色のバスローブを着た美おじさんがざばぁ――と、ボディーガード達によって肩まで沈められる。
湯気がきらきらと煌めき、学園長のまぶたがぴくりと動いた。
動くものが気になってしまう猫はクールなお兄様の腕からにゃーんと飛び降り、入り口側に向けられている頭の周りをウロウロした。
猫好きが猫の気配を感じ取ったのか、青いホット聖水の中の手がのろのろと持ちあがる。
鼻先に近付く濡れた手に驚いてしまったハナにゃんは「フシャー!!」と言いながら学園長の横っ面を聖なる肉球でひったたいた。
――ボクゥ――!!
――セイクリッド・パウ・ジャッジメント――!!
「ぐ……。猫……、今のは……猫の……」
学園長の口がついに動いた。
自身が青い聖水で満たされた風呂に入っているという罰でもあたりそうな驚愕の事実よりも猫が近くにいることが気になるらしい。
「まぁ、濡れた手でいきなり撫でようとしたらそうなるよね」
サディストな男は頭が激しく揺れるほどキレッキレな猫パンチを顔面に食らった学園長に冷めた感想を漏らしたが、その目はしっかりと見ていた。
贅沢という言葉では到底足りぬほどたっぷりと使用された聖なる泉の水。
大して仲良くもないおじさんの体調を慮り聖水を温めてあげようという心優しいにもほどがある猫の〝聖なる子猫パンチ〟。
それらを存分にあびた男の体からピンク色のオーラがぶわっと噴き出した、その瞬間。
まるで邪悪な力を打ち消すかのように神聖な力がハナの体から大きくあふれ〝訓練を積んだ者達ですら感知できない謎の術〟をまばゆい輝きと共に祓ったのだ。
他の者達も目にしたはずだ。彼女の純粋な想いが光となり悪を滅した光景を。
「ハナ……」
ヤンデレ婚約者は『おじさん』を穢れなき肉球でさわってしまった悪役令嬢ちゃんをいち早く確保した。
浴槽に入りきらなかった貴重な聖水の残りをジャー……――と、美しい猫手にかけ、清める。
「お兄にゃーん、お兄にゃーん」
ジャー……――。
「猫の……愛らしい猫の声……そう、可愛い猫が私を助けに来てくれたんだね……ああ、もうあのにおいもしないな……気分爽快ってやつだね……ふふ……」
夢うつつの学園長は幸せそうだが、彼に話しかける者はいない。
「いまの光は……いったい……まさか……」
ずっと難しい顔をしていた副学園長は驚愕し、震える声で尋ねた。
彼らのやることに口出しをしなかったのは、学園長がなんらかの術にかかってしまったと一番に疑ったのが彼自身だったからだ。
人間を正気に戻すための術と魔法は当然いくつも試した。しかし彼の知っている方法では戻せなかった。
そもそも掛けられた術の痕跡を感じ取れなかったのだ。
簡単にどうにかできるとは思っていなかった。
貴重な聖水を風呂に使うなど、自分であれば考えもつかなかったはずだ。
それに万が一思いついたところで、管理者が持ち出しを許すことはありえない。
だが何よりも驚いたのは――
『まさか千代鶴ハナは伝説の聖女なのか……呪われて猫になったのではなかったのか』
「このことを他言すればどうなるかは分かっているな――」
クールな声が副学園長をクールに脅す。
呪われた状態でこれほどの力を持つ猫の話が外部に漏れれば、ハナに利用価値を見出した有象無象が世界中から集まって来てしまう。全員が行方不明になるとすれば、それは他言した貴様のせいであると。
壁際で彫刻のように佇む黒服達を含め、この場にいる男達すべてが、美しい猫が強い輝きに包まれる奇跡の瞬間を目撃し、感じ取っていた。
怪しげな術に囚われ、自力で起き上がることさえできなかった男はたったいま、聖なる猫の力で確かに救われたのだ。




